以下 10年以上前に存在していたHPに掲載されていた情報のコピペで、
仙道やそれに関する修業をする人にとって、
非常に役に立つもののようです。
++++++++++++++
1 リラックスしてからだの内側に注意を向ける
2 そのとき、気になっていることや、悩んでいること、取り上げたいことを 一つづつ挙げていく
3 感情の渦に巻き込まれないようにしながら、出てきた問題を自分から切り 放して、一つづつ離れたところに置いていく
4 問題を切り放すことで、自分の中にできた空間を味わう
5 焦点を当てたい問題を一つ選んで、その問題に触れたときのからだの感じを味わう
(たいてい、漠然としていたり、モヤモヤとしていたりするけれど、それで かまわないので、
そのまま丸ごと全体を感じるつもりでやる。この「からだの感じ」 をフェルトセンスと言う)
6 「これは何か?」「この問題全体はどんな感じか?」などと自分に訊いて みて、
からだの奥から出てくることばやイメージをひたすら待つ
7 出てきたことばやイメージと、からだの感じとを付き合わせて、
からだの 感じとピッタリ合うかどうか確かめる
8 7で確かめたことばやイメージに呼び出されてくるからだの感じに注意を 向けて、
自分に「これは何か?」「何が原因か?」などと尋ねる
9 新しいことばが出てきたり、イメージが変化したりしたら、それをよく味わう
10 もう十分と感じたら、出てきたことばやイメージをそのまま味わって終わる
11 もう少し先に行きたい感じがあったら、6にもどって過程を繰り返す
だいたい、この過程のどこかでからだの中で何かがほどけるような感じがしたり、閃くものがあったりする。」
実際に、深々とした息が出ていき、ほっとするという こともある。
大切なのは、自分にいろいろ訊いた後、アタマで考えたなじみ深い言い 訳や、自己批判、分析、
そういうものは無視すること。アタマを空っぽにして、
体の奥から答えが浮かび上がってくるのをひたすら待つ。
結構思いがけないような、ことばやイメージが浮かんできたりもするけれど、
それについて理屈付けしたり、説明がつかないからと押しのけたりしないで、
浮かんできたままに受け取ってあげるようにするのが大切みたいだ。
(参考にしたのは、ジェンドリン著『フォーカシング』(福武書店))
気になってることを取り出す
夜、フォーカシングをするため、部屋で一人になった。
まず仰向けに寝て、呼吸を深くして、からだの各部の緊張をほどくようにした。
十分にゆったりしてくるま でそうしていた。
それから声には出さないで、自分に「今日、今、すがすがしくスッキリしない のはなぜ?」と訊いてみた。
すかさず、家族のことや、仕事のことなどが思い浮かんできたが、
なんだかそ れらは体から出てきたというより、アタマで考え出したっていう感じがしたので 、
そのまま聞き流しておいた。しばらく、アタマを空っぽにして、
体の奥から言葉やイメージが出てくるのを待った。
やがて、数年前の交通事故のときの不愉快な体験が浮かび上がってきた。
相手の顔や名前が見えるような気がしたが、その背後には警察とのやりとりやそのときの 怒り、後悔、
そんなようなものがひとまとめに隠れている感じだった。
とりあえず、 「事故のこと」と呼ぶことにして、
そのモヤモヤしたかたまりを、想像の透明で肉厚 な瓶に押し込んで、
きつく栓をした。モヤモヤは、瓶の中で抹茶色の液体になった。
ところで、なぜこの「事故のこと」を体の中から出てきた問題だと判断したかというと、
上手く説明はできない。
出てきたときに「これだ」という感じが体に広がったからとしか言えない。
そして、それを裏付けるように、胸が締め付けられ、腹がへこんで息が苦しくなった。
そして再び、「他には?」と問いかけ、自分の空間ができたかどうか手探りしていると、
左の方にガサガサ、ザワザワした何かが感じられた。
今度は、体の感じだけで、あまり明確なイメージにならなかったが、
とりあえず、その暗闇に広がる ガサガサした感じ全体をすっぽりと想像の袋でくるんで、
また瓶の中に押し込んだ。 これで瓶が2本になった。
次は、何か前の方からネバネバと蜘蛛の糸のようにまとわりついてくるものがあって、嫌な感じだった。
ネバネバとくっついて、自分から離れたという感じが生まれてこない。
そこで、「このネバネバはなに?」と問いかけ、ネバネバを見つめた。
すると、ずるっとわたしの皮が剥けて、それと一緒にネバネバが離れたので、これも 袋でくるんで瓶に詰めた。
石を発見
また、待っていると、今度は右の胸のあたりに、何か違和感を感じた。
胸から 腹にかけてぱっくりと割けているような、重い異物が沈んでいるような、
そんな感じ だった。しばらく、その感じに注意を向けていると、
暗闇から銀色の平べったい大きな石のイメージが浮かんできた。
そして、その石が右の胸に埋まっているのだとわかった。
石を動かそうと想像の手をかけてみると、石は一抱えほどもあり、
ずっしりと 重く、わずかに引きずることができただけだった。
やがて、石は一つではなく、重なり合って4つあるのだとわかった。
こんな大きな石が4つも、胸の中にあるなんて、
客観的に考えれば、そんなことはあり得ないのだけれど、
イメージの中ではそれは、とてもハッキリした事実だった。
ここまで来たら、体の中のがらくたを押しのけて、
やっと自分が座れるほどの床が顔を出してきた感じがした。
息が大きく深く入り、腹や胸をぱんぱんに膨らませて、
ゆっくりと吐き出されていった
(これは、わたしが意図的にそうしているのではなく、体が「勝手に」やっている)。
自分と問題たちとの距離がとれたと感じたので、「今は、この中のどれに焦点を当てる?」と訊き、
またアタマを空っぽにしてしばらく待ってみた。
すると、最後 に出てきた4つの石が温かくなって、
他の3つが視界から遠ざかっていったように感 じたので、4つの石に焦点を当てることにした。
本当は「事故のこと」の方が重要な問題だと考えていたのだけれど、
体の中の感じは、石に向かっていたので、そちらを受け入れることにした。
イメージが動き出す
石はよく感じてみると、すべすべした鏡面仕上げで、石というより金属の塊のようだった。
しばらく石を感じ続けていると、ふと石の底部から垂直に棒が出ていて 、
それが右の胸にがっちりと埋まっているのがわかった。
棒にはねじ切りがしてあっ て、しっかりと締まっている。石は、巨大なネジの頭だったのだ。
想像の中で、その石に手をかけて回してみると、グリッと回ったので、
そのままどんどん回していくと、やがてネジの棒の部分が出てきた。
なおも回していくと、 すぽんと抜けてしまい、
巨大ネジはそのまま視界から遠ざかって感じられなくなった 。
胸に残ったネジ穴から中を除くと、かすかに泥水のようなものが中で揺れているよ うな感じがした。
残りの3つも抜いてみることにして、2番目の石を回してみると、
これはかなり簡単に抜けてしまった。やはり、ネジ穴の奥には泥水がある気がした。
3番目は、やや脇腹よりにはまっていた。少し重かったが、力を込めて回していくと、
なんとか動いた。そのまま、どんどん回してみたが、今度の棒は長かった。
下の方はねじ切りがなくなって、つるつるした棒になっていたけれど、
いくら引き出 しても終わらない。何十メートルも引き出して、やっと抜けた。
そして、抜けた穴か ら、泥水がぴゅーっと噴き出してきた。
自分の胸がセメントでできたタンクのような 気がしてきていた。
先ほどの穴の一つから中を覗くと、まだ泥水は出きっていないようだった。
最後に残った石についているネジは、今までのよりもずっと太くて、
ほとんど石と同じくらいの直径があった。
このネジは、とても固く締まっていて、その上錆付いているようだった。
力を込めて何度も何度も回そうとしたが、びくともしない。
仕方ないので、しばらくぼーっと石を眺めていると、
どこからか取っ手になる 金属棒を石に打ち込むイメージが湧いてきて、
石に2本ばかりの取っ手ができた。
その取っ手を握って、全身で石を回すと、ギギギギという感じで少し動いた。
もう一度 体重をかけて、ぐっと力を入れて回すと、くるりと石が回りだした。
数回回したら、 ネジ棒は極端に短かったらしく、すぐにパカッという感じで外れてしまった。
潜水艦 のハッチのような感じだった。
ごろんと石が転がっていって、どこかに消えると、残ったのはからだが通るくらいの大きな穴だった。
中を覗いて見ると、ほの暗い石肌のタンクの中に、
1本目と2本目のネジ穴か ら光が差し込んでいるようで、底の方にまだかなりの泥水があるのがわかった。
ここで、ほーーーーっと、深い息が出ていった。
この息が出る前後で、右肩や 右腕がいろいろ勝手に動いていた。意識して動かしたのではなく、
体が動きたい ように動くのを放っておいたら、動いたのだ。ちょっと活元みたいだった。
泥ぬき
脇腹にはネジのあった穴の他にも、まだ泥が詰まっている穴があるようだと感じた。
すると、その穴の詰まりがとれて、泥水がどんどん排水されていった。
胸の中 が軽くなって、空気が入れ替わっていくようだった。すっかり排水されると、
胸のタンクの中に自分はいた。
現実の部屋の中で寝ころんでいるのも自分だけれど、この穴の中にいるのも自分だった。
中は、ひんやりとしていて洞窟の中のようでもあった。
体の感じを探 ってみると、なんだかまだ何かが残っている感じがしたので、
洞窟の中を見ていくと 、奥の方に所々、泥が堆積していた。
その泥を手でかき集めて、脇腹の穴から外に出 そうとしたら、
突然脇腹が割けて、泥の塊がズルンという感じで外に出てしまった。
そのときの感触は、妙に生々しかった。ほんとうに体から何かがすべり出 たような感触があって驚いた。
裂け目はすぐに閉じてしまい、洞窟の中にはきれいな透明な水が満たされ始めていた。
泥が出る前ぐらいから、わたしは、腹から鳩尾にかけて締め付けられるよう になって、
息が出尽くし、胸に力が入ってせり上がり、背中をのけぞらして固まっていた。
泥が出た途端、一気に全身の力が抜けて、深く息が入ってきた。
なんだか、大手術をしたような気がして、この日はここまでで終わりにした。
終わってからも、右半身から何かが抜け落ちたような、不思議な清々しさが何日もず っと残っていた。
泥ぬきの意味?
左側にも何かが詰まっている気がするのだが、なぜ右側だけにこんな感覚が生まれたのかはわからない。
いずれにしても、今回のは、本で読んでいたフォーカシン グの例とは大分違うようだった。
ジェンドリンの本の事例では、あんなにビジュアル ではないようだったし、
途中で体が動き出したりするなんてことも書いていなかった。
最初に書いておいた1~11の手順とも一致していない(自分で書いておきな がら・・・)。
だから、もしかしたらフォーカシングではないのかもしれないけれど 、
夢を見ていたというのとも違う。不思議な体験だった。
ただ、何日か経って、気がついたことがあった。
あのとき、取り上げなかった 「事故のこと」が変化していたのだ。
それまでは、事故の時のことを思い出すと、
条件反射のように怒りや後悔、不 安、そういう感情が湧き出してきて、とても不快だった。
それがイヤで、「もう、終わったことだ。これを教訓にすればいいんだ」とか
「思い出さないでおこう」などと 考え、整理して忘れるようにしてきた。
けれども、それまではたいてい、あるとき突 然、そのときの記憶が蘇ってきてムカムカして、
振り出しに戻ってしまうのだった。
ところが、このフォーカシングの後、その記憶が不快ではなくなってしまった 。
上手くことばにならないのだけれど、乾いて結晶して、
道ばたの石っころのように 気にならなくなった。そこに目を向ければ、
確かにそこに転がっているのだけれど、 それがわたしに襲いかかってきて、
混乱させることはピタッとなくなった。
このことに気づいてから一月以上経ったけれど、
たしかに、「事故のこと」を 考えるときの自分の状態が、
以前とは全然別ものになっていることに驚いている。
おそらく、これが今回のフォーカシングの収穫だったのだろう。
でも、フォーカシングの中で出てきた、石やネジや泥が、心理学的にどのようなことを象徴していたのかとか、
一見まったく脈略のない事故の時の記憶とどういう関係があったのかとか、
専門家ではないので全然わからない(専門の方、ご意見をいただけると嬉しいです