映画「カサノヴァ」をDVDで鑑賞した。
昨年のお正月に見たいと思っていたが、昨年の今頃はmustが多すぎて、1年後に楽しみを伸ばしていた。(なんて、呑気な・・・・と自分でも呆れるけれど)
あ~楽しかった。何度見ても良いなぁ~。全体的に美しすぎる。
「カサノヴァ」と言えば、ジゴロやドン・ファンとも同義語で語られる好色家であるが、この映画は、その厭らしさはない。むしろ、「純粋な愛」とは何かに焦点を絞られている。
「カサノヴァ」を鑑賞しようとした動機は、「カサノヴァ」の名前が付いたタロットカードを偶然入手して絵柄が美しかったので、2次元ではなく3次元でも鑑賞したいと思ったから。
台湾で「カサノヴァ」カードを入手した。タロットカードやオラクルカードは相当数持っており、海外では旅の記念に現地の書店に飛び込み購入して来る。「カサノヴァ」は、台湾の物ではなく、イタリアのタロット制作会社で有名な所の物だが、折角台湾で見つけたので、迷わず購入してきた。外函に書かれているが(丁度写真では切れてしまった)、18歳以下購入禁止になっている。
此処に紹介したカードの左上の一部から察しが付く様に、78枚のカードの中には、かなり過激(見る人によるとそうでもないかもしれない)な、カサノヴァと女性の行為の図柄もある。しかし、小さなカードの中に展開された絵は美しくて、鑑賞用として価値がある。実占には向かないかな。いや、正確には、ある特別な事柄に焦点を当てて占う場合のみ、解答が貰えるマニア向けのカードの様である。
映画「カサノヴァ」は、色々な監督で数種類の映画が作られている(と言っても他の物は見てないが)。今回の物は、非常に美しくベネチアの街の鑑賞と真実の愛がテーマとなっている。これに関しての、様々なレビューを見てみると、「カサノヴァはもっとギラギラした中年の男優を使うべきで、主演男優に物足りなさを感じて、内容にがっかり。でも、実際に女性にモテるのは、この男優の様に高身長、ハンサム、スマートなタイプなのだろう。不満・・・」と言うような、明らかに男性のレビューが目に付いた。この「カサノヴァ」の中で、カサノヴァと女性の絡みは、修道女を相手に1カット、それも数秒しかない。
ラッセ・ハルストレム監督は、プラハやパリなどを撮影地として全く使わず、総てヴェネチアで撮影した。そこに意義があり、建築、当時の街の様子を再現している所に価値がある。運河沿いの建築物から、窓の外をの光景も美しい。CGではなく、実際の映像を「絵」として用いている。
娼婦から淑女、修道女まですべての女性を虜にしてきた伝説の恋愛の達人が、男勝りの剣の腕を持ち、男性ばかりの大学に男装して乗り込んで女性解放を詠い、男性の名前のペンネームで小説を書いている、そんな美しく気高く知的なフランチェスカに恋をしてしまう。初めて、その愛を拒まれたカサノヴァは、彼女の心を奪うためにあらゆる恋愛術を披露する。
彼を愛した女性の誰もが、カサノヴァを恨みに思うことなく、もっと愛して欲しいと望んでいる。気高く知的でお堅いフランチェスカの心も震わせてしまう。しかし、そこにはカサノヴァの演出(嘘)があったのだが、彼女はそれに対して「愛されていると思わされた」と拒む。カサノヴァは、偽名を使ったがフランチェスカを心から愛していた。
どの女性も「愛されていると思わされた」のだとしたら、それは相手の女性にそう思わせればいい事で、カサノヴァが愛してない女性に愛していると口にして、本音を語っていないのだとしても、「男の嘘!!」だとなじる事は出来ないなぁ~と感じた。
男性が女性を愛していても、自分本位の愛で、決して女性を喜ばせるのではなく、苦しめる行為をぶつけて、自分の思いに応えて欲しいと思うならば、それは女性を愛しているのではなく「自己愛」である。自分を満たして欲しい、自分が愛した分、それが女性に伝わっていなかったとしても、その分の見返りが欲しいと言う事になる。
男性が女性を愛していなくても、女性を喜ばせれば、女性に愛されると言う事を、カサノヴァは熟知しているのである。
そう、男性の度量は「女性を喜ばせる事」。それに尽きるのかもしれない・・・・
(ああ~世の中の全男性を敵に回すような台詞かしら?)
そういう意味では、若いころに容姿や条件(は人によって求めるものが違うだろうが)が良く、努力をしなくても女性にモテた男性は、年齢を重ねて条件が悪くなってくると、過去の栄光にすがり苦しむだろう。その場合、年齢に応じて経済力が付いている場合は、それを目的の女性は寄って来るかもしれないが、心からは愛されないだろう。カサノヴァを見習ってほしい・・・男を磨くとはそういう事である。ブ男でも男を磨くと女性にモテる。年齢を重ねると、身長はどうにもならないが、顔の造作なんてどうでも良いとは言わないが、男を磨いた人物は容姿は気にならないものである。
などと思いながら、ベネチアの美しさを鑑賞した。
ベネチアの学者達の奥方が集まり「学者の夫と言うのは、ベッドでの技巧は最低ですのよ」と言うセリフを聞いたときには、それは、「自宅では品行方正にしていて、外では匠かもしれませんよ、いえ、匠になりたがっているのかもしれませんよ」と思い、思わず吹いてしまった。
カサノヴァに振り向いて貰えなかった女性が、彼を貶める為にカトリックの神学者に「純潔をカサノヴァに無理やり奪われた」と訴え、裁判で証言する約束をするシーンがある。その神学者は、「裁判で証言をしてくれカサノヴァの有罪に対する有力な証拠を示して呉れたら、「貴女の純潔」はカソリック教会が保証しましょう」などと嘯いた。彼女の過去が無かった事にすると確約するのだが、そんな事有り得ないだろうに、腐っている・・・・
まぁ~、「愛」は人を生き生きとさせ、「愛」が欠乏すると人は苦しみを感じるのだと、人間の基本を改めて、美しいヴェネチアを舞台に鑑賞した。
植物だって、「枯れろ、枯れろ」と言って水を与えても育たない。生きとし生けるものはすべて「愛」が必要で、たとえ命のない無生物でも「愛」を持って接することで、応えてくれるものだと思う・・・・
次のDVDは、「クォ・ヴァディス」。ちなみに、「Quo Vadis」はラテン語で「どこへ行かれるのですか?」の意味。これに、domineが付いて「Domine! Quo Vadis?」となると、「神よ!いずこへ?」となりますヨン。さらに、ちなみに、「!」や「?」は現代語記号なので、ラテン語には一切付かない。総て語尾変化から文章を読み取る。だから、単語の位置も文章内であればどこでも良い。因って、「Vadis Quo Domine」でも「Quo Domine Vadis」でも「Vadis Domine Quo」でも良い。ただし、詩などの韻を踏むときには、日本語の万葉集の様に美しい型というものがある。しかも、主語は割愛するのが、すっきりとして美しいラテン語らしい文章となる。それゆえに、長文になると難解で、訳するのに一文、1時間掛かる事もある。いや、1日中考えても訳せない事もある。(というのは私だけか・・・?)
この映画は、西暦1世紀の初期、皇帝ネロの元ローマ帝国が全世界を支配していた頃に愛し合う、ローマの軍人と幼いころに人質として連れてこられたリギイ族の王女との愛の物語が、キリスト教を軸として描かれたもの。ノーベル賞受賞者のポーランド人作家の小説を映画化したものである。
楽しみ~♪
「 映画って本当に良いですね?さようなら、さようなら~♪」^^