大晦日ですね。今日は、大掃除をしています。男の一人暮らしは、本当にちらかっていますね。ビックリするくらい!
今年もいろんな事があった。仕事、バンド、慌しく過ぎていった一年であった。
今年の一年の中で一番の出来事は、愛犬ゴン太の死でした。7月でした。
いつも、私の傍にいてふがい無い主人をあたたかく見守ってくれた人生でした。 (犬生か?)
暑い日も、寒い日も仕事から帰ってくる私を待って、シッポをふって出迎えてくれていたのを思い出します。
ゴン太が3歳の頃、現場で忙しい私は、満足に散歩させてやることが出来ずに、車に乗せ工事現場に連れて行き、60km/hで走行中のトラックの荷台から鎖を引きちぎって飛び降り、右足の神経が切れ、2件の医者に見せたけれど、良くならないとの事で、10歳の年月の中で、7年間も右足付随で生きていった。
仕事が激減し、福井に仕事に行った時は、実家に預けて一人で帰ってくるのを待ち、フィラリアで倒れた時も、医者に連れて行き、驚異的な回復を見せた。11日間も寝たきりで、頑張り、
「もうダメです。」
と2回も医者から言われても、本当に踏ん張って立てるようになって、もう少しで回復するのではないかと、思っていた矢先に、仕事から帰ってくると静かに息を引き取っていました。毎日、病院の先生からその回復力を褒められていたのにね。(本当にお前は凄かったよ!)
その日の、夜に線香と焼酎を買いに行き、ダンボールに入ってる冷たくなったゴン太に
「そういえば、あんな事があったな、こんな事があったな。」
「俺がいかんとぜ、お前は何も悪くないよ。」
何度も何度も、
「本当にすまんやったね。」
と思い出話をしながら、お別れをした。
6年前に、親友を急性白血病で亡くした私は、その日以来、絶対に泣きはしないと心に決めていたのですが、その日は、ゴン太の傍で、自分のあまりのふがいなさに涙がとまらずに泣き崩れました。
次の日、会社を休ませてもらって、泣きながらスコップで庭に穴を掘り、ゴン太のお墓を作った。その上にレモンの木を植えた。ゴン太がそれで、自分の人生の終焉を満足したのであるかは、私には解らない。ふがいない私という飼い主に育てられ、犬としては、幸せではなかった10年間かもしれない。一戸建てに一人になった私は、寂しさをゴン太が何度も救ってくれた。
「ゴン太、お前と2人きりで暮らした6年間は、私は本当に幸せやったよ!死ぬ時ぐらいは、一緒にいたかったね。看取ってやりたかった。一人で逝かんでいいやないや。ご主人様である私に、心配させたくなくて、たった一人で逝ってしまったんだね。本当に立派な犬だったよ。」
「今日、大掃除をしていて病院の先生が最後にくれたゴン太の医療用の缶詰が出てきたよ。食べずに終わったね、どうしても、捨てきれずにとって置いていたけれど処分するよ。」
「ゴン太、お前がいなくなってからも、俺はまだ、一人でここに住んでいるよ。レモンの木に実がなるまで、頑張ろうと思ってるからね。本当にふがいないご主人様ですまなかったね。俺は生涯、犬はもう飼わないだろうから、安らかに眠ってくれ。俺にとっては、お前は最後の飼い犬だからね。」
ゴン太は、最後の最後まで立派でした。私にとって、最高のビーグル犬でした。病院の診察から帰った後、玄関で、きつい体を最後の力を振り絞って立上り、シッポをふってお見送りをしました。最後の別れだったと思います。
このブログを読まれる事がありましたら、この場をお借りしまして、浅野動物病院の浅野先生と奥様に、最後まで諦めずに毎日、診察、投薬してくださりました事を心より感謝いたします。本当に有難うございました。
今年もいろんな事があった。仕事、バンド、慌しく過ぎていった一年であった。
今年の一年の中で一番の出来事は、愛犬ゴン太の死でした。7月でした。
いつも、私の傍にいてふがい無い主人をあたたかく見守ってくれた人生でした。 (犬生か?)
暑い日も、寒い日も仕事から帰ってくる私を待って、シッポをふって出迎えてくれていたのを思い出します。
ゴン太が3歳の頃、現場で忙しい私は、満足に散歩させてやることが出来ずに、車に乗せ工事現場に連れて行き、60km/hで走行中のトラックの荷台から鎖を引きちぎって飛び降り、右足の神経が切れ、2件の医者に見せたけれど、良くならないとの事で、10歳の年月の中で、7年間も右足付随で生きていった。
仕事が激減し、福井に仕事に行った時は、実家に預けて一人で帰ってくるのを待ち、フィラリアで倒れた時も、医者に連れて行き、驚異的な回復を見せた。11日間も寝たきりで、頑張り、
「もうダメです。」
と2回も医者から言われても、本当に踏ん張って立てるようになって、もう少しで回復するのではないかと、思っていた矢先に、仕事から帰ってくると静かに息を引き取っていました。毎日、病院の先生からその回復力を褒められていたのにね。(本当にお前は凄かったよ!)
その日の、夜に線香と焼酎を買いに行き、ダンボールに入ってる冷たくなったゴン太に
「そういえば、あんな事があったな、こんな事があったな。」
「俺がいかんとぜ、お前は何も悪くないよ。」
何度も何度も、
「本当にすまんやったね。」
と思い出話をしながら、お別れをした。
6年前に、親友を急性白血病で亡くした私は、その日以来、絶対に泣きはしないと心に決めていたのですが、その日は、ゴン太の傍で、自分のあまりのふがいなさに涙がとまらずに泣き崩れました。
次の日、会社を休ませてもらって、泣きながらスコップで庭に穴を掘り、ゴン太のお墓を作った。その上にレモンの木を植えた。ゴン太がそれで、自分の人生の終焉を満足したのであるかは、私には解らない。ふがいない私という飼い主に育てられ、犬としては、幸せではなかった10年間かもしれない。一戸建てに一人になった私は、寂しさをゴン太が何度も救ってくれた。
「ゴン太、お前と2人きりで暮らした6年間は、私は本当に幸せやったよ!死ぬ時ぐらいは、一緒にいたかったね。看取ってやりたかった。一人で逝かんでいいやないや。ご主人様である私に、心配させたくなくて、たった一人で逝ってしまったんだね。本当に立派な犬だったよ。」
「今日、大掃除をしていて病院の先生が最後にくれたゴン太の医療用の缶詰が出てきたよ。食べずに終わったね、どうしても、捨てきれずにとって置いていたけれど処分するよ。」
「ゴン太、お前がいなくなってからも、俺はまだ、一人でここに住んでいるよ。レモンの木に実がなるまで、頑張ろうと思ってるからね。本当にふがいないご主人様ですまなかったね。俺は生涯、犬はもう飼わないだろうから、安らかに眠ってくれ。俺にとっては、お前は最後の飼い犬だからね。」
ゴン太は、最後の最後まで立派でした。私にとって、最高のビーグル犬でした。病院の診察から帰った後、玄関で、きつい体を最後の力を振り絞って立上り、シッポをふってお見送りをしました。最後の別れだったと思います。
このブログを読まれる事がありましたら、この場をお借りしまして、浅野動物病院の浅野先生と奥様に、最後まで諦めずに毎日、診察、投薬してくださりました事を心より感謝いたします。本当に有難うございました。
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