まこっちゃんのリフォームまでの軌跡

1人暮らしの我が家のリフォームといろんな事のブログ

音楽とは!12

2007-10-26 23:01:22 | ノンジャンル
いやー、もう大変!ってくらいキツイですね。


何度も書いて申し訳ないのですが、このブログは単に私の記憶を留めていようとしているだけです。苦労を自慢しようとか、格好つけようとしているのではありません。もし、誰か病気の人とかが読んで勇気が少しでも沸いてくれれば幸いです。また、いつか私の娘が読んでくれるかもしれません。そういう理由で書いています。

自分が死ぬ目に会うっていうのは、実はこれで、2度目です。19歳の頃、仕事の作業中にとんでもない事故にあっていました。多分この事故で命があるのは、おおげさかもしれませんが日本でも私だけかもしれません。この事故の時も、意識があったのです。詳しい事は書けませんが、医者の答えは、

「肋骨が2本ヒビが入っているくらいですんだのは、米○さんが、ラグビーで体を鍛えていたからです。」

という答えでした。

まー、事故の時に意識があると言うのは、痛みがダイレクトに伝わるという事で、相当、痛かったのです。その時も、

「こえんが所で、死なるーかー!」

「俺には、妹と弟がおるったーい。」

と、やはり家族の事が一番で、他の事は考えつかなかったのです。
私は、信じられない力で機械の圧力を跳ね返していました。

場所を、敦賀に戻します。
心臓の動きは、まだ早く脈拍は200近くでしたでしょう。

(もう、本当にダメかもしれん。)

そう、思った時に娘の事を思い出し、福岡に絶対に生きて帰ろうと決意しました。
これは、間違いありません。
こんなにも、人に会いたい衝動にかられた事は過去にありませんでした。

先生は、

「子供さんがいらっしゃったんですか?」

と質問しました。
不思議そうに、

「何で、もっと早く言ってくれなかったんですか?」

と言われました。その後の先生の態度は急変しました。
私は、

「いま、別れてしまって一緒にすんでいませんし、言うべき事じゃないと思いました。」

と答えたと思います。私は、

「心不全の処置は、開胸とかするのですか?外科手術とかは?」

と質問しました。
先生は、

「いえ、点滴で頻脈と肺からの出血を止めるのです。」

私は、

「じゃ、止まるまでこのままの状態なんですね。」

先生、

「そうです。」

子供がいると知った先生は以後、私の質問にキチンと答えてくれました。
(何やったとやー?今までの態度は?)
                  ・・・・・つづく


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2 コメント

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Unknown (Layla)
2007-10-30 21:30:05
状況で態度を変えるなんて!
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Unknown (まこっちゃん)
2007-10-31 19:13:44
まー、私のルックスがあまりにも悪いんでしょうね。                      (笑)
それか、おまりにもオチャラケて映ったんでしょうね。

こういう目には、子供の頃からよく遭っています。

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