親を作家に持つ作家にとってその存在価値のあり方が時としてとても重く感じる事が有ります。
私がこの道に入るきっかけはやはり私を取り巻く環境に有った事は否めないと思うのですが、作家であった親を遥か遠くに感じていた時は、その存在がこの世から無くなった時、作家としてもっと絵を描き続けていたかっただろうとか、もっとこの世の中に名前をしっかりと刻みたかっただろうとか思ったもので、自分自身もこの存在を世の中に知らしめたいと思ったものです。
しかし、自分一人でこの世界で歩んで行こうと志した時から、親が作家で有った事に頼って行く事に懸念を覚えるようになりました。
私が初個展をしてから20年にもなりますと、遥か遠くに有った作家で有った親の存在に段々と近づいてこれたのではないだろうかと思えるようになったのです。
先日もミュー自然美術館で母の絵を2点だけ発表させて頂きましたが、こういった事から又母の個展をここでしてもらったらどうだろうか?とかそれ以外にも母の作品の企画展をしたいだとかと話が持ち上がって来ます。
私自身も一人の作家として立って歩いて来ています。
このまま母の作品と一緒に歩いて行ってもいいのだろうか?
周りの人たちにはそうは写らないのかもしれませんが、僕の中でその存在自体が最近になって特に大きく立ちふさがります。
自分が必死になって生きて行くのに精いっぱいで、これから母の企画展をする気にはとてもなれません。
もし今も母が生きていたとしたら「私の事はいいから、自分のことを精いっぱいしなさい。」そう言ってくれるような気がします。
そしてもし私自身も自分の子供が同じような道を歩み、同じようなことが起こったとしましたら、同じ事を言うような気がします。
作家は常に自分自身で生きて行く力を付けて行かなくてはなりません。
暫くは母の作品の発表は控えようと思います。
私がこの道に入るきっかけはやはり私を取り巻く環境に有った事は否めないと思うのですが、作家であった親を遥か遠くに感じていた時は、その存在がこの世から無くなった時、作家としてもっと絵を描き続けていたかっただろうとか、もっとこの世の中に名前をしっかりと刻みたかっただろうとか思ったもので、自分自身もこの存在を世の中に知らしめたいと思ったものです。
しかし、自分一人でこの世界で歩んで行こうと志した時から、親が作家で有った事に頼って行く事に懸念を覚えるようになりました。
私が初個展をしてから20年にもなりますと、遥か遠くに有った作家で有った親の存在に段々と近づいてこれたのではないだろうかと思えるようになったのです。
先日もミュー自然美術館で母の絵を2点だけ発表させて頂きましたが、こういった事から又母の個展をここでしてもらったらどうだろうか?とかそれ以外にも母の作品の企画展をしたいだとかと話が持ち上がって来ます。
私自身も一人の作家として立って歩いて来ています。
このまま母の作品と一緒に歩いて行ってもいいのだろうか?
周りの人たちにはそうは写らないのかもしれませんが、僕の中でその存在自体が最近になって特に大きく立ちふさがります。
自分が必死になって生きて行くのに精いっぱいで、これから母の企画展をする気にはとてもなれません。
もし今も母が生きていたとしたら「私の事はいいから、自分のことを精いっぱいしなさい。」そう言ってくれるような気がします。
そしてもし私自身も自分の子供が同じような道を歩み、同じようなことが起こったとしましたら、同じ事を言うような気がします。
作家は常に自分自身で生きて行く力を付けて行かなくてはなりません。
暫くは母の作品の発表は控えようと思います。
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