11日、「あれから3年」とのキャッチの下、各局で3年前の震災の様子が映し出された。あの日は、本当に人様の親切を受け取り感謝の気持ちで一杯になり、直接その方ではなくても、私もどなたかに親切や心のお返しをしたいとの思いが溢れる日だった。
その同月、後ろ髪を引かれる思いのままに予定通り、オランダとベルギーに発ったのが、昨日の様である。現地では、「日本の方ですか?」の質問を多々受け、その度ごとに「この度の貴女の国の震災にはお見舞い申し上げます」と温かい言葉を掛けて頂き、じんわり目頭が熱くなることが多かった。自分が日本人であるあるという誇り故だったのだろう。それは、自分より上の代の同胞が国力として付けてきた信用に他ならない。
被災者の方の苦しみや頑張りをTVで見ていると、この3年で自分は何をして来たのかと自省の念に駆られる。毎日過ぎ直ぐ日々の中で、決して対岸の火事であってはならないのだ。今、自分に出来ることをしなければならない。
さて、久しぶりに『星の王子様』を読み返してみた。世界中で聖書に次ぐ大ベストセラーであるが、非常に難解である。一見児童文学の様であるが、大人向けの哲学書ともいえるだろう。いや、サン=テグジュペリの経験したことに即して読めば読むほど、当時の政治的背景を匂わせているとも読める。深く読み進め研究・解釈をするなら、数年はかかってしまうだろうが、簡単に気軽に、徒然なるままに思ったこと感じたことを書いてみたいと思う。
少々「星の王子様」のあらすじを振り返ってみたい。
サハラ砂漠に不時着ししたパイロットの「ぼく」が、そこで不思議な王子様と出会う。王子様は、自分の☆の薔薇とケンカをして旅に出たのだ。果たして王子様は、旅先で「本当の友達」を見つける事ができるのだろうか?王子様が訪れた各星で出会った人や動植物から教えられたことは、自分の心の在りようで色々と解釈ができる。
王子様は、全部で七つの星を旅する。最後の7番目が地球だった。先ず、1番目に訪れた星からそれぞれの星で出会った人々について振り返ってみよう。
1番目の☆ 自分以外の人間は総て「家来」だと見なし、命令しかしない自分の対面保持しかできない王。
2番目の☆ 自分にだけ感心して欲しい、あらゆる面でこの世で自分が一番だという賞賛の事葉しか耳に入らない自惚れ屋。
3番目の☆ アル中であることを恥じて、その恥をわすれるために酒で紛らわして忘れようとする酒ばかり飲んでいる男。
4番目の☆ 星を所有して管理する事を喜びとし、自分が所有する夜空の星の勘定に日々を費やす実業家(取り扱う訳本によってはビジネスマン)。
5番目の☆ 夕方になるとが街燈を点灯し朝になると消灯するが、1分に1回自転するために、1分毎に両方の仕事を行う疲れ切った点灯夫。
6番目の☆ 美しい花など「はかない」と嫌い、海山川などが永遠に変化しないので価値があるとし、探検もせず自分の机から離れたことのない理論だけの地理学者。
そして、地理学者の勧めで地球に向かう事になった。
不時着したパイロットと王子様が砂漠で出会う。このパイロットは、子供の頃に画家になりたかったが断念してパイロットになったのだ。そして「ぼく」は、少しずつ王子様の経験したことを聞くことになるが・・・
王子様の星には、バオバブと言う木がある。それは危険な植物で、種の内には毒を出し育つと根を張りすぎてついには、星を破壊するという。また、1輪の薔薇が咲いた。王子様は、薔薇の美しさに一目ぼれして、毎日毎日、手入れをするが、その薔薇は4つの棘を持っていた。その薔薇とケンカをして星を飛び出す。
地球で先ず出会ったのは蛇。蛇に王子様の星の薔薇との経緯を話す。蛇は王子様がどうしても自分の星に帰りたくなったら助けてくれるという意味深な言葉を告げる。
また5千本の薔薇に出会い、狐にも出会い狐にも薔薇の話をする。人間は、荒野で線路のポイント切り替えをしている鉄道員と、喉の渇きを癒す薬を売る商人出会う。「ぼく」がこの話を聞いたのは、飛行機が砂漠に不時着してから7日目だった。その頃には、持参していた飲み水が無くなりかけていて「ぼく」は王子様の話どころではなかった。二人は、砂漠を一晩中歩き続けて、とうとう井戸を見つけた。そして、二人は友情と言う絆で結ばれている事に気が付く。しかし、翌日、「ぼく」は飛行機の修理から戻ると、王子様との悲しい別れが待っていた。
サン=テグジュペリ自身は、読者に次の様に挨拶している。
この物語を世界中の子供達に
また自分が子供だった頃を忘れがちな大人たちに
そして、上辺だけではなく物事の本当の美しさを見つめる勇気を持った
総ての人々に心からの友情を込めて贈ります。
『星の王子様』を読んだことがない人でも、「大事なものは目に見えない」の件を知っているだろう。しかし、『星の王子様』は、何処に焦点を絞り読み進めるかで、様々な解釈が出来る。王子様の星に咲く3本のバオバブの木は、ドイツ・イタリア・日本の三国に不適切な対応をしたために第二次世界大戦を引き起こした。また、一番目の☆で出会った、自分のため対面保持しかできない王は、当時のヴィジー政権を示唆するという政治思想を背景にしたと主張する研究もあるが、ここでは、そのことについては触れない。
『星の王子様』の中でも名言や私たちに格言として心に残る台詞は数多いが、ここでは1)「飼いならす」2)「大切なものは目に見えない」3)「どんなおとなたちも、初めは子どもだったのだ」4)「砂漠が美しいのはどこかに井戸を隠しているから」以上の4点に絞って、徒然をしてみる。
1)「飼いならす」
王子様は地球に来ても友達が出来なく寂しくしていたところで、狐に出会い友達申請をするが、狐に断られる。
「君とは遊べない」「俺は飼いならされていないからさ」
「飼いならす」と言う意味を知らない王子様は、その意味を狐に尋ねると「絆」について教えられる。狐によると、「飼いならす」とは「仲良くする事」。今の時点での狐と王子様は通りすがりの他人の関係。しかし、「仲良くする」して、ついには離れられない関係になると、お互いにこの世ではたった一人の関係になる。もし、王子様が仲良くしてくれたら、狐にとってお日様に当たったみたいに楽しい気分になり、王子様の足音を聞くと音楽でも聞くように楽しい気分になるという。王子様は、友達を見つけたり知らない事を知る為に、時間がないので仲良くできないと応える。
「飼いならしたものしか学べない」「何よりも忍耐がいる」「友達を売っている店はない」
「じゃあ、どうしたらいいの?」
「先ず、少し離れて座る。言葉と言うのは勘違いの元だから。辛抱強く毎日少しずつ近づいていく。そしたら、ついには近くに座れる日が来る」
「飼いならす」は、フランス語の原語表記では、“apprivoiser”であるが、これは、「飼いならす、(人)を従順にする、手なずける」と言う意味である。そして、もう一つ!「女を誘惑する」と言う意味がある。
サン=テグジュペリの処女作『南方郵便機』は、男女の恋愛を書いた作品であるが、彼が『星の王子様』での「仲良くする」ための「飼いならす」は、女性の口説き方を狐の言葉を借りて、実存を王子様に伝授しているとも置き換えられるだろう。女性の心を掴むには、男性諸氏には是非『星の王子様』を読んで勉強して頂きたい。
狐と「仲良くなる」ために「飼いならす」事をしていると、狐に逢う前に地球で出会った5000本の薔薇と王子様は星に残してきた薔薇についての違いを知る。
「ぼくが水を上げた花なんだ! ぼくがカラスをかぶせてあげた花なんだ! ときには毛虫も取ってあげたし 愚痴や自慢話も聞いてあげた・・・ それがぼくの花だ!」
王子様は薔薇を愛していたことに気が付く。
2)大事なものは目に見えない。
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
そして、さらに狐に教えられる。
「面倒を見た相手にはいつまでもずっと責任がある。守り続ける責任が・・・」
四つの棘でしか自分を守れない無邪気で弱くて儚い花なのに、一人ぼっちで星に置いてきた事に苦しむ。薔薇の話にも理屈で返してしまい、ただ頷くだけで良かった。言葉ではなく行動で判断するべきだった。あの薔薇のお蔭で良い香りに包まれて明るい気持ちになれたのだから、逃げ出してはいけなかった。どんなに口が悪くても心は優しい薔薇。王子様は愛すると言う事がどういう事か解らなかったと悟るのである。
王子様が星に残してきた薔薇は、高ピーなのである。薔薇の美しさに心を奪われて、毎日毎日大切にするが、薔薇は王子様に対しては、つれなく我儘放大である。薔薇も王子様を愛していたが素直な表現が出来ないのだ。王子様も薔薇もお互いに、自己中心的でお互いに傷つけあってしまったのだ。
王子様は5000本の薔薇とも出会うが、たった一本の薔薇の大切さを知る。狐は「仲良くする」ために「飼いならせる」事を王子様に教えるが、サン=テグジュぺりは触れていないが「縁」という物についても同時に私たちは教えられる。王子様がたった1匹の狐に友達になって欲しいと声を掛けた事で、そこで「繋がり」や「縁」ができたのだ。その一声を掛けなければ、野原のそこらじゅうに沢山いる狐と何ら変わらない、その他大勢の他人のままであるからだ。5000本の美しい薔薇も然りである。
星に残してきた薔薇は、サン=テグジュペリの妻コンスエロ・スシンであるとするのが妥当だろうか?その薔薇がたとえ誰だとしても、私たち総てのものに「愛する」と言う事を教えてくれる。また、「愛する事」を含めて、あらゆる物事に対する視点として、次の事もサン=テグジュペリは教えてくれる。
3)「どんなおとなたちも、初めは子どもだったのだ」
大人は物事を判断する時に、それが利益を生むかどうか損失をどれだけ抑えられるかなどの損得勘定したり、あるいは人を判断するときにその人の社会的地位で判断をしてしまいがちである。子供は只、感じたままに行動をする。子供にとって大切なのは感じたまま、感じたことそのままが大切なのだ。子供は理性よりも感性が伸びやかであり、時には単純に好きか嫌いかで行動をするので、ある意味残酷であるともいえるだろう。また、感性豊かなままの大人は、状況を分節化して分析する能力を感受性と統合する能力を身に付ける事で、喜びを見出し人生に対して微笑掛けるような気がする。自分の内部でバランスを取るのは、実際の所中々難しい。
最後に、「ぼく」と王子様が、砂漠の中で井戸を探している時の王子様の台詞。
4)「砂漠が美しいのはどこかに井戸を隠しているから」
この台詞について私は、世阿弥の「中庸の精神」や「善と悪」と同様の解釈をしている。
人間は清濁併せ持つものである。二人は、砂漠の中だと言うのに、まるでどこかの村にでもあるような滑車と桶が揃った井戸を発見して命拾いをするのである。
サン=テグジュペリ自身がパイロットである。モロッコの砂漠や南米のアンデス山中の飛行、水上飛行などしており、不時着や事故に遭遇し大怪我を経験している。
先ず、フランス軍の兵役に志願してパイロットになり、事故で兵役を終えてタイル会社に就職、自動車会社に転職。26歳で作家デビューをして、その後に郵便飛行士となる。
また、モロッコのジュピー岬の飛行場長となり、砂漠での孤独な1年を過ごしているが、その時にフェネック(砂漠の小型キツネ)を飼っていた。アルゼンチンのブエノスアイレスに赴任後、フランスに帰国して芸術家のコンスエロ・スンシンと結婚。エースフランス入社。新聞特派員としてモスクワに行く。自家用機でパリ~サイゴン間の長距離飛行を試みるが失敗。リビア砂漠に不時着して遊牧民に救出される。
また、グアテマラにて離陸時に大事故に遭い、頭蓋骨骨折及び四肢骨折。以降、後遺症に苦しむ事になる。第二次世界大戦が勃発し招集されるが、翌年除隊になり渡米。『星の王子様』出版後、自ら志願して偵察飛行隊への復帰を果たす。
1944年7月31日、コルシカ島のポルゴ基地から飛び立ち行方不明となる。
今から16年前の1998年。
TVニュース(日本の局だったか外国放送だったか記憶がない)で、地中海のマルセイユ沖海域で、サン=テグジュペリの物とされるブレスレットがトロール漁船によって発見されたと放送された。
そのニュースに驚いた。こんなことが在るのだろうか?こんな偶然が。しかし、やはりそれは神の采配としか思えなかった。サン=テグジュペリは彼の書く小説の登場人物そのものであり、最後の最後までファイターだったのだと。彼の場合、民間航空会社での定期路線パイロットやテストパイロット業務も支配人業務も経験するが、結婚後にエールフランスに入社するも、そこでは宣伝部の仕事であり、ファイターパイロットは、ラインパイロットになりきれず、根っからのファイターだったのだ。
彼の波乱の人生と照らし合わせながら読み進めると、『星の王子様』は、「孤独」と「死の恐怖」について、また、「人間の絆」や「愛」や「幸福」などについて教えられる。そして、「大事な事は目に見えない。心で感じる事が大切である」と私たちに語りかけているのだろう。心で感じるには、どんな大人もかつては子供だったのだのだから、その時の「感じる」心を意識して磨かなければいけない。
以前、ここでサン=テグジュペリの『夜間飛行』についても書いたが、再び『星の王子様』を合わせて読んでみたい。『星の王子様』を読むと、アメリカのニューエイジ思想に付いても考えさせられる。
さて、私の住んでいる青い星、地球のネックレスで楽しんでみました♪
リングが付いているので土星とも解釈できなくもないけれど、このリングは、太陽の通り道であり、あくまでも地球なのだと解釈をして楽しんでいるのです。ブルーサファイアで、小さいけれど30万もしたと言いたいところですけれど、300円の玩具ネックレス。^^ 一目ぼれしてしまったのよぉ~!とってもお気に入りなのです。地球はワンネス~♪ この安価な玩具ネックレスに「縁」を感じて、時々身に着けて(何て安上がりな私!)ネックレスとの「絆」を結んでいるのです。^^
『星の王子様』は、完全には理解できないかもしれません。それは、自分の心の持ち方でいくらでも解釈できるからです。しかし、「縁」が出来た人を大切にしたいと思う今日この頃です。
人はそれぞれ自分の人生を生きている。
これからも、私は世界を旅し続け自分の人生を生きて模索し続けるのでしょう。王子様が、毎日毎日心を込めて、お手入れをした唯一の薔薇を愛した様に、子供の心を忘れないように、自分で自分をお手入れし丁寧に扱うのが、私にとっては旅なのかもしれません。
今夜は、静かにヘンデルの歌曲「セルセ」の第1幕「オンブラ・マイ・フ」を聴きました。紀元前5世紀頃のペルシャが舞台の、きまぐれ王と彼を取り巻く周囲の人間の恋物語ですが、その内容や歌詞について書くと明日の朝(もう午前0時を廻ってしまったけれど)になってしまうので割愛します。
最後に何度かここで書いていますが、私の最も好きなラテン語の格言を二つ紹介して、今夜を終えたいと思います。
Amor gignit amoerem.
「愛は愛を生む」
In ore veritas in corde sinceritas.
「口に真実、心に誠実」
サン=テグジュペリ自身と「ぼく」と「星の王子様」は、この二つを理解していたのだと私自身は解釈しています。
あなたも私も誰でもが、今宵、素敵なお☆様の夢を見られますように・・・
Good night!