詳しめの感想いきます。
まず、「詩」としての歌詞を私なりに解釈してみようかと。
一番と二番の歌詞の対比が切なすぎる。
特に平歌の前半ですよね。
夢花火と、まぼろし。
響きの違う「愛してる」と「愛してる」
一番から感じる無力感。
「あなた」が目の前にいるのに。
二番の喪失感。
「音もなく響いた」のは、それを伝える対象のなくなったことば。
世界から切り離されたのは、ほんとうは「あなた」ではなく。
それが、間奏でいきなりがらりと雰囲気を変えます。
負ではなく正に、感情のベクトルがはっきり形をもってあふれるのがこの間奏。
想いが、いきなりはっきりと強くなる。
「遥か宇宙」という届かないところの話ではなく、
「あなたが眠る彼方」まで届けと。
1番サビでは「奇跡がもしも今夜起きるなら」で、
大サビでは「奇跡をもしも今夜起こせるなら」。
後者のほうが奇跡というものに対して自分から働きかけようとする意図が強く働いていて、
だからこそ印象づけられる、
それが不可能であるということ。
それを突き破る想いの強さ。
大サビのこの部分のコーラスで、はじめて"forever"という単語が登場します。
一番あたりでは永遠になったのは「あなた」だけだったという印象を持たせるのに、
永遠になったのは、想いのほうではなかったか?
・・・ちなみに、こういう実現可能性の対比を使った歌詞は時々ありますが、一番私が印象的なのはエリック・クラプトンのChange The Worldです。
1番では"If I can change the world"なのに、最後は"If I could change the world"になっていて、実現可能性が低くなっている。
世界を変えられたら、なんて大きいことを言っているくせに実は弱気、という素直さがにじみ出ていて、私はこの対比好きなんですけど。
・・・閑話休題。
「ひとしずく流れてくその理由」ってなんでしょうね?
腕の中にいたときは気付かなかったのに、今は気付いていること。
宇宙へ消えることはわかっていたはずだから、それじゃないんですけど。
あと、ふたつの河。
一つは天の川だろうか、とか。
どうとでも解釈のしようがありますね。
私も、自分でも解釈をしてしまう気はありません。
どうとでも解釈のしようがあるから、一人一人にとって大切な歌になるんだろうから。
聴く時によって解釈も変わるんでしょうね。
この曲はぜひ、歌詞カードを見て、全部聴いて欲しい。
コーラスで英語の歌詞をごちゃごちゃ入れてるのに歌詞カードには日本語しか書いていないあたりとか、実にグッジョブ。
昨日も書きました、RAG FAIRが目の前にいない感覚。
でも間奏のコーラスとかはちゃんとRAG FAIRなんですよ。
6人全員の声がない部分があるからこそ、こうやってがつんと出てこられた時に、はっと耳を奪われる。
ところどころ出てくる日本語のコーラスがものすごい切なさを強調している。
二番「手を伸ばした」の後の「彼方に」とか。
「愛してる いまはただ」の洋輔さんの字ハモとか。
礼央さんが淡々と歌っている分、コーラスの切ない歌い方が際立つんですよね。
おいしいところが入れ替わり立ち代り。凹凸なくてもいい。
こんなにRAG FAIRらしくない曲なのに、こんなにRAG FAIRの曲なんですよね。
さて、デイリー昨日付けが5位、今日付けが7位ですか。
リクエスト大作戦は、正直、発売後こそ頑張らないと、と思います。
だってテレビに出るのが来週だから!
はい、リクエストやります。
まず、「詩」としての歌詞を私なりに解釈してみようかと。
一番と二番の歌詞の対比が切なすぎる。
特に平歌の前半ですよね。
夢花火と、まぼろし。
響きの違う「愛してる」と「愛してる」
一番から感じる無力感。
「あなた」が目の前にいるのに。
二番の喪失感。
「音もなく響いた」のは、それを伝える対象のなくなったことば。
世界から切り離されたのは、ほんとうは「あなた」ではなく。
それが、間奏でいきなりがらりと雰囲気を変えます。
負ではなく正に、感情のベクトルがはっきり形をもってあふれるのがこの間奏。
想いが、いきなりはっきりと強くなる。
「遥か宇宙」という届かないところの話ではなく、
「あなたが眠る彼方」まで届けと。
1番サビでは「奇跡がもしも今夜起きるなら」で、
大サビでは「奇跡をもしも今夜起こせるなら」。
後者のほうが奇跡というものに対して自分から働きかけようとする意図が強く働いていて、
だからこそ印象づけられる、
それが不可能であるということ。
それを突き破る想いの強さ。
大サビのこの部分のコーラスで、はじめて"forever"という単語が登場します。
一番あたりでは永遠になったのは「あなた」だけだったという印象を持たせるのに、
永遠になったのは、想いのほうではなかったか?
・・・ちなみに、こういう実現可能性の対比を使った歌詞は時々ありますが、一番私が印象的なのはエリック・クラプトンのChange The Worldです。
1番では"If I can change the world"なのに、最後は"If I could change the world"になっていて、実現可能性が低くなっている。
世界を変えられたら、なんて大きいことを言っているくせに実は弱気、という素直さがにじみ出ていて、私はこの対比好きなんですけど。
・・・閑話休題。
「ひとしずく流れてくその理由」ってなんでしょうね?
腕の中にいたときは気付かなかったのに、今は気付いていること。
宇宙へ消えることはわかっていたはずだから、それじゃないんですけど。
あと、ふたつの河。
一つは天の川だろうか、とか。
どうとでも解釈のしようがありますね。
私も、自分でも解釈をしてしまう気はありません。
どうとでも解釈のしようがあるから、一人一人にとって大切な歌になるんだろうから。
聴く時によって解釈も変わるんでしょうね。
この曲はぜひ、歌詞カードを見て、全部聴いて欲しい。
コーラスで英語の歌詞をごちゃごちゃ入れてるのに歌詞カードには日本語しか書いていないあたりとか、実にグッジョブ。
昨日も書きました、RAG FAIRが目の前にいない感覚。
でも間奏のコーラスとかはちゃんとRAG FAIRなんですよ。
6人全員の声がない部分があるからこそ、こうやってがつんと出てこられた時に、はっと耳を奪われる。
ところどころ出てくる日本語のコーラスがものすごい切なさを強調している。
二番「手を伸ばした」の後の「彼方に」とか。
「愛してる いまはただ」の洋輔さんの字ハモとか。
礼央さんが淡々と歌っている分、コーラスの切ない歌い方が際立つんですよね。
おいしいところが入れ替わり立ち代り。凹凸なくてもいい。
こんなにRAG FAIRらしくない曲なのに、こんなにRAG FAIRの曲なんですよね。
さて、デイリー昨日付けが5位、今日付けが7位ですか。
リクエスト大作戦は、正直、発売後こそ頑張らないと、と思います。
だってテレビに出るのが来週だから!
はい、リクエストやります。
またコメントさせていただきます。
歌詞そのままに解釈しようとすると、やはりこの相手はもうこの世にはいない・・・もしくは二度と会える見込みがないのかもしれませんね。
そんなイメージで聴くと「ふたつだけ河を越える」の部分は、天の川と三途の川なのかなぁーとも思えます。
「もう少しだけこのままいさせて」と言いながら涙を流した相手はもしかすると、もう二度と会えなくなることを知っていた、または予感していたのかもしれませんね。そして彼は、それに気付けなかった自分自身を本当に悔やんでいる・・・など。
でも確かに、意味なんて固定する必要はまったくないですよね。何年後か久しぶりに聞いた時に、また違った情景が頭の中に浮かんでくるかもしれない、そんな楽しみのある曲ですよねー。
ええ、歌詞をそのまま解釈するとまさしくおっしゃるとおりになります。
でもやはり解釈を聴く人に任せるために、どうとでも取りようがあることばを使ったんでしょう。
私が英文学科にいた当時、シェイクスピアの講義で先生が「時代によって受け手によって解釈が変わるからこそ名作なんだ」と言っていたのを思い出します。
ああ、一人でも多くの人にCDで聴いて欲しい!
裏面に書かれた歌詞を見て泣き、開けてDo it!の歌詞を見て泣きして、曲聴かずに翌日を迎えました…。
私も一番二番の対比にやられましたよ。
「ひとしずく流れてくその理由」
私は、この腕の中にいる人が、自分自身が消えることは悟っていたけど主人公には知らせてなかったって解釈しました。
あと、「そら」が空でなく「宇宙」である理由にようやくさっき気付きました。幾億の星ですもんねf(^-^;)
それで思い出した早見優さんのお話。
愛犬が死んでしまったとき、悲しんでいた子供に、「○○はお星様になったんだよ」と言って慰めた。
そしたら子供は「じゃあ、今夜は夜空に一つ星が増えたね」と答えた。
…・゜・(つД`)・゜・
結構自分の中で解釈が固まってきちゃってるので、新しい切り口を探してるところです。
これどこからどのへん位が洋輔さんの詞なんでしょうね。そしてコーラスの英詞がところどころ聞き取れません…
余談ですがBARKSの加納さんの動画を見て、柴田淳の「月光浴」を思い出しました。
Change The Worldはこの間英文法の先生が仮定法の授業で例示してました。
自分の過去になぞらえ、郷愁をそそられる曲でもありますね。
聞き手の数だけ、というか、耳にする時の数だけの感想が生まれる曲です。
一番と二番の対比に関しては、私も思うところがありました。
『夢花火』と『まぼろし』に関しては気付きませんでしたが、無力感と喪失感に関しては同感です。
但し、間奏にてベクトルの違いを感じた美波さんの繊細さに感服。
確かに、一番サビと大サビの受動能動での変化は気づく方も多いと思うけれど。
(自分はそれに関しては深く印象に残らなかった)
“永遠になったのは、想いのほう” この説に、ひどく感動しました。
私の印象は、最後まで悲恋・悲壮といったものでしたが、
この記事で、想う強さを発見しました。
沢山の人の耳に届けたい。そして、沢山の幾億物語を作って欲しい。
心から、思います。
追伸。
永遠と言えば、引地洋輔考。
美波さんのブログにて、そんな方程式がいつしか脳内に形成されました(笑)。
なんかね、愛してるって言ったのに胸が千切れていたのとか、何も言い返せなかったのは、死が近いことを知っていたんじゃないか、なんて思いました。
だとすれば、ひとしずく流れた理由は、単純に死が近いことを悟っていたからとは別にあるんじゃないか。
それが何かは提示されてませんけど。
ま、そんな解釈を固めてしまう必要性はどこにもないんですけどね。
コーラスの英語詞ねー、Songsに期待したのに全く載ってなかったしねー。
捏造すればいいんじゃない?(素)
>とまりさん
私の記事でまた違う解釈を見出していただけたなら幸いです。
だってね、「いつまでも~」のところでいきなり流れが変わるんですもん。
それまで宇宙に対してあきらめが感じられていたのに、いきなりそれを突き抜けて彼方に届けなんて、身もフタもない言い方をすれば開き直りですよ(笑)
『夢花火』と『まぼろし』に関しては、
花火といえば目に見えるのに実体がなくて儚いものの象徴ですよね。
まぼろしになってしまったら本当に目にも見えなくなってしまう。
でも、この主人公のことを考えれば、彼の目には見えているという意味で、まぼろしも彼にとっては実体を持つと言えなくもない。
ま、どうとでも解釈できますっていう結論で(笑)