no music no lifeかもしれない日々

素人による音楽的感想を目的とするRAG FAIR中心ブログ

作り手の意図と聴き手の期待

2006-04-13 02:53:14 | RAG FAIRその他考察
ズボのことを考えていると、どうしても作り手の意図とファンの期待のずれを考えないわけにはいきません。

例えば、ラグファンの「楽器」に対する拒否反応。
6人の声だけでやってほしいという期待が前提にあることによって、新曲に楽器が入っているとそれだけでも大きなマイナス要素になる。
Do It!に関しても、「え、楽器入ってるの・・・?」という反応をたくさん見ました。
武道館DVDで洋輔さんが「次はわかんない」と言っていましたが、次のツアーを楽器サポートを入れてやられたら、確実にがっかりするでしょうね、ファンは。
洋輔さんがインタビューではっきり「名曲」と言い切る君でなければにも、価値をおいていないファンは多い。
Summer Smileがオールナイトニッポンで宇宙初オンエアになった時、サックスが大きく聴こえた瞬間に頭から血が引いたのをはっきりと覚えています。そして自分の「アカペラ」というものに対する期待の大きさに驚愕しました。
それだけ、RAG FAIRはアカペラでやってなんぼ、というファンの期待が大きいことは間違いないでしょう。
今までこれだけ楽器を入れた曲を出してきてもこの現状であるということは、「楽器を入れたほうがいい」という点に関してRAG FAIRがファンを説得できていないということにもなります。
なぜファンが「アカペラ」にそこまで固執するのかはまた別問題ですので触れません。

じゃあ、作り手に楽器を入れることに対する明確な意図があった場合でも、ファンの期待にあわせるべきなのか。
そんな問題が出てくるということは、その人の音楽において何に価値を置いているか、ということについて、作り手とファンが一致していないということが当然の前提にあるからです。

ずれはずれとして事実を認識した上で、作り手の意図を優先させるのか、聴き手を優先させるのか。
言い換えれば、作り手の「音楽を作る」ということに対する動機付けが、「自分たちがいいと思ったものを聴き手にもいいと思ってもらいたい」ということなのか、それとも「聴き手を楽しませる」ということなのか、ということです。

その点がはっきりしないから、聴き手は作り手が何をやりたいのかわからなくなって、不安を覚える。



RAG FAIRもズボンドズボンも、抱えている問題は本質的には同じです。





もう一つ付け加え。
作り手がやりたい音楽をやってくれることは本来ならばファンが望むところであると考えるのが自然だと思います。
にもかかわらず「楽器」に対してこれだけの拒否反応が出るということは、ファンが、楽器を入れるという判断がメンバーが本当に望んだものだと思っていないからじゃないかという気がします。
ほんとにこれでいいの・・・?と。
メンバーの判断を信じられないということは、それだけで巨大な不安要素です。
今までRAG FAIRの活動の芯が動き続けてきたから、それを信用していいのかわからない、新曲についてメンバーの説明がほしい。
RAG FAIRとファンの関係の特殊性(つまりヲタがキモいとかダメ出しが多いとかライトファンが少ないとか)は、このへんに起源があるような気がします。

・・・という邪推


これ洋輔さんとこにトラバしたら怒られますかね?



※追記
いただいたご意見を整理して、もう一本記事を上げます。
ご意見のある方はぜひともお聞かせください。
疑問でも反論でもなんでもかまいません。