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宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「大円覚等持三昧眞言」

2021年05月27日 | Weblog




円覚経に関する眞言で、
礼拝や供養を捧げて誦す事で
円覚等持三昧が得られます。

「オン・マカパラ・フジュカ・ウン・パッタ
 ザンム・ザンム・パナマミ・ウン。」
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「ヴァジュラ・ショパを目にして 三悪趣の因が除かれる」

2021年05月27日 | Weblog



チベット仏教の儀礼で行われる
ヴァジュラ・ショパを 映像であっても
目にしたり 聞いたりすることで
自己の三悪趣の因が除かれるとされます。

(ヴァジュラ・ショパ)
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「瑜伽行者之歌」

2021年05月27日 | Weblog





ミラレパ尊者は
自分の図像を目にしたり
自分の名前を聞いたり
また 自分の伝記を読む、または聞く
または自分の言葉を読んだり 聞いたり
自分の事蹟を憶念したりする事で
浄土に至る事ができるという言葉を残されています。

以下 ミラレパ尊者が残された「瑜伽行者之歌」です。


「我乃西蔵一行者(がないちべっといちぎょうじゃ)
ミラレパ是我名(みられぱぜがみょう)
聞思雖瘠口訣豊(もんしすいせきこうけつほう)
心雖謙微堅毅大(しんすいけんびけんこくだい)
平日睡少修持多(へいじつすいしょうしゅじた)
知一而能知一切(ちいつにのうちいっさい)
一切所知帰摂一(いっさいしょちきしょういつ)
堪称実相之専家(たんしょうじっそうしせんか)
床小舒けん能随意(しょうしょうしょけんのうずいい)
衣単身暖楽怡怡(えたんしんだんらくはは)
少食能飽無飢餓(しょうじきのうほうむきが)
大瑜伽士所仰止(だいゆがじしょぎょうし)
具信徒衆時囲繞(ぐしんとしゅじいにょう)
生死怖畏作依怙(しょうじふいさえこ)
我於郷国無貪恋(がのうきょうこくむとんれん)
随意遨遊無定処(ずいいごうゆうむじょうしょ)
随意所行無顧慮(ずいいしょぎょうむこりょ)
無視世俗之礼儀(むしせぞくしれいぎ)
於世財物無貪執(のうせざいもつむとんしゅ)
食物浄穢如一味(じきもつじょうわいにょいちみ)
煩悩刺痛極微小(ぼんのうしつうごくみしょう)
声名美誉不関心(しょうみょうみよふかんしん)
早離能所心境執(そうりのうしょしんきょうしゅ)
已解涅槃之死結(いげねはんししけつ)
孤苦衰残老邁人(こくすいざんとうまいにん)
我常慰藉為友伴(がじょういしゃくいゆうはん)
活発如猴衆頑童(かっぱつにょこうしゅがんどう)
我常伴彼作嬉戯(がじょうばんひさきぎ)
瑜伽行者我ミラ(ゆがぎょうじゃがみら)
随意漫遊天下去(ずいいまにゅうてんかきょ)
願汝人天皆歓喜(がんにょにんてんかいかんき)
身体康健無疾病(しんたいこうけんむしっぺい)。」
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「勝楽転輪金剛日宝ダーキニーの72尊の加持を受ける」

2021年05月27日 | Weblog




礼拝や供養を捧げて誦す事で
チベット仏教に伝わる
勝楽転輪金剛日宝ダーキニーの72尊の加持が授けられます。

「アン・オン・シリー・ラナドラーガ
ザーンモ・トラモ・アー・ウン・ドラーグニー
ザーラ・サンバラン・ウン・パッタ・ソーハー。」
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「フォーカシングの技法」

2021年05月27日 | Weblog





以下 10年以上前に存在していたHPに掲載されていた情報のコピペで、
仙道やそれに関する修業をする人にとって、
非常に役に立つもののようです。

++++++++++++++

 1 リラックスしてからだの内側に注意を向ける

 2 そのとき、気になっていることや、悩んでいること、取り上げたいことを 一つづつ挙げていく

 3 感情の渦に巻き込まれないようにしながら、出てきた問題を自分から切り 放して、一つづつ離れたところに置いていく

 4 問題を切り放すことで、自分の中にできた空間を味わう

 5 焦点を当てたい問題を一つ選んで、その問題に触れたときのからだの感じを味わう
  (たいてい、漠然としていたり、モヤモヤとしていたりするけれど、それで かまわないので、
  そのまま丸ごと全体を感じるつもりでやる。この「からだの感じ」 をフェルトセンスと言う)

 6 「これは何か?」「この問題全体はどんな感じか?」などと自分に訊いて みて、
    からだの奥から出てくることばやイメージをひたすら待つ

 7 出てきたことばやイメージと、からだの感じとを付き合わせて、
   からだの 感じとピッタリ合うかどうか確かめる

 8 7で確かめたことばやイメージに呼び出されてくるからだの感じに注意を 向けて、
   自分に「これは何か?」「何が原因か?」などと尋ねる

 9 新しいことばが出てきたり、イメージが変化したりしたら、それをよく味わう

 10 もう十分と感じたら、出てきたことばやイメージをそのまま味わって終わる

 11 もう少し先に行きたい感じがあったら、6にもどって過程を繰り返す

 だいたい、この過程のどこかでからだの中で何かがほどけるような感じがしたり、閃くものがあったりする。」
  実際に、深々とした息が出ていき、ほっとするという こともある。
  大切なのは、自分にいろいろ訊いた後、アタマで考えたなじみ深い言い 訳や、自己批判、分析、
  そういうものは無視すること。アタマを空っぽにして、
  体の奥から答えが浮かび上がってくるのをひたすら待つ。

 結構思いがけないような、ことばやイメージが浮かんできたりもするけれど、
  それについて理屈付けしたり、説明がつかないからと押しのけたりしないで、
  浮かんできたままに受け取ってあげるようにするのが大切みたいだ。



 (参考にしたのは、ジェンドリン著『フォーカシング』(福武書店))
 気になってることを取り出す

 夜、フォーカシングをするため、部屋で一人になった。
 まず仰向けに寝て、呼吸を深くして、からだの各部の緊張をほどくようにした。
 十分にゆったりしてくるま でそうしていた。

 それから声には出さないで、自分に「今日、今、すがすがしくスッキリしない のはなぜ?」と訊いてみた。

 すかさず、家族のことや、仕事のことなどが思い浮かんできたが、
 なんだかそ れらは体から出てきたというより、アタマで考え出したっていう感じがしたので 、
  そのまま聞き流しておいた。しばらく、アタマを空っぽにして、
  体の奥から言葉やイメージが出てくるのを待った。

 やがて、数年前の交通事故のときの不愉快な体験が浮かび上がってきた。
  相手の顔や名前が見えるような気がしたが、その背後には警察とのやりとりやそのときの 怒り、後悔、
  そんなようなものがひとまとめに隠れている感じだった。
  とりあえず、 「事故のこと」と呼ぶことにして、
  そのモヤモヤしたかたまりを、想像の透明で肉厚 な瓶に押し込んで、
  きつく栓をした。モヤモヤは、瓶の中で抹茶色の液体になった。

 ところで、なぜこの「事故のこと」を体の中から出てきた問題だと判断したかというと、
  上手く説明はできない。
  出てきたときに「これだ」という感じが体に広がったからとしか言えない。
  そして、それを裏付けるように、胸が締め付けられ、腹がへこんで息が苦しくなった。

 そして再び、「他には?」と問いかけ、自分の空間ができたかどうか手探りしていると、
  左の方にガサガサ、ザワザワした何かが感じられた。
  今度は、体の感じだけで、あまり明確なイメージにならなかったが、
  とりあえず、その暗闇に広がる ガサガサした感じ全体をすっぽりと想像の袋でくるんで、
  また瓶の中に押し込んだ。 これで瓶が2本になった。

 次は、何か前の方からネバネバと蜘蛛の糸のようにまとわりついてくるものがあって、嫌な感じだった。
  ネバネバとくっついて、自分から離れたという感じが生まれてこない。
  そこで、「このネバネバはなに?」と問いかけ、ネバネバを見つめた。
  すると、ずるっとわたしの皮が剥けて、それと一緒にネバネバが離れたので、これも 袋でくるんで瓶に詰めた。


  石を発見

 また、待っていると、今度は右の胸のあたりに、何か違和感を感じた。
  胸から 腹にかけてぱっくりと割けているような、重い異物が沈んでいるような、
  そんな感じ だった。しばらく、その感じに注意を向けていると、
  暗闇から銀色の平べったい大きな石のイメージが浮かんできた。
  そして、その石が右の胸に埋まっているのだとわかった。
  石を動かそうと想像の手をかけてみると、石は一抱えほどもあり、
  ずっしりと 重く、わずかに引きずることができただけだった。
  やがて、石は一つではなく、重なり合って4つあるのだとわかった。

 こんな大きな石が4つも、胸の中にあるなんて、
  客観的に考えれば、そんなことはあり得ないのだけれど、
  イメージの中ではそれは、とてもハッキリした事実だった。

 ここまで来たら、体の中のがらくたを押しのけて、
  やっと自分が座れるほどの床が顔を出してきた感じがした。
  息が大きく深く入り、腹や胸をぱんぱんに膨らませて、
  ゆっくりと吐き出されていった
  (これは、わたしが意図的にそうしているのではなく、体が「勝手に」やっている)。

  自分と問題たちとの距離がとれたと感じたので、「今は、この中のどれに焦点を当てる?」と訊き、
  またアタマを空っぽにしてしばらく待ってみた。
  すると、最後 に出てきた4つの石が温かくなって、
  他の3つが視界から遠ざかっていったように感 じたので、4つの石に焦点を当てることにした。

 本当は「事故のこと」の方が重要な問題だと考えていたのだけれど、
 体の中の感じは、石に向かっていたので、そちらを受け入れることにした。


  イメージが動き出す

 石はよく感じてみると、すべすべした鏡面仕上げで、石というより金属の塊のようだった。
  しばらく石を感じ続けていると、ふと石の底部から垂直に棒が出ていて 、
  それが右の胸にがっちりと埋まっているのがわかった。
  棒にはねじ切りがしてあっ て、しっかりと締まっている。石は、巨大なネジの頭だったのだ。

  想像の中で、その石に手をかけて回してみると、グリッと回ったので、
  そのままどんどん回していくと、やがてネジの棒の部分が出てきた。
  なおも回していくと、 すぽんと抜けてしまい、
  巨大ネジはそのまま視界から遠ざかって感じられなくなった 。
  胸に残ったネジ穴から中を除くと、かすかに泥水のようなものが中で揺れているよ うな感じがした。

 残りの3つも抜いてみることにして、2番目の石を回してみると、
  これはかなり簡単に抜けてしまった。やはり、ネジ穴の奥には泥水がある気がした。

 3番目は、やや脇腹よりにはまっていた。少し重かったが、力を込めて回していくと、
  なんとか動いた。そのまま、どんどん回してみたが、今度の棒は長かった。
   下の方はねじ切りがなくなって、つるつるした棒になっていたけれど、
  いくら引き出 しても終わらない。何十メートルも引き出して、やっと抜けた。
  そして、抜けた穴か ら、泥水がぴゅーっと噴き出してきた。
  自分の胸がセメントでできたタンクのような 気がしてきていた。

 先ほどの穴の一つから中を覗くと、まだ泥水は出きっていないようだった。
  最後に残った石についているネジは、今までのよりもずっと太くて、
  ほとんど石と同じくらいの直径があった。
  このネジは、とても固く締まっていて、その上錆付いているようだった。
  力を込めて何度も何度も回そうとしたが、びくともしない。

 仕方ないので、しばらくぼーっと石を眺めていると、
 どこからか取っ手になる 金属棒を石に打ち込むイメージが湧いてきて、
  石に2本ばかりの取っ手ができた。
  その取っ手を握って、全身で石を回すと、ギギギギという感じで少し動いた。
  もう一度 体重をかけて、ぐっと力を入れて回すと、くるりと石が回りだした。
   数回回したら、 ネジ棒は極端に短かったらしく、すぐにパカッという感じで外れてしまった。
  潜水艦 のハッチのような感じだった。
  ごろんと石が転がっていって、どこかに消えると、残ったのはからだが通るくらいの大きな穴だった。

 中を覗いて見ると、ほの暗い石肌のタンクの中に、
  1本目と2本目のネジ穴か ら光が差し込んでいるようで、底の方にまだかなりの泥水があるのがわかった。

 ここで、ほーーーーっと、深い息が出ていった。
  この息が出る前後で、右肩や 右腕がいろいろ勝手に動いていた。意識して動かしたのではなく、
 体が動きたい ように動くのを放っておいたら、動いたのだ。ちょっと活元みたいだった。

 泥ぬき

 脇腹にはネジのあった穴の他にも、まだ泥が詰まっている穴があるようだと感じた。
  すると、その穴の詰まりがとれて、泥水がどんどん排水されていった。
  胸の中 が軽くなって、空気が入れ替わっていくようだった。すっかり排水されると、
  胸のタンクの中に自分はいた。

 現実の部屋の中で寝ころんでいるのも自分だけれど、この穴の中にいるのも自分だった。
  中は、ひんやりとしていて洞窟の中のようでもあった。
 体の感じを探 ってみると、なんだかまだ何かが残っている感じがしたので、
  洞窟の中を見ていくと 、奥の方に所々、泥が堆積していた。
  その泥を手でかき集めて、脇腹の穴から外に出 そうとしたら、
  突然脇腹が割けて、泥の塊がズルンという感じで外に出てしまった。

 そのときの感触は、妙に生々しかった。ほんとうに体から何かがすべり出 たような感触があって驚いた。

 裂け目はすぐに閉じてしまい、洞窟の中にはきれいな透明な水が満たされ始めていた。
 泥が出る前ぐらいから、わたしは、腹から鳩尾にかけて締め付けられるよう になって、
  息が出尽くし、胸に力が入ってせり上がり、背中をのけぞらして固まっていた。
  泥が出た途端、一気に全身の力が抜けて、深く息が入ってきた。

 なんだか、大手術をしたような気がして、この日はここまでで終わりにした。
   終わってからも、右半身から何かが抜け落ちたような、不思議な清々しさが何日もず っと残っていた。

 泥ぬきの意味?

 左側にも何かが詰まっている気がするのだが、なぜ右側だけにこんな感覚が生まれたのかはわからない。
  
 いずれにしても、今回のは、本で読んでいたフォーカシン グの例とは大分違うようだった。
  ジェンドリンの本の事例では、あんなにビジュアル ではないようだったし、
 途中で体が動き出したりするなんてことも書いていなかった。
  最初に書いておいた1~11の手順とも一致していない(自分で書いておきな がら・・・)。

  だから、もしかしたらフォーカシングではないのかもしれないけれど 、
  夢を見ていたというのとも違う。不思議な体験だった。

 ただ、何日か経って、気がついたことがあった。
 あのとき、取り上げなかった 「事故のこと」が変化していたのだ。

 それまでは、事故の時のことを思い出すと、
 条件反射のように怒りや後悔、不 安、そういう感情が湧き出してきて、とても不快だった。
  それがイヤで、「もう、終わったことだ。これを教訓にすればいいんだ」とか
  「思い出さないでおこう」などと 考え、整理して忘れるようにしてきた。
  けれども、それまではたいてい、あるとき突 然、そのときの記憶が蘇ってきてムカムカして、
  振り出しに戻ってしまうのだった。

 ところが、このフォーカシングの後、その記憶が不快ではなくなってしまった 。
  上手くことばにならないのだけれど、乾いて結晶して、
  道ばたの石っころのように 気にならなくなった。そこに目を向ければ、
  確かにそこに転がっているのだけれど、 それがわたしに襲いかかってきて、
  混乱させることはピタッとなくなった。

 このことに気づいてから一月以上経ったけれど、
 たしかに、「事故のこと」を 考えるときの自分の状態が、
  以前とは全然別ものになっていることに驚いている。
  
 おそらく、これが今回のフォーカシングの収穫だったのだろう。
  でも、フォーカシングの中で出てきた、石やネジや泥が、心理学的にどのようなことを象徴していたのかとか、
  一見まったく脈略のない事故の時の記憶とどういう関係があったのかとか、
  専門家ではないので全然わからない(専門の方、ご意見をいただけると嬉しいです
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「六趣垢を清める観世音菩薩のユガ」

2021年05月27日 | Weblog




観世音菩薩に 礼拝や供養を捧げて行います。



「諸仏正法賢聖三宝尊(しょぶつしょうほうけんせいさんぽうそん)
従今直至菩提永帰依(じゅうこんちょくしぼだいえいきえ)
我以所修施等諸資糧(がじしょしゅうせとうしょしろう)
為利有情故願大覚成(いりうじょうこがんだいがくせい)。」


「願諸衆生永具安楽及安楽因(がんしょしゅじょうえいぐあんらくきゅうあんらくいん)
願諸衆生永離衆苦及衆苦因(がんしょしゅじょうえいりしゅうくきゅうしゅうくいん)
願諸衆永具無苦之楽(がんしょしゅうえいぐむくしらく)
我心怡悦(がしんいえつ)
願諸衆遠離貪嗔之心(がんしょしゅうおんりどんしんししん)
住平等舎(じゅうびょうどうしゃ)。」



白色の「フリー字」が



白色の仏身で 結跏趺坐で座し、
右手で「施願印」を結んだ手で如意宝珠を持ち、
左手に白蓮の茎を持って
胸の前に白蓮の花がある 観世音菩薩に変成し、

観世音菩薩の胸の中央に 
白色の「フリー字」があり
その「フリー字」を中心にして円周に沿って
「オン・マニ・ペメ・ウン」の眞言の文字が
時計回りに回転して光を放ち、
自他の六趣垢を清める様子を観じつつ誦します。


「フリー字自身刹那転変為(ふりーじじしんせつなてんぺんい)
大聖観音菩薩白身相(だいしょうかんのんぼさつびゃくしんそう)
右手施願印持如意宝(うしゅせがんいんじにょいほう)
左持白蓮花茎于胸前(さじびゃくれんげけいうきょうぜん)
円満報身双足跏趺坐(えんまんほうしんそうそくかふざ)
心間フリー隅六字眞言繞(しんかんふりーぐうろくじしんごんじょう)
放光供仏清浄六趣垢(ほうこうくぶつしょうじょうろくしゅく)
見聞識聚皆成尊呪慧(けんもんしきじゅかいじょうそんしゅえ)。」

何遍も誦す。

「オン・マニ・ペメ・ウン。」

(回向)

「依此善根所作諸善業(えしぜんこんしょさしょぜんごう)
如同仏子勇士之発心(にょどうぶっしゆうししほっしん)
依此発願遍知大悲力((にょしほつがんへんちだいひりき)
清浄発願無碍獲成就(しょうじょうほつがんむげかくじょうじゅ)。」
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「聖ラウレンチオのチャプレット」

2021年05月27日 | Weblog



(聖ラウレンチオ)

+++

ラウレンティウスは、225年、スペインのウエスカで生まれ、
信仰深い両親のもとで育った。

当時スペインは、キリスト教がまだ禁じられていたウァレリアヌス帝の治世であった。
ラウレンティウスは勉学の後、ローマ七助祭の首席に挙げられ、
ローマ教皇シクストゥス2世の執事として、
教会財産の管理と、貧しい人々への施しを担当していた。

258年のある日、皇帝により、教皇と、
ラウレンティウス以外の執事が逮捕された。

教皇はラウレンティウスに、すぐに財産を処分して、貧しい人々に施すことを命じ、
ラウレンティウス自身もじき逮捕されるであろうと告げる。
そして8月6日、教皇は斬首の刑に処せられた。

ほどなくして、ラウレンティウスも逮捕され、
教会財産を渡すように言われたが、
8月10日に、困窮している人々、体の不自由な人々を連れて来て、
彼らこそ教会の財産であると主張した。

殉教の際、彼は生きながら熱した鉄格子の上で火あぶりにされたが、
数分の後に、
兵士に向かって「こちら側は焼けたから、もうひっくり返してもよい。」と伝えたといわれ、
また、その殉教のさまに感銘した多くの人々が、改宗したともいわれる


+++




【聖ラウレンチオのチャプレット】


■最初に1遍誦す。

「ああ 栄えある聖ラウレンチオ、
助祭にして殉教者 
いと苦々しき責め苦を受け入れたまいし者よ、
イエズス・キリストへの信仰を告白する事によって
御身の信仰も不変も失いたまわざりければ、
我らの為に 同様にして かくの如き能動的にして
堅実なる信仰を得させ、
イエズス・キリストに まことに従う者となるに
決して恥じらう事なからしめ、
試み 迫害 あるいは剣(つるぎ)に対してさえも
言葉と行いにおいて 熱心なるキリスト者とならしめたまえ アーメン。」



■「主祷文」を3遍誦す。

「天にまします 我らの父よ、
願わくは御名(みな)の尊(とうと)まれんことを、
御国(みくに)の来たらんことを、
御旨(みむね)の天に行わるる如く
地にも行われんことを。
われらの日用(にちよう)の糧(かて)を
今日(こんにち) 我らに与えたまえ。
我らが人に赦す如く、
我らの罪を赦し給え。
我らを試みに引き給わざれ、
我らを悪より救い給え。」


■「天使祝詞」を3遍誦す。

「めでたし 聖寵(せいちょう)充(み)ち満(み)てるマリア
主 御身と共にまします。
御身は女のうちにて祝せられ、
御胎内(ごたいない)の御子(おんこ)イエズスも 祝せられたもう。
天主の御母(おんはは) 聖マリア
罪人(つみびと)なる我らのために
今も 臨終の時も祈り給え アーメン。」



■「栄唱」を3遍誦す。

「願わくは 父と子と聖霊に栄えあらんことを、
はじめにありしごとく 今もいつも世々(よよ)に至るまで アーメン。」



■最後に1遍誦す。

「主イエズスよ
我らは御身の御稜威の(みいつ)愛の炎が
我らの中の 一切の悪の跡(あと)を焼き払い、
貧しき者たちへの奉仕において
我らを実践的にして 熱心ならしめたまえ アーメン。」


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( 天理幼稚園 春のキャンプ体験 )

2021年05月27日 | Weblog




+++++++++++++++

         ■ 裏天理時報 ■  (第一面)
(中山善司)               
(  `m´)  「…パン屋さんに行くのが好きなんですが、
      
           パン屋で トングをカチカチ鳴らす人がいると

           ちょっと 戸惑ってしまいますねー」


             (第二面)

 ─昨日の月次祭後 青年会会長の機嫌が 少し悪かった ─

(中山大亮)               
(  `m´)つ  「…クーソガキ!クソガキ!   |・)!
 
            クーソーガーキー!!」


+++++++++++++++

           | ■□ 天理幼稚園 ■□ |


ζ~(  `m´)~ζ   「…皆さん

              少年会の「さんさい」の今月号で、

              キャンプ体験の勧めが掲載されていました」


ζ~(  `m´)~ζ   「…今の時代は

              ネットや スマートフォンなど

              便利なものが溢れていますが、

              原始的な感覚を体験できる機会は

              非常に少なくなっています。」


ζ~(  `m´)~ζ   「…そこで 今日の一泊キャンプで、

               火を起こしたり

               夜空を見上げるなどして、

               原始の感覚を取り戻す事をしてみましょう」



            \  はーーーーーい! /  
  
    ζ~(  `m´)~ζζ~(  `m´)~ζ(  `m´)|・)し


(中山善司)               
(  `m´)つ  「…先生

            キャンプ場であっても

            ロリコン男たちが 月江を狙ってくる心配がありますので、
          
            私も 同伴させて頂きます」


         ζ~(  `m´)~ζ     



  (中山善司)               
⊂(  `m´)つ  「…それに             |・)し!

             月江に朝晩 私の乳首を吸わせなくてはいけませんし」




ζ~(  `m´)~ζ   「…真柱様と一緒にキャンプでしたら
 
               園児たちも喜びますから、

               是非 御一緒にどうぞ」


            | ■□ さんさいの里 ■□ |


ζ~(  `m´)~ζ   「…皆さん

              ここは 教内における

              野外活動の中心的な場所です。

              それでは まず親神様に

              キャンプ中の安全を祈りましょう」



       (中山善司)               
      (  `m´)


        (  `m´) 「…そう言えば 最近

                 親神様は龍神で、

                 人間に生まれ変わってきたという噂があるけど

                 本当なのかなあ?」

       (中山善司)               
      (  `m´)


      ζ~(  `m´)~ζ   「…先生には 

                    ちょっと確認できませんけれども、
 
                    ただ 親神様自身も

                    自分は 泥鰌の姿であったと告げられていますから、

                    龍体に近い姿である可能性があります。」

       (中山善司)               
      (  `m´)


        (  `m´) 「…でも それなら どうして

                  おやさまに はっきりと

                  自分は 布留川の龍神であると

                  告げられなかったのかなあ」


       (中山善司)               
      (  `m´)


      ζ~(  `m´)~ζ   「…そこに 何か大きな意味があるようですね。

                     そこを突き詰めてゆくと
 
                     もしかしたら 宇宙の秘密に探り当たるのかも

                     しれませんよね」



 ζ~(  `m´)~ζ   「…それでは 有名な

                キャンプの歌を歌いましょう」
          

      \  ♪キャンプだホイ キャンプだホイ♪ /  

    ζ~(  `m´)~ζζ~(  `m´)~ζ(  `m´)


♪潮来笠
https://www.youtube.com/watch?v=eYyBGaBU0OE

|・)し♪「欲を払えと ようぼくに説くのは
      薄情そうな 役員たち
      貪欲なのさ ようぼくたちには
      貧に落ち切れと その言葉
      なのにヨー なぜに貧に落ちぬ役員たち

      黒塗り高級車が 乗りたいようぢゃ
      心の埃(ほこり) 重かろに
      巡教に来ると 高い酒求める
      神不在の 大教会
      なのにヨー やたら偉そうな役員たち  

      婦人会総会で 用意された
      献金用の貯金箱
      婦人会から 会員たちへ
      「おやさまありがとう」って 表面に文字
      だってヨー 金が神です婦人会」



      
(中田善亮)
(  `m´)つ  「…こちらに クソガキが来ているという    |・)し!

            報告を受けて やって来たが

            そこで 変な歌をやっているようやな。

            それでは 捕獲する」   

(中山善司)               
(  `m´)つ  「…善亮!

           娘を捕獲する事など

           兄さんが許すわけないのや!!

           金玉パンチ!!!」



       (中田善亮)
       (  `m´)あっ! (中山善司)
            ⊂⊂⊂⊂⊂(`m´  ) 


           (中山善司)               
           (  `m´)

                     (中田善亮)
                    (  `m´)つ… カクッ


 ζ~(  `m´)~ζ   「…皆さん

               それでは お米を研いでから、

               ハイキングをしましょう」


(中山善司)               
(  `m´)               |・)し


(中山善司)               
(  `m´)つ  「…月江は この里で        |・)し!

            私は パパの御指導に従って

            これから ぢば一条の信仰の道を歩みますと誓うのや」



|ミ サッ!


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「カンタベリーの聖アウグスチヌスの記念日」

2021年05月27日 | Weblog






アイヌの山祭り」50年ぶりに復活したときの映像
https://www.youtube.com/watch?v=t9yMh-VYM-o

「三島由紀夫に魅せられた人たち」JNNドキュメンタリー 
ザ・フォーカス
https://www.youtube.com/watch?v=2vh3ZVYOD68

アイヌ イヨマンテ・1935年
https://www.youtube.com/watch?v=G-Udq8ipX7c
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「金剛夜叉明王の加持を受ける」

2021年05月27日 | Weblog





金剛夜叉明王に礼拝や供養を捧げて誦します。

「五眼六臂夜叉王(ごげんろっぴやしゃおう)
能たん衆生悪業障(のうたんしゅじょうあくごうしょう)
三転三毒成三徳(さんてんさんどくじょうさんとく)
上求下化悲無双(じょうぐげかひむそう)
オン・マカヤキッシャサラ
サッタ・ザ・ウン・バン・ホー
ブラバシャ・ウン。」


以下 ネットに投稿されていた体験談のコピペですが、
『きよめたまひはらいたまへ』の略祓詞は 陰陽道以外の系統でも
用いられる事があるようです。

+++++++++++++++++++

私の家系は、ちょっと勘が利くといいますか、霊感が強い傾向があります。
特に母は所謂『予知夢』なんかを見たり、人の隠し事を察知して、言い当てるなんて事もしばしばです。
まぁ、母親の勘とか女の勘とか、そういう類なのかなって感じもしますが。
しかし、霊が見えるというわけではなく、とにかく察知するってだけです。
それは私の兄たちも同じで、次男は結構洒落にならない体験もしてるようです。
因みに、父は全くそういうものは働きません。『勘』のかの字もないってタイプですw


そして、母や私達兄妹に共通するのが『金縛り体質』です。
先に書いた、兄の洒落にならない体験も、殆どがこの金縛りに関する出来事。
けれど私は、兄が「この部屋では寝れない」と泣きを入れるような場所でも、
全然平気で何事もなく眠れたため、
自分には霊感や不思議体験など無縁なんだな、と思っていました。

そんな中、私が高校生になった頃、実家の隣にお寺が建ちました。
窓を開ければ寺があるって環境は、あまり好ましいものではありませんでしたが、
綺麗な真新しい建物だったので、気持ちが悪いとまでは思っていませんでした。

ですが、その頃から私までも、金縛りに遭うようになったのです。
内容としては、ありきたりですが…こんな感じです。
夜中、突然目が覚め(正確には意識だけ醒める)、同時に身体が動かなくなり、
部屋の中で女性のクスクス笑う声が聞こえました。
あ…ヤバイ。これは目を開けてはダメだ。
そう思い、とにかくそのままジッとしていたんです。


すると、その声が段々自分に近づいてくるのが分かりました。
クスクス…クスクス…
あ~…やだな。どうしよっかな…と案外冷静に思考は働いていました。
それでも目だけは開けまい、あわよくば寝てしまえ、自分。
と思っていると、笑い声が途絶え、ほっとした瞬間、耳元に気配を感じました。
「○○(←私の名前)ちゃん」
そう耳元で呼びかけられたのです。
ひ!と思った瞬間金縛りが解け、その後は隣室の母の部屋に猛ダッシュして布団に潜り込み、また寝ましたw

そんな感じで、ちょくちょく金縛りに遭うようになったため、
母がお札を部屋に貼ってくれたり、部屋に盛り塩したりしていました。
でも寝てる間に起こる事なので、そこまで気にせずに暮らしていたんです。



まぁ、家族(父除く)揃ってそういう経験があるので、そういう金縛りにも楽観的でしたしw
家族みんな、「塩置いときなー」「お経唱えなー」くらいの反応でした。

ちょうどお盆の時期でした。夕方窓を開けたまま部屋で寝ていた時です。
つけっぱなしのTVの音が、急に大きく聞こえ始めました。
目を閉じたまま、あーこりゃ始まったぞと思いました。
案の定、身体が固まり、同時に窓から何かが入ってきた気配がしました。
TVの音がどんどん大きくなります。もはや騒音レベルです。
いつものように『南無阿弥陀仏…』と頭の中で唱え始め、早く終わるのを待ちました。
すると、身体の上にドスン!と何かが乗ってきたのです。
思い切り、大人の人間が乗ってきたような感覚です。
息も止まりそうなくらい苦しかったのですが、必死に頭ではお経を唱え続けました。
ところが今度は、顔を大きな手で押さえられました。


基本的に金縛りの際、私は絶対に目を開けません。
それは、兄が金縛り中に、色々見てしまった体験を聞いていたからです。
けれど今回は、はっきりと分かります。
大きな手が自分の顔に当てられ、ぐうぅっっと思い切り押し付けているのが。
ここまで来るとこちらも必死で、
『南無阿弥陀仏』から『南無妙法蓮華経』に至るまで、知ってるお経をがむしゃらに唱えました。
すると、それに抵抗するかのように、さらに手の力が強まります。
長い!長い…!今回のは長い!!と、焦り始めました。
とにかく力いっぱいに押し付けられ、それでも負けるか…!負けるか!!とお経を唱え続け…
ついには、あまりの苦しさに目を開けてしまいました。



目の前には、髭だらけでボサボサの髪をちょんまげのように結った、男の顔がありました。
イメージ的には、時代劇なんかに出てくる浪人が、髭も髪も伸ばし放題にしている、そんな顔と髪型です。
表情までは覚えてませんが、大きな手の指の間から、それをはっきりと目にしたのです。
その瞬間、何故か私の中に強い怒りが起こり、
男の顔に向かって「うおおおおおおおおお!!!!」と、大声で怒鳴っていました。
吼えた、と言ったほうがいいでしょうか。(すいません、事実です…)

すると、顔への圧迫が解かれ、男の顔がスゥ…っと消えました。
そして、身体も自由になったのです。
ガバっと跳ね起きた時も、怒りが収まっておらず、「待てこの野郎!!!!」と叫んでいました。
今思うと、何故あんなに怒っていたのか分かりませんがw

落ち着いてから部屋を見渡すと、あれだけ爆音に聞こえたTVの音量もいたって普通で、
窓からは、真っ赤な夕焼けの陽が差し込んでいるだけでした。


そんなこんなで、いい加減に金縛りに嫌気が差していた頃、
電車の中で友人に、上に書いたような体験内容を話していたんです。
向かい合わせに座り、興味津々で聞いていた友人が、途中から私の後ろにばかり目をやっています。
どうしたんだろう?と思った瞬間、突然後ろから60代くらいの女性に話しかけられました。
「それはね、あなたに助けて欲しいからなのよ」

正直相当びっくりしましたが、後で友人に聞くと、女性はずっと私の後ろで、話をニコニコ聞いていたそうです。
困惑している私たちに、女性は柔和な笑顔で続けます。
「あなたはね、血が巫女さんなの。だから、みんな救って欲しくて来るの。
 今度からは、『ここは違うよ、お帰りなさい』って言ってあげるといい。それで大丈夫」と。

「え?え?」と戸惑う私に、女性は顔を近づけじっと見つめ、
「あのね、あなたは神さまに仕える血筋なのね。お家は神社に関係してない?」と、聞いて来ました。
「そんな事はまったくない」と答えると、
「それなら、お母さんかお父さんに聞いてごらん、必ずそうだから」と断言します。

正直、いきなり見知らぬ人からこんな事を言われ、不気味だったのですが、
友人がノリノリで女性に質問していました。
そこで言われたのが、
・寺ではなく、神社に関係する血。はっきりと「神主さんが先祖にいる」と言われました。
・あなたは絶対に危険な目に逢わないから、心配しなくていい。
・日頃見えないのは守護霊が強いから。

ついでに、「友人は良い結婚する」と言われていましたが、私は言われませんでした…。
さらに女性は、「困ったらここへ訪ねて来なさい」と、住所を渡そうとしてくれたのですが、
あまりにも突然の事で、「いいですいいです」と固辞しました。


帰宅後、母に電車での顛末を話し、「神主なんていないよねw」と言うと、
祖父が昔、神主を副業にしていた事実が出たんです。
確かに母方は代々神道なんですが、初耳でした。
母も大層驚いていて、しきりに「すごいね~」と言っていました。

数日後、そんな話を手土産に、祖父の家に遊びに行きました。
祖父は黙ってその話を聞いた後、どこかから資料を持ってきました。それは家系図でした。
「このな、一番上見てみなさい。○○○とあるだろう。これはな、朝廷に仕える巫女さんなんだ。
 それの一番偉いの。それが○○○で、家の始まりなんだ」
(すいません。もっと歴史なども交えて説明してくれたのですが、詳しくは書きません。
 結構特定されるような内容なので)
これは母も初耳の事だったようで、3人で暫く無言になりました。

その後、祖父は白い紙に墨で『きよめたまひはらいたまへ』と書いて、私にくれました。
「それを持っていろ。また金縛りに遭ったらそれを唱えろ」と付け加えて。

結論から言って、その後まったく金縛りに遭いません。
なんとなく嫌な感じの場所に行っても、その言葉を唱えるようにしています。
後で知ったのですが、祖父がくれた言葉は『祝詞』の一節なんですね。
それにしても、電車で会ったあの女性は、一体何者なのでしょうか。
その後、電車に乗る時は探しましたが一度も見かけませんでした。
住所を貰っておけば良かったかも知れません。

*******


よく金縛りにあっていた22,3歳頃の私の実話です。

私の部屋は2階の通りに面している。
ある日の朝4時頃に、男の子の
「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ・・・」という声で目を覚ましました。
あまりに延々と聞こえるので、朝機嫌が悪いタイプの私は、むかついたので窓を開けてました。
すると、小学校4、5年生位の色白の男の子が

(ランドセルを背負っていて、ベージュの半ズボン)立っていたのです。
半分寝ぼけ眼で私が、「ボク、まだ朝早いから、みんなに迷惑でしょ!」と声をかけたら、
顔だけ私に向け、スーッスーッと歩きはじめ、同じ様にお経を唱えて去っていきました。

朝、母に今の話をして「うるさかったよね!」と言っても、そんなの聞こえなかったとの事。
もちろん、家族の誰も聞いて無くって・・・。

いまだに私のなぞです。
寝ぼけていたかもしれませんが、その後トイレに行ってので、意識ははっきりしていたんです。
あの時は起こされてむかついてたから、変なの!としか思いませんでしたが、
尋常でないシチュエーションですよね。
能面のようなあの顔は未だに憶えています。

月日が経つにつれて、なんかあれはっ・・・??て気がしてます。


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