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伝えるネットねこレポート

「水俣」を子どもたちに伝えるネットワークのブログ。
首都圏窓口の田嶋いづみ(相模原市在住)が担当してます。

ねぇ、ハグしてもいいかな・・・

2014-03-03 17:53:30 | 出前レポート
座間市立旭小学校

こどもたちの声に助けられて
語りかけがラクになりました


行った日:2014年2月18日 3,4時限目
行ったひと:いちかわ圭さん、村田キク江さん、田嶋いづみ




100年ぶりだの、50年ぶりだの言われた雪がつづいたのに、無事に出前スケジュールをつづけることができたのは、とても、ラッキーだったと思います。
もちろん、校庭も雪だらけ。

昨年にひきつづきの出前だったので、おおよその見当をつけられました。
なので、どこに車を停めて、どこから写真パネルを運びこんだらラクなのか、動きを予測できたのです。

・・・そう、予想できなかったのは、雪のために、現地集合のいちかわさんとうまく合流できなかったことかな。
写真パネル運び込みが、その分、大変になってしまいました。

もっとも、それもご愛嬌です。
また、楽しからずや。


ココの子どもたちは、とても素直でした。

水俣病になった患者さんが、どんなに差別されたか、に「かわいそうっ!」って声があがりました。
患者さんだけなく、水俣の子どもたちが他県に出たとき、心ない言葉を投げかえられることにも、いきいきと受け止めているのを感じることができました。

そう言えば、ココの子どもたちは、すぐに気づいてくれました。

人に毒を食わされた者は
人に毒を食わされん


この言葉の後の方の「人」が誰のことかと投げかけたとき、ひびくように「自分?」と応えてくれたんですね。

この受け答えこそ、「伝える」ことを助けてくれる力となるのです。


そんな素直な子どもたちも、最後に感想でも質問でもと先生が導くのに、なかなか手があがりません。
恥ずかしがってしまうのです。

勇気をもって発言してくれた男の子がひとり。
「水俣病という病気がかんたんなものじゃないとわかって、よかったです」

ほんと、良かったです。こちらこそありがとう。


給食のしたくをしに、教室に戻らなければならない子どもたちが、片づけを始めたわたしのところに、三々五々と寄ってきてくれます。
少女がふたり、それぞれに、わたしの正面に立って、「話してくれてありがとうございました」「感動しました」と言ってくれました。

そのようすがとても可愛らしくて、「うわぁ、思わずハグしたくなっちゃう」と叫んで、「ねっ、ハグしていい?」と思わず訊ねていました。

うなづいてくれたのでハグさせてもらっちゃった!



「水俣」の学びの深さに気づいたとき、それは、とても大切な学びに違いない、と思いました。
だからこそ、いちばん大切な存在に伝えたい。

それが、私たちが名前に「子どもたちに」と掲げる由縁なのです。


かえって近くのお隣の市の小学校へ

2014-02-17 17:41:27 | 出前レポート
座間市立立野台小学校5年生 3クラス

ひさびさに聞いた
栄子さんから子どもたちへの呼びかけ


行った日:2014年2月7日 1,2時限 8:30~10:15
行ったひと:村田キク江、田嶋いづみ





朝早い1,2時限目の出前がつづきます。

でも、車で20分もかからずに行けるので、全然大丈夫でしたよ。
相模原市の南の端に位置しているわたしたちのところからは、お隣の座間市の小学校の方が近いことがあるのですね。

それに、相模女子大小学部にまけないほど、朝いちばんから、みんな集中、集中。
すごい子どもたち、ほら。




やっぱり、いっぱいしゃべってしまったのですが、ひとつ、とても気になっていることがありました。

それは、わたしたちが杉本栄子さんからいただいたメッセージをなかなか子どもたちに紹介できないこと。
杉本栄子さんは、いちばん最初に水俣病資料館の「語り部」になった患者さんです。

わたしたちの活動をいつも応援してくれていた栄子さんは、「水俣」を伝えるプログラムを聞いてくれた子どもたちのためにメッセージを残してくださいました。
それが、水俣病事件が終わらずにどんどん事実を重ねていくなかで時間を取れなくなり、あるいは、出前時間の制約があったりして、見てもらえる機会が減ってしまっていたのです。

だから、削れるところ、まとめられるところ、工夫しようとしてたんです。
わたしたちだけで温めている映像にしては、もったいなさすぎるから。

この日の出前のために、もう一度、スライドをいじり直してみました。


そして見てもらえた映像が、コレです。




この報告をまとめていて、ふと気づいたんです。
もっと、いろいろなひとに共有してもらえたらいいんじゃないかな、って。

まだまだHPをちゃんとする力量はないけれど、youtubeにtutaerunekoというチャンネルもつくれたし。
ってことで、本日、youtubeに思い切ってアップしました。


栄子さんは、こう語りかけています。

イジメや差別をしない強い自分探しをしてください、と。

この声を聞くとき、わたしは、子どもたちと同じ気持ちになって、心をシンとさせます。


この日、立野台小学校の子どもたちといっしょに、久しぶりに栄子さんの声を聞きました。
シンとなって聞いて、シンとなって帰途についたのでした。


まちで出会いつづける子どもたちのもとに

2014-02-16 12:31:44 | 出前レポート
相模女子大小学部5年生 3クラス

100人の母写真展とつながって
つながりが重なって出前が実現



行った日時:2014年1月17日(金) 1,2時限
行ったひと:村田キク江、田嶋いづみ





  親しくあるこのまちの私立小学校へ

最寄の駅である相模大野駅伸びる通りを“女子大通り”と呼んでいます。
なので、その通りに並ぶお店は“女子大通り商店街”です。

もと日本陸軍逓信学校跡地にやってきた相模女子大学があるからです。

冒頭にかかげたのは、その小学部の子どもたちが、伝えるネットが主催者として参加した【100人の母たち~亀山ののこ写真展】に来場してくれたときの感想です。

伝えるネットは、昨年度もこの小学校5年生に「水俣」を伝える出前に行っています。(報告はこちらの記事)
来場してくれた子どもたちのなかには、6年生、つまり、「水俣」の話を聞いてくれた子どもたちもいました。
子どもたちは、まち探検を行なっていて、たまたま開催されていた写真展に足を運んでくれて、再会できた、というわけです。

引率されていた先生は、去年の5年生の担任をされていた方でした。
「今年もよろしく」とお声かけいただきました。

そして、再び、出前は実現することになったのでした。


  朝いちばんの出前に集中してくれた子どもたち



朝いちばんの出前というのは、準備時間をとらなければならないので、けっこう大変なところがあります。
それも、ご近所の学校であればこそ。
近くにある小学校に出前できるのは、ほんとうに嬉しいことです。

朝いちばんにもかかわらず、子どもたちは、とても集中して聞いてくれました。
去年の出前から、今年の出前まで、水俣病事件はさらに動きつづけています。
溝口さんの最高裁判決が出ました。
国際会議があって水俣条約が採択されました。
それだけでなく、患者さんの動きも、政府の動きもあります……

「水俣」の話は、朝いちばんの授業だというのに、いっぱいいっぱい。
ついに、質問タイムを取ることができませんでした。

この日、村田さんは、初めてのサポートでした。
授業を終えて、訊かないでいられませんでした。
「いいえ、省ける話はなかったわ」と、村田さん。
そして、「子どもたちはずいぶん集中して聞いてくれるんだね」と。


先生方にお訊ねしても「いいえ、省略できる部分はないように思いました」と言われました。
そして、「来年もよろしくお願いします」と、言ってくださいました。

いい学校だな、と思いました。
わたしたちのまちの、いい学校。
私立ならではの特色を生かして、まちに根づく学校とのおつきあいがつづくよう祈ってやみません。


でも、やはり、話し過ぎないよう、子どもたちに負担になりすぎないように、ゆったりとお話できるように、なりたいな~。

15年目の出前はコーディネーターのサポートを得て

2014-01-21 09:53:55 | 出前レポート
相模原市立南大野小学校 5年生3クラス

伝えるネット活動の原点となる小学校
いちばん近くで いちばんに伝えたい


日時:2013年12月18日 9:35~10:20AM 視聴覚室にて
助けてくださったひと:学校と地域の協働推進コーディネーターの土山さん
行ったひと:田嶋いづみ





  学校とつないでくれる助っ人の登場

南大野小学校で「水俣」の話をするとき、冒頭の挨拶で、「南新町に住んでいます」と自己紹介することをとても大切に思っています。
「相模大野」でもなく、「相模原市から来た」でもなく、「神奈川に住んでいます」でもなく、自治会の名前というか登校班の地区名で自己紹介できる近さ、親しさが、「水俣」を伝えたい、一緒に「水俣」のことを考えましょうという気持ちのいちばんの意味を照らしていると思えるからです。

でも、その思いは、必ずしもその小学校の運営のなかで受け入れられるものではありません。
逆に思いがありすぎて、肝心の子どもたちと毎日を過ごしている先生のお邪魔になることがあるのかもしれません。

1999年からずっと毎年、出前をさせてもらっている自分の校区の小学校ですが、昨年は担任の先生方との行き違いもあり、逆に今年は4月の段階からあらかじめ日程が決められていました。
だから、不安だったのです。
そこに、今年から、「学校と地域の協働推進コーディネーター」として土山さんが登場してくれたわけです。

土山さんに助けられました。
昨年の記憶にとらわれず、気を取り直すことができました。
それに、写真パネルの運搬やら、力仕事も助けていただくことができました。
深謝。


  ショート・バージョンは、反省・バージョン


昨年にひきつづき、今年も45分バージョンでのぞむことになりました。
年度の始まりから予定されていて、1時限以上は、動かせないということのようでした。

昨年は、少しの延長も許されないということで緊張してのぞみ、事前に45分に納まるようにスライドを組み替え、メンバーと工夫を重ねて準備しました。

振り返ってみれば、それも、3月だったからより工夫できたのではないかと思います。
毎年、3学期に出前依頼が集中し、(そんなことがあることも不遜だけど)その経験がショート・バージョンの基礎になるからです。
毎年、事実が更新され、意味がふくらんでいくなかで、何を伝えるかが、出前の経過のなかでより選択できるようになっていくのですね。

今年の南大野小学校への機会は12月、シーズンの始まりということになりました。
伝え方のアレコレがこなれていないところでの、ショート・バージョンは、やはりうまくいかなかったと思います。

「水俣」のことを伝えに行って、胎児性水俣病患者さんたちのことに触れることができなかったのは、初めてです。
現在を生きる者として、友人である彼らのことを、忘れてはならないのに。

南大野の子どもたち、みんなとともに生きることについて、伝えたかったのに。
せっかくの機会をいただけたのに・・・・ごめんなさい。


でも、私は南新町に住んでいます。
もし、関心があったら、もっと聞きたいと思ってくれたら、どうぞ、遊びにきてください。


  たから箱から出したリーフとガイド

言葉を確かめながら「水俣」を伝えることができなくて、めげてしまった出前となりました。

でも、ここで涙が出るくらい嬉しいエピソードをききました。
学校コーディネーターの土山さんから、です。

土山さんのお嬢さんは、現在中学1年生。南大野小学校の卒業生です。
「水俣」の話を聞いてくれた子どもたちのひとりと気づきました。
それで、土山さんにお願いしたのです。
お嬢さんはどんなふうに記憶してくださっているだろうか、訊いてもらえるように。

「配布頂いた資料(二枚)をまだ持っていました。
印象に残っているのは、当時の写真。展示と映像で見せて頂いた写真が、かなり衝撃的だったみたいです。
家族の集合写真に写っている子どもが、すぐに亡くなったこと。
フェンスに貼られた言葉などが印象的だったそうです。
苦しんでいる人がまだいること。水俣病によって、どういう障害が出てくるか。水俣病によって、どういう差別をされてきたか。
また、水俣病と似た病気が他にもあること…等、お話を聞いた中で残っていました。」



配布した資料(リーフとガイドのことです)は大事そうにお嬢さんのたから箱(お友だちからの手紙などをしまっている箱だそうです)から出してきた、と土山さんは言われました。
「よく覚えていたので、びっくりしました」とも言われました。

何よりものいただきものです。
2年前の45分間の「水俣」がお嬢さんのなかで息づいている・・・。

私は、それが「水俣」の持っているものだと思えるのです。









水俣からの言葉を聞いてもらった出前授業

2014-01-20 11:49:46 | 出前レポート
相模原市立大野北小学校 5年生 3クラス

水俣の友人・敦子さんにも聞いてもらった
「水俣」を伝える言葉



日時●2013年12月10,11日 両日とも3,4時限 ランチルームにて
行ったひと●大森敦子さん、幸子さん、田嶋いづみ




子どもたちに看護師として感じてきたことを伝える敦子さん



 タイミング良く 水俣の友人が相模原に来た!

特別に仕組んだわけでも、なんでもないのです。

10年以上「水俣」の話をきいてもらっている大野北小学校からの依頼が、いつもは3月なのに、今年は12月にして欲しいってお願いされたその日が、ちょうど、水俣の友人の敦子さんが遊びに来られた日と重なっていたのでした。

私は、このところ、水俣に行くたびに敦子さんのところに泊めていただいています。
夜更けまで、とりとめもなくいろいろな話をさせてもらっています。
ちょうど同じ年代で、子どもたちの年齢もほとんど同じで、<女子会>のノリです。

前から遊びに来てくれる日程が決まっていて、そこに飛び込んできた出前依頼でした。
少しためらう気持ちもあったのですが、ちょうど出前に行くので、同行をお願いしました。
どんなふうに「水俣」を伝えているのか、それを水俣現地に住んでいる人に確かめてもらいたい気持ちもありました。

敦子さんは、患者さんではありません。
もっぱら看護師さんとして、水俣のまちで、水俣病を見つめてこられた方です。

出前授業への同行を、敦子さんは快諾してくれました。


 一年分の事実を受け止めて

例年3学期に出前依頼が集中するので、今年度としては、初回となる出前です。
その分、緊張も、準備も新しくなるのです。
終わっていない水俣病は、1年ごとに、その分の事実を積もらせるからです。
事実の積もった分、私たちも、そのことについて考える必要があるからです。

今年は、直前にあった「水俣病責任を問うシンポジウム」に参加して、水俣条約ができたことをどう子どもたちに伝えられるのか・・・そんなことを考え、スライドも用意しました。
シンポジウム参加のとき、水俣【ほっとはうす】の加藤さんや長井さんとお話したことも伝えたいし、新しく作成された英文の【ほっとはうす】紹介チラシも、【ほっとはうす】のみんなで制作したという新聞紙のエコバックも見せてあげられたら・・・

欲張りになるばかりの内容を、詰め込み過ぎず、子どもたちに伝えたい・・・。


でも、折角、友人の敦子さんが見えるのだから、ひとこと子どもたちに語りかけてもらいました。
敦子さんは、患者さんたちの日常のつらさについて、お話してくれました。

はい、なので【ほっとはうす】の話はできなかったんです。


大野北小学校の出前は2日間に分けて行ないました。
敦子さんの話を聞くことができたのは、初日・10日の2クラスの子どもたちだけでした。
それでも、その日できるいちばんの体制で出前できたことは、聞けなかった1クラスの子どもたちにも、遠回りにでも伝わるものがあったと思っています。

敦子さんと、そのお嬢さんのさっちゃんに「水俣」を伝える話の感想を訊いてみました。
ふたりして「なんだか聞き入っちゃいましたよ」って。
まとまって話を聞く機会が限られるみたいで、さっちゃんも新鮮だったようです。

そんなふうに言ってもらえて、嬉しかったです。
敦子さんとの友情も深まりました。

ほんとうにありがとうございました。