うみねこ 生命は自発的である

生命は自発的に行動し、その結果帰還してきたフィードバック情報を処理している。情報はこの方法によってしか収集できない。

真に同じモノは作れない

2007-01-02 10:03:44 | Weblog
物体はいくら「構造的には同じ」モノを 製作しても,同じ時空間を共有できない
以上,「真に同じモノ」にはなり得ない。よって我々は各自が異なる唯一無二の
存在になり,収集できる情報も各自ユニークなものにならざるを得ないだろう。

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28 コメント

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私の不思議 (謹賀新年) (うみちゅう)
2007-01-02 20:49:27
明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます。

ところで、この私の体をコチコチに凍らせて完全に機能させ、
その体と寸分違わぬ体を100対もコピーし、その中に
オリジナルの体を置きゴチャゴチャにシャッフルしてどれが
オリジナルか判らないような状態にした後、101体の体を解
解し蘇生させた場合、いったいこの「私」という自己の認識
(主観)はどの体に引き継がれるのでしょうか、オリジナルも
コピーも全く同じ組成ですから必ずオリジナルに引き継がれる
というのも合理性に欠くのではないでしょうか。
>「真に同じモノ」にはなり得ない。
の説明でそんなイメージ(空想)が頭を過ぎりました。
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Unknown (うみねこ)
2007-01-02 21:53:14
>この私の体をコチコチに凍らせて完全に機能させ、
構造は保たれていても,凍って媒体の流動性が失われている以上,機能していないと私は思う。
しかし,これはここでの本題ではないので,指摘するにとどめておきたい。

>オリジナルの体を置きゴチャゴチャにシャッフルしてどれがオリジナルか判らないような状態にした
外目にはどれがオリジナルか区別がつかなくとも,オリジナルしか占有することのできない空間が必ず存在する。ここで書いたのはそういうことだ。したがって,オリジナルが占有していた空間を引き継いでいる存在物,それこそがオリジナルであり,それに「私」という自己認識は引き継がれるはずだと思う。
もちろん他のコピーもすべて「自分がオリジナルだ」と主張するだろうが,ゴチャゴチャにシャッフルする前にオリジナルが占有していた空間を占有する存在物はシャッフル後も唯一存在し,それこそがオリジナルだということ。
文章にするとややこしいかも知れないが,私は当たり前のことを書いていると思う。
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Unknown (うみねこ)
2007-01-02 22:16:06
ただし,コピーの製造方法について問うておきたいことがある。
現代のコピー機のように,紙の資料をコピーすることを想定しているのだろうか? それとも,ゾウリムシのように分裂することで製造されたものをコピーと呼んでいるのだろうか?
後者の場合,オリジナルとはいったいなんだろう?
遺伝子に組み換えが起こらない場合,遺伝子には間違いなく唯一のオリジナルが存在するはずだ。しかし,遺伝子以外の成分はすべて細胞外に存在する材料を用いて遺伝子の持つ情報に基づいて生成されるとすると,遺伝子以外の成分はオリジナルとコピーを区別すること自体無意味だ。

コピーされるのは物質なのか?それとも情報なのか?
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いろいろ (うみちゅう)
2007-01-02 22:48:09
>ところで、この私の体をコチコチに凍らせて完全に機能させ、

すみません、「機能させ」は「機能停止させ」の誤記でした

>オリジナルが占有していた空間を引き継いでいる存在物,
>それこそがオリジナルであり,それに「私」
>という自己認識は引き継がれるはずだと思う。

それは不思議です、101個の体は物質的にはどれも等価
という前提ですので、必ずオリジナルにこの「私」という主観
が引き継がれるという論は何の根拠も無いような気がします。

>ただし,コピーの製造方法について問うておきたいことがある。
>現代のコピー機のように,紙の資料をコピーすることを想定し
>ているのだろうか?

つまり、素粒子一個に到るまで完全に物質的に等価、という
前提です。
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Unknown (α)
2007-01-03 00:09:23
>つまり、素粒子一個に到るまで完全に物質的に等価、という
前提です。
>いったいこの「私」という自己の認識(主観)はどの体に引き継がれるのでしょうか

全部に引き継がれます。
そもそも、「一体」が一つと考えない方がいいでしょう。
一つの個体、一つの世界といえども、無限の波が重なりあって
縮退している状態と考えると、この手の問題は簡単にわかります。
もともと無限なので、いくらにでも分けることが出来ます。
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それはあり得ない (うみねこ)
2007-01-03 00:26:28
>101個の体は物質的にはどれも等価
>つまり、素粒子一個に到るまで完全に物質的に等価、という前提です。

私が言いたいのは,異なる物体は空間を共有できない以上,完全に物質的に等価であっても完全に同じモノではあり得ないということです。

また,仮に完全に物質的に等価なものを製造したとしても,異なる空間を占める以上,次の瞬間には異なる情報を受け取ることになるので,完全に物質的に等価なものは事実上存在し得ないと思う(存在できる時間がない)。

ものの本には「私」という自己の認識(主観)はすべてのコピーに受け継がれると書いてあるだろうが,どれであるかを判別できなくとも唯一存在するはずのオリジナルはコピーのもつ主観が自分と同じだとは決して受け入れられないだろう。そして,ややこしいことにコピーもオリジナルと同じように感じる。しかし,それでもコピーはコピーだと私は思う。
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Unknown (α)
2007-01-03 00:37:08
そのときは、どちらもコピーではなく「オリジナル」なんです。
オリジナルが二つにわかれただけ。
そしてそのオリジナル自体、時間ともに変化するものです。
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Unknown (α)
2007-01-03 00:45:00
物質の正体は波のようなもの。
波が杭に当たり、二つに分かれても、どちらも同じ波であったということには変わりはない。
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我々の主観はそれを受け入れられない (うみねこ)
2007-01-03 00:49:02
>どちらもコピーではなく「オリジナル」なんです。
>物質の正体は波のようなもの。
>波が杭に当たり、二つに分かれても、どちらも同じ波であったということには変わりはない。

物理的にはそれが正しいとしても(ただし,本当に正しいと断言できる段階にはないはず),我々の主観はそれを受け入れられないだろう。
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Unknown (α)
2007-01-03 00:57:14
>我々の主観はそれを受け入れられないだろう。

「我々の主観」ではなく、「貴方の主観」ですよ。
貴方がそれを受け入れられないからといって、他人までそうだとは思わないように。

量子論のエヴェレット解釈が理解できるレベルであれば、それを受け入れることは容易です。
もっとも、そのレベルになれない人間が大多数というのは頭の痛い問題ですが、仕方が無いでしょう。


>本当に正しいと断言できる段階にはないはず

断言できます。この世に何か正しいものといえるものがあるならば。
逆に言えば、「本当に正しいと断言できる」ものなど何もありません。誰も「桶の中の脳」やこの世界がマトリックスであることすら否定できないのです。
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