ラヂオデパートと私

ロックバンド“ラヂオデパート”におけるギタリストとしての津原泰水、その幾何学的な幻視と空耳。

或る一日

2008-05-24 05:59:36 | ライヴ
 五月二十二日。七月のような気温。午前のうちに目を覚ましたが、室温は間違いなく三十度を超えていた。犬の呼吸が荒い。
 配布する歌詞カードの改変指示を弟に送る。『琉璃玉の耳輪』に加筆後、テキストファイルを編輯者に送る。小説すばるから頼まれていたポルノグラフィにまつわるエッセーを書き、送る。リッケンバッカー381の絃を張り替える。
 屋外を確認したがアスファルトが熱せられている程ではなかったので、早足で犬を散歩させる。煙草店でパイプ煙草「桃山」を買う。比較的安価で入手し易いわりにRATTRAY'SのHIGHLAND TARGEに喫味がどこか似ているので、煙草がストックが寂しくなった時の代用品として重宝している。
 犬を洗い、自分もシャワーを浴びて着替える。このところ脚が棒切れに見えるほど細いズボンばかり穿いている。暫く前に肋間神経痛が出た。コルセット代わりになるようなズボンが却って楽だと判った。
 リッケンバッカーをギターバッグに入れる。ギターソロが多い今日は、この六絃ギターのみ。ブースターの選定に悩んで、アリオン・チューブレイターとIbanezのTS808(再生産)、更に思い付きでMXRのPhase 90、ケーブルを数本、せんに買ったダイナミック・マイクロフォンElectro-VoiceとBlueが共同開発したというRavenを、バッグのポケットに入れる。
 いったん外に出て、きのう買い込んで砂出しのため塩水に浸けてあった、浅蜊のことを思い出した。慌てて台所に戻り、水を換えて火を入れる。

 時刻に少々遅れて渋谷に着き、入店すると、他のメンバーは既にステージで、リハーサルの為のセッティングを始めていた。直行し、エフェクターを直列に並べて音を確かめる。アンプは置きっ放しのAC15。だいぶ音が変わってきたので、いったん引き取ってメンテナンスすべき時期かもしれない。
 ギターとのマッチングか、チューブレイターはノイズが気になる。TS808は抑え気味に設定しないとハウリングが起きる。本番では信頼性を重視して808を繋いだ。案件を増やしたくなかったからフェイズ90は使わず。
 レイヴンは真新しい所為か高音がきつい。声が若々しくなるし早口の歌詞にも有利なのだが、ハウリングの原因ともなるのでPA側で抑え込んでもらう。また指向性が強いため、距離や方向による音量差が激しい。しかしこれはメリットともなり得る。慣れるまで使い込んでみようと思う。ちなみに僕は自分の声にリヴァーブ(エコー)を掛けない。声質に合わないし細かい表現の邪魔になると思っている。黙っていると掛けられてしまうから、オフってもらうよう指示する。余分な低音もカットしてもらう。

 リハーサルとミーティングを終えて四人で食事。長居できるファミリーレストランが常なのだが、間もなく歩いて一分の場所でミキコアラマータのライヴが始まることを思い出した。全員で出向く。
 今回もビアンコは欠場。正式メンバーはアラマタミキコのみという特殊形態ながら、以前より格段に安定度が増している。間違いなく全員が良くなっている。余分な音が減り、欲しかった音が増えた。錯覚かもしれないが、お、ヌートリアスっぽい、と感じた瞬間があり、意図だったとしたらミーシャの吸収力は凄まじい。客も多くて羨ましい限り。
 実は僕以外のラヂデパ陣は、ミキコアラマータ初体験。気に入っているバンドを友人に紹介するというのは、気分がいいものだ。重なる日には重なるもので、「うちもこれからライヴなんです」とお誘いを賜ったりもしたのだが、「うちもなんです」と謝って、ドリンク券を友人にプレゼントして屋根裏という名の地下室に戻る。

 なにやら二つのライヴをこなしたようで――。
 音楽とは何か、を久々に考えさせられた一日だった。
 暫定的な結論として、いま二つの事を思う。
 まず「音楽は必ず聴衆の為に存在するべきだ」という事。もし自分達が演奏しているとき一人の聴き手が耳を塞いでいたなら、それは保守的なパーソナリティによる心ない抗議かもしれない。しかしそれが二人だったら? 三人だったら? その瞬間に頭を切り替えて冷静になり、一度演奏を止めてみるべきだと自戒を込めて思う。
 また同時に、改めてこうも思うのだ。「創造は常に自由を目指すべきだ」と。
 自由。これほど過酷に人を律する概念が、他にあるだろうか?
「貴方は自由ですか」「はい、自由です」――こんな空虚な対話もない。自分を心底自由だと感じられる存在があるとしたら、それは囲いの内の豚である。ときに耳の優れた豚がいて、外の世界の広がりを察する。脱出する為には? どこかで聞きかじった「自由」なる言葉に従い、ぶひぶひと嘶き続ける?
 それとも死にもの狂いの緻密な計算と努力を始める?

 対バンだったMOP of HEADは、まったく予想外だった一夜の収穫。機械的なインストゥルメンタルを人力で演るという、正直、Y.M.O.がリアルタイムだった僕等にはさほど目新しくはないコンセプトのバンドなのだが(初期のY.M.O.は殆ど人力であった)、それを具現する根性と演奏力が、まだ二十歳くらいにも拘わらず素晴しい。また共演したいものだ。僕が二十歳の頃といったら、コードも満足に押さえられなかったよ。
 面白いことに女性ベーシストを、二人連続で目撃した夜でもあった。ミキコアラマータのサポート道上いづみの巧さ、理論に裏付けられた演奏の心地よさは、もはや僕が語るまでもないのだが、MOP of HEAD、小柄なヒトミ嬢の力みのないベースにも、実に感心した。出音が、とても良かった。