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光の散歩道

日々 雑記 感想 そうして絵画など創作や写真日記

塔のある家…1998

2006-07-30 | 絵画
 次の画題が定まらないまま、ぼんやりと日を過ごすなかに、なんとなく塔のイメージが浮遊してくる感がありまして、紙に鉛筆で描いたりしているうちに、1998年に描かれたまま作品列に入れられることなく、保留というか…放っておいたこの絵を思い出して、手を入れました。



  塔のある家 (24.3x33.4 1998・2006年)


 暗い絵です。でも…とも思います。すべての窓に灯りがともっているのだから、家のなかは明るいんじゃないかな? とも。
 今回手を入れたのは、家だけで、背景などはそのままです。主に窓が揃ってなかったのをなるべく揃うように描きなおしました。あと外壁と屋根と描きなおして、といったところです。
 描く者…つまり私は、客観的には画面の外にいて、絵を描く訳ですが、見る者として…の私は、この【塔のある家】を手前の暗い草叢から見たいと思うのだろうか、それとも、この家の中に入って行って灯りのもとに在りたいと思うのだろうか。…つまりは、見るのも良いし中に入りたいとも思うということですね。…きっと、こんな【塔のある家】に住みたいということなのかな(笑)
 …いや、それよりも、もっと象徴的なのかな…?

 灯りはともっていても、ひとりぼっちの家だね…この家。
 …まるで孤独な人間が精一杯明るくしようとして、それなのに、まわりはどんどん暗く見えてくる…といった感じ…。

 そうそう、塔は天に向かう意思の如し象徴性をはらんでいる(た?)んですよね。 えっ? はい…ずっと放ってあったけど、今の私には何だかすんなり、しっくりくる絵になりました。…って、誰も訊いてなんてないか^^;(はぁ…【心を何にたとえよう ひとりぼっちの寂しさを…(テルーの唄)】だっけ? 独り言が増えてしまいます)…一応のこの絵の結論です。【今の私には何だかすんなり、しっくりくる絵になりました】というのがです。

花水木

2006-07-25 | 絵画
 花見月…おっと、ハナミズキを描きました。



  花水木 (15.8x22.7 2006年)


 「はなみずき」で変換すると「花見月」はあって「花水木」はないんですね。なんとなく音から「月」というイメージが引かれて、この絵の背景に円を描いて月のようにしようかとも実は途中で思ったのですが、とりとめがなくなりそうなので止めておきました。
 この花を春頃まで知りませんでした。名前は「ハナミズキ」という歌…あの一青ヨウさんの「君と僕が100年続きますように…」という歌で知って…(えっ? 歌詞が違う?・汗…なんだったっけっ?…いずれにしろ「100年続く」という歌詞は強烈でした…だって20歳で始まったとしても120歳なんだよ・驚…まぁ詩として70年続きますようにじゃリアリティはあっても、詩としては? というところかな…もちろん生き続けてということばかりじゃないかもしれないし…アリサがジェロームに問うた『死が二人を別つと思って?』という問いの答えは?って思うと…あれれ、訳が分からなくなってきました・笑)…そうそうハナミズキという名前は知っていたのですが、花を見たのはこの春でした。たぶん初めてだと思うけど…花でも鳥でも見たときに誰か教えてくれる人がいないと「綺麗だな」といった感じで素通りしちゃうから…(そして忘れる・笑) で、花水木は花屋でその苗(花がついていました)を見て、「これかぁ」といった具合に覚えました。
 で、この花は5月に高山村(長野県)の七味温泉に行ったとき、途中街路樹として1kmか2km続いていた場所があったり、特に高山村では一家に一本は必ずといった感じで庭木として植えられていて、それを写真に撮らせていただきました^^; 綺麗な花だと思いました。まさか流石にしないけど、『ほうずりせんばかり いつくしみたい』 感じがいたしました。(…狭き門・ジッド 八木重吉詩集から言葉をお借りいたしました)

おだまき

2006-07-16 | 絵画
 花の絵ができました。「おだまき」という花です。



  おだまき (15.8x22.7 2006年)


 黒バックです(笑)
 ほんとうは「空に現れたクロス」のあと、この花を描こうと思って写真は撮ってあったのですが、抽象的な絵が4枚続いてようやくです。すぐにとりかかれば、その頃はまだ庭で咲いていたのですが、つぼみだったのも、いつのまにか咲いて散って、そうして、ようやくこの花は絵になりました。
 母に聞きますともう数年毎年咲いていたというのですが、意識して見て、描こうと写真に撮ったのは今年が初めて…といってもモチーフにこういう花の肖像が現れたのが昨年の今頃より少しあとだったので、その頃にはもう散ったあとだったんですね。
 少しは意識がクリアになってきたのか、絵もクリアに見えませんか? …って、やっぱり黒バックのせいで、しまって見えるせいでした。漆黒…そこには光を反射するものがないから、この一輪の花の輝きが、この設定された闇の空間のなかでは光の作用です。

考察(セルロイドの月型)-2

2006-07-07 | 絵画
そろそろ花か風景を描こうかなと思いつつ、抽象というかデザイン的な絵がまた続きました。



  考察(セルロイドの月型)-2 (27.3x22.0 2006年)


 セルロイドの月型…というのは、そうです、稲垣足穂の言葉のイメージからの借用で、見渡してみると、ほんとうにセルロイドというのは見なくなったように思います。普通(?)のプラスチックの方が強度とか加工とかできっと優れているから、淘汰されちゃったということなのかなぁ…。
 本日は七夕ですね。…別に何もしないけど、夜空を見上げてみたら、朧の月が滲んだ光で空に孤独に浮かんでいるだけ…星は薄く覆ったものに隠れて見えません。…そうですね、一年に一度しか会えないのなら、じろじろ見られるより、霞の空の上、まったりと時間を過ごした方が良いのかもしれませんね(笑)
 …ふたたびこの絵に話は戻って…八木重吉の詩(前にも引用したかな…)を一編

【どうしてもわからなくなると
 さびしくてしかたなくなると
 さびしさのなかへ掌をいれ
 ほんとうのものにそっとさわってみたくなる】

 …この絵、整然と並んだ月型の後ろに手を突っ込めたら、なにか、ほんとうのもののようなものに触れられるのかな…。

さそりの星

2006-07-01 | 絵画
 さそりの星(さそり座)をモチーフに考察の続きとして描きました。



  さそりの星 (24.3x33.4 2006年)


 さそりの星を、この平面に空気の層を描くという方法のモチーフに選んだのは、このブログのプロフにあるように私が11月生まれ…十二星座では、さそり座の生まれだからです。
 …さそり座にはまたこんな神話がのこっているそうです。【勇者オリオン(オリオン座)は海の神ポセイドンの子だった。大変に力のある猟師だったが乱暴で困ったので、大地母神ガイアがさそり(さそり座)を使い、毒針で刺し殺した。その後2名とも天にあげられ星座となった。オリオン座は冬の間、空高いところで威張っているが、さそり座が東の空から上るとこそこそと西の空に沈む。さそりは名高い勇者オリオンを一撃で刺し殺したくらいであるから、天にあがっても監視つきである。さそり座が天上で暴れた場合は、隣にいるケンタウルスのケイロン(いて座)が射殺すことになっている。(ウィキペディアより】…なるほど…それでオリオン座生まれの人とはなかなか上手くいかないんだぁ…はぁ~。…えっ!? 十二星座にオリオン座は無いの? あれっ? れっ? じゃあ、オリオン座生まれと言った人は…いったい???(えへっ・笑・^^;)

 とまれ、宮沢賢治の銀河鉄道の夜(ケンタウル祭の夜の物語)からまたしても引きます。
【私の心をごらんください。こんなにむなしく命をすてず、どうかこの次には、まことのみんなの幸のために私のからだをおつかいください。って言ったというの。そうしたらさそりはいつかじぶんのからだが、まっかな美しい火になって燃えて、よるのやみを照らしているのを見たって。】

考察(セルロイドの月型)

2006-06-25 | 絵画
 お元気ですか? 絵が一枚できました。…で、なんて題をつけようかと思って、【考察(セルロイドの月型)】 とつけてみました。



  考察(セルロイドの月型) (24.3x33.4 2006年)


 ぼんやりとしたイメージとしての命題に対して、考察したのは主に技法的なことで、その結果が一応この絵となって表れました。実験的というよりは試験的な過程が考察対象になったといえば良いのでしょうか…謎めくようですが、何か感じていただけたら、さいわいです。
 …そういえば今夜は新月、月の見えない夜ですが、その前に空を覆っている雲が晴れてくれるのかどうか…。夜空いちめん晴れて広がる、星の空も月もだいぶ見てないなぁ…。君のところはどうですか? 美しい星空を見上げていますか?

 …と、手紙様で書いてみました。返信? あったら、うれしいなぁ。


十字の構図

2006-06-21 | 絵画
【空に現れたクロス】のあと【十字の構図】がきました。



  十字の構図 (27.3x22.0 2006年)


 なんだか窓枠みたいですが、奥は閉じていて、窓ではないですね。だからといって閉塞を意図した訳じゃなくて…ときどき画面を汚れた感じで描きたいと思うことがありますが、それをやってみました。

空に現れたクロス

2006-06-16 | 絵画
 空に現れたクロスです。
 久しぶりに(汗)絵の更新になりました。振り返ってみたら、前の絵からほぼ一ヶ月ぶりでした。



  空に現れたクロス (31.8x40.9 2006年)


 これは元写真が【雲の形象(5/29)】の記事にあるので、う~む、どうなんだろう? とは思いますが、というか、過去の写真を整理していて出てきたのを絵にしてみました。
 私にとって絵の始まりはイメージから発する場合と写真を撮る時から発する場合とがあります。…というか、写真を撮る時、すでに絵は始まっていて、それが絵として直ぐに結実する場合もありますし、この絵のように、写真を撮ってから2年以上経ってから、改めて絵になる場合もあります。イメージの場合もそうです。メモ(デッサン)しておいたのが、時を経て絵になるということも珍しくありません。…かっこう良く(?)言えば、私というろ過装置のなかで醗酵し純化されて絵になるとも言えますし…。描かれるべきときに描かれるのです…というのも、やっぱり気障かなぁ…ともかくも、【空に現れたクロス】の絵がなかなか筆をとれない状態が続いた日々のなかで、ようやく完成とされました。ふぅ~、まぁ、良かったという事でしょう。
 …それから、もしもそう思っても、「写真の方が良いじゃん」とか言わないでくださいねm(__)m…蚤の心臓なものなので(笑)

2006-05-19 | 絵画
 この桜に反応いたしました。



  桜 (33.4x24.3 2006年)


 よく見ると何ヶ所か枝がばっさり切られていて、さらに折れたのか折られたのか、かなり太い枝があったと思われる場所がべろりと引き剥がされていて、痛々しい印象すらあるのに、花を咲かせている。その姿に反応して描こうと思いました。…実はこの桜、踏み固められた土の駐車場にぽつんと立って咲いていた桜ですが、まず背景に雪の山を描きました。残念ながら私の家からはアルプスは見えませんが、2・3分車で走ると見えてきます。桜が咲いて、写真を撮りに出た朝、遠いアルプスがまだ雪に真白だった印象が残っていたからです。次に林を描き、道を足して、草原の一ヶ所が池に変わって、手前に伸びていた道が川に変わって、その脇に新しい道を描き足して…と、そんな感じでこの絵になりました。ちょっと力技ですが、力が足りないばかりに、なんだかリアリティのない絵になってしまった感は拭えませんが、ここで筆を置きました。

グロリオサ

2006-04-28 | 絵画
 また花の絵を描きました。



  グロリオサ (15.8x22.7 2006年)


 この花を知りませんでした。一年とは経っていませんが、花をモチーフに描くようになってから折に触れて花屋で花を気にするようになりました。この花は一目惚れでした。第一印象は火焔のような花。その得意な造形に惹きつけられてしまいました。…名前も知りませんでしたから店員さんに聞くと、レシートの裏に【グロリオサ】と書いてくれました。
 ずいぶん久しぶりに絵の更新のようですが(実際一週間ほど絵筆を手にしなかったりもしましたが…)、これまで使っていたものから画像処理ソフトをかえて修正し直して更新したり、どうにも気になって【青いバラ】と【折鶴-1】は手を入れて描き直したりして、細かい更新はしておりました。…ちょうど昨年の今頃だったでしょうか、【火焔樹】と題して梅の花を描きましたが、今回のこのグロリオサはいわば【火焔花】と呼びたいような風情です。

折鶴による構図-3

2006-04-09 | 絵画
 みたび折鶴による絵です。このたびは、橙色の折鶴、補色な構成の絵になりました。



  折鶴による構図-3 (15.8x22.7 2006年)


 さきの絵では折鶴の色を迷いました。視覚的に白とするよりは、補色系の淡い色彩をほどこした方が効果的ではないか? もともと補色対比系の構成は好む方と申しますか、好きなので、色をほどこすか迷ったわけです。ではなぜ白い折鶴だったかと申しますと、視覚的には施された方が良いと思われた色も、意識としては、白であって欲しいということの現われだったのです。そうしたことから、次に描いたこの折鶴は橙色になって青い色のなかに浮かべてみました。
 この絵もそうですが、先の絵を描いているときから、折鶴ではありませんが、たいへん有名な安西冬衛の次の詩が何度も頭の中を巡りました。イメージが無限です。


     春

てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。


折鶴による構図-2 ・ アクリル絵の具の話

2006-04-07 | 絵画
 ふたたび折鶴による絵です。
 天に祈りが届くように願って宙に舞う姿になりました。



  折鶴による構図-2  (40.9x31.8 2006年)


 年度も変わったということで、たまには絵の具の話を。10年位前から私は、リキテックスというアクリル絵の具を使って絵を描いています。絵は顔料が紙なりキャンバスなりに固着させることによって多くは描かれます。たとえば油絵の具は乾性油が化学反応することによって固まる性質を利用して顔料を画面に定着させますし、日本画の場合は岩絵の具を、にかわの溶液で溶いて描きます。アクリル絵の具は、アクリル樹脂が媒質として使用されているということです。歴史は浅く市販されるようになってから5・60年といったところで、当初は、前衛画家に多く利用されたようですが、今日は多様な表現ができるので、かなり普及してきています。(実際初めてアクリル絵の具を手にしたのは、高校の美術の教材としてでした) アクリル絵の具は、水で薄めて描く水彩です。水分が蒸発することによって乾燥します。誰でも使ったことのある透明水彩はアラビアゴムが媒質として使われていますが、大きな違いは、透明水彩は再溶性があって重ね塗りには向かないけど、アクリル絵の具の場合は乾くと水に対して不溶性になるので、どんなでも重ね塗りが出来ます。乾燥が速いので絵を一枚ずつ仕上げていく事ができます。(技法や天候によっては1時間以上乾かさないといけない場合もありますが…) 乾燥が遅い油絵の具との大きな違いはその点です。…こう書くとすべて良いようですが、乾燥が速いという利点は、また最大の弱点でもあり、グラーデーションが付け難いという難点や癖などに現れています。また大きな利点の一つに科学的に安定しているので、耐候性、耐光性にも優れているようです。しかも、基本的に油性面でなければ何にでも描けます。たとえば、石とかにも。…そうだ、今度、石に何か描いてみようかな(笑)…と、絵の具の話でした。

青いバラ

2006-03-28 | 絵画
 青い絵の具を使ってバラを描きました。青いバラです。



  青いバラ (15.8x22.7 2006年)


 【青いバラ】という言葉とその概念を初めて意識したのは2年ほど前のことでした。しかしながら言葉の概念とは違った感じの印象をもったのは、その言葉との出会いが、友達が【青いバラ】というシリアスな演劇を見たと書かれたのを拝見してです。その演劇のテーマやストリーは伝聞だったせいか残念ながら思い出せませんが、その時感じた感じがその言葉に憑依した感じで、在り得ないものという本来の意味というか概念からちょっと反れた悲しい感じとかせつない感じとかそんな感じを感じるようになってしまいました。…そうして青いバラというのは折に触れて描いてみようかと思いながら、描かれずにいました。今回折鶴を描いて、続けてまた折鶴をモチーフに描こうと思ってましたが、青い折鶴を描いているとき、青いバラを描いてみようと思って描いてみました。【青いバラ】 いかがでしょうか?

折鶴による構図

2006-03-24 | 絵画
 春告げ鳥とも呼ばれる、うぐいすは昨日も今朝もきて鳴いてくれています。しかも鳴き声が上手になっています! もしかすると近くに営巣したのかもしれません。で、描いていたのは、春告げ鳥ではなく(笑) 折鶴をモチーフとしたものでした。



  折鶴による構図  (22.0x27.3 2006年)



 折鶴を折って祈りを捧げる。ひととき折ることに集中する。そのこと自体、少なからず浄化の作用をもつようにも思われます。絵を描くということも一種の浄化作用をもっているのかもしれません。もちろん、【文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みにしかすぎない…(風の歌を聴け・村上春樹)】 というように、ひとつの事柄ですべてが上手くいくなんてことはないとは思われますが、ささやかな試みであっても続けていけば、もしかしたら、新しい地平に新しい光明を見い出すことができる…ということもあるのかもしれませんね。
 さてはて、折鶴に祈りを込めるようになったのは、いったい、いつ頃からなのだろう? 人々にはたくさん祈りたいことがあって、叶って欲しかったんですね。鶴に祈りが込められるのは、空を舞うから、込めた祈りが天に届くようにということなんだろうけど、私も折鶴を祈りを込めて描きました(照) えっ、はっ、はい。もちろん、世界平和を、です。決まっています! (えっ? 嘘? ついてないと思うけどな・笑…失礼いたしました)

ろうそくによる構図-3

2006-03-13 | 絵画
 ふたたび、ろうそく、がきた。仮想空間に仮想のろうそくを二本立て、仮想の火を灯してみました。



  ろうそくによる構図-3 (22.7x15.8 2006年)


 過日、一本、三本、そうして七本とろうそくによる構図の絵を描きましたが、今回は二本です。このところ詩句だっか、【蒼穹な空に一点の穴を穿ちて…】という言葉がときどき気になっておりまして、空に穴を開けて、さて? なんだったっけ? 穴を穿って何を期待すると言ったのだっけ? …と思っておりましたら、背景の暗闇に青を描きたくなりました。そこだけ、夜の空…夜の空は昼の空に比べて、ずっと宇宙ということに思いをめぐらせます。
【蒼穹な空に一点の穴を穿ちて 宇宙の真理を引っ張り出してみたい】
 だったっけ?