物を作り続ける事は一般に言ったら、そんなに安易な事では無い。私の場合は石という特別な材質なので、それなりの場所や道具、環境などが揃っていなければならない。勿論お金も必要だ。
環境的には親が同じアーティストだったことで、問題無く入る事が出来たのだが、そこからやり続けるには場所も無ければ、道具も揃えなければならない。
私は大学卒業後、親が病気になった事で地元に帰ってきた。帰って来てから制作する場所もなかったのだが、ここで巡り合わせと言うか、親の絵の額縁を取り扱う方が画廊を開き、その関係上石を扱う作家がアシスタントを探していると言うので、紹介してもらった。これが以前も紹介させて貰った国島征二氏だ。国島氏はアメリカと日本を行ききし、日本では当時岡崎の石屋さんで、仕事を依頼し、ここで作業されていた。
私はそこでアシスタントとして仕事を貰い、ここから岡崎の石屋さん達にお世話になることとなった。これが切っ掛けで自分の作品も作れる環境が出来、道具も揃え、作品も増えて行った。
もし、此方に帰ってきてあのタイミングで国島氏と出会わなかったら今はどんな事になっていたのだろうと思う。
私の場合、就職の「し」の字も無かったし、何らかの形でこの彫刻は続けていただろうとは思うのだが、やはりあのタイミングでというのが不思議な気もする。
さて私が思うに、物を作るのには相当に貪欲で無ければならない。最近のこの粘土のエスキースも何時でま平坦にアイデアが有るわけでは無い。時には粘土を手にしたものの、手の上で捏ねて形が纏まらず、乾いてしまったり、もっと何か面白い形は出来ないものかと自分の作る物に飽きてしまったり。
しかしアイデアは何時湧きあがってくるのか予想が出来ない。
まず、物を作る者は作る事がとことん好きであって、貪欲である事が大前提のようだ。
日記彫 NO,23
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