松山ケンイチ、永作博美主演の大好きな映画「人のセックスを笑うな」の原作小説を読んでみた。
山崎ナオコーラってふざけた名前の人が書いた短い作品で、第41回文藝賞を受賞したんだとか。
原作小説を読んだ感想という体だけど、映画版の「人のセックスを笑うな」がいかに素晴らしかったかということについてばかり書かれているのであしからず。
というのも、個人的には映画版が大好きってのが前提としてあるにしても原作小説はかかなりイマイチだったというか、ちょっと気持ち悪かったかな。。。
映画版はアラフォーなのにもかかわらず魅力的なユリを好きになる話だったと思うけど、原作はアラフォーだからこそ好きになった熟女フェチの話になっている。
というのも、原作小説のユリは年齢通りの見た目でやや肉付きがよくがっしりとしているということで、19歳の男子の普通の感覚からすると決して美人ではなさそうであることを強調した上「若い人にはないシワが好き」、「若い人にはないたるんだお腹が好き」と熟女ポイントに惹かれていることをわざわざ示しているんですな。
一方で映画版のユリを演じる永作博美はアラフォーを代表する美人だし、どこに惹かれたかなんていうことをあえて強調することもなく普通の恋愛っぽい感じで描かれる。
言い換えれば、原作小説はアブノーマルテイストが非常に濃いのよ。
同じ本でこの作品と一緒に収録されていた「虫歯と優しさ」も、見た目は女・戸籍は男の主人公が彼氏と別れる話であり、どうやら山崎ナオコーラはアブノーマルな恋愛を描く作家のようである。
「人のセックスを笑うな」っていうタイトルは映画版では意味がわかりにくくて自分なりに色々と考えてみたりしてしまったけど、案外そのままの意味だったということですな。
ユリのイメージとアブノーマル加減以外では、映画では蒼井優が演じた“えんちゃん”の重要度がまるで違う。
映画版では中盤えんちゃん目線のシーンも結構あったりして、三角関係的な構造もストーリーのキーだったはずなのにまさかユリとは全く会わないまま終わるとは!
ユリが結婚してるのを知らず、ましてや名前すらちゃんと知らなかったってのが映画で新たに追加された設定だったのも驚き。
最初から全部わかってた上で付き合うっていうことで不倫というアブノーマル要素がさらに加わるわけですよ。
それと残念だったのは、「小説ではどんな感じに描かれてるのかなー」なんて楽しみにしていた大好きなシーンが全然なかったこと。
主なところを挙げると、
・喫煙所での再会:ハート形のライターをそっけなくくれる名シーンだったのに。。。てかタバコの描写自体一切なかったな。
・リトグラフを教わる:マツケンがユリを好きになってしまう初々しい場面。20歳離れてる設定とはいえアブノーマル感はなかったと思う。ちなみに原作ではユリはデッサンの先生で、教えるどころかお互いに絵の話はしない。
・テロとエロを聞き間違えて盛り上がるマツケンとユリを遠くで恨めしそうに見るえんちゃん:映画の特徴である雑談シーン。みるめ視点の楽しい感じと、えんちゃん視点でヒキで観た時のいやーな感じのギャップがたまらん。三人の関係性を象徴するシーンとも言える。
・ロバのいるカフェ:ワケわからんが、面白い!(これは別の映画の宣伝文句ですな) そりゃあ小説にはないだろうなってシーン。
・エアベッドを膨らます:ダラダラが売りの井口監督もさすがに早回し!仲良く共同作業。二人の絶頂期のシーン。
・ケータイをハンダ付けして開けられなくする:「どうせ鳴らない電話なら閉じたまま固定してやるっ!」っていきさつだったっけな。とにかく自分のケータイをユニークな方法で使用不可能にしてしまうのです。
・ラブホテルのベッドで酔い潰れたみるめを跨いで飛び跳ねるえんちゃん:ひとりで盛り上がっちゃった気持ちをああいう形で発散しているのか、あわよくばみるめが起きればいいと思って暴れているのか、動きのテンションの高さに対して妙に静かで、なんだか切ないシーン。この場面も無駄にやや長い。
ここまで映画と原作の違いをダラダラと書いてきたけど醸し出す雰囲気は結構似てる。
駅の名前だとか料理に関してだとかどうでもいい細かいところをやたら詳しく書いて自然な会話感を出そうっていう意図と、それに伴って生じるゆったりした感じから映画版で感じたスローな空気を思い出させられた。
ということで映画版のファンとしては期待外れだったものの、変わった題材なのにさらっと軽く楽しめるのは良いし、ボリュームアップして映画化するのには適した素材だったんでしょうね。
それなのにボリュームアップ版を先に観てからさらっと読めちゃう原作小説に「物足りない!」とか文句言っちゃうなんてどうかしてるぜ。
山崎ナオコーラってふざけた名前の人が書いた短い作品で、第41回文藝賞を受賞したんだとか。
原作小説を読んだ感想という体だけど、映画版の「人のセックスを笑うな」がいかに素晴らしかったかということについてばかり書かれているのであしからず。
というのも、個人的には映画版が大好きってのが前提としてあるにしても原作小説はかかなりイマイチだったというか、ちょっと気持ち悪かったかな。。。
映画版はアラフォーなのにもかかわらず魅力的なユリを好きになる話だったと思うけど、原作はアラフォーだからこそ好きになった熟女フェチの話になっている。
というのも、原作小説のユリは年齢通りの見た目でやや肉付きがよくがっしりとしているということで、19歳の男子の普通の感覚からすると決して美人ではなさそうであることを強調した上「若い人にはないシワが好き」、「若い人にはないたるんだお腹が好き」と熟女ポイントに惹かれていることをわざわざ示しているんですな。
一方で映画版のユリを演じる永作博美はアラフォーを代表する美人だし、どこに惹かれたかなんていうことをあえて強調することもなく普通の恋愛っぽい感じで描かれる。
言い換えれば、原作小説はアブノーマルテイストが非常に濃いのよ。
同じ本でこの作品と一緒に収録されていた「虫歯と優しさ」も、見た目は女・戸籍は男の主人公が彼氏と別れる話であり、どうやら山崎ナオコーラはアブノーマルな恋愛を描く作家のようである。
「人のセックスを笑うな」っていうタイトルは映画版では意味がわかりにくくて自分なりに色々と考えてみたりしてしまったけど、案外そのままの意味だったということですな。
ユリのイメージとアブノーマル加減以外では、映画では蒼井優が演じた“えんちゃん”の重要度がまるで違う。
映画版では中盤えんちゃん目線のシーンも結構あったりして、三角関係的な構造もストーリーのキーだったはずなのにまさかユリとは全く会わないまま終わるとは!
ユリが結婚してるのを知らず、ましてや名前すらちゃんと知らなかったってのが映画で新たに追加された設定だったのも驚き。
最初から全部わかってた上で付き合うっていうことで不倫というアブノーマル要素がさらに加わるわけですよ。
それと残念だったのは、「小説ではどんな感じに描かれてるのかなー」なんて楽しみにしていた大好きなシーンが全然なかったこと。
主なところを挙げると、
・喫煙所での再会:ハート形のライターをそっけなくくれる名シーンだったのに。。。てかタバコの描写自体一切なかったな。
・リトグラフを教わる:マツケンがユリを好きになってしまう初々しい場面。20歳離れてる設定とはいえアブノーマル感はなかったと思う。ちなみに原作ではユリはデッサンの先生で、教えるどころかお互いに絵の話はしない。
・テロとエロを聞き間違えて盛り上がるマツケンとユリを遠くで恨めしそうに見るえんちゃん:映画の特徴である雑談シーン。みるめ視点の楽しい感じと、えんちゃん視点でヒキで観た時のいやーな感じのギャップがたまらん。三人の関係性を象徴するシーンとも言える。
・ロバのいるカフェ:ワケわからんが、面白い!(これは別の映画の宣伝文句ですな) そりゃあ小説にはないだろうなってシーン。
・エアベッドを膨らます:ダラダラが売りの井口監督もさすがに早回し!仲良く共同作業。二人の絶頂期のシーン。
・ケータイをハンダ付けして開けられなくする:「どうせ鳴らない電話なら閉じたまま固定してやるっ!」っていきさつだったっけな。とにかく自分のケータイをユニークな方法で使用不可能にしてしまうのです。
・ラブホテルのベッドで酔い潰れたみるめを跨いで飛び跳ねるえんちゃん:ひとりで盛り上がっちゃった気持ちをああいう形で発散しているのか、あわよくばみるめが起きればいいと思って暴れているのか、動きのテンションの高さに対して妙に静かで、なんだか切ないシーン。この場面も無駄にやや長い。
ここまで映画と原作の違いをダラダラと書いてきたけど醸し出す雰囲気は結構似てる。
駅の名前だとか料理に関してだとかどうでもいい細かいところをやたら詳しく書いて自然な会話感を出そうっていう意図と、それに伴って生じるゆったりした感じから映画版で感じたスローな空気を思い出させられた。
ということで映画版のファンとしては期待外れだったものの、変わった題材なのにさらっと軽く楽しめるのは良いし、ボリュームアップして映画化するのには適した素材だったんでしょうね。
それなのにボリュームアップ版を先に観てからさらっと読めちゃう原作小説に「物足りない!」とか文句言っちゃうなんてどうかしてるぜ。