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伝えるネットねこレポート

「水俣」を子どもたちに伝えるネットワークのブログ。
首都圏窓口の田嶋いづみ(相模原市在住)が担当してます。

桑原さんの写真展が始まりました

2013-11-06 11:22:34 | 会員レポート
“水俣病事件”と名付けられた写真展




昨日の朝日新聞夕刊のトップ記事で告知されていたように、いつも、私たちに人懐っこい、そして優しい笑顔を向けてくださる桑原さんの写真展が始まりました。

いただいたご案内の、この写真、水俣病事件の時間が詰まっている、といつも思います。
撮影されたのは、50周年の慰霊祭の日。
みなさん、なので、礼服を着ておいでで、お持ちになっているその写真は、ご自身が写っています。

それぞれの50年を1枚に収めたこの写真、わたしたち伝えるネットが持っている写真のなかでもいちばん大きいものです。
ほら、これ。




いつも「不知火海」という文字を見ると、不思議な気持ちになります。

わたしたちは、いつまで水俣病事件を知らないままでいるのだろう。
いつになったら、ほんとうに知って、社会を変えていく力にできるのだろう。

「不知」であることが許されない時代の狭間にあるように思えてなりません。


明日、立教大学社会学部の出前を終えたら、その足で銀座に不知火の海を見に行こうと思っています。


(い)







3.11後、“水俣事件”の通史を知る写真集

2013-09-29 08:45:13 | 会員レポート



昨日の昼下がり、1冊の写真集が届きました。

『桑原史成写真集 水俣事件』(藤原書店・刊、定価3,800円+税)です。
「水俣病」と標題すると、若い人に病気のことと思われてしまう、事件としての水俣病を知ってほしいから「水俣事件」と名づけたとありました。

いちばん初めの写真は、今年4月16日、最高裁で水俣病と認定された溝口チエさんが孫の診療を求めて涙ぐんでいる写真です。
生きていれば113歳を数えようとする2013年、息子さんである秋生さんも80歳を過ぎて、最高裁で水俣病認定をかちとった当日の秋生さんの晴れやかな姿の写真が次につづいています。傍らには、相思社の永野三智さん。
桑原さん自身、「水俣」を撮りつづけた30000枚の写真のなかに、溝口チエさんの在りし日の姿を見つけたとき、「震えた」そうです。

そうです。桑原さんは、水俣事件のこれまで、ずっとの目撃者なのです。
帯には「写真で見る 半世紀を超える ”水俣病”事件の通史!」とありました。
およそ半世紀、「水俣」を撮りつづけた桑原さんの「水俣」最後の写真集ということです。

こんなに分かりやすく水俣事件の通史を、瞬時に違和感なくわからせてくれる本があっただろうか、と思いました。
4月16日の最高裁判決から遡る写真が、その写真の力でそっくりそのまま入ってくるのと、ところどころに挟まれたいろいろな立場の方の小文が、同じように、いま”の感覚から書かれているもの(大上段に論ずるところなく、市民感覚に親しいもの)なので、すんなり理解できるせいだと思います。

9月12日から26日まで相模原で開催された『100人の母たち』写真展。
水俣現地で出会った100人の母たちを、このまちでくらす隣人たちに紹介することになったとき、「水俣、福島、わたしたちのまち」というトーク・セッションを用意しました。
「福島」で起きていることが「水俣」で起きたことに似ている」とは、3.11後、しばしば言われることです。
ですが、その言い方に、違和感を感じないではいられません。
「水俣」を知ろうとしなかったことが「福島」を引き起こしたのだと思うからです。
さらに言い募るなら、「水俣」を知ろうとしなかった責任は、「わたしたちのまち」にあるのではないか。
当然、「福島」への責任も。

3.11以後の、この時期に、「水俣事件の通史」を、写真集のかたちで読む(見る)ことのできる意味に気づかないではいられません。

この本の年表を担当された西村幹男さんは、桑原さんのことを“ノーテンキ”と表現されています。
その言葉に、隻眼の桑原さんが、茶目っ気たっぷりにカメラを抱えている姿を連想します。
“ノーテンキ”な桑原さんは、普通の市民のわたしたちには親しく、近しく感じられるだけでなく、いつもとても優しくしてくださるのです。

「できれば水俣という地を世界の人々が知らないまま過ごす歴史であってほしかった。
 そして一人のカメラマンなども出現しなくてもよかったのである」

国が水俣病を公害認定した1968年9月27日に、そう桑原さんがコメントした、と熊本日日新聞の高峰武さんが、この本のなかで伝えています。

桑原さんらしい言葉、と感じました。
そこに、とても貴い人間性を感じます。
その桑原さんの眼につきしたがって、「水俣事件の通史」を知ることができる、うれしい写真集です。





水俣を感じることは 未来を感じることなのだ

2013-05-13 11:30:33 | 会員レポート
坂本直充さん(元水俣病資料館館長)の書かれた
詩集『光り海』
(藤原書店・税別2800円)に知る「希望」




GWも明けて仕事三昧の日々が戻ってきたころ、1冊の詩集が届きました。
市立水俣病資料館の元館長・坂本直充さんの詩集です。

お名前を見たとき、えっ、と思いました。
偶然、GWの始まりにyoutubeで「これから水俣病の認定申請をする」と語られているご本人の映像を見たところだったからです。(リンクを貼ろうと思ったのですが、どうしてだか、見つけられなくなってしまいました)
「元館長」であった方が、水俣病特措法の救済もとうに締め切られたいま、「これから認定申請をする」と聞いて、去る4月16日に最高裁判決を受けた溝口秋生さんを連想しました。
その溝口さんにいつも娘のように付き添われている永野さんが、「水俣で、裁判しているって、とても大変なことなんです」と言われていたからです。
その決意の重さ、困難さに思いを馳せずには、いられませんでした。

あの坂本さんが詩集を出版された・・・、まず、そう思いました。


いつもいつも「希望」とは、何だろう、と考えています。

水俣病の被害者でなく、水俣にくらしたこともなく、水俣に地縁・血縁ない者である私たちは、「水俣」を伝えに子どもたちに会いにいくとき、なおさらに、自分たちを検証しなければならないと考えています。
よすがとしているのは、原田正純先生の言葉です。

水俣病を伝えるならば、「希望」をこそを伝えたい、と。

逡巡を重ねつつ、子どもたちに「水俣」を伝える活動を重ねてきて、希望とは、いのちそのもののことではないかしら、と感じ始めたことを、今年の年頭の所感として綴らせていただきました。→「いのちの別名、希望」 


『光り海』の巻頭詩。

絶望果てるところ
祈りは生まれる

水俣の深きところ
希望は生まれる

生き抜くところ
希望は生まれる

水俣の道
ここに開く  (「水俣序章」より)


出会おうとしてしていた言葉が、この詩集にはあふれています。
私たちが「水俣」に心を揺さぶられて伝えようと発意した思いを、その活動を重ねるなかでゆっくりと感知してきたかすかな思いを、言葉として刻印してくれている、と思いました。

言葉として刻印することによって、意志となれるよう。

水俣を感じることは
未来を感じることなのだ

哀れみだけを持つな
悲しみだけを持つな

怒りを持って
新しき時代の扉を開け (「満ち潮」より)


「水俣」を伝えに行くとき、私たちは、桑原史成さんの写真とともに子どもたちの前に立ちます。
写真の力をお借りします。
力を借りた水俣の写真を前に、いつも考えます。「この感動は何だろうか」と。
「宝子」と呼ばれた胎児性水俣病の智子さんを抱くお父さんの写真の前にシンと立ち、涙さえあふれそうなこの感動は、いったい、何だろうか、と。

それは、確かに「哀れみ」でも「悲しみ」だけでもないのです。
人間そのものであろうとする存在の確かさのような、見事さ、その感動のように思います。
坂本さんの詩の言葉で、自分たちの心に分け入って、探ってもらった、爽しさをもらいました。

もっとも、直接の地縁・血縁をもたないゆえか、「怒り」はぼんやりしています。
ややもすると加害者がおぼろになってしまうからです。おぼろになるのは、自分たちが加害者に連座しているのを意識するゆえだと、思っています。
だから、自分のいのちそのものを「希望」と呼ぶことにためらいものぞくのです。

坂本さんの同じ「満ち潮」には、こういう1節もあります。

その前に
わたしはわたしであり続ける
あなたもあなたであり続けよう

人間であろうと意志せよ
宇宙へ連なる喚起を目覚めさせよ



ありのままの肯定から、意志の兆しをはらんで、「希望」は始まるのでしょうか。
そんなことを感じた詩篇です。
『光り海』には、懐かしい方たちも顔を出してくださいます。
智子さんのご両親はもちろん、川本輝夫さんや、田上義春さんや、杉本栄子さんや土本典昭さんや。
装丁された杉本栄子さんの写真がとてもいい。
患者ではなく「患者さん」と呼びつづけた、匿名性を廃し、一人ひとりの名前を呼ぶことを択んだ土本さんの意志ある生き方が詩篇からよみがえります。

今度生まれたら
今度はお母さんがお前になろう
そしてお前がお母さんになるんだよ (「永遠の少女」(七)より)


この一節に、涙がこぼれました。
子どもたちに、胎児性水俣病の話を伝えるとき、伝えないではいられない言葉があります。
「この世の中に、自分の病気を子どもに身代わりさせたい母親なんて、いない。子どもの病気の身代わりにはいくらだって、なりたい。だって、いのちがつながっていくって、そういうことだもの」
そんなふうに伝えるとき、子どもたちのいのちそのものが、「希望」だと、しみじみ思います。
だけど、直に「今度はお母さんがお前になろう」と、その子に語りかける深さには、気づかなかった・・・。

世界が悲しみに沈む時
水俣は静かに寄り添い続ける

希望が心の底から湧きあがるように
喜びが顔を輝かすように

そのときまで辛抱強く
ひたすら祈り続ける

世界は眠りから目覚める
一人の若者を待っている

希望は勇気とともにある(「永遠の少女」(十一)より



3.11以降、水俣は、さらに「水俣」になったような気がします。確かに。
「勇気」とは、意志のことなんだな、と気づきます。

坂本さんは、「ことばがかたちとなる」まで、「ことばが崩れないようになるまで」に、多くの出会いと長い年月が必要だったといいます。
それは、特措法救済申請をその締切日にシンとして考え抜いて見送り、水俣病認定申請を択ぶことになったみちすじにも似ているのでしょうか。

ことばがうまれました
しずかになみだがあふれました (「あとがき」より)


言葉がやってきてくれたのは、私たちの元にも、と感じては傲慢でしょうか。
確かに言葉と出会えた、と思ったとき、坂本さんは詩人の仕事を為されたのだ、とわかります。

詩が水俣の「希望」をひもといてくれます。
それも、「水俣の意味は/民衆に背骨を入れること」という、決然たる意志をもって。
ぜひ、手にとって、お読みいただけますように。
(田嶋 いづみ)


いま、子どもたちと向き合うために ~シンポ開催のお知らせ

2013-05-11 12:13:00 | 会員レポート
年次総会にあわせて、フクシマで
シンポジウムを開催します



諸事情のために、昨年度は総会を持ちませんでした。
なので、2年ぶりの伝えるネット総会となります。
ひとりひとりの発意をもとに、その発意を相互に讃え、支え合って、子どもたちに伝えることを活動のメインに据えています。
そんなんで、ご縁のままに、会員の住まいは各地に広がっています。
せっかく、各地に散らばるみんなに声かけするんなら、と、あわせて シンポジウムを開催することにしました。

総会は、福島県教育会館で午後3時から。
そして、そのまま、同じ会場で、下記のシンポジウムを開催します。

もともと伝えるネットの輪郭は曖昧です(あえて、です)。
総会もシンポジウムも、どなたでも自由に参加できます。





子どもたちに「水俣」を伝える活動を始めてから、どのようなことでも、「子どもたちに伝えるとしたら、どのように伝えるか」という視点で考えるようになりました。

このごろ、今ここで起きているさまざまなことを、とても伝えにくくなっていると感じるのは、私たちだけでしょうか?

どう伝えますか?
死後36年経ってようやく水俣病と認定された溝口チエさんのこと。
最高裁判所が水俣病と認定したあとの、環境省の対応のこと。

どう伝えますか?
なおも、原発を止めることができないわけ。



子どもたちに伝えるならば「希望」をこそ伝えたい。
水俣病患者に寄り添いつづけた原田正純先生の言葉です。

水俣病こそ、自分の守護神だった。
水俣病の語り部となった杉本栄子さんの言葉です。

私たちが、子どもたちの「いのち」そのものが希望と知り、子どもたちとともに未来をはかりたいと願うなら、まず、私たち自身がどうあらねばならないか、そんなことを考えるきっかけとしたい、です。


そして、もうひとつ。

せっかく遠方から集まるのですから、あわせて、下記のフィールド・ワークを計画しました。
あわせて、ご参加をお誘いする次第です。








いのちの別名、希望。

2013-01-01 11:43:14 | 会員レポート
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。



旧年中にやるべきことを、数多く、繰り越してしまいました。
会報の発行が遅れていることは、言い訳できません。
すべてコツコツやるしかありません。


なによりも、健康が大切です。みなさん、身体を大事にしてくださいね。
その「なによりも大切な」健康を奪ったのが、水俣病であり、たぶん、放射能です。


昨年、伝えるネットの仲間が病いに倒れました。
現在、ふたりは、とてもふたりらしい闘病生活を送っています。
ふたりともお正月を一時退院して祝うことができたことを、心より嬉しく思っています。
個人的には、私自身、喪中のお正月となりましたが、それなりに平穏に迎えております。
ご心配いただいたみなさま、この場を借りてお礼申し上げます。
ありがとうございました。



「水俣」を子どもたちに伝えるのであれば、希望をこそを伝えたい、そう思っています。
これは、昨年他界された原田正純先生が『水俣の赤い海』という子ども向けに書かれたご著書のなかで「まえがき」に書かれています。


そして、わたしは、相変わらず考えるのです。
希望とは、なんだろうか、と。


希望は、絶望の対極にあるものではない、と思います。
もっと、絶対的な、人間存在そのものに由来するものではないだろうか、と。

だとするなら、それは、いのちそのもの、なのではないかしら・・・

いま現在を生きていることが、そもそも希望のすがたのような気がしてきました。


では、死者には希望がないのか、というと、そうではありません。
死者のいのちを受け継ぐ意思がある限り、死者は、希望に、いのちにいろどられているからです。

どんなに泥にまみれていても、どんなにさまよっていようとも、生きる意志をもって、いのちを歩み続ける限り、わたしのなかに希望はある、と、そんなことを元旦に考えました。


いちばん、いのちを持っている者、それは子どもたちです。
子どもたちのいのちを守る努力、それが、希望を絶やさないということだと思います。


すでにみなさまご存知かと思いますが、こうの史代さんが描かれた『この世界の片隅に』という漫画があります。
そのラストシーンは、いのちがそのまま希望だと教えてくれて余りあると思えてなりません。

この作品をご紹介して、新年のご挨拶を締めくくらせていただきます。

2013年 元旦


「水俣」を子どもたちに伝えるネットワーク
首都圏窓口   田嶋 いづみ