尾崎 慎 の 彫刻ライフ

石彫刻家尾崎慎の作品の紹介や、展覧会情報、これまでに起こってきたエピソードや日記など様々な事を綴って行きます。

スウェーデン滞在記  その3

2009-08-22 10:32:05 | 彫刻家の書く小説(スウェーデン滞在記)
楢葉氏は18年前この工場近くで行われた石彫シンポジウムに参加して、それ以来スウェーデンの魅力に取り付かれ、そのまま移住してしまったようだ。
当時氏は日本人の奥さんと娘さん二人を連れ移住したようだが、娘さん一人をこちらで交通事故で亡くし、とても辛い日々を送っていらしたようだったのだが、その後その奥様とは離婚し、現在はオランダ人の奥さんと暮している。自分でも「これが本当のダッチワイフだよ。」と言っていた。これは奥さんもおどけながら口を揃えて言っていた。
奥さんの名前はウイルミン。この家族の中に入って生活するわけだが、日常の会話は英語で過すのだが、氏との会話は勿論日本語でやり取りする。となりにウイルミンがいようものなら、とたんに「貴方達は英語を使わなくてはだめでしょ。」としょっちゅう叱られていた。
楢葉氏はウイルミンの故郷のオランダに小さなアパートを持ち、フランスのブルターニュにも家を持っている。
どの家も田舎の家を買ったようで、日本円にして500万円程で手に入れたそうだ。
これを聞くと自分にも可能な金額だと頭を過ぎる事も有ったし、実際小さな家ならオズビーの駅近くで300万円程で売りに出ていた。
いっその事このままスウェーデンに移住してしまうのもいいのかもしれないと思うことすら有った。
スウェーデンでは国全体の人口も少ないし、住むとなるとその時点で税金を納める事になり、受け入れる側は大歓迎らしい。
その代わり税金はとても高いが、将来の保証は万全である。
将来が保証されている代わりに面白い現象も起きる。日本では普通の会社員が定年退職をするのだが、ここではアーティストまで60才を境にリタイアする人がいると聞いた。私が滞在期間中にも実際スウェーデンでもとても有名な彫刻家が居たのだが、60才になってリタイヤした作家がいた。
われわれ日本人にはとても考えられない事である。
お国柄と言えばそんなものなのかもしれないが、小さい頃から芸術家は40、50はハナタレ小僧と聴かされて来た私にとっては、かなりのカルチャーショックだった事は確かである。

滞在期間中ウイルミンの故郷デンボッシュ(確かこんな街の名前だったように記憶しているのだが)に行った事が3回有った。ここはアムステルダムより南に位地して、アムスからでも車で1時間強で着けるとても素敵な街だった。
普段大自然の中で暮している彼等にとって、街に出た時は街の楽しみ方で過す。
オランダはお酒類は豊富だし、食べ物も旨い。しかしドラッグも横行し、アムステルダムに行った時は普通にドラッグを売り歩く人が点々といたり、sexの象徴とも言えるピンクの飾り窓には妖しく胸元や腰をくねらせながら手招きする美女達が立っていた。
ドラッグの常習者はこの街に逃げ込めばまず捕まる事が無い無法地帯とも聞いた。
このドラッグに関しては、近隣の小さな街中に有る公園の中でも普通に常習する輩がいて、公園の片隅には使い古した注射器の破片や注射鈎が落ちていて無暗みに近付かないように言われた。これはエイズ感染の危険性を懸念してらしい。

彼等がこうした街にくる理由は骨休めも有るのだが、営業という重要な仕事も兼ね備えている。
顔見知りの画廊やお客様の家に作品を届けたり、次ぎの展覧会の予定を組んだりで、作家の生の生き方を見る事が出来き自分の活動の為にもいい勉強になった。



                    つづく

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新作 石彫のつどい IN 蛭川 | トップ | 私の常設展示場です »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

彫刻家の書く小説(スウェーデン滞在記)」カテゴリの最新記事