尾崎 慎 の 彫刻ライフ

石彫刻家尾崎慎の作品の紹介や、展覧会情報、これまでに起こってきたエピソードや日記など様々な事を綴って行きます。

スウェーデン滞在記   その6

2009-09-30 00:07:25 | 彫刻家の書く小説(スウェーデン滞在記)
ここに住んでいる日本人達は、年に一回のペースで、「日本人会」たるグループ展を開催しているのだが、楢葉氏はこの中に入っておらず、小山氏や、鈴木氏と日本から彼等の近隣の方達を招いて発表している。
私も当然その中に加えて貰えるものだと思っていたのだが、此処に来てから日が浅い事と、この先どうなるのか分からない私にはお声が掛かる事はなかった。
楢葉氏との一件が有ってから、自分の作品を何所かで発表する機会を失ってしまった私は自分だけが蚊帳の外に居る感覚に陥り、この気持ちを何所に向けたらいいのか分からなくなってしまった。
併しこの居た堪れない気持ちも制作を続ける事によって解消された。
制作は自分の想いや感情、周りからの影響や状況など生活に密接する全ての事をその中に託す事が出来る。制作だけが今の自分の事を助け、癒やしてくれた。

ここの工場には様々なアーティストが出入りしていたのがだ、その中でもアメリカ人ののジェームスはなんとも哀れな感じのする男だった。
彼はもともと夢を抱きこのスウェーデンに若い頃来て作家を目指していた。ところがアーティストとしてやって行けず、この工場に転がり込み仕事を貰っていたらしいのだが、働きが悪く解雇されてしまった。その後行く先が無い彼はこの工場にしがみ付き制作活動を続けている。しかしここもタダで貸してくれる訳では無く毎月賃貸料を払わなくてはならない。彼は生活保護を受け生活しているし、そんなお金は無く工場の終る5時過ぎに徐にやって来ては、制作をしていた。
5時過ぎの工場の休憩室には工員達が残した冷めたコーヒーが何時も残っていて、
piss warm(小便のような温かさ)などと文句を言いながら飲んでいた。こうしたスラング語は彼から教わった。
この時間に来てもたまにここの社長と会ってしまうと「早く家賃を払え!」と何時も怒鳴られていた。こんな事が有っても次の日には懲りずにやってくる。
そんな彼を見ているとなんとも哀れな感じに襲われ今の自分の方がまだましかもしれないとも思えた。



年末になり、夜の時間が長くなり、暗い道を車で走っていると森の中にはポツリポツリと灯りが点っている。クリスマスシーズンには各家が自宅前の木に電照で彩るのだ。今でこそ日本のクリスマスシーズンは煌びやかに家の回りを様々な色の照明で飾るのだが、こちらは電照の色も白熱灯一色で、なんだかとても心温まる心地のいい雰囲気を醸し出す。流石北欧という雰囲気で、夜空を見上げるとサンタがトナカイのソリに乗って走り回っているのではないかと思えるほど、素敵な雰囲気であった。
そんな或る日楢葉氏は、スウェーデンの北から、ノルウェーへの旅に連れて行ってくれた。ハムスタードからイェーテボリそしてオスロに入った。そこからさらに北のラップランドの近くまで行き、サーメア人の操るトナカイのソリに乗ったり、北欧のナイフを買ったり、オスロ美術館のムンクを見たりして、休日を楽しんだ。 
そんな帰り道真っ暗な道に車を走らせて、イェーテボリからハムスタードに差し掛かった時、ウィルミンが急に「あれは何?雲じゃ無いわ!ストップ!ストップ!車を止めてちょうだい!」と騒ぎたてながら夜空を指差した。
車を止め私達は外に飛び出し、その不思議な光景に言葉を失っていた。
扇状に揺らめき奇しく光るその光景は今まで一度も目にした事の無い物だった。
暫らくの沈黙の後「オーロラだわ!そうよあれがオーロラよ!」我を取り戻したウィルミンが興奮してはしゃいだ。
「僕はここに移り住んでから18年経つがこんなのを見たのは初めてだよ。君は本当にラッキーだね。」と楢葉氏が呟いた。
後から聞いたのだが、スウェーデンでもハムスタードのような南に位置するような場所では見られることすら無いそうだが、マイナス18℃を下回る時極稀に見られるそうだ。
この事を工場の人達に言うとスウェーデン人である彼等でさえ一度も見た事が無いと言っていた。「一生に一度もんだよ。」

これは最高のクリスマスプレゼントになった。

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