ピアノを弾こう🎹 国分寺市、小平市の《つぶらピアノ教室》

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お知らせと父の話

2020-06-27 17:17:00 | 日記
先日のブログでお知らせしましたが、
無事に父を送ることができました。

生徒の皆さんにはご迷惑おかけしました。
来週より、通常通りレッスンを再開します。
振替については、個々にお話させて頂きます。
よろしくお願いします。

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ここからはピアノ教室とは関係のないお話になりますので、お教室を探している方は、教室情報の方へどうぞ。






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父が旅立ちました。
コロナで4ヶ月も会えずにいましたが、
県を跨ぐ外出ができるようになった19日
久しぶりに実家に行きました。
雨の予報に、最近は激しく降ることがあるため
母が心配して、
私たちは大丈夫だから晴れた日にしたら?
と言われていました。
最近の母はとても心配性で、前日の電話では
説得しきれず保留にしていました。
でも、当日は小降りになったり、
時にはやんだりしていましたので
また色々言われないようにメールを出して
出発しました。
メールにはまた第2波が来たら行けなくなるからと。

今思えば虫がしらせたのでしょうか?

そのまま別の日にしていたら、
ちゃんと会えなかったです。

実家に行くと父は、リハビリのために通っている
デイサービスからまだ帰ってなくて
母と話しながら待っていました。
帰宅して、久しぶりに色々話して
父の日も近かったのでプレゼントも渡せました。
とても喜んでくれて、帰り際には
雨だから運転気をつけてと言って送り出してくれました。

その晩遅く、父の容体が急変して
救急車で搬送されたとの連絡が来ました。
慌てて出かけようとしたら、
以前入院した病院に搬送されたものの
心臓の状態が以前から良くなかったので
心臓の専門病院でとのことになり
別の病院に搬送されることになったと連絡が。
そこでその病院に向かう途中、
そこでも処置が難しいため、
さらに別の病院へと搬送されました。
最初の病院の先生が、ずっと救急車に同乗してくれ、
搬送先のそれぞれの病院で
事情を説明してくれたようでした。

ずっと心臓が悪くて、
手術もしたし、2月の時点で
もういつ心臓が止まってもおかしくない、
覚悟をして欲しいとの話も出ていました。

検査の数値はどんどん悪くなる一方でしたし、
手術の経験もあるのですが、
なぜか心臓で苦しんだ事が1度もありませんでした。
診察の時にそう言うと、先生は首を傾げて
こんな状態で何もないはずがない
といつもおっしゃいます。
では本人の自覚がたまたまないだけなのでしょうか?
というと、心臓の発作は、身の危険を感じるもので
自覚できないようなものではないと言われて
いつも不思議に思っていました。

ずっと悪い悪いと言われ続けているのに
苦しむことがなかったので
家族も、多分本人も半信半疑でした。
手術さえしているのに…

今回の原因は腹痛で、腸の問題だったのですが
手術のリスクを説明されて
母は、父との話し合いを済ませていて
延命治療はしないと言いました。
確かにかかっていた病院でも、
腎臓も心臓も良くなくて
数年前に手術で取りきれなかった
大動脈瘤も大きくなって危険だけれど
手術できないと言われていました。

でも、今回説明してくれた先生は
後からまたやってきて、決断を急かしてしまったけれど
普通に生活できるようになる人も多くいることなど
もう一度言いに来てくれて、
気が変わったらいつでも手術しますとのことに
私と妹は、これは諦めてはいけないのでは?
ととても悩みました。
しかし母は、ごめんね。と私たちに言い、
父との話で決めていたからと。

ICUに家族が入れてから1時間ほどで
父の心臓は止まってしまいました。

この時点でやっと、本当に父の心臓は
辛うじて動いていた状態で、
手術には耐えられなかったことを実感しました。

母を無理に説得して、手術室に送り出してしまったら
家族は父の最後には立ち会えませんでした。
母の辛い決断は正しかったのだと
最後になってわかりました。

父は沢山の病を抱えて、
入退院を繰り返していましたが
痛みに苦しんだのは最後の数時間。
病院についてからは
すぐに痛み止めで眠ってしまったので
短い時間で済んだのだと思います。

日々の生活は、週3回ほどデイサービスに通い、
歩くためのリハビリをしていました。
自宅では身の回りのことは、大抵自分でできました。

自宅にいる時は、食事などの時間以外は
ほぼ本を読んで過ごしていました。

読書三昧な日々に、みんなに羨ましがられたりして。

疲れると少し横になり、テレビを見たりもしましたが、
大抵食卓の椅子に座って、本を読んでいたし、
夜中に眠れない日も一人で本を読んでいたようです。

読みたくて買ったものの、まだ読んでいなかった本を
お棺の中に入れてもらいました。
きっと今頃読んでいるのだと思います。

私たち家族をいつも優しく見守ってくれていました。

私はまだなんだか実感が持てないでいます。
これから少しずつ父の不在を感じていくのかもしれません。

ご心配頂いた皆さま、ありがとうございました。







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2 コメント

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Unknown (シルベス)
2020-06-28 21:49:12
お父様のこと、心よりお悔み申し上げます。
お力落としと思いますが、どうぞお身体をたいせつにしてください。
返信する
Unknown (tsuburapiano)
2020-07-01 10:38:09
シルベス様
ありがとうございます。
温かなお言葉、励みになります。
返信する

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