クスコよりリマへの飛行は約1時間半。アンデスの山々を横断して飛ぶことになる。土色の山々の頂には白い雪。山の色は、やはりその土地によって違う。スイスアルプスは青と黒と白。アンデスの土色と白のコントラストは、アルプスの冷たさを感じさせずに、暖かく感じて目に新鮮だった。
ペルーの首都リマは、インカ帝国の消滅後にスペインが首都に選んだ街である。リマは海岸線に接しており、豊富な水脈と、スペイン本国からの物質や軍隊調達に便利な土地だった。旧市街には今でも当時の建築物が残り、1988年に世界遺産に指定されている。
ここはアルマス広場。征服者ピサロによりデザインされた。クスコにも在ったように、スペイン人は征服した街は、先ずアルマス広場とカテドラルを作り、そこを起点として街づくりを始めていった。この黄色い建築物は、リマ市庁舎でバルコニーが特徴的である。ネオバロック様式の外観だが、内部はルネッサンス様式である。
これは、アルマス広場に建つカテドラル。この姿は19世紀初めに建築されたもので、建設当時は、藁ぶき屋根とレンガであった。改築を重ねて17メートルの聖堂になった。
これは、大統領府。ペルーの征服者であるピサロの邸宅跡に建てられた。
そうそう、どの写真もどんよりとしたお天気だが、リマの天候は一年のうち8割がこんなどんよりとしたお天気。途中大雨も降ったが、小雨。^^ というのは、パラパラの小雨以上決して降らないので、リマの人にしたら大雨なのだ。^^
ここは、サンフランシスコ教会。この日は何かの記念日で、現地の人でものすごい人だかりで、聖堂内部には入れなかった。しかし、教会内の中庭や聖堂以外に入り、カタコンベ(地下埋葬墓地)にも入ってきた。地下3階のうち1階だけでも、2万五千体もあり、何とも言えなじめじめした空間で、人間の遺骨をこれでもかこれでもか!これでもかぁ~~~~~っ!!!という位見てきた。しかし、そこに眠る人々は、教会地下に埋葬されることが、死後の最高の幸福として献金もたくさんした、幸せに暮らした人々なのだろう。
ファサード(正面入り口)上部の彫刻は、圧巻。
隣接する修道院の回廊には、スペインから持ち込んだ17世紀の、セビリアンタイルが一面に張られており、また、5メートルに及ぶ「最後の晩餐」の絵を鑑賞してきた。レオナルド・ダ・ビンチのものとは、かなり解釈が違う絵に惹き付けられた。
そのセビリアンタイルの回廊と「最後の晩餐」は、私としたことが・・・・写真を一枚も撮っていない。セビリアンタイルの黄色、青色、白色、茶色が描く唐草文様に魅せられていた。そのタイルの前に佇み、心はスペインへトリップしていた。一枚一枚のタイルに注視して、それらが組み合わさり大きな文様を描くさまを、じっと見つめて、「美」とは何かを考えていた。そして、「最後の晩餐」では、イタリアやフランスに心をトリップし、ダビンチの絵を思い出しながら、二つを重ねて見ていた・・・・
場所が違うので、最後の晩餐のテーブルに上がっている食べ物が違う。また、裏切者のユダの描き方が違う。「ダビンチ・コード」を読んだ方なら、もっと興味深く、「最後の晩餐」を解釈されることだろう・・・
ここは、ラルコ・マルというショッピングセンター。太平洋を望む断崖に建っている。色々なテナントや映画館、素敵なレストランやスターバックスやらハンバーガーショップ、子どもの遊具施設もある。夜に行ったので、映りの良い写真はない。私は、ここの書店でしばし楽しんできた。
ここは、ラフェエル・ラルコ・エルラ考古学博物館。とても素敵な場所である。何時間居ても飽きない場所。高台に建つ白亜の建築と庭の花々の美しさは溜息が出てしまう。
博物館の名前の通り、ここは個人博物館なのである。しかし、とても個人所有とは思えない莫大な所蔵品の数と種類があり、圧倒の一言。また、ラルコ氏の、「美」、「少年のような好奇心」、「知識欲」があってこそ成立した博物館なのである。
父の名で博物館を作った、ラファエル・ラルコ・オイレは、解りやすくいうとお金持ちのお坊ちゃま。13歳で渡米し中学から大学まで学び、1923年に帰国後に父の事業であるサトウキビ・糖業と父の膨大なコレクションを受け継いだ。米国時代に見た進歩的な博物館を自分も作ろうとした。ラルコは、各国のアンデス文明研究者を迎え入れ、またもてなして、コレクションを研究のために提供した。ラルコ自身も裕福な実業家の道楽で終わることなく、研究者であり執筆に明け暮れ、1966年に亡くなる直前まで活動していた。
本当にここは美しい。現在のエクアドル南部からペルー全域、ボリビアの一部、そしてチリ中部までの南北5千キロに及ぶ広大な地域で、BC3000年代から16世紀まで、アンデス文明は栄えた。その歴史は、「石期」「古期」「形成期」「地方発展期」「ワリ期」「地方王国期」「インカ期」の7つに分けられる。このラルコ考古学博物館は、当然のことながらペルーからの出土品が充実している。
中には、日本語の解説もある。ノーフラッシュだとどこでも写真許可のある博物館なので、膨大な数を撮影してきた。
色々とこれらのコレクションの説明を加えたいところだが・・・・止めておくことにする。
博物館に展示してあるものは、「美」でありまた「美」とかけ離れた人々の営みがそこにある。土器などの出土品は、たしかにそれらを作り、使って生活していた人々の息吹を感じる。人は自分が見たり聞いたり経験したものでなければ、決して形にはできない。たとえ創造の産物だとしても、それまでの経験からしか想像は及ばないものである。
展示室以外にも倉庫室に行くと、圧倒される収集数でとても個人所蔵とは思えない。そして土器は「美」ではなく、かつての人々の「日常」を教えてくれる。また、その中にも「美」は存在する。
さて・・・・
これ以下は19歳以下立ち入り禁止!!!
あなたは20歳以上ですか? はい。 いいえ。
どちらでしょうか?
「はい」の方だけ、先にお進みください。「いいえ」の方は入っちゃダメよぉ~!
本当に「はい」ですか? 嘘つきは駄目よ!
それでは、静かにお入り下さい・・・・
「シ~~~~~~ッ!!」
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同じ、博物館内に別館がある。あくまでも考古学人類博物館ではあるのだが、以下のものを見たくない人もいるだろう。また、勉学の為に子供を連れてきている人もいるだろう、あるいはペルーは敬虔なキリスト教国、それもカトリック信仰の国である。それで、ここは別館となっている。
写真に対する説明を書きたいところだが、ここでも止めておくことにする。ガラス越しの写真なので、映りは良くないが、大人は写真だけを鑑賞あれ~。
おっと・・・いきなりですか?!
この上下2枚の写真は、最初のものと対を為すものである。コホン(咳) あくまでも考古学博物館ですからね、真面目に行きましょう。コホン・・・
この2枚は、サイズ、バランスが可笑しい!! どうして、大きさにこだわるのかしら?やはり、いつの時代もどこの国でも、男性は自分を大きく見せようとするのですかね??
以上の写真は、「エロチック別館」の展示品である。1~700年頃のペルー北海岸で発掘された、モチェ期の男女の営みや出産などの性的題材の象徴土器である。これらは、ごく一部の写真で、その他には、ここに掲載するのもはばかれるものもある。さらに、老人、骸骨などを題材とする土器もあり、古代人の「生と死」「死生観」を知る貴重な資料となるものもあった。
仲の良い人だけ・・・・ ここに載せていな写真をメールで送っちゃう。きゃきゃ!
それでは、ちょっと心のリフレッシュをしましょう・・・
博物館の庭を飾っている、花々の美しい事。言葉がない。日本では見られないブーゲンビリアの色彩を楽しんで下さい。^^
考古学博物館では、ここに載せていない写真をかなり撮影してきた。当時からあった頭の外科手術跡がある頭蓋骨とか、王侯貴族の装身具など興味が深い。王者は前歯を丸くくり貫いて、そこに翡翠をはめ込んで装飾していた。
でも、博物館や美術館は必ずしも「美」を鑑賞する場ではないが、女性の手仕事の暖かさと「美」を感じた物が展示されていた。
アルパカ等の獣毛の編み物や織物。染めていない自然の毛糸の色で、模様が織られている。これらの文様は、次の世代へ受け継がれて、それが何代にも受け継がれてきたのだろう。ナスカの地上絵にも似た模様や、幾何学文様に織り込まれた「美」は、人が単に生きて行くだけではなく、やはりどの時代にも「美」は、欠かせない要素だったのだろう。
夜の便でペルーを後にした。
満月を機内から望んだ。月の影が日本では兎が餅つきをしている様に見えるけれど、この時に月は、なぜか南米大陸の形に見えた。
ペルーでは月の文様をどのように捉えているのだろうか?きっと伝説があるに違いない、調べたくなってしまった・・・・
知らないことを知るのは楽しい。
でも、私にはmustが一杯。時間の出来たときに調べてみよう・・・・