宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「忿怒尊修法」

2013年10月25日 | Weblog




「那摩上師(なまじょうし) 那摩仏(なまぶつ)
那摩法(なまほう) 那摩僧(なまそう)
為利遍虚空一切如母(いりへんこくういっさいにょぼ)
有情先我成仏而発(うじょうせんがじょうぶつじほつ)
無上菩提心(むじょうぼだいしん)。」


目の前の虚空に忿怒尊がおられるのを観想して誦す。





「ウン
九首噴火野猪座騎上(きゅうしゅふんかやちょざきじょう)
身顔深藍威猛忿怒尊(しんがんしんらんいもうふんぬそん)
右執金剛左持普巴けつ(うしつこんごうさじふはけつ)
幻化無量大鵬遍三界(げんかむりょうたいほうへんさんがい)
殱滅病魔消除違縁障(せんめつびょうましょうじょいえんしょう)
礼賛金剛鎧甲聖眷衆(らいさんこんごうかいこうせいけんしゅう)。」



「オン・ベマカガレペ
ナンパシュナゲナン
デイェヤター
サガヨクレダ
ハナハナ
バンゼイナ
ラチャラチャ
ソーハー。」(何遍も誦す)


(回向)

「此善願証遍智果(しぜんがんしょうへんちか)
摧滅一切罪過敵(さいめついっさいざいかてき)
生老病死浪洶涌(しょうろうびょうしろうくしょう)
普渡苦海有情衆(ふどくかいうじょうしゅう)。」

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2 コメント

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颱 風 (地球の庭先で)
2013-10-25 01:51:07
        颱 風

中心で 清らかな青空をしたその目は
かなしいものを見続けてきた眼差しをしていた

傷ついたものを考え続けてきた心の空洞の
深みを持っていた

左へ左へと回るしかない生涯であるがゆえに
左へも右へも回ることの出来るものたちに
くらべて
確かな姿勢を矜持するものの目をしていた

北上するその目の周辺で
想いをもてあますように胴ぶるいする
強い雨風を 荒ぶるしかないものの仕業
だとしてとらえるものもいたが
たとえば 季節や 水や いのちを
確かに 地表へ渡していく契約として
享けとめるものも居るにはいた

やがて
中心で 清らかな青空をしたその目は
清らかな青空をしたその目の
そのままとなる
なぜなら
もともと空に在って
空を渡っていく目というのは
そのような静けさをもった目であったから

 三宝社 詩集 地球の庭先で 松尾静明
返信する
やはり日月 (もみ@白トウモロコシ)
2013-10-25 06:54:23

|・)…

上の2枚の忿怒尊の左右に日月があって
やはり着目されるべき点の一つであると
感じるばい。
返信する

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