日々是後悔也 ver.3.60

備忘録代わりのちょっとした旅行記と書き物

蔵出し画像(5

2010-06-15 06:52:18 | Weblog
JAXAの予算、民主になってから削減されてるのご存知ですか?
麻生政権で約束されていたのは17億。民主になっていきなり5000万。仕分けでさらに3000万に削減。
基礎研究からあのはやぶさの快挙になるまでに10年以上の歳月を必要とするのに、なんですかこの仕打ちは。
わたしはこんなことする民主と蓮舫を絶対許さない!!
誰がお前らなんかに大事な1票を渡すかっての。
まあ、1次仕分けのときにほざいた「1位じゃなきゃだめなんですか」発言のときに「ああ、ダメだこいつら」とかは思いましたがね!




さて話は変わって。
実は今回のネタ、何にしようか考えていませんでした。
いつもわたしのブログから検索単語なんかを覗いているのですが、あるときに大学の鉄道研究会の部長さんの書いていらっしゃるブログを拝見したときに衝撃な書き込みが。
ナマで113系を見たことがありません え。。。ほんとですかorz
113といえば首都圏から関西まで東海道にとってはほんとに普通に見れていたのに。。
まあ、考えたら大学生の方は20歳前後。東海ではこの辺りから211や311,313にシフトして行った上に、関西線では113は入れずに165から213になったので見る機会がなかったのも頷けます。

東京ではつい最近まで残っていて昨日さよなら運転をしましたが、東海では211系5000とスイッチさせるため名古屋口の113は静岡へ。
静岡に行った113も既に引退して名古屋から流れてきた211と313ばかりになってしまいました。
今回はそんな過渡期にあった’89~’02ぐらいの名古屋口の画像を見ていきましょう。

TOPは名古屋口ではありませんが、中部天竜で並んだ117と119.
119は飯田線の旧国を駆逐するために昭和57年から101の部品を再利用して作られたのは知ってのとおり。
117は関西の私鉄に対抗して新生されていましたが、東海圏には”東海ライナー”として導入。画像はステッカーですが、先頭車の幕は画像のもの、そのままです。
当初117は4M2Tの6連で快速に使われていましたが、普通には113というのが一般的でした。


昭和61年。JR化をにらんで東海圏にも新しい車両が導入。東京口に入っていた211が名古屋にもお目見え。
”中京ライナー”の快速として使われていましたが、帯の色は湘南色から青20号の2本に変更されていました。
画像は旧駅舎だった頃の岡崎駅。この211系0代車は2編成しか入らず、見かけるのもまれでしたのでいまだに見ると「おぉ」とか思っちゃいます。
211系5000代車が導入されるのと同時期に帯は塗り替えられ、現在では湘南色になるとともに車内はセミクロスシートがロングに変更されています。
5000代車は静岡に行ってしまいましたが、0代車だけはいまだに大垣所属。外見で見分けがつくのはクーラーキセぐらいですねw

 
さて変わって普通運用の113.
’00前後ではインバータークーラーを載せる以前、非冷房の113が大量に存在していましたw 今では考えられないですよねw
この頃画像のように4連と6連がいましたが、6連は分割され先頭車改造をうけて編成が増えました。今の本数が増える基礎となったわけです。
113から211、5000代車へとシフトする途中さすがに非冷房ではまずいと思ったのか、この頃開発されていたインバータークーラーを載せた編成も見受けられました。この流れは全国的に流行っていきます。


インバータークーラーを載せた車両は5000の区分を与えられ、211や313が来るまで東海道を闊歩していたわけですが、その中で強烈な個性を持っていたものもいました。
画像のように大目玉の先頭車は初期車なので早くにいなくなるのですが、予備車としてでしょうか1両だけ5000代車にならずにそのままの車番で使われたものもいました。


画像のは西日本の113ですが米原にて。
西日本のは米原からは撤退し、延命のための”N40"と呼ばれる改造を受け草津線等で使用されています。
東海もちの113-2000台車は元から比較的新しい車両だったので、上に書いたとおり6→3に短編成化されました。
ヘッドマークがついていますけど、調べたら”姫路城トピア博”って”89だったんですねぇ。。


名古屋口で使われていた車両は113のほかに画像のように103もいました。神領所属の編成は7と3.
中央線はかなりラッシュ時に混雑するためずいぶん役に立っていたようです。画像の103は既にインバータークーラーが載せられています。

JR化後、すぐにコーポレートカラーになったので上の画像のような光景が数年見られましたが、老朽化のためにあっさり211に駆逐されてしまいます。
この頃やっぱり興味がなかったせいか、手持ちの画像はこの2枚だけ。もうちょっと撮っておけばよかったですね。。


インバータークーラーを載せてもらえなかった車両は順次浜松に送られ廃車になっていきました。
これらの車両は初期車が大半だったため、画像のような大目玉ばかり。自力回送される前は疎開留置もありました。
名古屋口で生き残ったのはインバーターを載せた編成、元から新しい2000番台に限られ、大目玉は211に駆逐されてしまい見られなくなってしまいました。
過渡期に快速が増えたわけですが、運用の中には113の快速が復活したりしましたが313が増えたことにより、113を駆逐した211-5000すらも名古屋を追われ静岡へと転属していきます。


浜松にて熱海行きになる211-5000.117は最近朝夕のラッシュ時に集中して使われるようになりました。
東海は117の廃車は今のところ1編成もないので正直余っているため、車両の足りなくなるラッシュ時に数あわせで使っているのでしょうが、2扉は乗り降りに使いにくいのは目に見えています。


東海は公式にもアナウンスしましたが、国鉄型は順次切り替えていくつもりのようです。
名古屋口は先駆けて世代交代してしまいましたが、今残っている117,119は既にデビューして30年。
2~6両のさまざまなバリエーションを見せる313に交代させるのは目に見えているので、あまり探さなくても姿を見せている今が記録をするチャンスではないでしょうかね。


























□今日の近郊型
気動車に関しては大量に記録があるのですが、地元で走っていたものは意外に記録がありません。
「いつでも撮れるわ」というのがあだになっています。
1つにまとめると今回のように大量にあるように見えますが、やっぱり少ないです。
211-0代の旧色は上の1枚きり。。なにかのついでに撮ったものばかりですが、きちんと「普段の姿」を記録しておかなければいけないのを痛感します。

113はつい数年前まで普通に名古屋で見れていたんですがねぇ。。
「鉄娘な3姉妹」の中で2女の美唄が「313は個性があって優秀」といっていますが、ゴメン。俺には313の個性がわからんwwwww
まあ、車端ダンパーつきの313-5000の乗り心地は揺れがなくていいんですが、好きにはなれないなぁ。。
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