起業家精神、谷治 肇のオフィシャルブログ

独立自尊の精神|起業ができれば人生はおもしろい

日蓮正宗法華講・法道院一信徒として私の信仰② 蘇生と変革について、(社会経済の変革は個人の変革から)

2017年02月25日 17時38分03秒 | 人生の羅針盤アーカイブ・法華経の実践と実証

私の信仰② 蘇生と変革について、(社会経済の変革は個人の変革から)

信仰とは自らを改革すること

6日日曜の広・唱会にて
日蓮正宗法道院主管である八木日照御能化より、故)尾林御能化のご講演を引用され
妙とは、蘇生の儀であること。

向上心と個人(人間としての一人)の変革そして各活動分野での地域社会での
変革が大切だとご指導された。

他力本願、牡丹餅の信仰はしない。

この信仰をすれば

お金が入っるとか、職や仕事にありつける成功する、衣食住に困らないなど

あえて言うなら、そのような次元の


単なる目先のご利益信仰のような物乞い信仰であるならば、

社会的にも家庭もしっかりしている人は、そのような他力本願な信仰はしない。

なぜならば、そのようなひとは
自らの努力で社会的な地位やお金を築くことができるから。

ですのでこの信仰をすれば、お金に困らないとかいい職に就けるとか言っても

そのようなことには失笑されされてしまうでしょう。すでに悩んでいる次元が違うから。

祈って棚から牡丹餅の信仰は、そのようなひと(自ら向上心のある)
から、もっとも蔑まれ嫌う発想だと思うのです。

本来の信仰(少なくとも私にとっての)とは「志」の源

世のため人のために尽くせるために自らを磨くことが

向上心の最たるものでると青年期に教えられましたが、

当時は、
その理想と現実にのはざまでいつも葛藤していたました。

されど、そのことを真剣に悩み、それをばねにして努力してきたからこそ
今日の自分があると、ありがたく感謝しております。

いまの社会を観ても
やれ政治が悪い、社会が悪い、会社が悪いなど
自らのことを省みず、愚痴はがりが目立つ。
たしかにその通りかもしれませんが、そんな言ったとしても
自らにとっても負(マイナス)にしかならない。

集団・組織していは国は、個々の集まり、
個々人の変革なくして、属する集団していは社会の変革もない。
そのため(自らを改革していくため)信仰が必要だと
改めて考えさせられる。

私の信仰①

http://blog.goo.ne.jp/ucf6601/e/87c9eeeacef63b447511c319515f6784

深々と静かに、そして滔々と
(つねに深々と謙虚に内なる自分を見つめ、なにごとにも動ずることなく、静かに
そして水の流れるごとく、滔々と弛むことなく精進する。)

 ※日蓮正宗法華講・法道院所属の一信徒(創価学会ではありません)

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿