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光の散歩道

日々 雑記 感想 そうして絵画など創作や写真日記

牧歌

2010-01-17 | 宮沢賢治


明治29年(1896年)8月27日 出生。
・・・明治29年といえば、辰野金吾氏設計になる日本銀行本店が竣工した年であり、時の総理大臣は伊藤博文であった。北村透谷はその2年前(1894年)に自殺している。またこの年、酒税法・煙草専売が公布されたという。明治民法の公布もこの年であった。
明治29年8月27日、この日は、宮沢賢治が生まれた日であるという(年譜に推定とあるので)

最近はどうか・・・古い文庫本などには良く作家の年譜が付録してあることが多い。・・・それを時々、紐解いてみることがある。そして、宮沢賢治は1933年9月21日に亡くなっている。37歳であった。

ひらいた詩集に記されていた詩は、初読の感があった。いや、まったく初めて目にしたのかもしれない。30年ほど前に買った岩波文庫の宮沢賢治詩集ではあるのだが。・・・感受者の琴線に触れるか否かは、感受者の側の問題であるのかもしれない。作品はいつも同じであっても、感受者が特別に感受するとき作品は輝きを増すものなのだろう。またどんなに優れたとされる作品であっても、感受者が感受する状態状況にないときは、作品はその感受者にとって意味あるものとはなりえない。そういう宿業をもっているものなのかもしれない、作物というものは。


  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆


  牧歌
          宮沢賢治


種山ヶ原の 雲の中で刈った草は
どこさが置いだが 忘れだ 雨ふる

種山ヶ原の せ高の芒あざみ
刈ってで置き忘れで 雨ふる 雨ふる

種山ヶ原の 霧の中で刈った草さ
わすれ草も入ったが 忘れだ 雨ふる

種山ヶ原の 置きわすれの草のたばは
どこがの長嶺で ぬれでる ぬれでる

種山ヶ原の 長嶺さ置いだ草は
雲に持ってがれで 無ぐなる 無ぐなる

種山ヶ原の 長嶺の上の雲を
ぼつかげで見れば 無ぐなる 無ぐなる


  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆


『雨ふる』は『あめやふる』とルビがついています。

はるかな気持ちになる詩ですね。はかなさと申しますか・・・。

その、しんみりと浸透してくるような、はるかな気持ちが、ふと先日来続いている、眠っているときに見る夢の感慨を呼び覚まして、『刈った』を『夢見た』に、『草』を『夢』に置き換えて読んでしまいました。この感受者に内包された感受の作用故にだと思います。

そうしてリフレインする。

『雲に持ってがれて 無ぐなる 無ぐなる』


猫の事務所

2009-05-28 | 宮沢賢治


それは、いじめなのだろうか? 差別なのだろうか?

なぜだろう? 一月ほどまえ、ふいに猫の事務所のことが気になった。
気にはなったけど、すぐには読まず、日々はながれた。

『軽便鉄道の停車場近くに、猫の第六事務所がありました。ここはおもに、猫の歴史と地理をしらべるところでした。』と、語り始められる短き物語。宮沢賢治の作物である。

かま猫が、かま猫【窯猫というのはこれは生まれつきではありません。生まれつきは何猫でもいいのですが、夜かまどの中にはいって眠る癖があるために、いつでもからだが煤できたなく、ことに鼻と耳にはまっくろにすみがついて、なんだか狸のような猫のことをいうのです。ですから、かま猫はほかの猫にはきらわれます。・・・本文抜粋】であることは、努力の欠如であるのかもしれないが、【かま猫はあたりまえな猫になろうと、何べんも窓の外にねてみましたが、どうしても夜中に寒くてくしゃみが出てたまらないので、やはりしかたなく竈のなかにはいるのでした。・・・本文抜粋】・・・しかたがないんだね。
そういう事情をのみこんでくれるのは、やさしさで、嫌うのは・・・なんだろう? この場合、卑下する気持ちばかりではなく、かま猫の能力に対する、やっかみも含まれているように読めるから、ややこしい。
同一ではないことへの、感情。排除の感情とでも解せばよいのだろうか?
せつなく心痛むところである。

終盤、かま猫は事務所のすべての猫から無視される。【とうとうひるすぎの一時から、かま猫はしくしく泣きはじめました。そうして晩方まで三時間ほど泣いたりやめたり、また泣きだしたりしたのです。・・・本文抜粋】猫の事務所は、この状態をみた獅子の解散命令【お前たちは何をしているか。そんなことでは地理も歴史もいったはなしではない。やめてしまえ。ええ。解散を命ずる。・・・本分抜粋】によって、解散せられる。こらしめは、事務所全員に対して行われた。かま猫も職を失うのである・・・。
【こうして事務所は廃止になりました。ぼくは半分獅子に同感です・・・本分抜粋】と物語りは閉じられる。
半分同感・・・というのがまた難しい物語の終結である・・・。
・・・獅子の命令も極端に過ぎないか? 最善はどこにそんざいするのだろう?・・・宿題である。


巡る九月…≪青い抱擁衝動≫

2006-09-01 | 宮沢賢治
 あまたの人の成すというブログというものを、したためてみんとて始めしブログも(おいおい、紀貫之のパクリ?・笑)はや三年目に入って久しくなりました。そうしてまた九月が巡ってきました。九月といえば…昨年も過去の記事を引用したので、恒例ということでこの九月も九月を巡って≪青い抱擁衝動≫が時間軸をさかのぼり巡ろうとしています^^;

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   青い抱擁衝動・・・(2005-09-02の記事です)

 昨日、九月になった。また、八月が去って、九月が来た。もちろん、昨年にも九月があって、その前の年にも、その前の年にも、九月はあった。


60キロの秋(2004/09/28より)


≪青い抱擁衝動≫…この賢治の詩句を知ったのは幾つ位のときだっただろう・・・

 たとえば七月や八月の抱擁衝動はなんだか、なまなましい?…なやましい…? 九月だからこそ、≪青い抱擁衝動≫となるのだろう・・・か? ≪青い抱擁衝動≫がその言葉の含んでいる透明感が≪九月の空≫に呼応するように感じる。(賢治は岩手だったし、私も長野の高原と言われるところに住んでいるので、あるいは、もっと暑いところでは十月位の感覚になるのかもしれませんが・・・)

 じつは昨年も≪青い抱擁衝動≫を引用していました。リンクしようかと思ったけど、再録しようと考えました。九月になったばかりと、昨年の九月の終わり頃では少し季節感が違いますが、二月になると、≪今は二月 たったそれだけ≫という立原道造の詩句が条件反射のように脳裏に流れると同じで、九月になると、詩句としての≪青い抱擁衝動≫という言葉が、脳裏に流れ、なんだか、なつかしい感じに私を誘います。

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   もんしろちょう…宮沢賢治(青い抱擁衝動)・・・(2004-09-25の記事です)

 もんしろちょうが、ひらひら、ひらひら、舞っていた。今朝は霧で、空気がひんやり、しっとりしていた。やがて、太陽が出た。青空が出た。空間はどこまでも続いている。…「日本の九月の気圏です」 見ると、近くのブロッコリーの畑の上を、たくさんの紋白蝶がひらひら、ひらひら9月の太陽を浴びて舞っていた。いつのまにか、9月らしからぬ9月が終わろうとしている。それでも季節感は、稲刈りの終えたたんぼから、かすかに葉の色が薄まった木々の表情から感ぜられる。
 九月…。宮沢賢治、「第四梯形」を一部ですが(長いので^^;)引きます。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 青い抱擁衝動や
 明るい雨の中のみたされない唇が
 きれいに空に溶けてゆく
 日本の九月の気圏です
 そらは霜の織物をつくり
 萱の穂の満潮
     (三角山はひかりにかすれ)
 そらのグラスのバリカンは
 白い雲から降りて来て
 早くも七つの森第一梯形の
 松と雑木を刈りおとし
 野原がうめばちさうや山羊の乳や
    沃土の匂で荒れて大へんかなしいとき
    汽車の進行ははやくなり
    ぬれた赤い崖や何かといっしょに
 七つの森第二梯形の
 新鮮な地被が刈り払はれ
 手帳のやうに青い卓状台地(テーブルランド)は
 まひるの夢をくすぼらし
 ラテライトのひどい崖から
 梯形第三のすざましい羊歯や
 こならやさるとりいばらが滑り
    (おお第一梯形の紺青の寂寥)
 縮れて雲はぎらぎら光り
 とんぼは萱の花のように飛んでいる


              …以下略…
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 …青い抱擁衝動。…みたされない唇。…大へん悲しいとき。…まひるの夢をくすぼらし。…紺青の寂寥。

 きれいに空に溶けてゆく


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 お盆過ぎから夜中じゅう鳴き続けていた虫たちはその恋の季節が終わりつつあるのだろうか? なんだか、前より盛りがすぎたのか? 静かになってきたように感じる。めぐる生命の営み…もう少し稲穂が≪実るほど頭を垂れて≫きたら、また、すずめたちが≪かまびすしく≫鳴くのだろう・・・そうしたら、また、紅葉の便りが聞かれるようになるのだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 はい、今年の記事に戻ってきました(笑)…2006-09-01です。
 今年の記事に昨年の記事が入り、その昨年の記事には一昨年の記事が引用されていて、九月を巡り、時間の三層構造ですね…なんか自分でもちょっと混乱しそう(笑) AがBに内包され、さらにBはCに内包されている…1年の巡り、2年の巡り、時の巡り…。
 で、B(昨年)の記事に【≪青い抱擁衝動≫…この賢治の詩句を知ったのは幾つ位のときだっただろう・・・】とありまして、ぼかした感じになっておりますが、このC(今年)の記事では思い出してみます。≪青い抱擁衝動≫この詩句に出会ったのは高校の2年か3年の頃、まだ抱擁ということの実体験といいますか、そういったことを知らないころでしたが…言葉の体験…つまり意識・認識の体験としては、心に響くものだったのでしょう…だから、心に刻まれたのだと思います。

 さらに来年の九月、もしもブログが続いていたら…Cである今年の記事は来年の記事になるであろうDに内包されるのだろうか?・・・乞御期待(笑)ですね?(^^)

捨身虎餌…なめとこ山の熊・追記

2006-06-11 | 宮沢賢治
 さきの【なめとこ山の熊】の記事で【色々なことを考えさせられる話です】と閉めましたが、その一端を(未整理で恐縮ですが…)書きながら考えてみようと思いました。
【なぜ熊は小十郎の家の前で死んだのだろう?】…これは問題提起の書き方で、その答えのひとつ(私にとって)は、捨身虎餌の精神(悟り)に通ずるだろうと思っています。捨身虎餌とは上代仏教の有名な逸話で、あるとき高徳の聖が飢えた虎に出くわし、その虎の飢えを救うために自らの身を虎に与えたという話です。生命の価値というか重さの同一性を説く上では有効かもしれないけど、それほどの聖はもっと生きて多くの人々の精神の安楽を与える事もできたんじゃないか? 一週間持つか持たないかの虎の飢えを凌ぐために(修行に時を費やした)身を投げたのは早計ではなかったか? という疑問が浮かんできます。(…仏法的価値と現代の合理的価値が相容れないということかもしれないですね)
 この頃、社会のなかでまたぎがどういう位置にあったかは想像に難くはありません。それでも小十郎はほんとうにまたぎをするしかなかったのか? またこの頃、宮沢賢治はプロレタリア文学にも興味をしめしており、社会構造の不条理ともいえる構造に対して不満をもったり、ベジタリアン大祭という作品では菜食主義者についても書いています。この作中には書かれてはいませんが、小十郎は熊の胆と皮は売るかもしれないけど、当然その肉は喰らうのです。…これらのことから、賢治は結局、小十郎を熊に殺させている…とも読むことが出来るかもしれません。童話として甘やかに書かれているとしても、弔いは魂を沈めるため、祟りを恐れる故(有名なところでは菅原道真、日常的には墓石が石であるのが死者が出て来れないようにという起源から)でありますが、あまり興味を示した形跡のない回教徒の祈りの形として、小十郎の弔いを賢治が表現してるところが興味深いです。(熊の悟りが捨身虎餌という仏教的な悟りとして書かれているのに対して、小十郎の弔いは、賢治が信仰した仏教(法華経)の作法でも、興味を示したキリスト教の作法でもなく、小十郎は弔われているのである!)
 もちろん読み方は自由だと思うし、そうであるべきで、その上で私は、先の【賢治の望んだ世界】ということに合わせて、この物語に社会に対する(差別意識、搾取構造が現代よりもより明確にあった時代に対して)痛烈な批判が込められているじゃないかと…そういう風に読むと、重い話であると感じられてならないのです。
 ちなみに本州の熊は【月の輪熊】で食べるために他の生命の命を奪う事はしません(人を殺したりするのは身を守る為です) いわば菜食主義者【的】であります。ただ北海道にいる羆は肉食なので、北海道の人は食べられないように気をつけて欲しいと思います。

なめとこ山の熊

2006-06-07 | 宮沢賢治
 なめとこ山の熊を思い出し、どうして約束通り二年後に熊はマタギである小十郎の家の前で死んだのだろう? とまた思った。その後、小十郎は猟に出たなめとこ山で、熊に頭を張られる。死のときである。そのときに声を聴く。
「おお小十郎、お前を殺すつもりはなかった」
 …小十郎は生きるために熊を射つしかなかった。射ち殺した熊に向かって次のように言う場面が前の方にある。
「熊。おれはてまえを憎くて殺したんじゃねえんだぞ。おれも商売ならてめえを射たなけりゃならねえ。ほかの罪のねえ仕事をしてえんだが畑はなし、木はお上のものときまったし里へ出てもだれも相手にしねえ。しかたなしに猟師なんかしてるんだ。てめえも熊に生まれたのが因果なら、おれもこんな仕事が因果だ。やい、この次には熊になんか生まれるなよ」
 これは猟師としてしか生きられない自分に対して、この次は猟師になんかならなくちゃならないところに生まれるなよ、と言っているようにも読める。
 そうして得た熊の胆も皮も、町の店では旦那に買い叩かれる。それについて地文で、≪日本には狐けんというものもあって、狐は猟師に負け、猟師は旦那に負ける≫とあり、狐を熊に置き換えて、町にいる旦那は熊に遭遇しないから負けようがない。ひとり勝ち状態を≪こんなずるいやつらは、世界がだんだん進歩すると、ひとりで消えてなくなっていく≫と評している。・・・(世界は宮沢賢治の願うようには進歩していないということなのだろうか?)
 とまれ、そんな小十郎があるとき熊に遭遇する。熊は小十郎に問う。
「お前は何が欲しくておれを殺すんだ?」
 小十郎は「熊の胆と皮」と答えながら、それもどうでも良いように思う。つまり飢えて「死ぬなら死んでもいいような気がするよ」と熊に答えるのである。…誰だって求めて他の生物を殺したいなんて思わない、仕方なしなのである。
 それに対して熊は小十郎に、残した仕事もあるから二年待ってくれと言う。
「二年目にはおれもお前の家の前でちゃんと死んでいてやるから。毛皮も胆袋もやってしまうから」
 その熊がこの短文の冒頭に書いた、小十郎の家の前で死んでいた熊なのである。
 ほんとうに、なぜなのだろう?
 読み返してみたら、やっぱり色々なことを考えさせられる話です。

(付記、次回【捨身虎餌…なめとこ山の熊・追記】で、もう一度考がえてみました)


銀河鉄道の夜

2006-06-03 | 宮沢賢治
 昨夜、銀河鉄道の夜…宮沢賢治をまたしても読む。ジョバンニの哀しみやカムパネルラの透明で繊細な哀しみが身に染みる。ジョバンニの、カムパネルラの哀しみなのか、彼らに対して感じる哀しみなのか…そのあたりの輪郭はとても曖昧になってしまうのですが…以下、以前に抜書きした言葉たちをふたたび…きらきらして、響く言葉の一部です。

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 空気は澄みきって、まるで水のように通りや店の中を流れましたし…

 ぼくはどこへもあそびに行くところがない。ぼくはみんなから、まるで狐のように見えるんだ…

 その綺麗な水は、ガラスよりも水晶よりもすきとおって…

 二人も胸いっぱいのかなしみに似た新しい気持ちを、何げなくちがったことばで、そっと話し合ったのです…

 なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでも、それがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから…

 どうして僕はこんなにかなしいのだろう。僕はもっとこころもちをきれいに大きくもたなければいけない…

 ああほんとうにどこまでもどこまでも僕といっしょに行くひとはないだろうか…

 ルビーよりも赤くすきとおり、リチウムよりも、うつくしく酔ったようになってその火は燃えているのでした…

 まことのみんなの幸いのために私のからだをおつかいください…

 けれどもほんとうのさいわいはいったい何だろう…

 僕、もうあんな大きな闇の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たちいっしょに進んで行こう…

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 人間は無常の世にある以上、どうしたって哀しみから逃れることは出来ないのかもしれない。…ジョバンニが【大きな闇の中だってこわくない】と覚醒するとき、それは哀しみから自由になったとも捉えられるかもしれないけど、でもやっぱり哀しみは在って、在るを意識するが故に(哀しみ【キリスト教でいう原罪意識的な、存在自体の哀しみというような意味での】はずっと在るという認識のうえに) それを克服しようとする強い意思・意識をジョバンニ(に表象される宮沢賢治)が獲得したことを表しているんじゃないかな…と感じました。
 ほんとうに、やっぱり銀河鉄道の夜、良いです。魂が洗濯されます。

虔十(けんじゅう)公園林・・宮沢賢治

2005-09-19 | 宮沢賢治
 虔十公園林は随想のような印象を受ける短い佳品で、泣いてしまいました。…泣くといっても、目に涙が滲んで、それを拭きながら読んだという程度です。その冒頭はこうです。
≪虔十はいつも縄の帯をしめて、わらって森のなかや畑の間をゆっくり歩いているのでした。
 雨の中の青い藪を見ては、よろこんで目をパチパチさせ、青空をどこまでも翔けてゆく鷹を見つけては、はねあがって手をたたいてみんなに知らせました。≫
 そんな虔十を子供たちはばかにして笑い、逆に虔十は笑いたいときも≪むりやり大きく口をあき、はあはあ息だけついてごまかす≫ようになってしまいました。
 ある年、虔十は、「お母、おらさ杉苗七百本、買って呉ろ」と頼みました。
 杉苗をどうするのか問われた虔十が家の裏の野原に植えると言いますと、兄がその野原は杉を植えても成長しない条件のの土地だからと一言しました。すると父が、これまで頼み事をしたことのない虔十だから、買ってやれと言いました!
 虔十は杉を植える穴を≪実にまっすぐに、実に間隔ただしく≫掘りました。その穴に杉苗を植えるのは兄が手伝ってくれました!
 七・八年後、その杉林は兄が言ったように土地のせいか、ぐんぐん伸びるとう訳にはいきませんでしたが、子供たちにとっては恰好な遊び場となっていました。虔十はそんな子供たちを見るのが、うれしかった。ほんとうに、うれしかったのです。
 やがて虔十はチブスで早くに亡くなり、林のまわりも、鉄道が開通して近くに駅が出来て瀬戸物や製糸工場が出来て町へと様変わりしていきます。時は流れていったのです。
 あるとき子供の頃、その杉林で遊んだという≪いまアメリカのある大学の教授になっている若い博士≫が十五年振りに故郷に帰ってきて、母校である小学校で講演したあと、そこだけ変わらずに、子供たちの遊び場になっている林を懐かしく見つめ、「ああ、ここはすっかりもとどおりだ。・・・みんなも遊んでいる。ああ、あの中に私や私の昔の友だちがいないだろうか」 という感慨をいだき、案内の校長にこの林が学校の運動場になったのかと訊くと、校長は、個人の所有地だと答えました。
「ここが町になってから、みんなで売れ売れと申したそうですが、年よりのかたが、ここは虔十のただひとつのかたみだから、いくら困ってもこれをなくすることは、どうしてもできないと答えるそうです」
「ああそうそう、ありました。その虔十という人は少し足りないと私らは思っていたのです。いつでもはあはあ笑っている人でした。毎日ちょうどこの辺に立って私らの遊ぶのを見ていたのです。この杉もみんなその人が植えたのだそうです。ああ全く誰がかしこく、だれが賢くないのかわかりません。ただどこまでも十力の作用は不思議です。ここはもういつまでも子供たちの美しい公園地です。どうでしょう。ここに虔十公園林と名をつけて、いつまでもこのとおり保存するようにしては」
 そうして≪虔十公園林≫という碑も建ち、浄財や手紙が届けられました。
≪虔十のうちの人たちはほんとうによろこんで泣きました。
 この公園林の杉の黒い立派な緑、さわやかなにおい、夏のすずしい陰、月光色の芝生がこれから何千人の人たちに、ほんとうのさいわいがなんだかを教えるか数えられませんでした。
 そして林は、虔十のいたときのとおり、雨が降ってはすきとおる冷たいしずくをみじかい草にポタリポタリと落とし、お日さまが輝いては、新しいきれいな空気をさわやかにはき出すのでした≫
 と、この話はしめくられています。

 ほとんどあらすじになってしまいました。(でも書き写していると、読んでいるときよりさらに何かが染み込んでくるように感じられて、書き写すのは嫌いではありません^^;)
 なぜ虔十が杉を植えようと考えたかについては書かれていません。…たぶん虔十は≪ただ杉を植えたかった≫のだろうと思います。理屈をつける能力は残念ながら虔十に期待できないし、変な理屈をつけたらこの話が台無しになってしまうかもしれないでしょう。博士の≪誰がかしこく、だれが賢くないのかわかりません≫という感想、また地文の≪ほんとうのさいわいがなんだかを教える≫という考察が物語っているのだと思います。
 虔十という人がいて、杉の林を造り、林は子供たちに喜ばれて遊び場となり、遊ぶ子供たちを眺める事によろこびのような≪うれしい≫を虔十は感じていた。
 そうしてそういう虔十はすでに亡くなっても、≪虔十公園林≫というものに姿を変えて生き続けている、生き続けていく…という風にも感じられてなりません。

青い抱擁衝動

2005-09-02 | 宮沢賢治
 昨日、九月になった。
 また、八月が去って、九月が来た。
 もちろん、昨年にも九月があって、その前の年にも、その前の年にも、九月はあった。




60キロの秋(2004/09/28より)


≪青い抱擁衝動≫…この賢治の詩句を知ったのは幾つ位のときだっただろう・・・

 たとえば七月や八月の抱擁衝動はなんだか、なまなましい?…なやましい…?
 9月だからこそ、≪青い抱擁衝動≫となるのだろう・・・か?
 ≪青い抱擁衝動≫がその言葉の含んでいる透明感が≪九月の空≫に呼応するように感じる。(賢治は岩手だったし、私も長野の高原と言われるところに住んでいるので、あるいは、もっと暑いところでは十月位の感覚になるのかもしれませんが・・・)


 じつは昨年も≪青い抱擁衝動≫を引用していた。リンクしようかと思ったけど、再録しようと考えた。
 九月になったばかりと、昨年の九月の終わり頃では少し季節感が違いますが、二月になると、
≪今は二月 たったそれだけ≫という立原道造の詩句が条件反射のように脳裏に流れると同じで、九月になると、詩句としての≪青い抱擁衝動≫という言葉が、脳裏に流れ、なんだか、なつかしい感じに私を誘います。


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   もんしろちょう…宮沢賢治(青い抱擁衝動)・・・2004-09-25


 もんしろちょうが、ひらひら、ひらひら、舞っていた。
 今朝は霧で、空気がひんやり、しっとりしていた。
 やがて、太陽が出た。青空が出た。空間はどこまでも続いている。…「日本の九月の気圏です」
 見ると、近くのブロッコリーの畑の上を、たくさんの紋白蝶がひらひら、ひらひら9月の太陽を浴びて舞っていた。

 いつのまにか、9月らしからぬ9月が終わろうとしている。
 それでも季節感は、稲刈りの終えたたんぼから、かすかに葉の色が薄まった木々の表情から感ぜられる。
 9月…。宮沢賢治、「第四梯形」を引きます。

「青い抱擁衝動や
 明るい雨の中のみたされない唇が
 きれいに空に溶けてゆく
 日本の九月の気圏です
 そらは霜の織物をつくり
 萱の穂の満潮
     (三角山はひかりにかすれ)
 そらのグラスのバリカンは
 白い雲から降りて来て
 早くも七つの森第一梯形の
 松と雑木を刈りおとし
 野原がうめばちさうや山羊の乳や
    沃土の匂で荒れて大へんかなしいとき
    汽車の進行ははやくなり
    ぬれた赤い崖や何かといっしょに
 七つの森第二梯形の
 新鮮な地被が刈り払はれ
 手帳のやうに青い卓状台地(テーブルランド)は
 まひるの夢をくすぼらし
 ラテライトのひどい崖から
 梯形第三のすざましい羊歯や
 こならやさるとりいばらが滑り
    (おお第一梯形の紺青の寂寥)
 縮れて雲はぎらぎら光り
 とんぼは萱の花のように飛んでいる
     …以下略…」

 …青い抱擁衝動。…みたされない唇。…大へん悲しいとき。…まひるの夢をくすぼらし。…紺青の寂寥。

 きれいに空に溶けてゆく


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 お盆過ぎから夜中じゅう鳴き続けていた虫たちはその恋の季節が終わりつつあるのだろうか?
 なんだか、前より盛りがすぎたのか? 静かになってきたように感じる。
 めぐる生命の営み…もう少し稲穂が≪実るほど頭を垂れて≫きたら、また、すずめたちが≪かまびすしく≫鳴くのだろう・・・

 そうしたら、また、紅葉の便りが聞かれるようになるのだろう。

もんしろちょう…宮沢賢治(青い抱擁衝動)

2004-09-25 | 宮沢賢治
 もんしろちょうが、ひらひら、ひらひら、舞っていた。
 今朝は霧で、空気がひんやり、しっとりしていた。
 やがて、太陽が出た。青空が出た。空間はどこまでも続いている。…「日本の九月の気圏です」
 見ると、近くのブロッコリーの畑の上を、たくさんの紋白蝶がひらひら、ひらひら9月の太陽を浴びて舞っていた。

 いつのまにか、9月らしからぬ9月が終わろうとしている。
 それでも季節感は、稲刈りの終えたたんぼから、かすかに葉の色が薄まった木々の表情から感ぜられる。
 9月…。宮沢賢治、「第四梯形」を引きます。

「青い抱擁衝動や
 明るい雨の中のみたされない唇が
 きれいに空に溶けてゆく
 日本の九月の気圏です
 そらは霜の織物をつくり
 萱の穂の満潮
     (三角山はひかりにかすれ)
 そらのグラスのバリカンは
 白い雲から降りて来て
 早くも七つの森第一梯形の
 松と雑木を刈りおとし
 野原がうめばちさうや山羊の乳や
    沃土の匂で荒れて大へんかなしいとき
    汽車の進行ははやくなり
    ぬれた赤い崖や何かといっしょに
 七つの森第二梯形の
 新鮮な地被が刈り払はれ
 手帳のやうに青い卓状台地(テーブルランド)は
 まひるの夢をくすぼらし
 ラテライトのひどい崖から
 梯形第三のすざましい羊歯や
 こならやさるとりいばらが滑り
    (おお第一梯形の紺青の寂寥)
 縮れて雲はぎらぎら光り
 とんぼは萱の花のように飛んでいる
     …以下略…」

 …青い抱擁衝動。…みたされない唇。…大へん悲しいとき。…まひるの夢をくすぼらし。…紺青の寂寥。

 きれいに空に溶けてゆく

困ってしまいました。グスコーブドリ訂正m(__)mです。

2004-07-08 | 宮沢賢治
 それでもと思い宮沢賢治を探して、汗です。ダンボール箱詰まった文庫本のなかに、しかしありません。
 そのかわり、いろいろ懐かしい本が出てきました。
 また読み返したら、感想があるかもしれません。
 そうして、本棚を整理していたら、「風の又三郎」の童話集がみつかりました!
 グスコーブドリの伝記…結末が違ってました。
 冷や汗…そして、顔が真っ赤になり、体も熱くなり…
 今度は本当の、暑く気持ち悪い汗。だらだら…
 ブドリが火山に行くのは、そうでしたが、その目的が全然違ってました。
 火山を沈めるためではなく、逆に火山活動を促し、炭酸ガスを大気中に広げるためでした。
 冷害の予報に対し飢饉の発生を抑えるため、大気中に炭酸ガスをばら撒き、温室効果によって、冷害を防ぐために、ブドリは火山に行ったのでした。
 ふぅ~恥ずかしいです。
 多分、記憶のなかで、火山イコール噴火。
 ブドリは還って来れない。
 で、火山活動を抑えるためって…
 変質していたのでしょう。
 ひぇ~(汗だらだら;)
 火山活動を促すために、行ったのが…

 はぁ~
 こういう記憶違い、もっとあるんだろうなぁ~
 確認は大事と改めて思い、反省です。

グスコーブドリ

2004-07-07 | 宮沢賢治
 あまりに暑いせか、グスコーブドリ…
 (最近変で、本を探すと探してる本だけ見つからない。一月程前、ノルウェイの森、赤い方を読み返し、緑のを探しても無くて、仕方がないので、文庫の下巻買ってきて読んだのですが、先日、緑の方もみつかりました。
 あっ! で、グスコーブドリの伝記…宮沢賢治であってたかな?)
 …を、今日は思い出していました。
 
 雨にも負けず、の賢治らしく、ブドリはもっと過酷な状況のなか、学び続け(もちろん学んだのは学問だけでなく、人として在る在り方も学んで…)人々の幸いの為に身を(その存在を)ささげる。
 私も火山の麓に住んで、今は噴火しないけど、子供の頃、良く噴火する時期があって覚えてますが、自然の絶大な驚異は、怖いです。
 人間からすれば、そういう自然の驚異は不条理で、ブドリがしたようにして、それを防ぐ事が出来るかどうかは、疑問ですが、「新しい自分や妹のような境遇の子供達を、もう、つくらないように」と言って、火山の噴火を反らす為に身を投じたブドリには、感動します。(←7月8日の日記で訂正いたしました。)

 今ある人々の幸い、これから生まれてくる人々の幸い、そのために、犠牲になる事をいとわなかったブドリ。
 折りしも選挙で、ニュースなど賑やかしているけど、そういう「人々の幸い」を願う政治家は、この国にいるのでしょうか?

 「マッチする、つかのまの海、命、捨つるほどの、祖国はありや?」
 …ふっと、寺山修司まで思い出してしまいました。←(風呂に入ってきて、57577になってないじゃんと思い、本探したら、これはすぐに見つかりました。記憶は非常に曖昧でした(・_・;)
 「マッチ擦るつかのまの海に霧ふかし 身捨つるほどの祖国はありや」←こっちが正しい歌でした。