まこっちゃんのリフォームまでの軌跡

1人暮らしの我が家のリフォームといろんな事のブログ

音楽とは!10

2007-10-24 20:30:44 | 音楽
まったく音楽のネタがないじゃないか?・・・そんな声が聞こえてきそうでしたが、

「そんなの関係ねー!そんなの関係ねー!」

と、踊ってしまって。      ・・・・・続きです!



「死」   重いですねー!私にこんな重いテーマが書けるのか?福井に行く時に、

「どうせ一人たい!男一匹、死んでも構わん!」

と思って行ったのでした。が、わずか4ヶ月で早くもこんな目に合うとは・・・
愚かやった。

私は、宮○君の性格を知っていたので、

「わかったわかった、連絡するけん。」
「看護婦さん、そのバッグば取って下さい!」

看護婦さんは、すぐにバッグを取ってくれて、私は、黒いバッグから携帯を出しました。

「治療室ですけど、携帯をつかってもいいんですか?」

と、質問。
先生は、

「こういう事態の時は、構いません。肉親の方に早く連絡してください。」

病院での携帯の電波障害をまだ気にしていました。私は、福岡を離れても母とは連絡をとっていました。家の番号に電話をかけました。母が出ました。

「何な、こえん遅うに?」

怒ったように言いました。
私は、冷静に、

「ははは、怒とうな?」
「遅うにごめんな、実は今、市立敦賀病院ってとこの集中治療室なんやけど、・・・
・・・俺、心不全げな。死ぬかもしれんげな。ははは。」

「何なー!それは?」

と母、

私は、、

「ほら、前から心臓の調子がおかしいって言いよったろうが、今日の夜、発作の起こって、出血しようったいね。もう大分、血ば吐いたごたぁー。」
「心配せんでも、良かけん。」
「迷惑かけるかもしれんばってんが、こっちに来んでも良かよ。」
「死んだ時は、頼んどくけん。」

と言ったと思います。電話をかけ終わり、宮○君に、

「ほら、これで安心したろー。早よ帰んない。明日も仕事がきつかろうが、もう12時ばい。」

宮○君は、しばらくして、

「わかったさけー!米ちゃん絶対死ぬなや!約束やで!」

私は、
「約束って言われたっちゃー・・・ははは」
「ははははは、んな大げさな、こげんピンピンしとうとい!」
「わかったわかった、仕事頑張んないよ。ちょっと休まなーいかんけん。会社の人には、よろしく言っといて。」

宮○君は、

「わかった。」

一言いって、集中治療室を出ていきました。肩を落としていたようでした。

治療室の中は、先生と看護婦さんと私の3人だけになりました。しばらくして先生が、

「米○さん、意識がありますか?」

(また、その質問やー?)(意識がないヤツが、携帯で電話せんめーもん。)
私は、

「何ならベロでも出しましょうか?」

思いっきり、舌を出してあげました。(血だらけの。)(笑)・・・・・続く。


音楽とは9!

2007-10-23 20:31:44 | 音楽
いやー!疲れました!       それでは、続きです。どうぞ!


宗教は何か?何で脈拍が200近くも打っている時に、深いアイデンティティーに触れる質問な訳?他人に宗教ば質問されるとは、結婚する時に別れた嫁さんに聞かれたくらいです。

(お前は、俺に気があるとや?ひょっとしてそっちの方?結婚でもしたいとや?)(笑)

と、思いましたが、冷静に答えるようにしていると、突然ドアがあき、同僚の宮○君が入ってきました。私は、

「ここは、集中治療室げなばい。何しーきたとな?」
「明日の仕事が、大変やろ。早よー帰んない。」

宮○君は、

「もう、米ちゃん、しゃべるな!しゃべらんでいいで!」

血だらけの私に、福井弁でまくしたてました。
私は、素直に冷静に質問に答えました。

「浄土真宗の西ですけど、何か?」
「そんな宗教の質問とか、してもいいんですか?」

まだ、とぎれとぎれで、口の周りは血だらけです。時間は12時にさしかかろうとしていました。

「米○さん、身内の方に連絡が付きますか?」

私は、

「何で?いきなり身内ですか?」

先生は、静かに

「米○さん、その症状は、心不全と肺水腫です。」

私は、愕然としました。
「心不全!」
「私は死ぬんですか?」

出来るだけ丁寧に聞きました。

「それは、解りません。」

やっとまともな答えが返ってきました。

・・・・・(何や、これは!マジや!)
とたんに、おかしくて笑い出しました。私は心不全だったのです。
本当に笑ってしまいました。情けない笑いだったでしょう。

私は、宮○君に、

「もう早よ、帰んない。こえんが所におらんでもよかばい。他人の為に。」

宮○君は、

「あんたが、連絡するまで帰らんけ、俺にも責任がある!」

男気のある同僚は、涙眼で本気で怒鳴りました。
                            ・・・・・つづく


音楽とは8!

2007-10-22 21:20:46 | 音楽


いやー、週の始まりは、マニック・マンデーやねー!(笑)
こえん、おちゃらけとうけん、医者から嫌われるったい・・・・・(母談)(笑)



11時半を過ぎた頃、先生が、

「米○さん、変な薬とかやっていませんか?」

この質問が、出ました。
私は、いろんな目に会ってきました。子供の頃から貧乏でしたし、兄弟も多く、時には兄が、時には妹、弟が泣かされたりしていました。その度、私は明るく冗談を言ったり、時には慰めたりして、切り抜けてきました。機転をきかすのが、私の役目だったのでしょう。
私は、中学の頃からラグビーをしました。一応、スポーツマン、ラガーマンの端くれです。

大人になってからも、こういう目に(いろんな事を言われる。)のには慣れているつもりでしたが、これには、どうしても我慢が出来ませんでした。クラブチームのキャプテンを勤め、セレクターに社会人の選抜に選ばれるようにと7年間も努力し、少年チームのコーチ(ヘタクソコーチでしたけど)までしたのに・・・・・何や、これは?俺が薬に手を出してないや?って!

血圧は、高く脈拍は200ぐらいあったと思います。この状態で、質問は、

「変な薬をやってないですか?」

だと!
すべての、機材を取り外して殴りかかりたい衝動が私の脳裏をよぎりました。

(もう耐えきれん)
(くそったれがー!)

そう思った時でした。
母と約束した言葉を思い出しました。

(どんな事が合っても、ケンカだけはしたらいかんばい。)

母が、福井に行く時に言った言葉でした。その時、私はこう答えました。

(絶対ケンカはせんけん。俺は、死ぬまでケンカはせんけん。約束するけん。)

そして、冷静になり先生にこんな事を言ったと思います。

「確かに、先生の立場では、私みたいに福岡からやってきた人相も悪い、大きな土木の男が血を吐きながら言ってる事は、信用出来んと思います。・・・でも、私は20年もラグビーをやってきました。私にも誇りがあります。変な薬なんて、絶対にやっていません。」

はっきり言いました。

先生は、

「ふんっ!」

と、鼻で笑ったように見えました。そして、後ろを向いてしまいました。確かそうだったと記憶しています。数分してからまた先生が、

「米○さんは、宗教は何なんですか?」

もうどうにでもしてくれよ!諦めに似た感情が私に浮かびました。
                           ・・・・・・・つづく

音楽とは!7

2007-10-21 09:08:52 | 音楽
いやー、休日です。息子とラグビーの練習をします。
私は、離婚してからもずーっと子供たちとは会っています。幸せな事です。
続きです。


私が、敦賀にいた時に、確か病気で倒れる一ヶ月か2ヶ月の間に、日本中が、驚いたニュースが2つありました。

一つは、北朝鮮の拉致被害者の帰国です。美浜町の隣の小浜市では、地村さん夫妻が帰国されて、連日ニュースに取り上げられていました。

もう一つは、私の地元の福岡の田舎で、別れた旦那が、家に立てこもり子供を殺してしまった事件です。母の実家の近所でした。

私は、病院の治療室にいます。明るい性格なので、若い医者の先生には受け答えがふざけて答えてたように聞こえたのかもしれませんが、先生は私に、近づこうとはしませんでした。

当時は、院内感染や医療ミスが多発している時期でもあったのです。血を吐いている私に近づかないのも防衛手段として仕方ないのかもしれませんが、私の方は、疑問が生まれてました。大体、ブログで書いている通り、疑い深い性格なので咳をしながら、心の中で

(参ったなー!俺はどえんなるっちゃろうかー?)

ぐらいでした。先生はまた、質問をしてきました。

「米○さんは、ずーっと敦賀にいるつもりですか?」

ときました。もう夜の11時を回っているくらいでした。私は、とぎれとぎれに、

「そんなの、解らないでしょう、仕事が出来ないとクビになるかもしれんじゃないですか?病気は何なんですか?」

私の質問には、答えずに治療に関係のない質問を繰り返していました。それも、私を怒らせるような質問ばかりでした。私は、それ以来ずーっと、

(何やったとや?あの質問は?)

と、今でも疑問を持っています。



音楽とは!6

2007-10-20 19:07:48 | 音楽
いやー、すっかり秋らしくなりましたね。それでは、続きです。



この、ブログは私個人が記憶をとどめていようとしているだけですので、医療関係者を告発しようとか、その時の恨みをはらそうとかは、思っていません。

大体、裁判しようとするのなら、もっと早くしなきゃいかんよね。恨んでもいません。私個人としては、数奇な運命と片付けています。この話は、2001年の事です。本当に個人の記録としてとどめていたいだけです。
ただ、読んだ人が、気持ち悪いとか思うのであれば構わずスルーしてください。

読んでいる人達の事は、あまり考えてはいませんが、病気と闘っている人や苦しんでいる人が読んで少しでも勇気を感じてくれれば良いと思っています。
        (まー文章がヘタで、感じないかも?)(笑)

こんな経験は、あまり無いし、忘れようとしていた事なので、はっきりと覚えていない部分ありますから、ま、エンターテーメントぐらいに軽い気持ちで読んでください。

医療関係者の方は、告発している訳ではないので頭にこないで下さい。お願いします。物語だと思ってください。特異な例だと思って下さい。
                        ・・・・・それでは、明日にでも