あまたの人の成すというブログというものを、したためてみんとて始めしブログも(おいおい、紀貫之のパクリ?・笑)はや三年目に入って久しくなりました。そうしてまた九月が巡ってきました。九月といえば…昨年も過去の記事を引用したので、恒例ということでこの九月も九月を巡って≪青い抱擁衝動≫が時間軸をさかのぼり巡ろうとしています^^;
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青い抱擁衝動・・・(2005-09-02の記事です)
昨日、九月になった。また、八月が去って、九月が来た。もちろん、昨年にも九月があって、その前の年にも、その前の年にも、九月はあった。
60キロの秋(2004/09/28より)
≪青い抱擁衝動≫…この賢治の詩句を知ったのは幾つ位のときだっただろう・・・
たとえば七月や八月の抱擁衝動はなんだか、なまなましい?…なやましい…? 九月だからこそ、≪青い抱擁衝動≫となるのだろう・・・か? ≪青い抱擁衝動≫がその言葉の含んでいる透明感が≪九月の空≫に呼応するように感じる。(賢治は岩手だったし、私も長野の高原と言われるところに住んでいるので、あるいは、もっと暑いところでは十月位の感覚になるのかもしれませんが・・・)
じつは昨年も≪青い抱擁衝動≫を引用していました。リンクしようかと思ったけど、再録しようと考えました。九月になったばかりと、昨年の九月の終わり頃では少し季節感が違いますが、二月になると、≪今は二月 たったそれだけ≫という立原道造の詩句が条件反射のように脳裏に流れると同じで、九月になると、詩句としての≪青い抱擁衝動≫という言葉が、脳裏に流れ、なんだか、なつかしい感じに私を誘います。
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もんしろちょう…宮沢賢治(青い抱擁衝動)・・・(2004-09-25の記事です)
もんしろちょうが、ひらひら、ひらひら、舞っていた。今朝は霧で、空気がひんやり、しっとりしていた。やがて、太陽が出た。青空が出た。空間はどこまでも続いている。…「日本の九月の気圏です」 見ると、近くのブロッコリーの畑の上を、たくさんの紋白蝶がひらひら、ひらひら9月の太陽を浴びて舞っていた。いつのまにか、9月らしからぬ9月が終わろうとしている。それでも季節感は、稲刈りの終えたたんぼから、かすかに葉の色が薄まった木々の表情から感ぜられる。
九月…。宮沢賢治、「第四梯形」を一部ですが(長いので^^;)引きます。
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青い抱擁衝動や
明るい雨の中のみたされない唇が
きれいに空に溶けてゆく
日本の九月の気圏です
そらは霜の織物をつくり
萱の穂の満潮
(三角山はひかりにかすれ)
そらのグラスのバリカンは
白い雲から降りて来て
早くも七つの森第一梯形の
松と雑木を刈りおとし
野原がうめばちさうや山羊の乳や
沃土の匂で荒れて大へんかなしいとき
汽車の進行ははやくなり
ぬれた赤い崖や何かといっしょに
七つの森第二梯形の
新鮮な地被が刈り払はれ
手帳のやうに青い卓状台地(テーブルランド)は
まひるの夢をくすぼらし
ラテライトのひどい崖から
梯形第三のすざましい羊歯や
こならやさるとりいばらが滑り
(おお第一梯形の紺青の寂寥)
縮れて雲はぎらぎら光り
とんぼは萱の花のように飛んでいる
…以下略…
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…青い抱擁衝動。…みたされない唇。…大へん悲しいとき。…まひるの夢をくすぼらし。…紺青の寂寥。
きれいに空に溶けてゆく
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お盆過ぎから夜中じゅう鳴き続けていた虫たちはその恋の季節が終わりつつあるのだろうか? なんだか、前より盛りがすぎたのか? 静かになってきたように感じる。めぐる生命の営み…もう少し稲穂が≪実るほど頭を垂れて≫きたら、また、すずめたちが≪かまびすしく≫鳴くのだろう・・・そうしたら、また、紅葉の便りが聞かれるようになるのだろう。
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はい、今年の記事に戻ってきました(笑)…2006-09-01です。
今年の記事に昨年の記事が入り、その昨年の記事には一昨年の記事が引用されていて、九月を巡り、時間の三層構造ですね…なんか自分でもちょっと混乱しそう(笑) AがBに内包され、さらにBはCに内包されている…1年の巡り、2年の巡り、時の巡り…。
で、B(昨年)の記事に【≪青い抱擁衝動≫…この賢治の詩句を知ったのは幾つ位のときだっただろう・・・】とありまして、ぼかした感じになっておりますが、このC(今年)の記事では思い出してみます。≪青い抱擁衝動≫この詩句に出会ったのは高校の2年か3年の頃、まだ抱擁ということの実体験といいますか、そういったことを知らないころでしたが…言葉の体験…つまり意識・認識の体験としては、心に響くものだったのでしょう…だから、心に刻まれたのだと思います。
さらに来年の九月、もしもブログが続いていたら…Cである今年の記事は来年の記事になるであろうDに内包されるのだろうか?・・・乞御期待(笑)ですね?(^^)