母の存在と対等だとは言いません。
むしろ手の届かない存在のようにも思えます。
これは私が男だからなのか、母を一人の作家として見ています。
私は美術高校や芸大、美大を目指す子たちに最近になって指導し始めました。
彼らに対して、「物を作る者は敵だとかライバルだとかいうものは無く、自分の山を築いて行く事が大切です。受験という特殊な所では時として人と戦わなくてはならないのですが、その後は自分自身との戦いであって、それぞれの山を築きなさい。山は高い物懐の広い物それぞれ個性を持っています。自分とはっきりと分かる山を築いていって下さい。」と訴えています。
今の自分はどうなのでしょうか?彼らに訴えている事をそのまま遂行しているのか自分でも分からなくなる事が有ります。
母と私は親子であって作家同士でも有ります。
これまで自分の親が作家である事で悩み苦しむなどと言う事を考えた事もなかったのですが、心の奥底の何処かにライバル心を抱いているのかもしれないと思うことすら有るのです。
何故こんな風に思うようになってしまったのか、自分の料簡の狭さに悲しくなります。
しかし私は、今は亡き母の作品を手元に抱えながら一生背負って行かなくてはなりません。私がこの道を選んで歩いて来たからこそ起こる苦しみなのです。
むしろ手の届かない存在のようにも思えます。
これは私が男だからなのか、母を一人の作家として見ています。
私は美術高校や芸大、美大を目指す子たちに最近になって指導し始めました。
彼らに対して、「物を作る者は敵だとかライバルだとかいうものは無く、自分の山を築いて行く事が大切です。受験という特殊な所では時として人と戦わなくてはならないのですが、その後は自分自身との戦いであって、それぞれの山を築きなさい。山は高い物懐の広い物それぞれ個性を持っています。自分とはっきりと分かる山を築いていって下さい。」と訴えています。
今の自分はどうなのでしょうか?彼らに訴えている事をそのまま遂行しているのか自分でも分からなくなる事が有ります。
母と私は親子であって作家同士でも有ります。
これまで自分の親が作家である事で悩み苦しむなどと言う事を考えた事もなかったのですが、心の奥底の何処かにライバル心を抱いているのかもしれないと思うことすら有るのです。
何故こんな風に思うようになってしまったのか、自分の料簡の狭さに悲しくなります。
しかし私は、今は亡き母の作品を手元に抱えながら一生背負って行かなくてはなりません。私がこの道を選んで歩いて来たからこそ起こる苦しみなのです。
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