坂本直充さん(元水俣病資料館館長)の書かれた
詩集『光り海』(藤原書店・税別2800円)に知る「希望」
GWも明けて仕事三昧の日々が戻ってきたころ、1冊の詩集が届きました。
市立水俣病資料館の元館長・坂本直充さんの詩集です。
お名前を見たとき、えっ、と思いました。
偶然、GWの始まりにyoutubeで「これから水俣病の認定申請をする」と語られているご本人の映像を見たところだったからです。(リンクを貼ろうと思ったのですが、どうしてだか、見つけられなくなってしまいました)
「元館長」であった方が、水俣病特措法の救済もとうに締め切られたいま、「これから認定申請をする」と聞いて、去る4月16日に最高裁判決を受けた溝口秋生さんを連想しました。
その溝口さんにいつも娘のように付き添われている永野さんが、「水俣で、裁判しているって、とても大変なことなんです」と言われていたからです。
その決意の重さ、困難さに思いを馳せずには、いられませんでした。
あの坂本さんが詩集を出版された・・・、まず、そう思いました。
いつもいつも「希望」とは、何だろう、と考えています。
水俣病の被害者でなく、水俣にくらしたこともなく、水俣に地縁・血縁ない者である私たちは、「水俣」を伝えに子どもたちに会いにいくとき、なおさらに、自分たちを検証しなければならないと考えています。
よすがとしているのは、原田正純先生の言葉です。
水俣病を伝えるならば、「希望」をこそを伝えたい、と。
逡巡を重ねつつ、子どもたちに「水俣」を伝える活動を重ねてきて、希望とは、いのちそのもののことではないかしら、と感じ始めたことを、今年の年頭の所感として綴らせていただきました。
→「いのちの別名、希望」
『光り海』の巻頭詩。
絶望果てるところ
祈りは生まれる
水俣の深きところ
希望は生まれる
生き抜くところ
希望は生まれる
水俣の道
ここに開く (「水俣序章」より)
出会おうとしてしていた言葉が、この詩集にはあふれています。
私たちが「水俣」に心を揺さぶられて伝えようと発意した思いを、その活動を重ねるなかでゆっくりと感知してきたかすかな思いを、言葉として刻印してくれている、と思いました。
言葉として刻印することによって、意志となれるよう。
水俣を感じることは
未来を感じることなのだ
哀れみだけを持つな
悲しみだけを持つな
怒りを持って
新しき時代の扉を開け (「満ち潮」より)
「水俣」を伝えに行くとき、私たちは、桑原史成さんの写真とともに子どもたちの前に立ちます。
写真の力をお借りします。
力を借りた水俣の写真を前に、いつも考えます。「この感動は何だろうか」と。
「宝子」と呼ばれた胎児性水俣病の智子さんを抱くお父さんの写真の前にシンと立ち、涙さえあふれそうなこの感動は、いったい、何だろうか、と。
それは、確かに「哀れみ」でも「悲しみ」だけでもないのです。
人間そのものであろうとする存在の確かさのような、見事さ、その感動のように思います。
坂本さんの詩の言葉で、自分たちの心に分け入って、探ってもらった、爽しさをもらいました。
もっとも、直接の地縁・血縁をもたないゆえか、「怒り」はぼんやりしています。
ややもすると加害者がおぼろになってしまうからです。おぼろになるのは、自分たちが加害者に連座しているのを意識するゆえだと、思っています。
だから、自分のいのちそのものを「希望」と呼ぶことにためらいものぞくのです。
坂本さんの同じ「満ち潮」には、こういう1節もあります。
その前に
わたしはわたしであり続ける
あなたもあなたであり続けよう
人間であろうと意志せよ
宇宙へ連なる喚起を目覚めさせよ
ありのままの肯定から、意志の兆しをはらんで、「希望」は始まるのでしょうか。
そんなことを感じた詩篇です。
『光り海』には、懐かしい方たちも顔を出してくださいます。
智子さんのご両親はもちろん、川本輝夫さんや、田上義春さんや、杉本栄子さんや土本典昭さんや。
装丁された杉本栄子さんの写真がとてもいい。
患者ではなく「患者さん」と呼びつづけた、匿名性を廃し、一人ひとりの名前を呼ぶことを択んだ土本さんの意志ある生き方が詩篇からよみがえります。
今度生まれたら
今度はお母さんがお前になろう
そしてお前がお母さんになるんだよ (「永遠の少女」(七)より)
この一節に、涙がこぼれました。
子どもたちに、胎児性水俣病の話を伝えるとき、伝えないではいられない言葉があります。
「この世の中に、自分の病気を子どもに身代わりさせたい母親なんて、いない。子どもの病気の身代わりにはいくらだって、なりたい。だって、いのちがつながっていくって、そういうことだもの」
そんなふうに伝えるとき、子どもたちのいのちそのものが、「希望」だと、しみじみ思います。
だけど、直に「今度はお母さんがお前になろう」と、その子に語りかける深さには、気づかなかった・・・。
世界が悲しみに沈む時
水俣は静かに寄り添い続ける
希望が心の底から湧きあがるように
喜びが顔を輝かすように
そのときまで辛抱強く
ひたすら祈り続ける
世界は眠りから目覚める
一人の若者を待っている
希望は勇気とともにある(「永遠の少女」(十一)より
3.11以降、水俣は、さらに「水俣」になったような気がします。確かに。
「勇気」とは、意志のことなんだな、と気づきます。
坂本さんは、「ことばがかたちとなる」まで、「ことばが崩れないようになるまで」に、多くの出会いと長い年月が必要だったといいます。
それは、特措法救済申請をその締切日にシンとして考え抜いて見送り、水俣病認定申請を択ぶことになったみちすじにも似ているのでしょうか。
ことばがうまれました
しずかになみだがあふれました (「あとがき」より)
言葉がやってきてくれたのは、私たちの元にも、と感じては傲慢でしょうか。
確かに言葉と出会えた、と思ったとき、坂本さんは詩人の仕事を為されたのだ、とわかります。
詩が水俣の「希望」をひもといてくれます。
それも、「
水俣の意味は/民衆に背骨を入れること」という、決然たる意志をもって。
ぜひ、手にとって、お読みいただけますように。
(田嶋 いづみ)