金子國義展の初日にお祝いを述べに行き、その後の飲み会で康芳夫氏の傍らに呼ばれた。この自称虚業家、心優しき怪人物は、昔から「津原くん津原くん」とよく可愛がってくださるのだが、仕事上の繋がりはまるで無い。康さんがどこへでも出没なさるので、僕のように滅多に出掛けない人間でも否応なく出合ってしまう。で、「ちゃんと小説は書いているか」「はい、書いております」といった調子。
向かいに神奈川近代文学館の方がおられ、同館での澁澤回顧展についてやり取りがあったあと、「ところでお仕事は」と問われた。「はあ、小説だけです」「フリーですか」「フリーですね」
たかが十と何冊か、少女小説文庫を入れたら五十くらいだが、その程度で「小説家です」と名乗るのはこちらも躊躇いがあるので、こういう扱いは寧ろ心地よい。ただたまに、奇妙に絡んでくる人たちもいる。
広島の小さな飲み屋で、こんなことがあった。
たまたまギターのケースを提げていた。「音楽のお仕事?」と常連から問われた。面倒なので、こういう時はきっぱりと「趣味です」と答える。いちばん厄介なのは「何か弾いてみろ」と絡まれる事なのだ。
「じゃあ仕事は何?」「はあ、小説を書いております」「じゃあ小説家?」「まあ、そういう事になります」
挙句、「本が出たら教えて。買ってあげるから」等と励まされるのが常で、これに抵抗感はない。自分のなかで「次の本」と解釈する事にして、素直に御礼を云う。
しかしその晩は変な事になった。別の席にいた男が、「あんたが小説家かどうか決めるんは読者じゃ」と絡んできたのだ。
「ほうですね。確かに僕らも市場原理のなかで書かざるを得んし」「ほうじゃのうて、お前が決めるな云うとるんじゃ」「すみません、認めんと仰有る方も多いでしょう」
相手が何を云いたいのかも分からないので、ともかく謝っておいた。せんの常連が「で、本はもう出そうなの?」と僕の機嫌をとる。「まあ、出とるのもあります」「凄いじゃない」
ここでまた絡んできた。相変わらず意図が分からない。三度、それが続いた。
「僕にも読者はおりますし」と、さすがに腹が立ってきた。「ほうじゃなしに、なんで読者じゃなしにお前自身が決めるんか云うとるんよの」と異様にしつこい。「あの、失礼ですけど読者に認められとる真っ当な小説家いうたら、例えば誰のことなんですか」と訊いた。男は勢いを失って、「例えば、直木賞を獲った作家とかよ」
出た。こういう輩は少なくない。文藝春秋の主催する二賞、芥川龍之介賞と直木三十五賞を、国家試験か何かのように誤解している。そしてそれは読者の総意によって決まる、という不思議な思い込みが、絡んできたこの男にはあったと思しい。
創設者菊池寛さえ「出版社の宣伝」と公言していたこの二賞に限って、何故か報道番組が動いたりするので、突飛な誤解とまでは云いきれないのであるが、直木三十五という、恐らくその男は読んだことも観たこともなかろう作家/脚本家に、片時でも注目すれば、その名を冠した賞の本来の意義にくらい気づきそうなものだ。
直木は、今の僕の歳で歿している。夭折とは云い兼ねるが、志半ばの感は否めない。ちなみに芥川の享年は三十五で、こちらも同様。
二賞は、彼らにちなんだ新人賞だ。だから、著名人だが小説は初めて、なんて人がぽんと獲れたりする。ただし近年は「獲らせそこねていた人」への繰り下げ的な授賞も少なくないので、上記のような誤解が生じやすい。
新人の時期を乗り切ってしまった僕なんぞは、即ち賞金による生活保護を必要としていないので、本来、対象外である。それを押しても保護したいと仰有る向きあらば、喜んで若者のふりをするが、誰にアピールすればいいのかよく分からん。
ついでに解説しておくと、僕がこれまで書いてきたようなホラー、SF、探偵小説、幻想小説は、大衆文学とカテゴライズされるので、芥川賞の守備範囲ではない。芥川賞の候補作は、このところ純文学誌(文芸誌)掲載の中篇から選ばれるのが慣例。
「お前なんか文学賞も獲ってないくせに」と難癖をつけてくる人に、文春の二賞以外だったらなんだと問うと、まず間違いなく「江戸川乱歩賞」と抜かす。たまに「角川ホラー大賞」と云う人もいる。
これらは公募賞である。基本的に素人が応募する賞だ。応募条件に「プロ・アマ問わず」とあったりするが、これは「一から出直しの人も受け容れる」という意味であって、著書が市場に出回っている僕のような人間が、別人の素振りで応募したなら、場合によっては詐欺として訴えられかねない。
逆に業界内の人から、僕が文学賞を拒否しているかのように云われ、驚くこともある。偏屈とも見える作風が生んできた誤解だろう。欲しいか欲しくないかといったら、欲しいですよ。特に母が老いてきた近年は、そういう気持ちが強い。
しかしそれは強欲に過ぎるとも思う。僕は既に奇蹟を起こしているからだ。少女小説書き津原やすみを支えてくださった(少年)少女たちが、大人となり、今は津原泰水の本を買ってくださる。これ程の幸運に恵まれた物書きは珍しいと、人からも云われるし、自分でも思う。
金子展の宴に話を戻す。
康さんがお隣のエキゾチックな美女に、「彼はな、恐ろしい小説を書くんだ」と仰有る。僕はこれを賛美と感じ、鳥肌が立った。成功するより、まずterribleな存在であり続けたいと願うものである。孤立しがちな、依怙地な魂の、絶対の味方たる唯一の方法として。
くだんの美女は天野小夜子さんという。村上龍の映画や著書で拝見したお顔だ。後日、シンガーとして青い部屋などに出演されていると知った。来月ラヂオデパートも出演する。なんだ、じゃあ音楽の話をすればよかった。自己紹介下手は、こういう後悔が多い。
向かいに神奈川近代文学館の方がおられ、同館での澁澤回顧展についてやり取りがあったあと、「ところでお仕事は」と問われた。「はあ、小説だけです」「フリーですか」「フリーですね」
たかが十と何冊か、少女小説文庫を入れたら五十くらいだが、その程度で「小説家です」と名乗るのはこちらも躊躇いがあるので、こういう扱いは寧ろ心地よい。ただたまに、奇妙に絡んでくる人たちもいる。
広島の小さな飲み屋で、こんなことがあった。
たまたまギターのケースを提げていた。「音楽のお仕事?」と常連から問われた。面倒なので、こういう時はきっぱりと「趣味です」と答える。いちばん厄介なのは「何か弾いてみろ」と絡まれる事なのだ。
「じゃあ仕事は何?」「はあ、小説を書いております」「じゃあ小説家?」「まあ、そういう事になります」
挙句、「本が出たら教えて。買ってあげるから」等と励まされるのが常で、これに抵抗感はない。自分のなかで「次の本」と解釈する事にして、素直に御礼を云う。
しかしその晩は変な事になった。別の席にいた男が、「あんたが小説家かどうか決めるんは読者じゃ」と絡んできたのだ。
「ほうですね。確かに僕らも市場原理のなかで書かざるを得んし」「ほうじゃのうて、お前が決めるな云うとるんじゃ」「すみません、認めんと仰有る方も多いでしょう」
相手が何を云いたいのかも分からないので、ともかく謝っておいた。せんの常連が「で、本はもう出そうなの?」と僕の機嫌をとる。「まあ、出とるのもあります」「凄いじゃない」
ここでまた絡んできた。相変わらず意図が分からない。三度、それが続いた。
「僕にも読者はおりますし」と、さすがに腹が立ってきた。「ほうじゃなしに、なんで読者じゃなしにお前自身が決めるんか云うとるんよの」と異様にしつこい。「あの、失礼ですけど読者に認められとる真っ当な小説家いうたら、例えば誰のことなんですか」と訊いた。男は勢いを失って、「例えば、直木賞を獲った作家とかよ」
出た。こういう輩は少なくない。文藝春秋の主催する二賞、芥川龍之介賞と直木三十五賞を、国家試験か何かのように誤解している。そしてそれは読者の総意によって決まる、という不思議な思い込みが、絡んできたこの男にはあったと思しい。
創設者菊池寛さえ「出版社の宣伝」と公言していたこの二賞に限って、何故か報道番組が動いたりするので、突飛な誤解とまでは云いきれないのであるが、直木三十五という、恐らくその男は読んだことも観たこともなかろう作家/脚本家に、片時でも注目すれば、その名を冠した賞の本来の意義にくらい気づきそうなものだ。
直木は、今の僕の歳で歿している。夭折とは云い兼ねるが、志半ばの感は否めない。ちなみに芥川の享年は三十五で、こちらも同様。
二賞は、彼らにちなんだ新人賞だ。だから、著名人だが小説は初めて、なんて人がぽんと獲れたりする。ただし近年は「獲らせそこねていた人」への繰り下げ的な授賞も少なくないので、上記のような誤解が生じやすい。
新人の時期を乗り切ってしまった僕なんぞは、即ち賞金による生活保護を必要としていないので、本来、対象外である。それを押しても保護したいと仰有る向きあらば、喜んで若者のふりをするが、誰にアピールすればいいのかよく分からん。
ついでに解説しておくと、僕がこれまで書いてきたようなホラー、SF、探偵小説、幻想小説は、大衆文学とカテゴライズされるので、芥川賞の守備範囲ではない。芥川賞の候補作は、このところ純文学誌(文芸誌)掲載の中篇から選ばれるのが慣例。
「お前なんか文学賞も獲ってないくせに」と難癖をつけてくる人に、文春の二賞以外だったらなんだと問うと、まず間違いなく「江戸川乱歩賞」と抜かす。たまに「角川ホラー大賞」と云う人もいる。
これらは公募賞である。基本的に素人が応募する賞だ。応募条件に「プロ・アマ問わず」とあったりするが、これは「一から出直しの人も受け容れる」という意味であって、著書が市場に出回っている僕のような人間が、別人の素振りで応募したなら、場合によっては詐欺として訴えられかねない。
逆に業界内の人から、僕が文学賞を拒否しているかのように云われ、驚くこともある。偏屈とも見える作風が生んできた誤解だろう。欲しいか欲しくないかといったら、欲しいですよ。特に母が老いてきた近年は、そういう気持ちが強い。
しかしそれは強欲に過ぎるとも思う。僕は既に奇蹟を起こしているからだ。少女小説書き津原やすみを支えてくださった(少年)少女たちが、大人となり、今は津原泰水の本を買ってくださる。これ程の幸運に恵まれた物書きは珍しいと、人からも云われるし、自分でも思う。
金子展の宴に話を戻す。
康さんがお隣のエキゾチックな美女に、「彼はな、恐ろしい小説を書くんだ」と仰有る。僕はこれを賛美と感じ、鳥肌が立った。成功するより、まずterribleな存在であり続けたいと願うものである。孤立しがちな、依怙地な魂の、絶対の味方たる唯一の方法として。
くだんの美女は天野小夜子さんという。村上龍の映画や著書で拝見したお顔だ。後日、シンガーとして青い部屋などに出演されていると知った。来月ラヂオデパートも出演する。なんだ、じゃあ音楽の話をすればよかった。自己紹介下手は、こういう後悔が多い。