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「B級ご当地グルメ」でやってはいけないこと?

2011年12月05日 19時25分43秒 | 日記・政治
B-1グランプリ
 
 
2011年11月30日 日経ビジネス
 
兵庫県姫路市で11月12、13日に行われた第6回「B級ご当地グルメの祭典 B-1グランプリ」。北は北海道、南は宮崎県から63団体が参加し、2日間で過去最高となる51万5000人を集めた。
 この大会で決定したトップ10のメニュー。実はある共通点があることをご存じだろうか。まずは選ばれた10団体をおさらいしたい。
 
1位に輝いた「ひるぜん焼そば」は、岡山県と鳥取県の県境にある蒜山高原で50年来親しまれているメニューだ。具材には豚肉ではなく鶏肉、しかも卵を産み終えた廃鶏を使うのが元祖の味で、コリコリとした食感を楽しめる。タレは玉ねぎやリンゴ、みそなどを加えたジンギスカンベースで麺によく絡む。提供店は蒜山高原でも10店と少なく、街おこしの取り組みを始めたのもわずか2年前という新顔だったが、B-1参加2年目での優勝となった。
 
10位以内でもう一つ特筆すべきは、やはり4位の「なみえ焼そば」だろう。福島県浪江町で50年以上前から親しまれてきた極太の焼きそば。具材は豚肉ともやしだけ、と非常にシンプルだ。
 残念ながら原発事故の影響で、今は浪江で食べることはできなくなってしまったが、震災前の提供店は17店舗。以前浪江のショッピングセンターを訪れたときにはフードコートにもメニューがあり、スーパーにも普通に極太麺が置かれていて、驚いたことを覚えている。今回の入賞は感慨もひとしおだろう。
 
B級ご当地グルメは2種類ある
 
 前置きが長くなってしまったが、姫路でベスト10入りしたメニューの共通点とは何か。それは「10種類すべてが、昔から地元で愛されてきたメニューである」という点だ。
 
 「ご当地」なんだから当たり前だろう、と思うのは早計だ。B級ご当地グルメは、実は2種類ある。
 一つは前述したような、昔から食べられてきたものを街おこしのために活用した「発掘型」。もう一つが、街おこしを狙ってここ数年で新たに考案された「開発型」だ。今回姫路に出展した63団体のうち、開発型が20団体近くも参加している。第1回から出展している北海道富良野市の「富良野オムカレー」や、第2回から参加の岐阜県郡上市「奥美濃カレー」がその代表例。今年は開発型の入賞はなかったが、昨年の厚木大会では静岡県三島市「みしまコロッケ」が9位、北海道北見市の「オホーツク北見塩やきそば」が10位に入るなど健闘している団体もある。
 
 B-1グランプリの知名度が高まるにつれて、この開発型メニューが急増している。住民からアイデアを募ってレシピコンテストを行ったり、コンサルタントや有名料理人に考案してもらったり、あるいは地元特産の食材を使ったメニューを考えたりと、その手法は実に様々だ。「目指せB-1」を旗印に、日々新メニューが考案されている。
 
 しかしながら、この「開発型」の乱立に警鐘を鳴らす人がいる。B-1グランプリを主催する、B級ご当地グルメでまちおこし団体連絡協議会(通称愛Bリーグ)、専務理事兼事務局長の俵慎一氏だ。
 
俵氏は「開発型自体を否定するわけではない」と前置きしながらも、「街おこしの素材として、開発型メニューは非常に難易度が高い。開発型の平均寿命は3年」と言い切る。
 
「開発型」にカレーが多いワケ
 
 街おこしをするに当たって、開発型と発掘型はどう異なるのか。“初速”が有利なのは開発型だ。発掘型の場合は、その地元で昔から当たり前のように食べられているものなので、「そんなもので人を呼べるのか」と理解を得るのが難しい。その点開発型は、「新メニュー開発」と打ち出せば、物珍しさから地元メディアが飛びつく上に、行政などから開発の補助金や予算が付くことも多い。提供する飲食店を訪れる客も増えるだろう。
 
 発掘型は地元の特産品を生かしたものに限られないが、開発型はゼロから考えるため、「地産地消を兼ねられる」という点でも最初の賛同を得られやすい。開発型メニューにはカレーが多いが、これは野菜などの特産物を具材として入れやすいのが主な理由だ。
 
 状況が変わるのは2年目以降。開発型は「メディアの露出は激減し、売り上げが大きく落ち込む。また創作料理が多いので飽きられやすい」と俵氏は語る。3年目になると、多くの場合はさらに売れなくなり、飲食店のメニューからは消滅。補助金や予算も3年単位であることが多い。これが「開発型平均寿命3年説」の根拠である。
 
 俵氏は「街おこしに必要なのは、地域住民のムーブメント」と指摘する。直接受益者である飲食店の人間以外に、街を盛り上げるため自ら犠牲を厭わず、楽しみながら街おこしに尽力する住民の存在が欠かせないという。ところが開発型の場合は主に飲食店が音頭を取ることが多く、住民も昔から愛着を持って食べてきたメニューではないため、このムーブメントを起こすのが難しい。コンサルタントや有名料理人が作ったメニューを渡され、「後は皆さんでお願いします」といわれても、この先5年、10年と苦労しなければならないのは地域住民だ。俵氏は「開発型は、時として携わる人を不幸にしてしまう」と指摘する。
 
 一方、発掘型の場合は立ち上がりの予算もつかず、地元のメディアからは“当たり前のメニュー”と見られて取り上げられにくい。ただいったんムーブメントという火がついてしまえば、「自分の愛するメニューのため、ひいては自分の住む街のため」と住民の賛同を得られやすい。今やB級ご当地グルメの代名詞となった静岡県の「富士宮やきそば」や、昨年優勝した「甲府鳥もつ煮」、なみえ焼そばなどの活動の中心となっているのは、飲食店以外の人たちだ。万が一、発掘型で街おこしがうまくいかなかったとしても、もともとあったメニューなので消滅することはない。予算が最初からないため、傷が浅くて済むというメリットもある。
 
かように開発型メニューで街おこしを続けることは難しい。ただ数こそ少ないが成功しつつある事例もある。
 
「はい、これからご当地グルメにしてください」
 
 その一つが、静岡県富士市吉原地区の「つけナポリタン」だ。名前からしていかにも開発型で、一言で表すと「トマトつけ麺」。パスタに使われる小麦と中強力粉をブレンドした麺を茹でてから油で炒め、地元の桜えびを和える。それをトマトベースの濃厚スープに浸して食べるもの。非常に手の込んだ逸品だ。
 
 つけナポリタンのきっかけは、2008年のテレビ番組の持ち込み企画。東京の有名ラーメン店の店主2人がそれぞれメニューを考案し、勝った方がご当地グルメになるというものだった。「いきなり持ち込まれて、『はい、これからご当地メニューにしてください』と言われ、本当に驚いた」と当時の関係者は話す。
 
 ここまでは失敗する典型例だが、ここから地元の人が奮起する。衣料品店を経営する小川和孝氏が音頭を取り、地元の料理教室を開いたり、子どもたちを集めて応援団を編成したり、応援ソングを作ったりと、地域メニューへの定着のために奔走した。その結果、提供店は徐々に増え、現在は40店舗以上がメニューを提供。地元客や近隣の街の人もこのメニュー目当てで提供店を訪れ、確実に地元のメニューとして根付きつつある。“鬼門”の3年目である今年、姫路大会にも初めて参加し、好評を博した。
 
「成功しているところは、『食を売る』ではなく『街を売る』という街おこしの本質を理解した上で、かつ飲食店以外の人たちが積極的に活動しているところに限られる」(俵氏)。ただ、このような開発型の成功事例は非常に稀だ。
 
愛Bリーグでは、失敗しやすい開発型での参加を避けるために、今後は「少なくとも5年以上の街おこしの活動実績」がないと入会できないようにするという。平均寿命が3年の開発型で、5年以上経っているものなら、地域住民にもすでにご当地グルメとして受け入れられている可能性があるためだ。
 
 開発型の担当者からは、「5年? そんなにかかるんですか」と言われるそうだ。そんな時、俵氏は「失礼ですが、街おこしをどのくらいの期間取り組むつもりなんですか」と答えるという。
 
 その通りだろう。富士宮やきそばも街おこしを始めてから10年以上の年月をかけて、今の姿にたどりついた。昔から地元に根付いていた発掘型メニューでさえそうなのだから、突如現れた開発型なら、地元の理解を得られるまでに、途方もない年月がかかるのは想像に難くない。
 
 一消費者としても、開発型より発掘型の方が望ましいと思う。ご当地グルメは、その味だけを楽しむものではない。なぜそのメニューがこの地域だけで生まれ、受け継がれているのか。「牛の内臓を運ぶ街道沿いだったからホルモンが定着した」「ジンギスカンを食べる地域で、それを焼きそばのソースに使ったのが始まり」などのエピソードを聞き、思いを馳せながら食べるのが、その地域の食を楽しむ醍醐味だろう。
 
 一方で開発型メニューであっても、それが心底地元からの理解を得られ、長く続くのであれば、それはそれでありだとも思う。街おこしを目的としたものではなかったが、発掘型ももともとは戦後などに「開発」されたメニューだったはずだ。私個人は開発型に興味はないが、取り組みが住民の不断の努力で50年続いたとすれば、いつしか「開発」というレッテルは取れ、立派な街の名物になっていることだろう。

完勝の先に(下)「大変革のうねり、全国に」

2011年12月05日 19時25分09秒 | 日記・政治
2011.12.1  産経ニュース
  
 大阪府知事、松井一郎(47)が府庁に初登庁した11月29日。就任のあいさつ回りに訪れた松井に対し、府議会各会派は、選挙前には考えられなかった意外な反応をみせた。
 
 ダブル選で自主投票に回った公明は、所属議員全員で、拍手で出迎えた。「ご指導を」と話す松井に、府議団幹部は「大阪を良くするために、こちらも精いっぱいやります」と応えた。
 
 知事選ではライバルの倉田薫(63)、橋下徹(42)が勝った大阪市長選では現職の平松邦夫(63)を支援した自民、民主も態度を軟化させた。自民府議団幹部は「これで政治闘争は終わって、しっかり議論を」と持ちかけ、握手を交わした。民主府議団幹部は「(選挙中に)熱を出して大変だったらしいね」と体調を気遣った。「みんな大人やな」。訪問後、松井はぽつりと語った。
 
 知事選の松井の得票は、横山ノックが再選を果たした平成11年の選挙以来、200万を超えた。知名度の低さや、市長選には出ていない共産推薦候補が出ていたことを考えれば、驚異的な数字だ。他会派の急激な態度軟化の背景には、この巨大な民意があった。
 
 一方、松井はこれまで大阪府議として府政を見つめてきたものの、首長としての手腕は未知数だ。ある府職員は「松井さんは橋下さんの部下だが、奇策を講じるわけではないだろうし対処しやすい」とみている。
 

 

強い不信
 
 大阪維新の会に完勝をもたらしたのは何だったか。一義的には、大変革を唱える橋下維新への大きな期待感があった。同時に、既成政党への強い不信が、維新の得票の呼び水となった。
 
 既成政党側はこれまで、橋下維新の政策に反対は唱えても、明確な対案を示してこなかった。維新が議員提案した教育・職員基本条例案に対し、大阪市議会では、ろくに議論も行わないまま否決した。
 
 今回の市長選では、民主、自民府連とともに、平松市政を批判してきた共産まで平松の自主支援に回った。橋下の言動を「独裁的」と批判した既成政党側に対し、橋下は「大政翼賛会的」と応戦した。
 
 産経新聞が投票日に行った出口調査では、民主、自民支持層の4割前後が橋下、松井に投票していた。有権者が維新の突破力に賛意を寄せ、「反維新」「反独裁」の戦いが失敗に終わったことを裏付けていた。
 
 「政治理念を完全に放棄してしまったことが、有権者に伝わった」。当選後、橋下は冷ややかに語った。
 
ジレンマ
 
 既成政党側は、選挙結果を真摯(しんし)に受け止めている。
 
 「民主、自民が固まってやっている姿を批判され、維新に(票が)行った」。自民大阪市議団幹事長の荒木幹男(64)は、28日の市議団総会後、神妙に語った。大阪都構想については「民意が示された以上、頭から否定ではなく、出されたものはしっかり議論していく」と述べ、議論の行方次第では賛成に転じる可能性も否定しなかった。
 
 公明は、一部市議が選挙中、平松の演説会に姿を見せたり、民主系市議に「平松で動いているから安心して」と耳打ちしたりしたが、党として最後まで目立った動きは見せなかった。平松市政では与党の立場だったが、次期衆院選での党勢回復を最重要課題とする以上、維新との全面対決は避けなければならなかった。「うちは自主投票だったから、今後フリーハンドで臨める」と府本部幹部。府議団幹部は「中立のスタンスは正解だった」と語る。
 
 既成政党は、選挙後の市政、府政でもジレンマを抱える。民意に反する抵抗勢力のままでは、批判を浴びる。かといって、維新への露骨なすり寄りがあれば、ますます信頼を失う。
 
 「維新がなお風をつかんでいるのは間違いない」。大改革のうねりを前に、公明府本部幹部がつぶやいた。「地方から改革の波を起こすというこの流れは、全国に飛び火する可能性を持っている」

完勝の先に(中)完全崩壊、中之島一家?

2011年12月05日 19時24分40秒 | 日記・政治
2011.11.30  産経ニュース
  
日本の公務員は選挙の民意を軽く見ている。(選挙の)リスクを取っている方が決定権を持つのは当たり前。嫌なら、辞職するなり、身分を失うリスクを負った上で反対すべきだ」
 
 29日午前、大阪府庁。次期大阪市長、橋下徹(42)は、後任の知事となった松井一郎(47)との引き継ぎを終えた後、報道陣に語った。
 
 前日の報道番組。大阪ダブル選のニュースの中で、市役所に出勤してきた市職員が、選挙結果の感想を尋ねるインタビューに「僕の考えている民意とは違う」と答えていた。橋下には、それが我慢ならなかった。
 「政治に踏み込みすぎる職員がたくさんいる」。橋下は、27日の当選直後の記者会見でも怒りをにじませ、「民意を無視する職員は市役所から去ってもらう」とまで語っていた。

 

 
三位一体
 
 「中之島一家」。大阪市内部では長年、市役所の所在地にちなんでそう表現される強固な体制があった。市当局、市議会の与党会派、職員労働組合が三位一体となって市長を支える構造。それぞれが入るフロアにちなんで「5階」「8階」「B1(地下1階)」と階数で呼ばれ、職員が調整などに駆け回った。
 
平成16年に発覚した職員厚遇問題を経て労組の発言力は衰え、今春の大阪市議選で橋下率いる「大阪維新の会」が最大会派となったことで議会の構図も変わったが、市当局と民主、自民、公明各党の市議団とのつながりは引き継がれた。なれ合いに見える関係だが、市幹部の1人は「強い結びつきがあるからこそ、個々の政策課題についてより深い議論ができるという利点もあった」と話す。
 
大阪市長は、今回橋下に敗れた現職の平松邦夫(63)の前までずっと助役(現在の副市長)出身者が続き、職員のOB団体や市長与党の政党などが歴代選挙を支えてきた。
 
 平松が初当選した4年前の市長選で、自公は対立候補を推したが、関係を修復。今回の選挙で、民主、自民
両党の府連と職員OB団体は平松を支えた。
 
 平松陣営は、前回市長選ではイメージカラーとして、平松の好きな青を選んだが、今回はオレンジに変えた。オレンジは、歴代市長の選挙で使われた「現職カラー」。平松の選挙には「中之島一家」の残像が浮かんでいた。

 

 
戦々恐々
 
 「区長の位置づけを早急に変えたい」。橋下は、29日に開かれた維新市議団の総会で、さっそく組織改編を打ち出した。
 
現在の区長は大半が部長級で、その上に局長級の幹部がいる。橋下はこの現状を踏まえ「区長を市長に次ぐ位置づけとしたい。現行法の中で、できる限り決定権、予算編成権を持ってもらう」と宣言した。区長を選挙で選び、大きな権限と予算を持たせる大阪都構想のテストケースのような形態になるが、市内部には「指揮系統の混乱を生まないか」という憂慮もある。
 
 激しい選挙が終わり、市役所内には今、重い空気が漂っている。「市役所をぶっ壊す」と公言してきた橋下がふるう大なたに、職員は戦々恐々としている。「静かな雰囲気。嵐の前の静けさというか…」。幹部職員が声をひそめる。
 
 約4年前、橋下が府知事に就任したときも反発があった。朝礼で面と向かって「知事はきれいごとばかり言っている」と言い放つ若手職員もいた。だが、当時の橋下が行政経験ゼロだったのに対し、今は首長として経験を積んだ姿がある。
 
 大変革を余儀なく迫られる大阪市役所。ある職員OBは、後輩たちの不安をおもんぱかりながらも言い切る。「選挙で示された市民の声は、冷静、厳粛に受け入れなければならない。中之島一家は、完全に崩壊した」
 
=敬称略

完勝の先に(上)既成政党「最後通牒」に震撼?

2011年12月05日 19時22分51秒 | 日記・政治
2011.11.30  産経ニュース
  
「既成政党の国会議員がやってくれないなら、大阪維新の会で立てる。近畿一円で考えている」
 
 大阪ダブル選の大勢判明直後の27日夜、新知事の松井一郎(47)とともに記者会見した維新代表の新大阪市長、橋下徹(42)は、選挙戦でしわがれた声ながら、強い口調で言い放った。

 

橋下氏「すぐ東京へ」
 
 法整備が必要な大阪都構想の実現に向け、まずは協力を要請する。それでも賛意を得られなかった場合は、次期衆院選に維新から候補者を立てる-。府連レベルでライバル候補を支援した民主、自民など既成政党に対する明確な「最後通牒(つうちょう)」だった。
 
 会見直後、橋下は控室で待っていた府議会議長、浅田均に興奮気味に話した。「松井さんと3人で東京へ行きましょう。すぐに行かないと」。相手方の衝撃が大きいうちに上京し、各党本部の幹部に会おうという提案。浅田は一気呵成(かせい)型の橋下らしい戦略と行動力に感服した。
 
選挙での圧勝と、脅しとも取れる橋下の言葉の効果はてきめんだった。
 
「大阪都構想の考え方が自民党と同じなら、寛容の心で受け入れ、大阪を発展させるのが府民、市民の幸せにつながる」。28日夜、大阪市内で開かれた同党府連会長の衆院議員、竹本直一の政治資金パーティー。来賓としてあいさつした同党幹事長の石原伸晃は、さっそく協力を示唆した。竹本も「すぐにでも橋下さんと話をしたい」と続いた。
 
 石原は選挙前、都構想に一定の理解を示し、維新と戦う府議や大阪市議の反感を買っていた。その上でのこの日の発言だった。
 
 政権与党の官房長官、藤村修も28日、「大阪の中でしっかりした協議が必要だ。その後に要請があれば受ける」と述べ、都構想をめぐって橋下との協議に応じる考えを示した。
 既成政党側のすり寄りとも取れる維新への秋波。橋下は、選挙結果が与える影響を熟知していた。

 

敵対避ける国会議員
 
 「完敗だ。ダメージが大きい」。自民の大阪府選出国会議員の側近が嘆息する。「国会議員を近畿一円に立てる」という橋下の言葉を「明白な脅しだ」と感じつつ、打つ手ない状況にうなだれた。
 
前回の府知事選では、自民は公明とともに橋下を推した。にもかかわらず、敵対関係へと転じた。
 
 自民の府議らには、飼い犬に手をかまれたような思いが強かった。府連内部では「政治家・橋下徹を誕生させた責任がある」との声もあり、今回の選挙で主戦論を容認した。
 
 だが、次期衆院選で維新との敵対を避けたい国会議員は及び腰だった。支援候補の選挙に、実務の中心となる秘書を派遣しない議員も多かった。
 
 一枚岩になれなかった果てに惨敗を喫した自民府連。関係者は「橋下許さん、松井嫌いという感情論で選挙をしたのが間違っていた」と自嘲気味に話す。

 

「根こそぎやられる」
 
 ダブル選を受け、維新は次期衆院選の台風の目となった。首相の野田佳彦が来年の通常国会で成立を目指す消費税増税関連法案の行方次第では、来年にも衆院解散になる可能性がささやかれる。各党の中央にとり、維新との協調、取り込みは、だからこそ切実な問題となり、党幹部らの素早い反応として表れる。
 
地元の既成政党関係者の悩みも深刻だ。「維新と一緒になるには厳しい覚悟がいる。徹底的に戦うなら勝てる体制を整えなければいけない。中途半端に今までの経験則で戦ったら、根こそぎやられる」
 今回は自主投票に回った公明の府議団幹部がジレンマをみせる。「次のステージでは、国政選挙をにらんでどうするのか、それぞれの党派が腹をくくらなければならない」
(敬称略)

 

 
 
 維新の完勝に終わった大阪ダブル選が周囲に与える影響を見つめる。

永田町の政治は古過ぎる 動かぬ小沢に失望落胆する声?

2011年12月05日 19時22分08秒 | 日記・政治
2011年12月1日 ゲンダイネット
 
 
民主党政権がこれ以上続いたら国民生活はメチャメチャになる?
 
 
 小沢一郎は、なぜ野田政権打倒に立ち上がらないのか――。大阪ダブル選挙に圧勝した「橋下・大阪維新の会」がチヤホヤされる状況を見れば見るほど、その疑問に行き着くのである。
 
 
 永田町の既成政党の政治家たちは、いま自分らが置かれた立場を全く分かっていない。「日本の政治には独裁が必要」と言い切る危険な“ハシズム”が簡単に世論に受け入れられるのはなぜか。一地方選挙がこれほど注目されたのはなぜか。裏を返せば、中央政界に対する選挙民の怒りと絶望の表れだ。民主、自民、公明の時代はとっくに終わっている。それなのに、永田町はいまだ既得権益の山分けにウツツを抜かし、議席を減らして身を削ることもなく、政党助成金にアグラをかく。ムダの削減や天下り禁止もせず、増税でなんとか折り合いをつけようという、いつもながらの政治を漫然と続けているのである。それに選挙民は絶望し、見放しているのだが、それにさえ気がつかない。笑えない喜劇だ。
 
 政治ジャーナリストの野上忠興氏がこう言う。
 
「40年近く政治家を見ていますが、長く政治家をやればやるほどシガラミが芋づる式につながっている。改革の意識はあっても、ヘタに触ると全部変えなくてはいけなくなるから、結局、何もやれないし、やらないのです。例えば民主党なら、次の選挙のことを考えたら、自治労や連合との関係は絶対に壊せない。議員の身分でいれば、2000万円の議員報酬にJRパスなどオイシイ待遇もたくさんある。とにかく既得権益を離したくない。そんな政治家ばかりなのです」
 
 
大阪以上の大改革が求められているのに、永田町の政治は、あまりに古過ぎる。

<橋下ブームなんて不要だった>

 ボケ状態に陥った中央政治だから、目先の難題解決が何も進まない。震災復興と原発対策はズルズル先送りだし、野田政権はこれから4次補正を組むとバカなことを言っている。1~3次補正で18兆円使って、何をモタモタやっているのか。世界金融危機、円高、デフレ不況、財政逼迫、年金破綻と次々と押し寄せる危機にお手上げで、霞が関に全部丸投げ。官僚主導だった自民党政治に逆戻りのテイタラクである。
 
 なぜこんなヒドイことになってしまったのか。政権交代のあの時、小沢一郎を首相にしておかなかったからだ。小沢だったら、少なくとも霞が関に操られた自民党的政治をブチ壊し、予算の組み替えだってして、景気と成長を最優先させたはずだ。「自公と協議して」なんて悠長な延命策を嫌い、政治家と官僚を緊張させる改革に突き進んだはずである。
 
「小沢さんは当時、『改革に慎重な日本国民が“清水の舞台”から飛び降りる気持ちで政権交代をした』と言っていました。国民の期待を理解していたのです。小沢さんが最もこだわっていた地域主権や政治主導は、霞が関のムダを省き、日本の政治の仕組みを根底から見直すものでした。橋下さんの大阪都構想による地方改革や公務員制度改革、ムダ排除という主張は、政権交代前の小沢民主党の主張と重なります。つまり、小沢さんが首相になっていたら、橋下さんが注目される状況もなかったと思えるのです」(政治ジャーナリスト・鈴木哲夫氏)
 
 この国を変えられるリーダーに政治を託すしかない場面なのだ。

<野田政治批判をするだけなら単なる傍観者>

 それだけに、小沢の出番なのである。いま永田町を見渡して、小沢を上回る馬力と見識をもった政治家はいない。手勢の数だって人脈だって一番。立ち上がれば政治の流れは確実に変わるのだ。
 
 小沢が、野田民主党に文句がないのなら、動かないのも仕方ない。しかし、現実は逆だ。先日も「消費税増税は、国民に通用しない。賛成できない」と野田内閣の政策に反対し、対米従属についても、「米国で言うことと国内で言うことを使い分けている。米国はこういう使い分けをものすごく怒るんです」と野田のズルさを批判し、TPPや普天間問題の政府対応にもケチョンケチョンだった。ならば、行動を起こすときだろう。そうでないと、単なる傍観者、評論家になってしまう。
 
「いま閉塞状態の政治に求められるのは“突破力”。それで大阪の橋下新市長は支持を集めた。与野党を見回しても、この突破力があるのは小沢だけです。それなのに動かない。裁判を抱えているから動けない。そこが国民は歯がゆい。このままでは国民は政治に関心を失うばかりですよ」と野上忠興氏(前出)は言った。その通りだ。

<中央突破しか復活の目はない>

 野田は、国民が永田町政治に何の関心も示さなくなったのをもっけの幸いと、景気・雇用対策はほったらかし。復興増税を押し付け、消費税増税まで勝手にどんどん進めている。それがまた不況を悪化させているのだ。財務省に操られるままに動いていれば安泰だと、完全に国民生活無視だが、それが民主党の目指した政治なのか。小沢がこだわってきた「国民の生活が第一」の公約はことごとく破棄されたのに、それでも小沢は傍観者でいるのか。
 
 元外交官の天木直人氏はこう語った。
 
「この国を変えられるのは小沢さんしかいないと、期待した時期もありました。しかし、民主党は絶対に担ごうとしない。逆に寄ってたかって潰しにかかる。それで民主党に愛想が尽きたのですが、小沢さんも小沢さんで動かない。そこが情けないのです。党分裂でも新党でも何でもいい。どうして中央突破しないのか。もう民主党政治が絶望的なことはだれもが分かっているのだから、党内から壊してつくり変えるしかないのです。それをしないのなら、“剛腕小沢”は終わったということですよ」
 
 消費税増税やTPPを推進する勢力は、小沢を抹殺してきた勢力と重なる。裁判を抱えた小沢は復活のタイミングを見計らっているのかもしれないが、連中はだからこそ、国家ぐるみで復活のタイミングなどつくらせない。永久に復活の日はない。それなら政治謀略の「政治とカネ」の話など無視して蹴飛ばして、一方的に行動を起こすしかないのだ。
 
 このままだと既成政党の無気力と堕落の中で国民生活はメチャクチャになっていく。それだけは間違いない。やがて「もう小沢が復活しようとしまいと、どうでもいい」というあきらめの声が蔓延したら、この国は一巻の終わりだ。