うみねこ 生命は自発的である

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最初は明るい黄色が見えた

2007-05-20 14:37:21 | Weblog
先の「黄色のように明るい青?」で書いたことを考えていて,我々には黄色のように明るく眩しく光る青という色が想像できないことから,進化の過程で生物が明るい光に出会い,それを避けることが生存率を高めることに寄与したということがあったとしたら,その生物が最初に見えるようになった明るい色は必然的に黄色に近い色だったのではないか,ということを思いついた(笑)
同様に,最初に見えるようになった暗い色は必然的に青(または深い藍色)に近い色だったのではないか。
それが進化の過程で生物が徐々に多くの色素合成能力を獲得していく過程で,生物は現在の我々が見るような多様な色彩視能力(色覚)を獲得していったのではないか。

理屈抜きで,我々は明るい色を必然的に黄色に近い色として見るのだ? 歴史的にこういうアホなことを発想した人をご存じの方は教えてほしい。

ひとつの傍証として,人があまり入り込んでいない北米の原野では黄色の花を咲かせる植物が圧倒的に多いということが挙げられる。このことは昆虫は黄色という色を見ることが得意,または黄色しか見えない昆虫が多いことを示唆しているように思える。

進化において,生物は単細胞生物から多細胞生物に進化したとされるが,それは決して多細胞生物が単細胞生物を駆逐するやり方で進行したのではなく,単細胞生物も保存しながら進行したということが重要だ。現に個体数ではヒトより細菌の方がはるかに多いことは明らか。
したがって,色覚を獲得した初期の生物(すなわちここで考えた黄色しか見えない生物)も現在多数生存しているとしてもおかしくない。


21日6:00追記
言うまでもなく光が色をもつのではなく,視覚系の神経ネットワークがある波長の光を見た時に特定の色として見るようにできているに過ぎないのだが,そうであるにもかかわらず,特定の波長の光を特定の色として見る必然性がそこにあるのではないか,ということを言いたい。

黄色のように明るい青?

2007-05-20 14:35:44 | Weblog
色のクオリアを考える思考実験ではしばしば「赤」と「緑」の反転が用いられる。なお,以下に挙げる色の名前はすべて彩度100%の純色を指すものとする。

色の要素が明度,彩度,色相の三要素しかないとすると,純色の赤と緑は明度も似通っているので純粋に色相が反転した色(補色)ということになるが,我々がヒーターの芯が葉っぱの緑のように輝くのを見て熱いと感じ,木々が生やす新鮮な葉が灼熱に染まった真っ赤なヒーターのように光を反射するのを見て涼しいと感じるかどうかはともかく,想像することは容易い。

では同じ補色でも黄色と青とではどうか。この場合,純色の黄色と青自体が異なる明度を持っている。では,黄色と青が反転した世界を想像することは可能だろうか。私には黄色のように明るい青や,青のように深い黄色というものを想像することができない。

黄色と青の例から考えると,どうも,明度と色相はそれぞれが色の三要素であるとしても連動しているようだ。明るい色と言った場合,それは必然的に黄色付近の色に決まり,深い色と言った場合,それは必然的に青付近の色に決まっているように思えるのだが…。