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 「Around the world 」 感じた事を徒然なるままに・・・

世界各地の徒然、音楽、美術、時空をワープしてぼんやり世界の呟き。思ったこと、感じたことを徒然なるままに。

ペルーの首都「リマ」と18禁

2012-10-17 12:53:08 | 旅行

クスコよりリマへの飛行は約1時間半。アンデスの山々を横断して飛ぶことになる。土色の山々の頂には白い雪。山の色は、やはりその土地によって違う。スイスアルプスは青と黒と白。アンデスの土色と白のコントラストは、アルプスの冷たさを感じさせずに、暖かく感じて目に新鮮だった。

ペルーの首都リマは、インカ帝国の消滅後にスペインが首都に選んだ街である。リマは海岸線に接しており、豊富な水脈と、スペイン本国からの物質や軍隊調達に便利な土地だった。旧市街には今でも当時の建築物が残り、1988年に世界遺産に指定されている。

 ここはアルマス広場。征服者ピサロによりデザインされた。クスコにも在ったように、スペイン人は征服した街は、先ずアルマス広場とカテドラルを作り、そこを起点として街づくりを始めていった。この黄色い建築物は、リマ市庁舎でバルコニーが特徴的である。ネオバロック様式の外観だが、内部はルネッサンス様式である。

これは、アルマス広場に建つカテドラル。この姿は19世紀初めに建築されたもので、建設当時は、藁ぶき屋根とレンガであった。改築を重ねて17メートルの聖堂になった。

これは、大統領府。ペルーの征服者であるピサロの邸宅跡に建てられた。

そうそう、どの写真もどんよりとしたお天気だが、リマの天候は一年のうち8割がこんなどんよりとしたお天気。途中大雨も降ったが、小雨。^^ というのは、パラパラの小雨以上決して降らないので、リマの人にしたら大雨なのだ。^^

ここは、サンフランシスコ教会。この日は何かの記念日で、現地の人でものすごい人だかりで、聖堂内部には入れなかった。しかし、教会内の中庭や聖堂以外に入り、カタコンベ(地下埋葬墓地)にも入ってきた。地下3階のうち1階だけでも、2万五千体もあり、何とも言えなじめじめした空間で、人間の遺骨をこれでもかこれでもか!これでもかぁ~~~~~っ!!!という位見てきた。しかし、そこに眠る人々は、教会地下に埋葬されることが、死後の最高の幸福として献金もたくさんした、幸せに暮らした人々なのだろう。

 ファサード(正面入り口)上部の彫刻は、圧巻。

隣接する修道院の回廊には、スペインから持ち込んだ17世紀の、セビリアンタイルが一面に張られており、また、5メートルに及ぶ「最後の晩餐」の絵を鑑賞してきた。レオナルド・ダ・ビンチのものとは、かなり解釈が違う絵に惹き付けられた。

そのセビリアンタイルの回廊と「最後の晩餐」は、私としたことが・・・・写真を一枚も撮っていない。セビリアンタイルの黄色、青色、白色、茶色が描く唐草文様に魅せられていた。そのタイルの前に佇み、心はスペインへトリップしていた。一枚一枚のタイルに注視して、それらが組み合わさり大きな文様を描くさまを、じっと見つめて、「美」とは何かを考えていた。そして、「最後の晩餐」では、イタリアやフランスに心をトリップし、ダビンチの絵を思い出しながら、二つを重ねて見ていた・・・・

場所が違うので、最後の晩餐のテーブルに上がっている食べ物が違う。また、裏切者のユダの描き方が違う。「ダビンチ・コード」を読んだ方なら、もっと興味深く、「最後の晩餐」を解釈されることだろう・・・

 

 

 

          

 

ここは、ラルコ・マルというショッピングセンター。太平洋を望む断崖に建っている。色々なテナントや映画館、素敵なレストランやスターバックスやらハンバーガーショップ、子どもの遊具施設もある。夜に行ったので、映りの良い写真はない。私は、ここの書店でしばし楽しんできた。

 

 

ここは、ラフェエル・ラルコ・エルラ考古学博物館。とても素敵な場所である。何時間居ても飽きない場所。高台に建つ白亜の建築と庭の花々の美しさは溜息が出てしまう。

 博物館の名前の通り、ここは個人博物館なのである。しかし、とても個人所有とは思えない莫大な所蔵品の数と種類があり、圧倒の一言。また、ラルコ氏の、「美」、「少年のような好奇心」、「知識欲」があってこそ成立した博物館なのである。

 父の名で博物館を作った、ラファエル・ラルコ・オイレは、解りやすくいうとお金持ちのお坊ちゃま。13歳で渡米し中学から大学まで学び、1923年に帰国後に父の事業であるサトウキビ・糖業と父の膨大なコレクションを受け継いだ。米国時代に見た進歩的な博物館を自分も作ろうとした。ラルコは、各国のアンデス文明研究者を迎え入れ、またもてなして、コレクションを研究のために提供した。ラルコ自身も裕福な実業家の道楽で終わることなく、研究者であり執筆に明け暮れ、1966年に亡くなる直前まで活動していた。

 本当にここは美しい。現在のエクアドル南部からペルー全域、ボリビアの一部、そしてチリ中部までの南北5千キロに及ぶ広大な地域で、BC3000年代から16世紀まで、アンデス文明は栄えた。その歴史は、「石期」「古期」「形成期」「地方発展期」「ワリ期」「地方王国期」「インカ期」の7つに分けられる。このラルコ考古学博物館は、当然のことながらペルーからの出土品が充実している。

中には、日本語の解説もある。ノーフラッシュだとどこでも写真許可のある博物館なので、膨大な数を撮影してきた。

 

色々とこれらのコレクションの説明を加えたいところだが・・・・止めておくことにする。

 

 博物館に展示してあるものは、「美」でありまた「美」とかけ離れた人々の営みがそこにある。土器などの出土品は、たしかにそれらを作り、使って生活していた人々の息吹を感じる。人は自分が見たり聞いたり経験したものでなければ、決して形にはできない。たとえ創造の産物だとしても、それまでの経験からしか想像は及ばないものである。

 

 展示室以外にも倉庫室に行くと、圧倒される収集数でとても個人所蔵とは思えない。そして土器は「美」ではなく、かつての人々の「日常」を教えてくれる。また、その中にも「美」は存在する。

 さて・・・・

 

 

 

 

これ以下は19歳以下立ち入り禁止!!!

あなたは20歳以上ですか?  はい。 いいえ。 

どちらでしょうか?

「はい」の方だけ、先にお進みください。「いいえ」の方は入っちゃダメよぉ~!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に「はい」ですか? 嘘つきは駄目よ!

 

それでは、静かにお入り下さい・・・・

「シ~~~~~~ッ!!」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 同じ、博物館内に別館がある。あくまでも考古学人類博物館ではあるのだが、以下のものを見たくない人もいるだろう。また、勉学の為に子供を連れてきている人もいるだろう、あるいはペルーは敬虔なキリスト教国、それもカトリック信仰の国である。それで、ここは別館となっている。

写真に対する説明を書きたいところだが、ここでも止めておくことにする。ガラス越しの写真なので、映りは良くないが、大人は写真だけを鑑賞あれ~。

 

 

 

 

 

 おっと・・・いきなりですか?!

 この上下2枚の写真は、最初のものと対を為すものである。コホン(咳) あくまでも考古学博物館ですからね、真面目に行きましょう。コホン・・・

 

 

 

この2枚は、サイズ、バランスが可笑しい!! どうして、大きさにこだわるのかしら?やはり、いつの時代もどこの国でも、男性は自分を大きく見せようとするのですかね??

 

 以上の写真は、「エロチック別館」の展示品である。1~700年頃のペルー北海岸で発掘された、モチェ期の男女の営みや出産などの性的題材の象徴土器である。これらは、ごく一部の写真で、その他には、ここに掲載するのもはばかれるものもある。さらに、老人、骸骨などを題材とする土器もあり、古代人の「生と死」「死生観」を知る貴重な資料となるものもあった。

 仲の良い人だけ・・・・ ここに載せていな写真をメールで送っちゃう。きゃきゃ!

 

それでは、ちょっと心のリフレッシュをしましょう・・・

 博物館の庭を飾っている、花々の美しい事。言葉がない。日本では見られないブーゲンビリアの色彩を楽しんで下さい。^^

 

考古学博物館では、ここに載せていない写真をかなり撮影してきた。当時からあった頭の外科手術跡がある頭蓋骨とか、王侯貴族の装身具など興味が深い。王者は前歯を丸くくり貫いて、そこに翡翠をはめ込んで装飾していた。

でも、博物館や美術館は必ずしも「美」を鑑賞する場ではないが、女性の手仕事の暖かさと「美」を感じた物が展示されていた。

アルパカ等の獣毛の編み物や織物。染めていない自然の毛糸の色で、模様が織られている。これらの文様は、次の世代へ受け継がれて、それが何代にも受け継がれてきたのだろう。ナスカの地上絵にも似た模様や、幾何学文様に織り込まれた「美」は、人が単に生きて行くだけではなく、やはりどの時代にも「美」は、欠かせない要素だったのだろう。

夜の便でペルーを後にした。

満月を機内から望んだ。月の影が日本では兎が餅つきをしている様に見えるけれど、この時に月は、なぜか南米大陸の形に見えた。

ペルーでは月の文様をどのように捉えているのだろうか?きっと伝説があるに違いない、調べたくなってしまった・・・・

 知らないことを知るのは楽しい。 

でも、私にはmustが一杯。時間の出来たときに調べてみよう・・・・

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インカ帝国の首都「クスコ」

2012-10-11 00:00:07 | 旅行

  マチュピチュからオリャンタイタンポまで山岳電車で引換し、そこからまたクスコまで走り抜けた。

途中のアンデスの山々の風景は、優しく語りかけてくれた。とても美しくて、帰国後にこの風景を絵に代えようと思わされた。

 

 こんな山岳地帯でも、人々の生の営みを感じさせる風景。ここに住む人は、この景色を毎日見て、何を思い何を喜び、何に感謝して生きているのだろうか?

人が生きて行く喜びと、感謝の気持ちは基本的に同じなのだろう。

 

 

  白い霞と山々、川、緑、澄んだ空気・・・・

  

食べ物を生み出す大地は、まるでパッチワークのようで美しく言葉が出ない。

 

 

クスコは、11~12世紀にアンデスを支配した帝国の首都として、政治・経済・文化の中心地であった。インカ時代の石組と、スペイン統治時代の色が濃いコロニアル建築が融合した町である。ケチュア語でクスコは「臍」を意味する。

この道路は、「太陽の大通り」と名付けられている。街中はとても坂道が多い。そして、標高3360メートル。高山病にならないように呼吸を整えながら、ゆっくりゆっくり歩く。

 

 

ここは、サント・ドミンゴ教会。別名コリカンチャ。「コリ」は黄金を、「カンチャ」は場所を表す。

  

インカ時代には太陽の神殿として黄金色に輝いていたが、16世紀にスペインがインカ帝国を滅亡させる際に、神殿を破壊し、ここに教会を建造した。その際に、黄金に輝く神殿であったが、大量の金は溶かし本国に持ち去られた。上部教会は、1650年の地震後に再建されたが、土台はインカ時代の石組のままである。この石組は、技術力が高くカミソリ1枚程も入らない。

 

 

教会の坂下は緑で、ベンチにはカップル、その前の太陽の大通りを歩くカップル。仄仄~♪

  

教会から緑を見下ろす坂道には、お花。同じお花の色違い。

坂道には十字架にお花が添えられている。そして、視線を変えると、アルパカ(多分混紡でしょう)のニット帽を売っていたり、飲み物の屋台があったり。

    

    宮殿から見た、太陽の大通り。

  太陽の大通りを闊歩する中学生?ほほえましいですね。

 

 

 

  街中では、パンを売るおばちゃん?男性かも?性別の区別が難しい。

 色彩鮮やかな壁画も見つけた。

 

    

坂道だからかな?腰の豊かな女性が多い。道路のフェンスのデザインもそんな女性の姿が描かれている。

 街の中心地は、コロニアルでお洒落な感じ。

 クスコの街の中心地のアルマ広場とラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会。夜はとってもロマンチック。ここは標高3360メートルで、少しはお月様に近づけたのよぉ~♪

スペインは外国の都市を征服すると、先ず一番初めにアルマス広場とカテドラルを建立して、そこから植民地化を図った。

 

 

 

 

 宿泊したホテルのレストランがムード合ったのでパチリ。ロビーのテーブルに掛けてあったテーブルセンターは、アルパカで織り、同じくアルパカで刺繍したのだろう。

   

平面構成のデザインで運針も単純だけれど、素朴で暖かさを感じる。ハンガリーの刺繍もこんな感じだったなぁ~。あちらは素材はコットンだったけれど。

 

 

 

 

 

サクサイアマン遺跡。インカ軍2万人がスペイン人と戦った要塞跡。

クスコの町は上空から見ると、ピューマをイメージして作られており上空から見ると、ピューマの形に見えるという。中心のアルマス広場は、心臓部。そして、このサクサイアマンは、頭部にあたる。巨大な石組が360メートルにも及びジグザグに続く。

     

ここはキリストの丘。クスコの全景が見渡せる。中心の緑はアルマス広場とカテドラルである。白いキリストにもこういう風に見えているのだろう。

  

  

黄色いお花の付いた木々の間から、望遠でアルマス広場をパチリ。

 

    

キリストの丘に遠足?に来ていた子供達。サッカーをして遊んでいる。将来は南米を代表するワールドカップの選手かな?どこの国でも、子どもは本当に可愛い♪ 

 

キリストの丘の露店を覗いている。この子たちはお坊ちゃんでしょうね。

 

    

お坊ちゃんの男の子達と同年代の女の子が、アルパカを3匹連れてやって来た。偶然ではない。「写真を撮って下さい、1ソル(現地通貨)」と語りかけてくる。最初その顔には笑顔は全くなかった。プロのモデルです。1ソルは35円位かな。日にも焼けていたし、埃も被っている。学校はどうしたのかと尋ねると、「先生が休んだから、今日は休み」と応える。きっと、彼女の先生は毎日お休みだろう。こういう衣装を着ている現地の方を、アルパカと共に写真を撮れるのは、ペルーに来た証らしいのだろう。しかし、サッカーしてお店を覗いている少年と同じ場所で、彼女に出会って胸に詰まるものがあった。彼らと彼女は、同じ国の人でありながら、恐らく接点はないのだろうな・・・・ 同じ写真に両者が写ってしまった。お金を遣おうとしている?子供と、お金を稼ごうとしている子共。

US1ドルを渡して写真を撮らせて貰った。彼女は施しを受けたのではなく、立派にモデルとして仕事をしたのだ。

 

生後一週間のアルパカの小ささと可愛さが心に沁みてしまった・・・この赤ちゃんは、生後間もなくでしっかりと飼い主の役に立っている。

 

 

キリストの丘を後にして、空港へと向かった。

 

クスコより空路リマに飛ぶ。空港で日本に持ち込めないコカ製品をパチリ。

 

 

人の幸福とは・・・・などと、考えてみた。

幸福とは、それぞれその人の心の中にあるのだろう。標高の高いところでしばらく過ごしていると、少し哲学者になったようだ・・・

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「空中都市」マチュピチュ遺跡

2012-10-10 00:00:07 | 旅行

マチュピチュ遺跡に向かうのに、リマから空路クスコに入り、そこから2時間山岳地帯を走り抜けて、登山電車のペルーレイルに乗るべく、オリャンタイタンポ駅に向った。

  

 

これは、オリャンタイタンポの駅前の風景と、駅前の店。この駅前商店街?を抜けると駅だが、駅構内に入り改札をして、電車に乗るという構図ではない。線路の上を観光客も駅員も歩いており、電車が来ると危険なので避けるように言われる。

    

こんな感じ。第一、申し訳程度の線路より20センチも高くないプラットホームは、幅が狭くて世界中の旅行客で溢れており、どうしても線路横を歩かざるを得ない。この聖なる谷は、海抜2800メートルだ。

  駅の傍に咲いていたお花。高山の香りがする。

 

 これは、中間位のランクの電車。贅沢で優雅な電車の旅をするならば、ハイラム・ビンガム号をお勧めるる。1911年にマチュピチュを発見したアメリカ人冒険家の名前がそのまま命名されたエレガントな電車である。私が乗車したのは、その贅沢電車でもなく、この中間位のでもなく、貧しく?上記写真のような最下位ランクの電車である。と言っても、車内は展望登山電車らしく、明るく天窓も付いている。

そして、向い合せのボックス席でテーブルもあり、好きな飲み物(アルコールなし、高山病になってしまう)のサービスがある。

  

車窓の風景は、ウルンバ川とそれを挟む聖なる山々と谷を目の当りにする素晴らしい景観だ。約1時間半の電車の旅で、マチュピチュ村に到着する。

 

 、到着後、既に日は落ちていた。マチュピチュ村は温泉の源でもあるのだ。これは、バチャックテックと呼ばれるメインストリートで、1キロもない、坂道のレストランが犇めく通りである。夜は、このレストランに入り、現地のアルパカ肉と地酒のピスコサワーを賞味した。

街中を散策すると、まるで鬼怒川温泉の町を歩いているようで、浴衣に下駄で歩きたい気分だった。この日は偶然、村のお祭りがあり深夜まで騒がしく花火がなり、屋台を覗いたりもした。この写真は温泉街のレストラン。

 

 

 翌朝、遺跡行きバス乗り場まで歩き、乗り合いバスにで「インカ帝国の失われた都市」へ向かった。早い者順で、各国の観光客が乗り収容人数になったら(二十数名)、順次バスが出発する。これは、バスの車窓からの風景。うねる様なヘアピンカーブを繰り返し、どんどん標高が上がってくる。

この道路も、ハイラム・ビンガムの名がつけられており、ハイラム・ビンガムロードと呼ぶ。村から遺跡入口までは、約25分。歩けば2時間である。ガードレールもなにもない急カーブを、うねうねと昇って行く。伸びたい放題に伸びた木の枝が、容赦なくバスのフロントガラスや車体にバサバサと打ち付ける。

 

さあ、ウルンバ谷に沿う高い山の尾根、標高6750フィート、2057メートルのインカの遺跡入口に到着した。そこから徒歩で遺跡を登って行き、また下って来る。

  

 マヤやアステカなどの中央アメリカの文明が、コロンブス到着以前にすでに独自の文字を持っていたのに対して、インカ文明は文字を持っていなかった。その文字を持たない民族が、いかに巨大帝国を収めることが出来たのだろうか、大きな謎である。

しかし、インカ文化では文字の代わりに、「キープ」と呼ばれる計算記録道具があった。解りやすく書くと毛糸に細い補助紐を付けて、各位のところに1~9までの結び目で数を表す十進法のそろばん?のようなものである。(リマの国立人類学考古学博物館にて、実物を写したが上手く写っていなかったのでご紹介できない…無念) また、紐の色によって、何の数を表しているのかを表現していた。赤は兵士の数、黄色は金の数、白は銀の数・・etc

       

空中に浮かぶインカのこの遺跡の中にいると、向かいの山々の頂きを見て、また遺跡の中の人々を見ると、まるでミニチュアの世界を見ている様である。私はウルトラマンとウルトラマンと闘う怪獣か? 時に一本生えている木に心を寄せる。

   

 シンガポールなどで見る蘭とは違って、ペルー蘭は野性の凛!とした美しさがある。野生種は花弁が細いのねぇ~。 遺跡の中で時折見る、草花の美しい事と言ったら、筆舌に尽くしがたい・・・・

    

 この空中都市のマピュピチュは、なぜこのような急な山の尾根に作られたのだろうか?それらの疑問に関して、インカ帝国崩壊後のスペインによる統治との関係を上げ、いくつかの説が挙げられる。それらについて、書くと非常に長くなり、実際に見た私の稚拙な所感をここで述べても、興味がそそられないだろう。よって、あまり長々書くのは控えることにする。

 

  世界中、どこの観光地に行っても、必ずこういう事をする人が居るのですねぇ~。そんなところに立ったら危ないよぉ~~!!!私は高所恐怖症なので足がすくんでしまうので、そういうことはできない。

でもぉ~~~

   恐らく、そこに立っている人が見降ろした景観はこういう感じだろう。写真では解りにくいが、山の尾根を見下ろすと、裾の谷合に川が流れてているのが見える。霧がかかっていて幻想的である。

 

  また、見る角度と視線を変えると、眼下にはこの辺一帯を担う、水力発電が見受けられる。

  霧の中、別な斜面の段々畑は、野性の動物が見られる。ここはインカの時代は、農業試験場である。高地のマチピチュでも植物や農作物の栽培を可能にするための研究施設?研究場所だった。望遠でアップ。

そうそう、こんな小さな看板を見つけた。

 コカの葉が育っている。

ホテルのサービスの乾燥したコカの葉。お茶として飲んだり、コーヒーに浮かべたり・・・刺激が強くて、眠れませんよ!勿論、コカの名のつくものは、お茶などがティーバックで売られているが、日本へは持ち込み禁止。

 

 

 向かい側の山々の霧が掛かった様子を見るのは、山ガールの醍醐味。今、私はここに生きている!

 でもねぇ~。下りが怖いのですよ!こんな感じ。勿論インカ時代には手すりなどは作られていない。目の前に腰の太い(フランス語を話していた)人が、ノロノロと歩いていて追い越すに越せなくて、いつまでも宙ぶらりんで急斜面に佇まなくてはイケなくて、恐怖だったのぉ~。

でも、こんな美しい花との出会いも♪ 高嶺の花の美しさは、高嶺に登った者にしか鑑賞し得ない。ぜいぜい言いながら、ここまで登って来た。それは、こんな花に出会うためだったのかもしれない・・・・

  向かいには霧の掛かった、ワイナピチュ山が見える。小さな笹が生えていて、北海道の大雪のような印象も・・・・

  ケチュア語でマチュピチュは「老いた峰」を意味し、ワイナピチュは、「若い峰」を意味する。そのワイナピチュ山にも登ることが出来る。しかし、非常に健脚で、有り余る体力のある怖いもの知らずの人向きかもしれない。右側のワイナピチュの半ばに、白い点が三つお解りになるだろうか?人が登っているのである。

 

 思い切り望遠にしてみるとこんな感じ。怖いよ~~

 

 

 

    タンポポが可愛い♪

 インカ帝国の労働者は、この山に住みながらこの都市を建設した。よって、食物を自給自足しなければならなかった。この緑色の階段は、当時の段々畑である。標高が高いマチュピチュで、農作物が育ったのは、段々畑の土壌に秘密があった。土壌は、上から土、川の砂、軽石、石の4層で、その仕組みが天からの雨水を吸収しながらも、水はけを良くしていたのだ。これらの4層の段々畑と降水量の多い地域であることが、インカの人々に豊かさをもたらしたのだ。

また、この段々畑は東に位置しており、日当たりが良い。段々畑脇には、移住区と生産区を分ける為の深い溝がある。移住区の灌漑も台所や水洗(と言っても手動)トイレがあり、驚くほどの設備である。それらも写真に収めたが、絵として面白くないだろうから割愛する。

 

 さあ、霧が晴れてきてワイナピチュも綺麗に見えるようになった。また、最初に上った、見張り小屋も、振り返り望遠で写してみる。この小屋は、ワイナラと呼ばれる建築様式の小屋で、マチュピチュ全体が見渡せることから、見張り小屋だったと言われている。

 

 

 そろそろマチュピチュの空中都市は終わり。^^

    

 遺跡入口に帰って来た。あ~~怖かった。入口に咲く花が美しい。そして、ホットさせてくれる。

 これより、来た道と同じルートで、乗り合いバスにで、マチピチュ村の駅に向かう。

 

 駅前マーケット。遺跡がタペストリーになって売っていた。

登山電車にて、再びクスコへと向かう・・・・

 

 

 

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ナスカの地上絵

2012-10-08 00:00:07 | 旅行

ナスカの地上絵については、文字による記録が残っておらずに未だに多くの謎に包まれる。ナスカ文明の陶器に描かれた文様や地上絵の図柄に共通点の多い事、また地上絵の周辺で見つかった木材などの分析により、ナスカ時代の後半期、1世紀から6世紀に描かれたとされている。しかし、地上絵が描かれた目的は解明されておらずに、多くの仮説だけが挙げられる。

学者よりも早く、パイロット達の間では、地上絵が噂になっていたが、1939年、初めて学会で発表したのは、アメリカの考古学者ポール・コソック博士である。コソック博士は、地上絵が4メートルから大きい物は数キロ以上のものまであり、生物や模様を表現していることに気が付いた。後に、ドイツ人の女性研究者マリア・ライへ女史が、更に多くの地上絵を発見し、保護と研究に努めた。彼女はとてもロマンチックに、地上絵が星座と関係する説を唱えた。

夜の星が降るようなナスカは見ていないけれど、周囲は砂漠で色彩と言うものが無い世界で、夜空を見上げると古代人も同じ☆☆を見ていたのだと思うと、星座に呼応した地上絵が描かれたのではないかと言う仮説が出てきても納得が出来る。

マリア・ライへ女史の研究生活を知ると、尊敬の一言しか出てこない。しかし、彼女の研究については、此処では割愛をする。そうそう、セスナに乗らずに地上絵を見られる場所が1か所ある。マリア・ライへ女史が観測用に立てた展望台が、ナスカ市街郊外15キロのハイウエー沿いにある。

 

巨大な地上絵が何の目的で描かれたのかは、各国の研究者の間で見解が異なる。どの説もあくまでも推測によるものでしかない。

我が国では、2006年に山形大学研究チームが、衛星写真を使った研究方法により、新たな地上絵を発見し研究に取り組んでいるようである。 確か・・・山形大学はスリランカの大地震と津波についても研究していたのではなかったかしら? 知人からそう聞いたような・・・こちらに関しては私の記憶違いかも・・・

しかし、ナスカ地上絵研究については、山形大学研究チームに期待したい。

 

さて・・・・

ごちゃごちゃ書くよりも、先ずは乾燥地帯が広がる大地に、神秘的で巨大な絵をお見せしましょう。セスナ遊覧での私の撮った写真では、本人しか良く識別できない物が多いので、いくつかの解りやすい写真(と言ってもかなり見にくいが)を紹介する。現代の道路やら、バイクや車で砂漠を走った跡の線などが邪魔になり、クッキリとどれが古代に描かれた地上絵なのかはっきりと識別できないかもしれない・・・・

 

 

これは、蜘蛛。お判りになって頂けるだろうか?この写真では右側が頭、左が胴体。

(これ以降、地上絵の名称については、利用した航空会社から入手した資料に基づいて表記したい。また、実際、飛行中にパイロットが提示した名称でもある。いくつかの日本国内で発刊された資料を読むと、一つの絵に付き幾つかの解釈と名称がある場合もある。しかし、現地の資料ではXXと呼ぶ場合もあると表記してはいるが、対象となる絵そのものが明らかに間違っている物もあり、現地を知らない人物が写真のみで解説を書いたり編集しているのでは?と思わせるような物がある。なお、ここではそれについて深く論究しない。また、これも、あくまでも旅行好き、写真好きの個人が書いたお遊び旅行記と了承願いたい)

 

これは、コンドル。右下が嘴であるが、この写真では先が切れてしまった。

何しろ小型機の急旋回で、ファインダーをずっと覗いていたら気分が悪くなってしまう懸念があり。地上絵を肉眼で確認してアングルを決めてからファインダーを覗いては、シャッターチャンスが直ぐに失われてしまう。(涙)

蜘蛛やコンドルは雨の化身とされていて、これらの地上絵からは、乾燥地帯のナスカの人々が天に向かって、農耕儀礼として雨乞い目的で描かれたと言う説がある。

 

これは宇宙人。写真中央に小さい。右斜め上が頭、左斜め下が足立っている姿で、右腕を上げている絵。解らないかも?

ペルー(地球)を訪れた奇想天外なUFO説もある。

 

   

これは、猿。写真一枚目は左半分に大きく、右上が頭、左が尻尾。写真2枚目は、写真を分断する右斜め上から左下に掛けての対角線(現代の川の跡?)の右半分に右を向いた猿が見られる。左のぐるぐる渦巻は、長い尻尾。

 

これは犬。写真下側中央に右を向いた犬が確認できるだろうか? 世界中で古代から犬は人間の友だったよう。なお、日本国内の資料では、これをキツネとし、南米の神話に天空と地上を行き来する動物であると解説しているものもある。

 

 

 

これは手。北米アラスカから南米アルゼンチンまで貫く、パンアメリカン・ハイウエーが眼下に見える。そのハイウエーの中央右側に小さく、右下に向いて両手が広がられている。この写真では確認しにくいが、この手指は全部で9本しかない。国内の資料によると書かれていないが、ペルーの現地人によると、マリア・ライヘはナスカ地上絵の研究中に、病気でで指を一本失った。この地上絵の手や猿の手は指が9本で、彼女はシンクロニシティを感じて喜んだと言う。マリア・ライへの情熱と研究成果はペルーで認められ、彼女を尊敬と信愛を持って、「マドレ・デ・パンパ」大草原の母と読んだ。ハイウエーの右側には、マリア・ライへが建てた観測台が見られる。

 

  

これはハチドリ。写真一枚目は、左下。特徴的な長い左側の嘴が接する線は、夏至の日の太陽線を表すと言う。写真2枚目は、ハチドリが右側に位置し、嘴は下向き。

 

地上絵と写真はまだまだあるが、写した本人の私でなければ識別が難しい。

この傾き具合を見て欲しい。写真では体感できないが、機のフロントガラス線と下界の線の角度を見て!! セスナだと旋回時の傾斜が大きく絶叫マシンレベルですよ!コパイ(副操縦士)が、「左下に見える!」と言って指さししている。 地上絵の位置にもよるが、利用したセスナ会社から入手した資料によると、高度は三段階でレベル3が1340フィート。レベル2が840フィート。そして、一番近くまで旋回してレベル1では340フィート。それぞれメートル換算すると、408メートル、256メートル、104メートルの低さにまでなる。

 

(某社(旅行社ではない)出版の世界遺産についての某書では、レベル3が480メートルとなっているが、印刷ミスであろう。メートル表記のみでフィートが出ていない。いくつかの航空会社があると説明し、その中でも私が利用したのと同社をモデルにしてフライトルートを提示しているので、やはり、表記ミスのようである。まあ、そうそう日常で高度を体感する機会が少ないと、大した表記違いではないのかもしれないが・・・)

 

地上絵を鑑賞する急旋回が30分くらい続いて、また空港まで30分くらいの安定飛行で、砂漠を見続ける。1時間半のフライトだった。

 

   

さあ、着陸に向けての旋回が始まった。

 

いよいよ着陸だ。パイロット二人の気合と緊張感を彼等の背中から感じる。離発着の数分間は気合が入っていますね。

 

 

   

地上に降り立つと、砂漠の中の空港であるが、ほんの少しだけレンガで囲みをして花壇が作られている。そこに咲く花が色彩のオアシスに感じる。

 

砂の中の石。これらの石をお土産に拾って帰って、お絵かきしてペーパーウエイトでも作りたい気分だったが、写真にだけ収めた。

   

リマに向けての帰路、パンアメリカン・ハイウエーでの土産店では、地上絵がデザインされた陶磁器が売られていた。砂漠の乾いた砂色ばかり見ていると、色彩に飢えてしまうのか色取り取りの絵付けが新鮮に思われる。

 

最近、お窯に火を入れていないので(と言っても電気窯であるが)、私もナスカの地上絵をデザインしてマグカップやら皿やタイルを制作してみよう。そして、「美」について深く考えたいと思う・・・

ちなみに、この白黒モノトーンのモダンなセンスの絵皿は、地上絵柄をマスキングして黒色で彩色後、マスキングをはがし800度で焼成したと思われる。(もし、実際には少々違う手順で制作していたとしても、その技法で同じような物が制作できる。私は違う色で制作してみようかなぁ~)

 

さて、次回はインカの空中都市マチュピチュ遺跡をご案内しましょう。

それでは、またお会いしましょう・・・・

 

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パンアメリカン・ハイウエー

2012-10-07 01:37:45 | 旅行

ようこそ、私のブログにお越し下さいました。今日から少しずつペルーやメキシコの旅日記をアップしていきたいと思います。何しろ2千枚の写真を撮ってきたので、写した本人の私が、それらを一枚ずつ眺めるだけでも大変。人様から見たら可笑しなものが被写体になっており、面白くもなんともない写真が多いのかも・・・・

でも、自分が見たもの、その時の空気、感じた気温、聞くともなしに聞こえた街のざわめき、二度と会う事のない異国の人との触れ合い、異国に居ながらふっと日本や自分がお世話になっている方への思い・・・etc等などが、総て写真と言う形になってしまいました。

 

遺跡の隙間から生えている雑草や、石畳の合間に咲く野の花は、写真を取るようになると良く目が行くようになります。こんなところにも溢れる生命力なのだと、雑草が愛おしく感じるのです。

 

「有名スポットで自分の姿」写真を撮りまくるのも、その人のスタイルでしょう。自分もそう言うタイプではないかしら? そう思っていましたが、意外に違うタイプなのだと20代の頃から気が付いていました。それでも、自分では意識していなくても、他の方が撮って下さったり、折角だから一緒に写って下さいとお声を掛けて頂き、総て頂いた写真になりますが、私も有名スポットで写っている、それこそ世界中の写真が多々あり、クロゼットの奥にあります。

 

30歳くらいからカメラが好きになり、買い替える度に自分の姿が写真から極端に少なくなり、メモ代わりに色々な物を映すようになりました。更に少しずつ年齢を重ねる度、毎年毎年、「物のあはれ」を感じる様になり(あ!、私は老人ではないです^^) パチリ、パチリをしていると、見えない物が見えたり感じたりするようになりました。

ミイラなどを見ると、どんなに美しい人も骨になったり内臓が在ったり、華やかな人生を生きているような人でも、私生活や内面の精神的苦しみを持っているものなのだと悟り、見えない人の心と言うものを感じる様になりました。

  

(これは、私の写した直接写真でなく、メキシコシティー空港内の展示室の写真パネルをパチリした)

 

旅に出る度に(決して遠い地や海外と言う事ではないです)、今、自分が旅している幸せと、自分が周囲に活かされているのだと言う、感謝の気持ちが溢れてくるようになりました。(涙)

そして、帰宅してスーツケースを開け整理する度に、自分の周囲の佇まいも整えなくちゃ・・・とか、異国の「美」に触れる度に、日本の「和の心」や「お着物」に触れたくなります。

 

 

 

さて、前書きが長くなりました。

本日は、皆さまをペルーの首都リマから、ナスカの地上絵までをご紹介しましょう。^^

かなり長文になってしまうので、飽きてしまわれるかも・・・

まあ、のんびりとお付合い下さいませ。^^

 

ナスカの地上絵を見るには、自分の目の高さでは絶対に無理でセスナで遊覧飛行しながら鑑賞する事になる。そのセスナが離発着する空港まで、砂漠を一直性に貫くパンアメリカン・ハイウエーを南下していく。

 

このパンアメリカン・ハイウエーは、北アメリカ大陸のアラスカから、中米を通過し南米のアルゼンチン迄貫くハイウエーだ。このハイウエー本線に入るまでに、リマの街中を抜けて郊外へと走ると、民家の壁や道路のガードレールの至る所に、「FUJIMORI」と言う落書きが見られる。

 

南米は日本から一番遠い地であるにもかかわらず、日本からの移民があるのは不思議でならない。遠い異国に移り住んだ、その時代の日本人の苦労が忍ばれる。FUJIMORI大統領は、第91代ペルー大統領でAlbero Kenya Fujimori Fujimori(アルベルト・ケンヤ・フジモリ・フジモリ)。東アジア出身者がラテンアメリカ諸国の元首になったのは、FUJIMORI氏が初めてである。

 

パンアメリカン・ハイウエーは、永遠と同じような景色が続く。砂漠と太平洋。日本でも太平洋は見られるが、本当に太平洋は広い。宇宙から見たら青く見えるのだろう。時折、海岸沿いに建築物が見られ、人々の営みは伺える。また、水のある所は緑が在り、それはトウモロコシだったりアスパラである。そう、私も出発前にスーパーで入手した。大好物のホワイトアスパラはペルー産だったのを思い出した。^^

ホワイトアスパラが私をペルー呼んだのかなぁ~? 北海道産が一番好きだけど、今度からペルー産も心してお料理しよう。^^ 

 

    

さて、これは何でしょう?日本の食卓を飾っている?私たちが結構お世話になっているものです。これらのビニールハウス?(もしかしたら鉄板ハウス)は、鶏小屋でハイウエーではよく見られる。太平洋と砂漠の狭間で育った鶏は、ペルー国内での消費もさることながら、主に日本へ輸出されている。時折、スーパーで底値の100グラム38円、1キロ380円の鶏は、この小屋からやってきたのでしょう。FUJIMORI氏が大統領に就任してからは、日本からの融資も優遇されるようになり、かなり日本への輸出品が増えたようである。

 

 

ナスカのセスナ飛行場。砂漠の中にポツン。飛ぶのか飛ばないのか、定刻などと言う概念は無い。総てパイロットの判断。とりあえずチェックイン。一人一人荷物になった気分で、手荷物を抱えて体重測定。適当に名前を呼ばれて、いざ飛行開始。数機が折り返し同じことの繰り返し。

 

コパイ(副操縦士)はハンサム♪真ん中の高身長の方です。両脇の男性と女性は、地上職員でチェックインもセキュリティーチェックも駐機場のマーシャラ―(誘導)もしている。一人何役も。

キャプテン(機長)は太目のオジサン^^

 

コパイが英語で、シートベルトを締める様に促し、キャプテンが日本語で(でも日本語は出来ない)、「ソレジャ、イキマショカ」と一声で滑走路へ。私は悪戯心で「Visibility is OK !  Take off !!」(視界良好、離陸!)と彼等の肩越しに声を掛けた。^^

 

非常に狭く、パイロット二人の肘がぶつかりそうである。コパイは肘当てを常に下ろしており決して肘当て以上に左腕をキャプテン側には出さないが(上下関係が徹底している?)、キャプテンは操縦に気合の入る時は、肘当てを上げている。多分、左旋回するときに右ひじが体の幅以上に右上がりになるのだろう。そして、安定飛行の時には肘当てを下ろして、その上に右腕を乗せてリラックス操縦?で計器を見ている。

 

機が飛び立つと直ぐに眼下には砂漠と太平洋と、海沿いにへばりつく様な集落が見える。

  

滑走路脇には、砂を被った軍用機が駐機?(ほったらかし?)していて、まるで、飛行機の墓場のモハベ空港のようだ。

  

 

やがて水平の安定飛行に入ると、キャプテンは肘当てをおろし、コパイと共にサンドイッチを食べたりペットボトルの水を飲んだりしていて、非常にカジュアルである。時に気流の悪い所で機がバウンドした。すると、「今日は揺れるな」などと言い、キャプテンが太い体を揺すって遊んでいる。「いやぁ~、止めてよぉ~そんな事!」と言いたくなってしまう。

  

 

そして、眼下にはひたすら砂漠が見える。時折、転々と緑が見えるが、川が干上がったのだろう。かつての川の流れに沿って緑が点在している。離陸から水平飛行が30分位続いただろうか、キャプテンが肘当てを上げた。

 

(あ~操縦に気合が入った、いよいよ地上絵に向けて旋回しだすのね。こう太いのじゃ操縦桿を回すのに肘当てが邪魔になるのねぇ~)

 

 

此処まで書いて眠たくなってしまいました。

また、明日お会いしましょう・・・

 

 

 

 

 

 

 

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ただいまぁ~~♪

2012-10-03 20:44:14 | 旅行

ただいまぁ~♪

久しぶりのブログアップです。しばし、山ガールになって大自然や遺跡を訪れ、美術館や博物館にて歴史や人々の営みを見て、夜空に浮かぶ月を眺め、足元の野の花に心を動かされ、物のあはれを感じ・・・・

そして、わが人生を考えた日々だった。

 

勿論、素敵な現地の男性との出会いも・・・

な~~んてね?嘘嘘!きゃきゃ!

それは、私だけの心の中に仕舞いこんで、秘密。

 

「人生は塞翁が馬」

本当に人と人との出会いは、何処にでもある。そして、世界は広い。縁と言うものは存在するけれど、やはり、黙っていて向こうからやって来るものではない。

「棚から牡丹餅」と言う縁も確かに存在するだろう。しかし、自らが何らかの行動の結果、そこにエネルギーが生じて、そこに縁が発生するのだろう。その縁を、断ち切るか紡いでいくかは、それも自分次第であろう。

 

基本的に私は能動的ではないですけれど。(だって面倒だもの・・・それに、向こうからやって来るものを捌くだけで精一杯^^) それでも、その場、その機は総て自分が何らかの行動をした結果なのだと思う。

 

 

ペルーとメキシコに行ってきた。今朝の早朝の便で帰国した。

出発前に色々と在り、先月のベトナムに続いて今回も、ドタキャンになるかと思いきや、何とか出発できた始末。

 

写真は、各国千枚で二千枚程撮ってきた。でも、私が写っているのは4~5枚あるくらいかしら? 適宜写真整理をして、ブログにアップしたいと思う。ミイラなどかなりグロテスクな写真もあり、二千枚の内、どれをアップして書いたらいい物かどうか迷うところである。お見せできない様な?エロティックな写真もある。古代でも現代でも、何処の国でも人々が命を繋いできた証、そして、明日への生きる糧?は、共通なのだと改めて思い知らされた。^^

 

自宅に帰り付いたのは、午前10時だった。直ぐに近所の女医の所へ行ってきた。いつもの事だけれど、精神や肉体が疲れると直ぐに帯状疱疹が出来てしまう。痛みや患部の熱は毎度の事なのだが、帰国後すぐに気持ちを入れ替えてしなければいけない事があるので、診て貰った。もっと、体力アップと免疫力強化をしなくっちゃ・・・・

 

 

さて、日本は本当に好いですねぇ~。帰国直後に成田で早速、日本の親切に接する事が出来た。6時過ぎの帰着だったが、乗りたい電車の始発が7時50分位で、時間を潰さなかればならなかった。

 

電車の改札のすぐそばに、スターバックスがあり、コーヒーの香りに誘われて入店した。

甘いアイス系の物を注文した。ペルーの山岳地帯やメキシコの乾いた空気から一変して、日本は湿度が高く一寸暑さを感じて、ハンカチで顔を抑えたり仰いだりした。

 

すると、スターバックスのスタッフの方が、「暑いですか? 湿度が高いですが、外は雨で寒いのですよ。帰国後ですので気を付けてください」と声を掛けて下さった。

 

「メキシコから到着したばかりで、空気の乾燥していたところから来たので湿度をものすごく感じる。向こうのコーヒーは薄かったり、濃かったりで温度も低く、今、電車のチケットを購入するときに、こちらのお店のコーヒーの香りに誘われてしまった」

 

そう応えると、「宜しかったらコーヒーも飲みますか?」と言って下さり、私が注文した冷たい物の他に、少しホットコーヒーをサービスして下さった。

帯状疱疹で、痛みと熱を腕に感じていたけれど、それが吹き飛ぶような心がホットする、帰国後一番の今朝の喜びだった。

 

 

母国、日本は本当に好い国ですね?

あ~~~~秋刀魚が食べたくなちゃった♪ やはり、日本の秋は秋刀魚と日本酒でしょう?

 

 

でも・・・・

お酒のレパートリーにテキーラ―が増えた私でした。^^

 

 

 

 

 

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アイヌ文様

2012-06-20 12:11:28 | 旅行

札幌に行ってきた。札幌駅と大通り公園を結ぶ地下道の壁に、アイヌ文化について展示されていた所があり、思わず足を止めた。アイヌ文化の中でも、独特の文様デザインに興味を持ち、地下道の柱にガラスケース入りのキルトが掛けられていたので、写真に収めてきた。

ガラスケース内の両側に蛍光灯があったような?なかったような??、また地下道の照明でガラスの反射もあり、しかも携帯で撮ったのであまり良い写真ではないけれど・・・

 

 

 

アイヌ語で「ケウトムピリカ」、日本語で「美しい心」

 

ピリカは美しいで、美人をピリカメノコと呼ぶと、小学校の修学旅行でアイヌ村に行った時に、教えて貰ったのが記憶にある。

 

 

「ノンノヘチラサ」「花が咲く」

 

 

「トートカムイ」「湖沼の神」カムイは神も習った。北海道の地名はかなりアイヌ語から来ているものが在り面白い。

 

 

 

「チュプカムイ」「太陽の神」

 

 

「ススカムイ」「柳の神」

 

「オウポポリンネ」「若生え」

 

「カムイカップ」「神鳥」

 

「パイカクエル」「春が来た」 他の作品と違って、黒地がすくない。これは春の喜びや光を白系を全面に使う事で表現しているのだろうか?中心の赤系がお花を連想させる。

 

「キロル」「狩りに行く道」 札幌の街のような道路です。きっちりとした碁盤の目状の道路を感じさせる、垂直と並行の道。

「イレスカムイ」「火の神」 文様の先が跳ね上がっているのは、炎のなしら?

 「ミナハウ」「神々に微笑み」  中心の赤はまるで微笑んでいる口のようですね?

 

艶やかな色彩は用いていないけれど、どれも美しいです。

見たところ、布を折って左右や上下に対象に切り取った文様を地布にアップリケをしている。こんなデザインで何かを作ったら、そうねぇ~食器の絵付けにしたり文具のデザインに応用したり、色々な小物が作れる。ブックカバーや袋物も良いわね? とても夢が広がる。

 

 

 

このようなアイヌの衣装に文様があしらわれる。この衣装は、木の皮から織られているようである。実物は、北海道開拓記念館という博物館に展示されている。

説明文をそのまま引用する。

 

アットシアミプ (樹皮衣)

アッニ(オヒョウ)やニッペシニ(シナノキ)という木の内皮で作った衣服です。内皮を水につけ、柔らかくして皮を薄くはがし、よりをかけ、結び合わせて長い糸にします。この糸で織った布で衣服を作り、刺繍で文様を入れます。シリキ(アイヌ文様)には、魔除けの意味があるとも言われ、母から娘へと受け継がれてきました。この地下歩行空間の柱に飾られているタペストリーにもアイヌ文様が刺繍されています。

 

 

魔除けになるのなら、これらのアイヌ文様を組み合わせてタペストリーを作って、玄関の壁に掛けると良いわね? 色々な柄の素敵な布地を使って、全く違った雰囲気にも作り上げる事が出来る。折り紙の要領で折って、文様を切りだし広げたら対象デザインになるのは、ハワイアンキルトもそうね? でも、大作を作る時間がないので、小さなコースターなんかを作ろうかしら?

 

以前、新千歳空港のホールでアイヌ文様やユーカラ織の作品が展示販売してあり、その時に、作品そのものよりも、アイヌ文化の書籍が売られており、購入しようか心が動いたけれど、重たいので断念した。でも、今回、この写真を整理して、どうしてもアイヌ文化を勉強したくなってしまった。そこで、先程、アイヌ語やアイヌ文学、アイヌデザインやその他諸々の書籍12冊をネットで注文した。もっと欲しかったけれど、12冊にとどめておいた。楽しみ♪ でもぉ~、そんなに読む時間はないのだけれど。

 

好奇心旺盛と言うか、知らない事を知るのは楽しい。色々な世界の事を学ぶのは楽しい。だから、私にはいつも時間が足りない・・・・

 

もうこんな時間。今夜は台風ですね? アイヌ語では台風を何というのかしら? 来週にはその答えが解る。

一週間後には、今夜の私より1ミリでも成長していたい・・・

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深夜のつぶやき・・・

2012-04-16 04:01:27 | 旅行

今夜も玉突きでこんな時間まで起きている・・・

こういう不規則な苦しさは、アメリカの苦しさ。アメリカ国内を移動している時の苦しさかしら?ヨーロッパは、イギリスと、ギリシア位がそれぞれ大陸と時差があるけれど、国境を越えても同時間だったのが救いだった。

 

ロンドンもパリもフランクフルトもアムステルダムもローマもコペンハーゲンもチューリッヒも、そこから飛び立ち成田に降り立つのは、どれも同じような印象だった。スペインだけが違ったな。マドリ発モスクワ経由便が、一番体のリズムが楽だった。

 

アメリカは、西海岸だけだと楽だけれど、東まで行き西を経由するのが、兎に角苦手だった。アメリカ国内の飛行機はシャトルバス替わりで、フライトキャンセルも多く面倒。その分、色々な便には振り返られるけれど。

 

アメリカと言えば、ラスベガス。ちょっとした苦い思い出がある。(苦笑)

グランドキャニオンの遊覧飛行機のパイロットとケンカをしてしまったことがある。

若気の至りでした。ハハハ・・・

 

でも、押えましたよ。あの時は・・・。喧嘩と言っても、一方的に怒鳴られたのよ~。正確なところは、喧嘩にはならなかったけれど。ラスベガスの空港のターンテーブルにいる私に電話があり、アメリカ人の空港スタッフに呼び出されて、どうもあなたに電話の様だと言われて、出てみるといきなり怒鳴られた。英語かと思ったら、日本人パイロットでね、かなり傲慢で横暴で失礼な態度に、温厚な??私の怒りが爆発しそうになりましたけれどね。彼の職務を考えると、職業人として真っ当な判断であると思い当人の気持ちを考えるべきだと、自分を抑えたなぁ~。

 

あなたの様に何でも自分が思ったように事が運び、自分の望むような段取りと方法で仕事がスムーズにいかない事の方が多い。不測の事態が(と言うほど大げさなものではなかったけれど)起こった時ほど、あなたの職業人としての技量が試される! きっと、今の私ならばたとえ自分より年齢の上の人にも、そう対応してその人を黙らせたと思う。ただし、フライト後にね。^^

 

あの時も、フライトが終わるのを待ち構えて、そうお互いに納得するまで話し合っても良かったけれど、無駄に向き合いたくなかったかな。仕事を終えた後なら、彼も少しは利く耳を持ったに違いないけれど、彼の顔など見たくもなかった。

 

直ぐに気持ちを切り替えて次の事に心を向けていると、別なところから電話があり、まぁ~つまり私へのお詫びで、事の経緯を話し、ちょっぴり憂さ晴らし?をしたら、電話口の向こうからお詫びをして来る。あの横暴なパイロットへの怒りがこみあげてきて、その腹いせに?^^わたしへのお詫びとして特上のお寿司を奢らせる約束をし(と言っても、日本国内ではなくアメリカのお寿司だから。。)、自分の気持ちを切り替えた。

 

空港の出発ロビーは当然だとしても、チェックインを終えた後の、搭乗口までスロットマシーンがあり、ギャンブル・ギャンブル一色のイメージだった。

 

ホテルロビーはギャンブル会場で、そこをバニーガール美人が腰を振りながら歩いている。煙草の紫煙と一攫千金の夢とロマンと、人々の失望とが立ち込めた空間だった。

 

ニューヨークのネオンは好きだったし、翌朝の摩天楼の合間からさす朝日に高揚感を感じたけれど、ラスベガスの不夜城のネオンは翌朝には非常に空しさを感じ、どうも私にはなじまなかったな。ラスベガスでは、色々な事を経験しすぎたし・・・・^^ 内緒・・・^^

でも、ラスベガスを舞台にした映画を見るのは娯楽として良いかしら?

もう、こんな時間・・・・

 

目覚めたら今日から、新しい1年が始まる。頑張らなくっちゃ・・・・

 

 http://www.youtube.com/watch?v=nlQ8te4BOhY&feature=related

 

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マドリ

2012-03-20 07:59:17 | 旅行

マドリッドの目的は只一つで、プラド美術館だたった。

 

地下鉄駅からプラド美術館前に至る道は、プラド通りと言われ並木道で、シャガールのポスターが掛かっていた。

  

 

プラドでは常設展の他にエルミタージュ特別展が開催されていた。ついこの前、エルミタージュに行ってきたので、常設展だけを、しかも、目的のブースを中心に鑑賞してきた。

 

プラドは世界三大美術館の一つ。後二つは何処でしょう?イギリスの大英? いいえ、誰もが思い浮かぶ、パリのルーブルはそうです。あと一つはロシア・サンクトペテルブルグのエルミタージュです。イタリア人はプラドを外してイタリアの美術館を加えて世界三大と呼んでいますが、実際はイタリアは入っていません。

 

 

 

入場は夕方6時以降は無料です。それ以前は、入場だけですと12ユーロ、公式ガイドブックと入場券は19.5ユーロです。でも、もし資料としてガイドブックが欲しいならば、入場券売り場で19.5ユーロを支払った方が良いです。と言うのは、中に入ると売店があり、そこでガイドブックが買えますが19.5ユーロです。と言う事は入場券とセットで購入すると、実質入場は無料と言う事になります。そんな資料は重たいし必要がないと言う事であれば、主な見どころのダイジェスト版ガイドブックが4.5ユーロ(だったかしら?)で、購入できます。勿論、日本語の物が入手できます。

 

疲れたらプラドカフェというレストランブースとカフェテリアブースがあるので、お食事やお茶も出来ます。

 

お庭では、ゴヤが入場者を見つめています。自分の作品をよく見るようにと言う事でしょうか?

 

ゴヤの有名な作品は、やはり、「着衣のマハ」と「裸のマハ」でしょう。描かれている女性が同一人物ですが、同じポーズで衣服の有無の違いです。これは神話に登場する女性ではなく、実在の女性の裸体を描いたと言う事で異端訊問所に召喚されてしまいました。

 

   

 

ゴヤはタペストリー工場の下絵製作者だった。43歳でカルロス4世の信頼を得て、宮廷の首席画家にまで出世する。しかし、その4年後には重病を患い聴覚をなくしてしまう。そのころ、スペインは長い戦争の社会情勢に入る。そんな中で、ゴヤは貴族を嘲笑した作品や、この問題となる「裸のマハ」を描く。これは、スペイン初となる生身女性の裸体で裁判となってしまう。晩年は、フランスに亡命して社会や人間の心の邪悪さを描いた「黒い絵」の連作を残した。ゴヤについて書くと止まらなくなってしまうので、ここで止めておきます。^^ それにしても、マハは豊満な肉体ですねぇ~。私はシルエットよりもゴヤの描いた実際のマハがそうであっただろう肌色に惹かれます。だって、女性はスタイルの良さ?もそうですけれど(それは人の好みでしょうが)、お肌の質感と言うのはとっても大事で、私自身も磨き????を掛けているから・・・^^

 

ゴヤのすぐ後ろの白亜の建物は、超一流のリッツホテルです。私は勿論そのようなところには宿泊しませんでした。でも、ロビー階でお茶を飲むのも優雅かも知れません。

 

   

スペインらしくギターを持ったオジサンが、「禁じられた遊び」などを弾いています。芸術に興味のない人でも、美術館を囲むお庭のお散歩をするだけでも楽しめます。

 

 

すぐ後ろには、サン・ヘロニモ・エル・レアル教会があります。ファインダーを覗くと飛行機が飛んでいて、青い空に一条の白い雲が絵になっていたのでパチリ。観光地ではありませんが、静かに入場をして、祈りを捧げても良いでしょう。

 

プラドの後は、マドリッドを象徴する中心の広場プエルタ・デル・ソル(太陽の門)に行ってお終い。

地下鉄の駅をあがると直ぐに、カルロス3世の騎馬像がお目見えします。そして、そのすぐ前には、マドリの自治政府庁の建物があります。

  

 

ここの広場には、一番大きなデパートである、エル・コルテ・イングレスがあります。赤い女性のポスターが掛かっている所。その前、二つの両脇の建物は別館で、AV館と書店。

   

 

デパートの向かいにはH&Mもあります。

 

デパートの画材コーナーで油彩画の本を購入。今、毎日お休み前にその本を眺めている。スペイン人画家がどのように油彩を仕上げていくのかが解り、面白いです。

 

これで、スペインのお話は終わり。

今日は、春の靴を購入しにお出掛け・・・・。帰宅後は、お着物に一寸触れてみたいと思います。油彩画を眺めた後に着物を眺めるのは、とっても絵の勉強になるのです。^^

 

 

京都に行きたくなちゃった。桜のお花も無くなってしまったし・・・

桜を食べるのです。桜の塩漬けで、桜ごはんを作ったり・・・和菓子を作ったり・・・

 

 私は「花より団子」だったのね? いいえ、どっちもです。^^

 

 

 

 

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コルドバ

2012-03-18 20:38:47 | 旅行

紀元前にローマ帝国によって建設されたコルドバは、10世紀にコルドバ・カリフ王国(西カリフ帝国・後ウマイヤ王朝)の首都として栄えた。当時のヨーロッパとしては、大きな街で人口は100万人近く、300を超える豪奢なイスラム寺院が立ち並んでいた。

 

 

 メスキータ。メスキータとはイスラム寺院の事だが、ただ一言でメスキータと言えば、ここコルドバのメスキータの事を指す。コルドバを西方のメッカとする目的で785年、後ウマイヤ王朝を開いたアブデラマン1世によって建てられたモスク。イスラム寺院としては世界第2の規模を誇る。

 

 

 

 

イスラム寺院の尖塔。

   

 

 

 

寺院内部は馬蹄形のアーチが続く。

   

 

 

 

何度も拡張を繰り返し、中にはルネサンス風の部分もあったり  と、イスラム教とキリスト教が同居した美しい?いやアンバランスなムードが漂っている。

  

 

 

 

フランスゴシック寺院のステンドグラスなどとは、明らかに違う比較的単純なデザインのステンドグラス。でも、そこから注がれた光が作りだした床の影は、当時の人々も同じ色彩を見たのかと思うと、解釈の必要なステンドグラスとは違い、純粋に只美しさだけを感じた。

   

フランスゴシック大聖堂のステンドグラスは、床のおとした光よりも窓ガラスそのものの美しさを鑑賞というよりも、聖書を読み取り理解が必要。でも、単純な色ガラスが組み合わされたこのステンドグラスは、光が注がれたその床に自分が立つと、言葉の要らない洗礼を受けたような気がした。

 

 

 

 

メスキータ中央部に位置するカテドラル。様々なスタイルを組み合わせた、文化の混在する建築様式で、荘厳な雰囲気を漂わせている。パイプオルガンが美しい。でも、一寸変な感じがする。

 

 

 

  

コルドバの街は、メスキータを中心とする旧市街には、迷路のような路地が多い。ここは花の街でユダヤ人街。

  

白壁に飾られた花が美しい。細い路地の間からメスキータの尖塔が見えて、絵になる。とっても美しい。水彩画で描きたいな。

 

路地をどんどん進んでいくと、白壁に囲まれた行き止まりで小さな中庭になっていて、見え上げるとすっぽりと抜けた青空が美しい。

 

「ああ~~~嗚呼! 空(そら)! 空(カラっ)! 空(くう)! そして、無・・・・・」

 

 

そこに一本オレンジの木が育っており、日陰を作りつつ、壁の白、空の青、木枝葉の緑、果実のオレンジの色彩の世界が目の前に現れて、狭いパティオなのに10世紀から今までの時間の移り変わりを、ぎゅうっと圧縮して感じさせる。

 

 

 

 

「あ~~人間一人の人生は100年にも満たないけれど、その命が継がれて、また継がれて何千年も人の歴史は続くのねぇ~。耳を澄ますと、馬車の蹄の音が聞こえそう・・・」

   

 

白い鳩。ここの鳩は灰色でも虹色の首でもなくて、真っ白! 鳩も自分がどの風景になじむと、一番自分らしいのか生きる場を選んでいるのかしら?

 

 

 

ペスト祈念柱。ペストがヨーロッパの各国で猛威を振るったが、そのあちこちの都市でどこでも祈念柱が見られる。

 

 

 

グアダルキビール川に掛かるローマ橋から、もう一度振り返ってパチリ。名前の通りにローマ時代に掛けられた石橋で、戦争や暴動で何度も破壊されたが、その都度改修されてきた。

 

人と人の関係も、一度壊れたらそれきりではなく、何度も改修してお互いの心と心に橋を渡す必要があると思う。こちら側と向こう側を行ったり来たり出来る橋がないと、川は人の心を分断してしまう。

 

現代のポスト。黄色が可愛いしスペインらしい日差しに良く映える。でも、今は万年筆の手書きの手紙よりもメールですね?

 

 

最近は、一寸自分とは違う世界の人と、リラックスしておしゃべりを楽しみたいなぁ・・・・

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言霊とCM

2012-03-16 22:41:31 | 旅行

色々な国でTVを付けて楽しみなのが、コマーシャルである。数分の短い間に色々な品物もの(目に見えないような商品もあり)、時には不動産ありと、その国の言葉とイメージが凝縮されたCMは、言葉解らない国のTVでも面白い。

 

かつて、ニューヨークタイムスで日本のコマーシャルについての記事が目を引いた。それは、アメリカ人からすると、日本のCMは一体何の商品についてなのか解らない。最後までCMを疑問に思いながら見ると、ホンノ最後の一瞬でその商品が映し出される。それまでは、延々とイメージだけが流され続けるというものだ。

 

例えば栄養ドリンクなどは、そうかもしれない。日本の何処にそんな雄大な大自然があるのかと思わされ(実際には日本にも大自然はあるのだが、東京しか知らないような外国人にとってはそう思うのかもしれない)、大自然への旅行ツアーのCMか、一体商品は何か? と疑問が続き、「ファイット一発!」と俳優が一言。やがて、最後の最後で商品名が流される。

 

このようなイメージばかりが先行して、ずばりその商品の特性を表現しない日本人は解り難いという、記事の内容だったと記憶する。成程、海外のTVでのCMを見ていると、その商品がいかに優れているのかと言う事を全面に押し出した映像が流れて、見ているとそれは大げさではないだろうかと言う表現もあり面白い。

 

でも、私は三つ我が国で素敵だな~と思ったCMがある。二つは日本のコマーシャルと言うよりは外国の映像を映し出したもの。日本人向けだったかもしれないが外資の商品であったのかもしれない。保険会社のCMだったろうか?それとも製薬会社だっただろうか? 何の商品なのか忘れてしまったが、象が湖に落ちて仲間の象がそれを助け上げる。鼻と鼻のチェーンを作って仲間を救う姿は、自然の動物の行動を偶然撮ったものだったとか。

 

もう一つは、外国の私立小学校で一人の男の子が長い間病欠をしていて、久しぶりの登校の日、その子は髪の毛が抜け落ちていてそれを隠すかのように、毛糸の帽子を被って登校する。心の中は、髪の毛が無い自分を恥じており、仲間に馬鹿にされやしないだろうかと懸念をしている。そして、意を決して教室のドアを開ける。すると・・・そこには、クラスメートが彼の姿を見て驚くどころか、全員が髪の毛を落としてその子と同じような毛糸の帽子を被っていて、病気から快復したクラスメートを迎える。

 

それらの二つのコマーシャルは、見るたびにとても心が温かくなった。でも、やはりNYタイムズの記事が語っていたように、何のCMだった思い出せなくてイメージだけが先行しているものなのかもしれない。

 

最近のCMで、やはり心がジ~~~~ンと来るものがある。なんのCMか、これも思い出せない。次に目にしたときにはしっかり見ておこうと思う。それは、疲れたミドル男性が車の運転をしていて、横断歩道で子供を渡らせる。横断歩道を渡り切った子供がドライバーに「ありがとう」のお辞儀をする。そして、ドライバーがそのささやかな「ありがとう」の心に、心が温まるという内容である。このCMは、本当に教えられる。

 

感謝の気持ちは伝えないといけない、そして、その「ありがとう」の一言がどんなに人の心を癒すのだろうかと言う事を。

 

「ありがとう・ごめんね・許してね・愛しているよ」何度でも、いつでも、どこでも素直に表現したい言葉である。

 http://www.youtube.com/watch?v=A3w9mBAHNs4&feature=related

 

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スペイン小休止

2012-03-15 00:00:07 | 旅行

 

海外旅行に行っても、此れと言って欲しい物は無し。スペインと言えば、良質な革製品が有名だし、バッグや靴などのブランドショップもある。でも、ブランドバッグなどには興味がないので、私は至って安上がりかな。

   

スペインの色々な都市の街角のお土産屋さんでは、色取り取りのフラメンコ衣装などがぶら下がって、スペインらしい色彩で旅行者の目を楽しませてくれる。それよりも、自分の目に止まった色々な物を写真に収める方が、私にとっての宝物。

 

 

修学旅行のスペインの子供達。子供は何処の国でも可愛いですねぇ~。オラ!と声を掛けるとオラ!と返ってくる。やっぱり、明るい笑顔とあいさつの言葉は、心を和ませてくれますねぇ~。オレンジの木葉が強い影を作り出していて、スペインらしい春の日差し。

 

 

 

自分へのお土産でとっても気に入ったのが、このCD。情熱的なスペインギターの調べで聞いていてリズミカルで明るくムード一杯。3月も半ばに入ったというのに、未だ寒いこの時期と対照的で、気分を前向きにしてくれます。面白い事に、リストの「愛の夢第3番」が、スペイン風に編曲されていて、とても同じ曲と思えない。リズミカルなアップテンポに変化して、カスタネットの音が加わり、まるでフラメンコ曲のよう・・・・

 

最近は、クラシックをジャズ風やロック風に編曲した曲に魅せられているので、このリストは心地よい。リスト本人が生きていて聞いたら、トンデモナイ!と思うに違いない。

 

 

 

あとは、オリーブの塩漬けとサングリアというかんきつ類が入った赤ワイン。甘くておいしいの。レモンやオレンジの角切りを浮かべると、とっても現地っぽい。それと、ドライフルーツ。ビタミンCが一杯♪ 心のビタミンは足りていますか?? ^^

 

それに、お茶。カモミールティが大好き。キク科のお花で、日本語ではカツミレと言い、化粧品に良く入っています。このカモミールティーは女性の為のお茶で、体を良く暖めてくれるし、心を穏やかにしてくれます。レモンとはちみつを入れて飲むのが大好き♪

お湯ではなくてミルクで煮だしすると、眠れない時の睡眠薬代りになりますよぉ~。このハーブは、生理痛にもよく効きます。このお茶はプレゼント用に少し大目に購入してきた。

 

 

面白いところでは、紫色の濃淡のストロー。 なんてことのないお水でも、レモンの輪切りを入れたグラスのお水を、この紫のストローで飲んだらおいしそうでしょう?黄色と紫の補色が、お水でさえ美味しくしてくれます。

 

それと、オリーブオイルの石鹸とザクロの石鹸。早速使用しているけれど、オリーブ石鹸はシットリトしていい感じ。ザクロは女性ホルモンたっぷり♪ この石鹸で綺麗になれるかしら?? ^^

 

 

 

そして・・・・やっぱり、フラメンコ衣装は眺めるだけだったけれど、やっぱり情熱の国に行ったのだから、ちょっと情熱をお裾分けして貰おうと思って・・・ 

やっぱり、買ってきてしまった!衣装ではないですよ。フラメンコ衣装風デザインのエプロン♪ とっても、可愛いのぉ~~♪ 腰から下にフリルが3段。ヒラヒラとフラメンコのドレスみたい。

 

今夜は、コスプレでこのエプロンを裸に身に付けてお休みします~~♪

なんて、嘘! きゃきゃ!!

http://www.youtube.com/watch?v=8t7ngya7e90&feature=fvwrel

 

 

 

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アランブラ

2012-03-13 18:48:02 | 旅行

グラナダは、8世紀以来イベリア半島を支配していたイスラム教徒が次第にキリスト教徒に追われ、13世紀コルドバがカトリック両王の手に落ちてからは、イスラム教徒最後の拠点となった街。1492年レコンキスタ(国土回復運動)で、その歴史に終止符を打つ。

 

 

アルハンブラの無血開城により、今も多くのイスラム建築や文化が残されている。現地ではHの音を発音しないので、アランブラです。

 

   

グラナダを見守る難攻不落の要塞、アルカサバ。

 

 

めくるめく夢物語のアラブの迷宮は、柱の一本からなにから総てが細部まで美しくて、見ていて見飽きない。当時のハーレムのお姫様はどんなに美しかったでしょうか?

 

   

 

イスラム教では偶像崇拝が禁じられている。そのために植物や幾何学模様などのアラベスク文様やアラビア文字装飾が、デザインとして使われている。そして、これらは無限の精神世界の広がりを表す。

   

モザイク装飾、アーチ型の回廊、ドーム型の天井、馬蹄形の入り口。どれも美しい。

 

 

ナスル宮殿の中心部に位置するアラヤネスの中庭。水面にコマレス宮が写るように設計されている。

 

 

 

 

熱いアンダルシアの夏を涼しく過ごせるように、ヘネラリフェ庭園には常に緑や花を咲かせて噴水や池で涼を演出している。

 

  

オレンジは、バレンシアオレンジが有名ですね?これは。アンダルシアオレンジ。現地の方は不味いといって食べません。特徴は、葉の付き方が、枝から小さいの、そして大きな葉と二枚付いて居ます。アンダルシアオレンジは、マーマーレード用にイギリスに輸出するそう。

   

このアーチも四角い緑も、皆、糸杉をくっつけてワイヤーで結んで形作っている。

 

 

石畳は、石がすり減らない様に石を寝せないで起てた形で埋め込んである。

 

  

   

アルハンブラを出る時には、陽は未だ照っていたが、山の陰に沈むと一気に気温が下がる様子が、空の濃い色と門柱や木に落とされた影から伺える。シエラネバダ山脈の頂きに見える雪の白さと風の冷たさと、陽が照っている所の乾いた暑さと、あらゆるものが対照的で、激しさや熱情という言葉が、心の中に木魂して、いつもの生ぬるい自分ではいけないな・・・と自省させられた一日だった。

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地中海のバルコニー

2012-03-13 00:00:07 | 旅行

バルセロナの南西、地中海沿いに位置するタラゴナは、BC218年にローマ人によって築かれた。地中海からの海風を頬に感じながら、古代に思いを馳せられるローマ円形競技場。

   

当時は1万人を収容した。現在は観客席とロマネスク様式の教会の廃墟だけが残る。

 

  

 とても静かだったけれど、風の音に耳を澄ませば、古代人たちのざわめきが聞こえるようである。

  

 

古代から此花は赤い色で、命を繋いできたのかしら?

 

 

 

   

これはお墓の集合住宅。どこでも人々はそこで生まれ、生きて、そして天命を終えるのだと思わされる。言葉も通じない文化も違う人々でも、生きている時の喜びや悲しみなど、人として感じる感情はすべて同じであろう。思わず、「ありがとう、許してね、ごめんね、愛している」その言葉が口をついて出た。

 

多くの国々を訪れて、沢山の色々な国の人々と出会って、笑って、食べて、時には切ない思いを心に抱えて、ここまで何とか少しは成長できたのかしら? でも、左程自分自身の行動様式は変わっていないな。いつも、自分自身のマイナス点に目をつぶる為に旅に出ているような気がする。

 

一度でいいから、甘い~旅行と言うのをしてみたいな・・・

 

 

 

 

 

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バルセロナ

2012-03-12 00:00:07 | 旅行

バルセロナと言えば、何といっても建築家ガウディと巨匠ピカソを生んだ、芸術家達の母なる土地でしょう。天然の良港に恵まれたスペイン最大の海港都市。しかし、バルセロナの注目すべき点は、国会をいち早く開き、民法、商法、航海法を制度化した点であろう。

 

  

 

 

 

 

まずは、聖家族教会サグラダ・ファミリアの全景。余りに大きくて、道路向かいの公園の端からでないと全景が入らない。ガウディの名をこの世に知らしめるのに、余りにもこの聖家族教会が有名であるが、実は、苦学の末にグエル邸宅の増改築を手掛けて建築家として成功したのだ。それから、聖家族教会に着手。それからガウディは生涯の総てをこの聖堂に費やした。

 

誰でも既知のように、この大聖堂は未だ完成していない。完成すれば、キリストの生涯が語られる建造物になる。ここを訪れたときは、外観の写真を撮って終わりではなくて、拝観料を支払って中も鑑賞されて下さい。^^ 工事費は入場料で賄われているので、拝観することが寄進になる。

 

キリスト門上部にある生命の木。緑の葉には白い鳩。

   

ガウディの造形は自然の観察よる研究によるもので、そこから形態と色彩を表現している。

 

塔の天辺には果物などの、生命を感じさせる有機体。

 

 

ファサード上部の彫刻の数々。内容は割愛しま~~す。^^ 只、写真を見て感じてください。^^

   

聖堂内部は、他のヨーロッパの寺院の様な暗さは無く、柔らかく明るい光で満ちている。身廊、側廊は、幾何学的で一般的ではない解釈と構造的方法で表現されている。

 

 

 

 

 

まだまだ、建設途中。青い空に聳え立つ尖塔の上には、それがまだ工事中であることを示す、クレーンが見えていた。

 

   

ガウディ晩年の作品である集合住宅。独特の形状から、バルセロナ市民にラ・ペドレラ(石切り場)の愛称で親しまれている曲線の館。

 

 

 

ガウディの生涯のパトロンであったグエル。彼の意志により、 ガウディに依頼した都市開発プロジェクトが未完に終わり、公園だけが残った。このグエル公園は、色彩豊かなタイルが用いられており、トカゲの噴水や自然をそのまま生かした回廊など、ユニークな庭園建築である。

 

 

 

卒業旅行で来ていた7人組の男の子たちと、現地で出会って一緒にパチリ♪ 全員就職が決まったそうで、なにより。この4月から社会人として日本をしっかり支えてね! 22歳の若い力強さが、ちょぴりまぶしい私でした。

私も少しは大人になったのねぇ~・・・・

 

 

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