日吉台地下壕見学の記 ~その2~
~同じように「伝える」ことをテーマにした活動に学ぶ~
~同じように「伝える」ことをテーマにした活動に学ぶ~
2011年6月25日
主催:日吉台地下壕保存の会
慶応大学日吉校舎 にて
主催:日吉台地下壕保存の会
慶応大学日吉校舎 にて

浜松窓口の伝えるネット・メンバーである中王子みのりさんは、視覚障がいと痙性対麻痺という重複障がいがあります。彼女の存在が、伝えるネットの活動の方向性を示唆してくれるので、みのりさんは、私たちにとっての『モモ』における“カシオペア”であります。
地下壕見学会は、懐中電灯必携、歩きやすい靴で、保険までかけるものと聞いて、実は、みのりさんは地下壕見学参加をあきらめておりました。手すりのない30段の急な階段がある、とも聞いたからです。それでも、見学会の雰囲気、建築史的に貴重な日吉キャンパスに行ってみることだけでも、という参加でした。
保存の会のみなさんは、しかし、快くみのりさんを受け入れてくださいました。「せっかく遠方からお見えになったのだから」と、視覚障がいの方の受け入れも、車イスの受け入れも、みのりさんが初めてではない、ということでした。尻込みする杞憂は、不要だったのです。

見学会の始まりは、ファカルティ・ラウンジ前での概要説明からです。
当日の参加者は50名ほど。手前に車イスで参加しているみのりさんの姿が見えます。
中央で、よどみなく、とてもわかりやすく解説してくださったのは、ガイドの石橋星志さん。

地下壕の入り口の急な下り坂。みのりさんの車イスは保存の会の男性を中心に、同じ見学者の方も手を貸してくださって降りていきました。
手すりのない30段の階段より、地下壕入口の方が難所でした。急こう配の上に、足元が濡れていたからです。でも、以降は、悠々と快適に地下壕を進むことができました。それほど、地下壕は広大で、つくりがしっかりしており、暗号解読室だけでなく、本気で司令部を地下壕にひそめようとしていたことが実感されました。


見学会の進行、要所で行われるガイドは、とてもわかりやすく丁寧なものでした。日吉で育ったたという男性のガイドなど、それぞれのガイドを分担されている構成は、無理なく、貴重な体験となりました。

ひんやりとした地下壕で、要所で立ち止まりガイドさんの説明を受けました。
地下壕最後のガイドをされたのは、始まりのとき、ガイドの口火を切った石橋星志さんでした。
そこで石橋さんが語られた言葉です。
「ここで反戦ということを考えられるだけでなく、それぞれが生きていくときに、この見学会が何かのヒントになるように受け止めてもらえるように願っています」
私たちが「水俣」を伝えるときも同じです。
水俣病事件の直接の被害者ではなく、水俣にくらす者ではない私たちだからこそ、どう自分のくらしや生き方に引き受けていくつもりかが、問われるのだと考えています。
もともと、公害・環境問題は、人の生き方を問うものです。
反戦もまた。 そして、原発問題も、また。
ガイドされた内容からすっかりそれなりの年齢の方、と思っていた石橋さんは、明治大学の大学院生でした。めがねを覗き込めば、確かに、目元のやさしげな好青年でありました。
石橋さんは保存の会のガイドだけでなく、靖国神社や登戸研究所など、戦争遺跡のガイドを旺盛になされている方、と知りました。
そしてオドロキ、お住まいもご近所と知りました。そういえば、相模原は元・軍都。このまちにも、戦争遺跡は残っています。コレクティブ・メモリーを築いていくことから始めなければなりません。
8月6日~8日まで、慶応義塾大学日吉キャンパスを会場に「第15回 戦争遺跡保存全国シンポジウム 神奈川県横浜大会」が開催されることになっています。
