『ズボンドズボン』から『扉』まで順番に聴いて、ズボンドズボンの歴史と音楽性の変遷を無駄に分析しようという試みの第二弾です。
・『ローライズ』(2003年9月)
メンバーはこの時5人。ベースが鈴木渉さんになり、キーボードの唐沢さんが一部演奏に参加していますがメンバーじゃなくなります。
スカートの混沌っぷりに比べ、明らかに各メンバーの役割が曲ごとにはっきりと分かれはじめます。
「OPYJ」や「ローライズ」のようなインスト曲が入ったり、「いつでもそばに」のように純子さんが全編リードを取って礼央さんは一切目立たないコーラスに徹する、といった、それまでは見られなかった曲がでてきます。
逆に言えば、それ以外の曲は基本的に礼央さんがリードを取り、純子さんや楽器隊は礼央さんの伴奏に徹するという傾向が顕著にあらわれるのもローライズ。
スカートまでは、「なんかいろいろつめこまれた曲」というイメージが1曲でできあがっているのに対し、ローライズ以降は「なんかいろんな曲が入ったアルバム」という、同じ混沌でも単位が違う、この絶対的なイメージの差異があります。
スカートと比べると、楽器隊の印象の違いは歴然としています。
何よりもキーボードの印象がなくなったこと。
唐沢さんの存在感はやはり絶大で、彼が演奏に参加しているtea time loverやローライズではキーボードのラインがはっきり頭に残ります。それでもかなり抑えて演奏しているんだろうな、ということは容易にわかりますけども。
そして、ホーンセクションやパーカッション、ピアノといったサポートメンバーが演奏に数多く加わっていることによって、楽器の音の幅は広がっているといえます。それは同時に、楽器一人一人が目立たなくなっているということと同義でもあります。
リードを引き立てるためのコーラスを多用するようになったというのも、大きな変化だと思います。
例えば、『ローライズ』では印象的な「foolish man」の"Dress up for the night"なんていうコーラスも、『ズボンドズボン』収録の「foolish man」では入っていません。
それまではハモるとしても礼央さんと純子さんの字ハモだけだったのが、バックコーラスという形で楽器隊もコーラスに加わり始める。そして、純子さんの曲への参加が、このバックコーラス中心になっていく。
ローライズの中で純子さんが礼央さんの字ハモという形で参加しているのはtea time loverのサビですが、はっきりと不協和音になってしまっています。
私の身内では「よくこれにゴーサインが出たな」とまで評される不協和音っぷり。
要は、純子さんと礼央さんの声の相性の悪さが、マイナス要因として働き始めてしまいます。
もう一つ大きいのが、楽曲の変化です。
メロを聴いただけでもそれと解る、いわゆる「土屋礼央曲」が少なくなります。
ローライズで推し曲になっていた「陽」や「追い風」も土屋礼央作曲ですが、以前の曲と比べてかなり「一般的」なメロディになっていると思います。一般人に理解されやすいメロディ。
確かに多くの人の耳に馴染みやすいメロディではありますが、その分、印象に残りにくいという重大な欠点もあります。
そして、以前からあった曲や他の人が作曲した曲をのぞけば、礼央さんがローライズで新しく書いた曲はこの「陽」と「追い風」の2曲。
また、その両方の作詞に純子さんが関わっている。
それは、礼央さんがそれまでの「土屋礼央曲」だけでやっていくことに限界を感じたということがあったのか、礼央さんの作曲活動に引き出しが増えたというプラスの要因なのか、それとも純子さんが「曲作り」に目覚め始めて、それをズボンドズボンにも取り入れていこうとただそれだけの単純な判断だったのか。
いずれにせよ、スカートの発売が2001年11月ですから、この間で礼央さんはRAG FAIRのデビューということを経験しています。
それが多かれ少なかれ、また様々な意味において彼の作曲活動に影響したことは想像に難くないと思われます。
結論:「ズボンドズボン=土屋礼央バンド」・・・なの?
続く。