海と夕陽と彼女の涙 -公式ブログ-

映画「海と夕陽と彼女の涙」の撮影裏話や最新公開情報などをあなただけにお知らせします。

みなかたくまぐす 3

2006-05-31 19:31:51 | 製作委員会
しばらく間があきましたが、つづきです。
映画「熊楠」は未完成のままお蔵入り。エキストラ出演した友人は、どんな風に映っていたのか観たかった~と、今なお残念がっています。もう15年にもなります。子供役で出演していた人はもう成人。この映画も15年先には?4人の女優のセーラー服姿は超お宝になってるでしょうね!
映画「熊楠」が去った後に残ったものは、言い様のない虚しい気持ちと多額の負債そして映画への嫌悪感でした。業界では有名な話だということを、この映画に係わってはじめて知りました。そんなわけで太田監督がどんなに熱く語っても相手にされず、門前払いされ続けたのでした。(ところであの時のフィルムは今どこ?)
しかし、市民のみなさんから1000万円もの資金を集めることができ、公開できたのです。フィルムが流れるその日まで「ほんまに出来るんか~?」支援してくれた人でさえ最後まで信用し切れずにいたと思います。だまされるのを覚悟で支援してくれたみなさん、ありがとうございました
映画館へぜひ足を運んでくださいね
映画、ほんとに上映してますよ!


舞台挨拶

2006-05-29 18:23:53 | 製作委員会
田辺での舞台挨拶がすんだあと和歌山市まで随行しました。
ジストシネマ和歌山のエントランスに一面に貼られたポスターには驚きました。何十枚貼ったのでしょう?圧巻でした。貼るのはさぞかし大変だったことでしょう。(初日が終わったので、全部剥がしたというのでちょっぴりがっかり
ジストのみなさん、貼ったり剥がしたり大変だったことでしょう。
さて、舞台挨拶。「ロケ中の思い出」は、宿舎のホテルの露天風呂に入ったのが一番印象に残っていると4人共。このHPで配信されている『もうひとつの~』で5年後の夏美が泊まっていたホテルがそうです。(東急ハーヴェスト南紀田辺)ここの露天風呂から見る海に沈む夕陽は地元に住む者でもクラッときます。感動もの!
写真は、映画の衣装を着けて追っかけて来てくれた鮭山先生(泉さん)と用務員役(垣内さん)の2人とアナウンサーの小林さん寺門さんです。上映終了後アドリブでもうひとつの舞台挨拶をしたのでした。

今は紀伊田辺

2006-05-28 01:39:35 | プロデューサー
忍者のように一昨日はカンヌ、昨日からは紀伊田辺(初日舞台挨拶)です。ようやく地元の初日で協力して頂いた皆さんも一息です、と思いきやまだまだ『海スト』は優秀で心ある皆さんを離しませんよー!大ヒットの日まで

ただいまです。

2006-05-25 23:21:40 | プロデューサー
カンヌ映画祭より今日帰りました。『海スト』は凄い好評でなんと満員。某メジャの大ヒット作品『U』や『K』がまばら(観客五人ほど)なのに!日本の映画って本当に映画なの?もう一回映画ってなにか考えてみないかい!

ジャコブ氏?

2006-05-25 17:48:01 | 製作委員会
この名前を知る者はいなかったのです。
プロデューサーの三木さんに聞いても???
フランスに着いてはじめてその人物が誰なのか知ることに  
ジャコブ氏とはなんとカンヌ映画祭の最高者、ジャコブ会長のことだったのです!!!
この会長と会見をさせてもらい、お手紙をいただいたのです。地方で作った草の根映画をカンヌに出品してくれたことへの感謝というような内容でした。びっくりを通り越しぎっくり腰になりそうです。
市民のみなさんからいただいた1千万円という浄財が無駄にならなかった。          うれしいというより安堵感でいっぱいでした。

テレビ放映

2006-05-25 17:03:40 | お知らせ
明日から始まるテレビ和歌山の新番組で放映されます。
5月26日午後7時~8時55分 『@あっと!テレわか』生放送です。
新番組の1回目とは縁起がいいです!         
太田監督も生出演するときいています。
ロケのときのメイキングも流れると思います。ぜひ観てくださいね!
明後日はいよいよ公開初日です。女優4人も田辺~和歌山入り、舞台挨拶があります。
舞台挨拶なんてジストシネマ田辺でははじめてのことらしいです。
あべさとえさん(主題曲)のミニコンサートも映画館前の広場でありますよ。
みんな来てくれるかなあ。

カンヌ映画祭

2006-05-24 12:47:47 | 製作委員会
テレビでよく見ていたカンヌ、実際に現地に行き空気を吸ってきたんです。信じられない~。
夢じゃなかったの?と思い始めています。       
カンヌのまちはお祭り騒ぎ。とにかく賑やかで華やかでした。人口6万人のまちに世界中からこの時期どれくらいの人が訪れているのでしょうか?会場付近は歩けないくらいに人でいっぱいです。
「田辺祭りよりすごいなあ~!」玉井事務局長がジョークを飛ばしています。
すぐそこに映画スターがいるはず!あのテレビに映る赤じゅうたんが目の前です。
わたしたちの映画の上映は夜8時です。それまでJETROパリセンターの豊永さんという女性に会場内を案内してもらいました。ピンと片手をあげ人混みの中をかき分けて進んでいきます。
豊永さんのその手に気合いが入ってます。見失わないようにその手に付いていくのですが、道路も広場も人でいっぱいです。この度の出品から何からこの豊永さんが担当でお世話してくださったのでしょうね。さぞかし大変だったことでしょう。ありがとうございます。

カンヌの朝

2006-05-23 14:33:26 | プロデューサー
おはようさんです。僕三木プロデューサーはカンヌ映画祭で各国のプロデューサーと会って映画の勉強中!全く解らない英語や仏語に囲まれて悪戦苦闘です。あーぁ、学生の時もっと語学勉強したらよかった。でも、電車は乗れるしレストランでメニュー指さしたら食事も出来るからまあなんとかなるかー。いつも笑顔でボディラングウェッジ!ではまた、オーヴォワール。

カンヌへ!?

2006-05-17 22:11:37 | 製作委員会
みなかたくまぐすのつづきは、後日また再開しますね。
明日からカンヌへと旅立ちます。
この映画が「2006カンヌフィルムマーケット」に出品されることになったのです。
ジャパンブースでの上映も決まっていて、関係者として行くことに!
聞くところによると、カンヌ映画祭もフィルムマーケットも関係者のみのクローズなものらしいですね。私たちには2度とないことでしょうから、業界人のような顔をして行ってきます。といってもたぶん浮いてるでしょうけど。
帰ってきたらその模様を報告します
乞うご期待

田辺市の素敵な面々③

2006-05-17 21:16:57 | プロデューサー
さて翌日、いよいよその田辺市の顔役であるおばはんと会う日になりました。場所は会社だったか喫茶店だったか、覚えていません。(僕物忘れが良いもので)三木「はじめまして三木です」多田「遠いところをようこそ多田です」と名刺交換をして、僕が面を上げると、そこには100kgのおばはんがいるだろうと思いきや、そんな人どこにもいませんでした。僕の前には、背がスラーとして細面の美人が涼しげに立っているではないでしょうかそれはまるで宝塚から飛び出たかのような雰囲気をかもし出しているではないですか。三木「(心の中で)えー、こんな人が、ほんまにやり手何かなあー、太田さん騙されているんやないか」と、思ったんです。本当に素敵な普通の女性に見えたのです。さあ、ところがこの人が、ほんまに肝が据わっているというか、豪快と言うか・・・・・・僕はこの人に今回の映画を製作しなければならない状態に操られていくのです(^-^)多田さんごめん。それからの話は、またまた次回に続くのであった・・・・・

田辺市の素敵な面々②

2006-05-15 01:52:33 | プロデューサー
最近このブログのファンも少しずつ増えてきてうれしいです。なにしろ初めてこんなことを始めたものだから勝手が違って。勝手が違って、というとこの人と会ったときも勝手が違ってました。太田監督から「田辺市でようやく映画の話を聞いてくれて前向きに話してくれている人がいるので会ってほしい」と言われ、なんとそれは女性である、と。色々話を聞いていると女経営者ですごくやり手であると・・・・。これは想像するに「体重100kgもあり、押し出しのきいた超おばさんタイプ」かな?と。そうか、こっちは都会風の優男、飲み込まれたらどうしよう、
そんなことを考えながら、朝早くのスカイマークで羽田から関空へ(朝6時代に乗るとなんと8000円ぐらいで行けてたのです、もう関空にはスカイマーク行ってません)そして、関空からJRで紀伊田辺駅へ。前もって到着する時間は彼女に伝えていたので、駅まで迎えにきてくれる予定でした。11時くらいに到着、初めて会うこの
「女経営者のおばはん」はどんな人か、ちょっと期待と、ちょっと恐れをいだいて、改札口を出て行った。すると、そこには太田監督とカメラマンの三本木さんがいるではないですか。太田「三木さんわざわざご苦労さんです」三木「あれ、多田さんは?」太田「後でお伺いすることになってます」そうか、なんだかもったいぶってるなあ・・・・・で、この後会うわけですが、それは次に・・・・・

みなかたくまぐす 2

2006-05-14 21:35:29 | 製作委員会
太田監督が、田辺で映画を撮りたいと熱き想いで何度通っても、門前払いにされた理由があります。今から15年ほど前にさかのぼります。それは・・・
当時「南方熊楠」の映画を撮っていました。まちじゅう総動員というくらい盛り上がって、子どもから大人までエキストラで出た人は何百人という数にのぼるはずです。それはもう半端な力の入れようではなかったと思います。わがまちの偉人が映画化されるわけですから。市民は期待感でいっぱいでした。ところが・・・
何ヶ月間ロケをしたでしょうか?ある日、突然中止になったのです!資金が足りなくなったというのが原因らしいのですが、真相は今もよくわかりません 映画を期待していた市民は、後のショックも大きく、またロケ中の費用の未払いもそうとう残ったのです。こんな苦い経験があったので、映画は禁句になっていました。この悪夢を思い出させることはタブーでした。
そんなまちに、知ってか知らずか太田監督は何度も訪れていたのです。(つづく)