センターリサーチではα学科の倍率が高かった。きっと他の人も思ったのだろう「倍率の低いβ学科にしよう」と。
5人に1人?こんなん受からないよ・・(結局α学科は2倍ちょっとだった)。
安心感を求め、安易に志望学科を変えたりするから、こういう事になったのではないか。私はそれを勧めてしまった(子が最終的に自分で判断したとしても)。どうしよう・・。
すぐに単身赴任先の夫にラインをしたら、電話がかかってきて、その旨を伝えると
「大丈夫だよ、受かるよ。だって大吉だったし(「物件選びのこと・その1」参照)。」
と言われました(というかそれだけ覚えている)。
そんな不確かなことを自信持って言われても・・と思ったのですが、意外にもその言葉で心が落ち着きました。そうだ、まだ何も始まっていない。これからだ!
その後起きてきた真ん中にこのことは言わず(言ったらネガティブな事しか言えなさそうだったし)学校に送り出しました。
それから一人長考。
この倍率はどこから来た?
上から降りて来た?それとも志望校上げてきた?
・・・その時思ったのがやはり『国語の易化』。真ん中の志望学部は国語の傾斜配点が高かったのです。みんな国語が出来たんだ。だから志望校を上げてきたのではないか?
ならば倍率は高くとも、そんなに恐れることはないのではないか?
倍率が高くても、受かる人は受かる!
・・・なーんて思いつつも真ん中だってそれほどセンター出来たわけではない(後日談ですが志望校下げてT大学受験した同級生もいたらしい)。
ただ、受かる人は受かる!と考えが至っててからは、私自身気持ちがスッキリしました。
その後「学校でみんな志願者速報見てて、僕も見てみたら、なんか倍率が凄かったんだけれど」と青い顔して学校から帰宅した真ん中に、すかさず
「倍率なんて関係ないよ!受かる人は受かる!」
と言う事ができました。
・・・・案外これが良かったんじゃないかな~と思っています。その後の生活で、彼が落ち込んだり気負ったりする姿はみられませんでした。
ただ、リラックスしすぎて受験前日までスマホ・ゲームしていたのは良かったのか悪かったのか今でもわかりませんが(-_-;)
その後前ブログに書いた「いま書いてみる」や「よくやったね」に続きます。
今思えば不安の中よく書いていたなーと思います。落ちていてもこの気持ちを忘れないようにしないと、と思って書いていました(後期のアパートもやはり探していた)。そしてあの時の気持ちはあの時にしか書けない(老化のためすぐ忘れる)。書いておいてよかったかな・・と思っています。