監督:中村義洋、原作:伊坂幸太郎
出演:伊藤淳史、高良健吾、多部未華子、濱田岳、森山未來、大森南朋、石丸謙二郎
原作を読み終わるや否やビデオ屋に駆け込んでDVDを鑑賞したった。
原作は会社の同期に「短編集じゃなくて明るい本貸してくれ」って言って借りたもので、一見短編集だから最後にすべての話がつながるのかと思ったらてすげえなあと思って読んでいたら割と普通に短編集だったからびっくした(笑)
だけどすごい面白かったのでいいのである。
映画のフィッシュストーリーは、井坂幸太郎の文庫本で言えば「フィッシュストーリー」に収録されている「フィッシュストーリー」という作品を映画化したもの。
売れないバンドマンの曲が巡り巡って世界を救うことになる、とだけ言えば安っぽくなるが、ベタでありながらなかなか面白いあらすじ。
映画と小説の違いは、世界を救う発端となる人間が原作ではバンドマンのところを、映画ではそのバンドが描く曲のもととなる小説の翻訳家に遡らせて、世界を救うことになる物事の発端をより人間のかっこ悪い部分に充てている。
ここでひとつ宣言しておくと、原作も面白かったけど映画の方が内容的に一枚上手だったと思う。
もちろん映画は後出しで小説をもとに作ったものだからそうなっても仕方ない部分もあるのだが、始まりの小ささと世界を救う規模の大きさがやっぱり違う。
文庫本とスクリーンぐらい違う。
やっぱ映画化するときって派手にするんだろうな。
「世界を救うこと」ってたとえばなんだろうって考えた時に、「隕石で地球が破滅するのから救う」ってのは派手だよな。
ただベタすぎるというか、ありがちな感じになるというか、小説だったら野暮に感じてしまうのかもしれない。
逆に「サイバー犯罪からのセキュリティ」みたいな小難しい実感の湧きにくい話で映画化はあまりに地味なのも確か。
映画と小説を比べて思ったのは、やっぱり表現しやすいものが違うんだろうなってこと。
原作ではバンドの最後のレコーディングの時リーダーの繁樹の目線で各メンバーの普段と違う面だとか、気持ちがわかっていいんだけど映画だと全然そうじゃない。
だから小説では「繁樹目線」みたいな場面だったものが、映画ではそこまで繁樹ばっかりというよりもバンドのシーンって感じ。
バントのシーンとはいったもののプロデューサー役の大森南朋はよかったな。
もっと太ってて能天気な感じのキャラかと思ったけど、カッコイイようなどうしようもないような味のあるオヤジだった。
なんてバンドのシーンのことばかり書いてしまったが、この映画はそれ以外にもシージャックのシーンとレコード屋のシーン、そして山中で女性を助けるシーンがある。
原作にはないシーンが多くて忠実じゃないような、ある意味あの世界を映画で表現したような、とにかく話自体に違いがあってもあの小説の醸し出す雰囲気は映画にもあったと感じる。
シージャックのシーンで相手のグルの乗客のチョイ役の役者がが「アヒルと鴨のコインロッカー」で隣人役で出てたチョイ役と同じ人ってのやら、同じやつがでてくるっていうところで妙な井坂っぽさを間違って感じ取ってしまったのはおれだけでないはず。
石丸謙二郎が地球最後の日にレコード屋に入るシーンもよかったな。
映画の一番いい部分としてあげる感じではないし原作にもないけど、映画「フィッシュストーリー」の表現する魅力を強調させている。
原作もよかったけど、そのあとに見るのにちょうどいいような、原作のエッセンスを別の形で表現したような非常にいい映画だった。
出演:伊藤淳史、高良健吾、多部未華子、濱田岳、森山未來、大森南朋、石丸謙二郎
原作を読み終わるや否やビデオ屋に駆け込んでDVDを鑑賞したった。
原作は会社の同期に「短編集じゃなくて明るい本貸してくれ」って言って借りたもので、一見短編集だから最後にすべての話がつながるのかと思ったらてすげえなあと思って読んでいたら割と普通に短編集だったからびっくした(笑)
だけどすごい面白かったのでいいのである。
映画のフィッシュストーリーは、井坂幸太郎の文庫本で言えば「フィッシュストーリー」に収録されている「フィッシュストーリー」という作品を映画化したもの。
売れないバンドマンの曲が巡り巡って世界を救うことになる、とだけ言えば安っぽくなるが、ベタでありながらなかなか面白いあらすじ。
映画と小説の違いは、世界を救う発端となる人間が原作ではバンドマンのところを、映画ではそのバンドが描く曲のもととなる小説の翻訳家に遡らせて、世界を救うことになる物事の発端をより人間のかっこ悪い部分に充てている。
ここでひとつ宣言しておくと、原作も面白かったけど映画の方が内容的に一枚上手だったと思う。
もちろん映画は後出しで小説をもとに作ったものだからそうなっても仕方ない部分もあるのだが、始まりの小ささと世界を救う規模の大きさがやっぱり違う。
文庫本とスクリーンぐらい違う。
やっぱ映画化するときって派手にするんだろうな。
「世界を救うこと」ってたとえばなんだろうって考えた時に、「隕石で地球が破滅するのから救う」ってのは派手だよな。
ただベタすぎるというか、ありがちな感じになるというか、小説だったら野暮に感じてしまうのかもしれない。
逆に「サイバー犯罪からのセキュリティ」みたいな小難しい実感の湧きにくい話で映画化はあまりに地味なのも確か。
映画と小説を比べて思ったのは、やっぱり表現しやすいものが違うんだろうなってこと。
原作ではバンドの最後のレコーディングの時リーダーの繁樹の目線で各メンバーの普段と違う面だとか、気持ちがわかっていいんだけど映画だと全然そうじゃない。
だから小説では「繁樹目線」みたいな場面だったものが、映画ではそこまで繁樹ばっかりというよりもバンドのシーンって感じ。
バントのシーンとはいったもののプロデューサー役の大森南朋はよかったな。
もっと太ってて能天気な感じのキャラかと思ったけど、カッコイイようなどうしようもないような味のあるオヤジだった。
なんてバンドのシーンのことばかり書いてしまったが、この映画はそれ以外にもシージャックのシーンとレコード屋のシーン、そして山中で女性を助けるシーンがある。
原作にはないシーンが多くて忠実じゃないような、ある意味あの世界を映画で表現したような、とにかく話自体に違いがあってもあの小説の醸し出す雰囲気は映画にもあったと感じる。
シージャックのシーンで相手のグルの乗客のチョイ役の役者がが「アヒルと鴨のコインロッカー」で隣人役で出てたチョイ役と同じ人ってのやら、同じやつがでてくるっていうところで妙な井坂っぽさを間違って感じ取ってしまったのはおれだけでないはず。
石丸謙二郎が地球最後の日にレコード屋に入るシーンもよかったな。
映画の一番いい部分としてあげる感じではないし原作にもないけど、映画「フィッシュストーリー」の表現する魅力を強調させている。
原作もよかったけど、そのあとに見るのにちょうどいいような、原作のエッセンスを別の形で表現したような非常にいい映画だった。