「Around the world 」 感じた事を徒然なるままに・・・

世界各地の徒然、音楽、美術、時空をワープしてぼんやり世界の呟き。思ったこと、感じたことを徒然なるままに。

来客

2014-03-31 00:00:11 | 日記

久しぶりに、食器セットを登場させました。

来客ありき。

玄関にスーツケースが並びます。

それで、6人分の食事を作りました。と言っても、とても手抜きの簡単なものです。

以前のエネルギーが溢れているときには、手の込んだ物も作りましたし、お客様のお名前を入れてマグカップなどを絵付けして焼成し、帰りにはお土産にして頂く事もありました。

こんなカービングをして果物をお出しする事もあったのですが、今回は思い切り手抜き。

夕食は外食で、朝食を作り召し上がっていただいたので、時間の関係上、兎リンゴだけです。

ピックはスリランカで購入しました。象さんが可愛いでしょう?

何もかも手抜きなので、市販のデザートに少し飾り付けをしなくっちゃ・・・

 

秘密兵器は金箔です!市販のロールケーキを横にして盛り付け、中心に金箔を載せただけですが、少しは御もてなしの心が伝わるでしょうか?

久しぶりに大人数の料理(と言っても大した物ではないけれど)を作ると、ドット疲れが・・・6人分ですから、後片付けが山の様でしたよ。

今回は、皆同じものを食べて頂いたけれど、実はとても苦労したことが在り密かに涙したことが在りました。

思想、信条、宗教の問題で、全く食事スタイルの違う方をお招きしなければならなくてね。事前に各人のそれらのリストを渡されたのですが、とても苦労しました。ホステスとしての自分の立居振舞が、関わる人物の評価を上げ下げするとしたら、とても苦しいものですよね?

やはり、同じ食生活で同じ食べ物を美味しいと思える関係は素晴らしいと思います。文化の共有というと大げさでしょうか?

そういう意味では、食べ物に好き嫌いのない方は安心できます。勿論、私も何でも頂きます。しかし、つくづく思うのですが食事は五感で頂くものですね?同じものを食しても、一緒に食べる人で楽しめたり楽しめなかったり。

食事は素敵に楽しみたいものですね?

Good night!

 

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日の丸ご飯とダブルムーン

2014-03-30 02:42:04 | 日記

 

外食などが続くと、素朴な食事も恋しくなります。

日の丸ご飯って素朴すぎ?大きな南高梅が大好き♪ ちょっと胃を休めると同時に、五感を磨くのには、日の丸ご飯は大切な食事です。ご飯の甘味と梅の酸味と香りとをゆっくり噛みしめて日本茶を頂くと、本当に素朴ですが日本人に生まれて良かったなぁ~と感じます。^^

折角、紅白を楽しんだのですから、デザートもまた紅白で♪ 苺大好き♪

さあ、もう3月も終わりですね?31日は新月ですよ。今月は2回あるのです。1月1日も新月で、1月にも2回ありました。そういう意味では今年はとても意味のある1年なのです。新月が月に2回、あるいは満月が2回あるのは、12か月の日にちが一定ではないですから当然のことであり、2~3年毎にあるのでそう珍しい事ではないです。しかし、それが1年に2回あるのは非常に珍しく、次に同じ現象があるのは19年後の2033年です。

果たして、2033年に自分がどんな人生を送っているのでしょうか?先回の1995年は、私にとって一つのサイクルの始まりでした。今年はそのサイクルを一つ終わらせようと思っています。というよりも、自分のカルマの浄化が必要です。

何気なくぼんやりと月光浴をするのが好きなのですが、自分の体のリズムが全く月と同じで驚いてしまい、自分も広大な宇宙の営みの中に存在するのだと感じます。随分前に月光浴をして徒然したのを思い出しました。ちょっと、貼り付けします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

月についての色々な知識と言うか、面白い所では・・・・

我が国の月にまつわる最古の文学作品「竹取物語」の月の記述。これは、割愛。^^

「源氏物語」の中、宇治十帖の「宿木」の中で、女官が中宮に、月について述べている。これも割愛。^^

そして、高校生時代の漢文にはなかったかもしれないけれど、白楽天(白居易の方が解りやすい?)の唐時代の月に関する詩がある。これも、割愛。^^

 

でも、インド・ヨーロッパ言語の源流であるラテン語の月は、luna。まぁ~フランス語も同じですけれど。英語はmoonじゃないか?と思われるかもしれませんが、まあぁ~ちょっと待ってね?^^

満月には、狼が月に向かって野生的に吠え、そして犯罪件数が多い、などと言われるけれど・・・

ラテン語のlunaから派生した英語のlunacy 、lunaticは、狂気、常軌を逸した状態を意味する。

 

そして、日付、暦などの、太陽暦、グレリオ暦などについては、これも割愛^^。

ラテン語の、暦に関する月は、mensisで、これは、インド・ヨーロッパ語最古の語源meになる。これが、英語のmoon、month, ,mesure(測る)、menses(女性の月経)、meal(食事の時間→食事)と派生する。

 

measure(測る)は、metre(メートル)、diameter(直径)、geometry(幾何学)、geは地球の意味で、宇宙用語にも派生。

meの拡大形medは、しっかりと尺度を持って困難に対応するという意味の接頭語になり、meditation(熟考・瞑想)、medicate(医療を施す)、medicine(薬)になる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私はいつも月を見上げているから、やっぱり気が狂っているのかしら??

こういう狂った女性は危険です・・・・

関わると廃人になってしまいます。^^

Good night!

 https://www.youtube.com/watch?v=5-MT5zeY6CU

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キャベツの花と桜の花

2014-03-27 23:08:57 | 日記

もう3月もそろそろ終わりです・・・

明日は、気温が10度も上がるそうな。春らしい陽気になるのでしょうか?

冷蔵庫の中に白亜紀の化石を発見!・・・って自慢になりませんねぇ~。

白亜紀の化石ではなくて、ささやかな喜びを発見しました。

キャベツがお花を咲かせようとしているのを発見したのです。トウを出したと考えるべきか、お花と喜ぶべきか?私は後者の考え方をしますねっ♪

そのまま捨てるには忍びなくて、写真に収めてみました。

薄~~い緑色が綺麗でしょう? 薄い緑色は、淡いピンク色と同じ「喜び」や「恋」や「愛」などの柔らかな波長なのです。折角ですから、水栽培をしてみることにしました。

冷蔵庫に入っていたので色白ですが、お日様に当ててあげると光合成をして濃い(恋)緑色になって黄色いお花を鑑賞できるでしょうか?

アブラナ科の植物ですから、菜の花と同じような黄色いお花を咲かせてくれるかしら?

ささやかですが、毎日の楽しみが増えました♪

知人から高知城の満開の桜の写真が届きました。昨年の私は、心に余裕がなくて桜の鑑賞が出来ませんでした。頂いた写真で1年が巡ったのだと改めて感じました。もう少しで、東京も桜を愛でることができます。少し、桜の下をお散歩してみたいと思います。ピンク色のお花のシャワーを浴びるのが楽しみです♪

あなたも私も誰もが、日常の小さな喜びを発見できますように・・・・

Good night!

https://www.youtube.com/watch?v=2vxUcX7kG4g

 

 

 

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嬉しいぃ~~っ♪♪♪

2014-03-25 13:22:48 | 日記

一寸したお祝い事があって、お食事を御馳走になった。5時間以上おしゃべりを楽しんだだろうか?

感謝で一杯の一日だった。御馳走して下さった方には、本当にお世話になり可愛がって頂いた。その方に御馳走になるのは2回目。苦しさのピークの時にご初めて外でご一緒させて頂いた。あれほど、公私の区別を付けられる方に外で御馳走になるなんて恐縮と感謝の気持ちが溢れてきた。

 

そして・・・

再び、今度はゆっくりと御馳走になってしまった。何の遠慮もない私・・・(恥)

食事中はワインを2杯も頂き、場所を移してのデザートでは、またまた何の遠慮もなくケーキとお茶では足りなくて、和甘味と緑茶まで頂いてしまった。お世話になった方なので精神的には一生御恩は忘れないつもりだったが、私が公を離れた事によって、物理的にご縁が切れるかと思っていたが、新しい関係のスタートとなった。

公私の区別をきっぱりしていらしゃる方なので、自宅の住所を知らなかった。

 

「レマンさんは・・・何をお好きか解らないし、経済的に恵まれているでしょうし、多分、何でもお持ちでしょう?だから、気持ちをお伝えするのにカードだけです・・・・」

と言って、お食事の時にカードと小さな赤い包みを渡された。物なんて何も要らないのに・・・いつも、いつも精神的に私を支えて下さった。それだけで感謝の気持ちで胸が一杯なのに。精神的に繋がれるということは、何よりも一番重要な事だもの。なんでも、スタートはそこから始まるのだから・・・

帰宅後に開けてみると、素敵な天使のブックマーカーだった。とっても嬉しい・・・・(涙)

一生大事にするつもり。手帳や本に挟んで毎日使わせて頂く。

 

こんな感じ・・・ちょっとしたところに金色が可愛らしく本当に嬉しい。毎日一緒よ!

カードを開けると、ご自宅の住所と電話番号が書かれていた。こちらもとても嬉しい。これで、一生の繋がりが持てた。毎年、公の場ではなくご自宅に季節の直筆のカードを送ることが出来るから。

リラックスして色々な話をさせて頂いた。生活感が全くないらしい私は、私生活はあまり語らないけれど、少々、聞かれるままにお話しをさせて頂いた。

あ~本当にこの方にはお世話になったワ・・・感謝。この方が背中を押して下さったから、色々な方にも助けて頂いた。感謝。対面では無論の事、どれほど電話やメールで助けてくれたかしら?こうして、感謝の思い出を書いていると、色々な事を思い出して涙が溢れて来てしまう。この感謝の気持ちを土台として、また、色々と頑張らなくっちゃ・・・・ホント、色々とね。

人は一人では生きて行けないもの。周囲の人々に助けられて自分が生かされているのだと、改めて思い知らされますね。

美味しかったな~ケーキもあんみつも♪ 太るなんて全く心配なしに、甘い物を甘く美味しく頂かなくっちゃ。それにしても、全く遠慮のない私・・・(恥)

デザートは頂いても頂かなくても良い物ですけれど、楽しい会話と共に頂くのは、味覚の甘さ以上に心に甘く響くものですね。そういう時の甘味は、太らないし(と思っているのは私だけ?)心を丸~~~くふんわり♪にする。♪

喜びと感謝の一日だった。

 

あなたも私も誰でもが、喜びと感謝の毎日を過ごせますように・・・

 

 

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『クォ ヴァディス』

2014-03-23 19:06:58 | 日記

苦しく重たい冬の季節が、いつの間にか春の光を窓越しに感じるようになった。

3月に入ってから、窓の飾りを雪の結晶から桜に変えた。季節ごとに窓ガラスにジェリー状の飾りを張り付けて取り替えるのが楽しい。陽の光を透かしてジェリーの飾りから季節を感じる。

12月の寒い最中に冬至を迎え、意識は出来なくても翌日から確実に明るい昼が少しずつ長くなっていくのだと自分に言い聞かせて毎日を過ごしていたら、とうとう春分の日を迎えた。

 

新年早々に読もうと思っていた『クォ・ヴァディス』をようやく読み上げた。これを読んでから、クロアチアのアドリア海沿岸のスプリットの街を訪れる予定だったが、何をするにも鈍間な私は、春分を迎えてからになってしまった。スプリットは、ローマ皇帝ディオレティアヌス(245~313)が退位後に居住したディオクレアヌス宮殿がある。また、ディオクレアヌスは、ヨーロッパ史に興味がないと聞き逃してしてしまう名前だが、キリスト教徒を迫害して、彼らからは最も憎まれた皇帝の一人である。

 

『クォ・ヴァディス』は、ラテン語で「(神よ!)いずこへ?」の意味である。物語は、西暦1世紀の初期、皇帝ネロの元ローマ帝国が全世界を支配していたローマ帝国。当時のローマ軍人と幼いころに人質として連れてこられたリギイ族の王女との愛の物語が、キリスト教を軸として描かれたもの。ノーベル賞受賞者のポーランド人作家の小説である。

 

 

ローマ大火災の火付けの罪を着せられたキリスト教徒たちは、次々と虐殺されるが殉教していく姿に涙が零れる。しかし、キリスト教徒がある一方的な視野により、余りにも聖なる人々として描かれている。この物語に描かれているほど、キリスト者が聖なる人々ではない事は、その後の歴史が証明している。また何故、シェンキェヴィッチがそのような迫害する者とされる物を浮き彫りにして描いたのかは、彼の祖国ポーランドと大国ロシアの関係に重ねあわせて読めば理解できるだろう。シェンキェビッチは、キリスト教の教義を描きながらも、架空の人物である主人公の軍人ヴィニキウスがリギアに恋をし、愛に変わる過程で、恋は下に心が来るから下心、愛は真ん中に心が来るから真心であると私達に教えてくれる。

ヴィニキウスの叔父役として、実在の人物でネロの側近であるペトロニウスが登場する。皇帝の気持ち一つで死刑宣告を甘んじて受けなければならない立場を理解しているが故の、世俗にまみれたギリシア的美学を持ち、キリスト教を覚めた目で見ているペトロニウスと愛人のエウニケの愛の姿からは、むしろ、主人公たちの愛よりも女性としての在り方を教えられる。

 

「美しい女はその重さだけの黄金に値するが、その上こっちを愛する女には値が付けられない」とペトロニウスはエウニケに対しての思いを告げる。ペトロニウスはスミレの香りが嫌いだったが、エウニケが好きな花なので今は、スミレの香りが一番好きになる。女性が男性に愛を返す事で相手を変え幸福にできる。

 

「美しい女など要らない。愛は叔父上の鼻を変えた。私は魂を変えられてリギアを求めている。清らかな魂を持つあの少女だけを」

 

 

人の心と言うのは、古代人も現代人もそう変わらない。

 

 

読み終わると、心の淀みが流される。赤ん坊の時以来の大涙を流した昨年10月から、私の心の中に閊えていたしこりが少しずつであるが、溶け出していく。それは、『クォ・ヴァディス』の中で、「許す事(許される事)」「(他者の幸福の為に)祈る事」「愛する事(男女の愛に限らず広義の意で)」の三本柱が、私自身を幸福にすることだと突き付けられるからなのである。この三本柱の部分を繰り返し、繰り返し読むと涙が零れる。その中でも、私の課題は「許す事」であり、「許す事」を武器に戦い心の平安に到る事を改めて自分に言い聞かせた。

 

「許す(赦す)」ことと「憎む」ことは、どちらが容易いだろうか?

 

キリスト者の妻と子を奪い暗殺者を仕掛け殺そうとした男が、それらを許して貰いながらも、再び我が身可愛さに、キリスト者を再び死刑執行人に引き渡してしまう。キリスト者達が無実の罪で火に掛けられる時、余りの残虐さに目を覆い逃げ出そうとするが、妻と子を奪われた男の火の柱の前で、自分の余りの罪の重さに許して欲しいと泣き崩れる。妻と子を奪われた男が、今また自分が火の中で息を引き取る前に「許す」といって燃え尽きる。

 

「悪を憎むより人を愛する事」

 

なんと難しい事だろうか?でも、許さない限り何時までも重たい物を自分の心に抱えてしまう。これは、キリスト教に関わらず私たちが生きていくうえでの「真理」(ラテン語でveritas)なのだろう。

 

桜の鑑賞が終わったら、窓ガラスのジェリーは新緑に取り替えるのが楽しみ♪

あなたも私も誰もが、憎しみよりも「許しの心」を持ち、人様に「愛」と「光」を与えられることが出来ますように・・・

 

 

 

 

 

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ボスニア・ヘルツェゴヴィナ「モスタル」

2014-03-19 17:26:02 | 旅行

ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルを紹介したい。

ボスニア・ヘルツェゴビナは、アドリア海に面した海岸線は10キロ足らずで港もなく、内陸国と言えるだろう。国の中央部には、ディナル・アルプスが広がり、北部がボスニア地方、南部がヘルツェゴビナ地方に二分される。

 

モスタルの街に入ると、先ずイスラム寺院の一本尖塔が目に入る。しかし、この地はカトリック、セルビア正教、イスラム教の各宗教とそれを信心する民族が混在している。東西の文化の接点の街であり、同じ旧ユーゴ諸国の中でも、先に紹介したアドリア海沿岸のクロアチアとは全く趣が異なる。まるで、トルコに居るような錯覚さえ覚えるのだ。静かな川沿いの街並みは、トルコの文化色が強くお店にもその様子が現れている。

 

静かな旧市街の街並みは、石畳が美しく、数少ないお土産屋さんもトルコの香りが漂う。

 

各宗教の3民族が共存し、愛は宗教を超える。そして、愛は国境を超える。(はい。経験者は語る!です^^)当然、異なった民族同志が結婚するのは珍しくない。それ故にボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は、それらの家族同志を引き離して同じ土地に国境を引く様な愚行だったと言わざるを得ないだろう。

 

私がゴチャゴチャ書くよりも、写真の方が一目瞭然だろう。

 

1995年まで続いた紛争は、約20万人の死者と約200万人以上の難民・避難民を出した。その悲惨で紛争と言う愚行を決して忘れてはならないと、至る所で「93年を忘れるな!」の文字を目にする。

 

 

ひっそりとした旧市街の中であっても、煙突からは煙が立ち上り、人々の生活の息吹をところどころで感じさせられる。

 

 

モスタルのシンボルである、スターリーモスト橋。モスタルは15,16世紀のオスマン朝時代に発展した街。ネレトヴァ川が中央を流れる。この橋は、ボスニア語で「橋の守り人」と言う意味である。スターリーモストは、オスマン朝時代の1566年に建設された橋台を用いていないアーチ型の石橋。1993年11月に破壊されたが、2004年にユネスコの協力で再建された。

ネトリヴァ川を挟んで、東側(この写真では左側)がムスリム人、西側はクロアチア人と住み分けされている。

 

こちらは、ムスリム人の住む東側。

 

博物館には、旧ユーゴやチトー大統領の資料に溢れていた。

 

これは、コスキ・メフメット・パシナ・ジャミーナ。1618年に建設されたイスラム寺院。

寺院の入口には次のような看板が・・・

動物禁止。音楽禁止。大声禁止。飲酒禁止。これは当たり前。男女の抱擁やキス禁止。肌の露出禁止。

 街のはずれには、墓地があり特徴的な墓石。

 

 

食事をしたレストラン内には、紛争の資料が置かれており。壁にはマザーテレサのパネルが掛かっていた。

 

「銃や砲弾が世界を支配してはいけないのです。世界を支配していいのは愛なのです」という、マザー・テレサの言葉が心に沁みる。

 

この土地では、ラキアというプラムやブドウ、ナシ、アンズ等の蒸留酒が特産品であるが、ボトルにマリア像が付いて「祈り」を意識すると、酔いきれない・・・ですね?甘くて、とっても美味しい~♪

 

ボスニア紛争で実際に使用されていた、薬莢をそのまま使用したボールペン。モスタルの刻みがあり、ここでしか入手できないので入手した。しかし、この後セルビアに入国したまでは良かったが、帰国便でモスクワに発つベオグラードの空港で没収されてしまった。ソチオリンピック前でピリピリしている時期だったので、絞られてしまった・・・・(涙)

 

つい先日、ボスニア紛争やチトー政権について話をしたい、教えてほしい(といっても何も教えるなどできないけれど)という申し出があり迷っている。ワインなどを飲みながら、そんな話などしたくないもの。笑顔で会話が出来ない・・・

アドリア海のドブロヴニクの景色が美しかっただの、シーフードが美味しかった♪の会話なら笑顔で食事もワインも楽しめるけれど、戦争の話ではねぇ~。誘い方が下手なのよねぇ~。ブツブツ・・・。ワインを楽しみたいのか?戦争の話を楽しみたいのか?実は話題など何でもいいのか?あっさり、「食事でも楽しもう~♪」なら良いのに・・・・

 

「あなたに出会った人がみな、最高の気分になれるように、親切と慈しみを込めて人に接しなさい。

あなたの愛が表情や眼差し、微笑み、言葉にあらわれるようにするのです。」

マザー・テレサの言葉が私を惑わせれる。

 

 

さて、次回は同じくボスニア・ヘツツェゴビナの首都サラエボを紹介したい。

 

 

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感謝の一日 ブツブツ・・・

2014-03-17 01:33:46 | 日記

明日は満月。満月の夜は、ある意味で寂しい。なぜなら、翌日から少しずつ満月が欠けていくから・・・でも、今夜は明日で満月を迎える気持ちで、ウットリと月を見上げる。満月の夜に、高層階でお酒を飲みながら鑑賞したりしたら、動けなくなってしまうかも・・・

 

昨日は思いで深い一日となった。

二人の人物と初対面をした。私の隣に並ぶ初対面者Aを無視したりする訳にもいかず、折角の御縁なので御挨拶をさせて頂いた。Aは地方行政を専門にしており、彼の話を聞くと元某行政の長だった。まぁ~存じませんで、失礼いたしましたと言う感じ。話を聞いていると、XX総理時代は○×▽・・・。自分がその土地を収めていた時には、○×△・・・、その当時の海外の視察では、外務省のX君とXX国に行き、○×△・・・・。

 

Bは、Aの向こう側に並び、初対面であるが噂はかねがね聞いていたので、対面するのを楽しみにしていた。話を伺っていると勉強になったので、Aの様な人物とも出会えて良かったかな。Aは70代、Bは50代。途中、Aが鼻を啜りだしてしまった。感極まったのだろう。「XX総理とはね、某旅行社の副社長は友達でね」と勢いよく、頷く私に語っていたが、時間が進み空気が一変されると泣き出してしまった。男性って可愛いのね・・・。もしかしたら、年齢を重ねるほどに涙もろくなってしまうのかも。美しい音楽が流れて、私もその調べに心の淀みを流していた。だから、思わず感極まったAの気持ちが良く解る。

 

帰路、BとCと3人で、食事を楽しんできた。素敵な中華のお店で御馳走になった。

とってもお腹が空いて(恥)、ペロリと頂いてしまった。^^

その後、Bとは別れてCと二人で食後のお茶を楽しんできた。Cにはどれくらいご馳走になってしまったかしら?心から感謝をしている。

3人で話をしていて、恋愛の話になった。B、Cそれぞれの経験を頷いて聞いていた。C曰く「恋愛における無駄程、人生における無駄は無い」というのだ。Bは新卒で僻地に飛ばされ3年間を凌いで、その時に周囲に女性は皆無で東京に戻り一揆に花が開いたと言う。

どのように女性を口説くかに関して、Bは本の貸し借りを何度も行い仲良くなったと言い、Cは一目で気に入らない女性とは仲良くできないと言う。どうでも良い?女性を口説く暇があったら、一目で気に入った女性と直ぐに始める方が充実感を感じると言う。

 

二人に『星の王子様』の話をすると、是非レクチャーして欲しいと言う。そこで、女性の口説き方と言うのを、サン=テグジュペリの言わんとしていることを話した。

話している内に、王子様の薔薇のマイナス点を私自身が感じてしまった。あの薔薇程、私は傲慢ではないですけれどね(と思っているのは私だけ?)、感謝の気持ちは沢山持っているもの。それでも、薔薇が持つ4つの棘を自分も持っていること、持っていても良いがその棘をCに何度も見せて刺してしまったことを恥じた。

 

初対面のBに語りながら、Cに詫びた。

「随分Cにはお世話になったのです。私はCに対して自分の醜い面を見せてしまい恥ずかしさで一杯なのです。何度もCにヒステリックに噛付き、涙も流して、自分の苦しさを訴えCに八つ当たりをしてしまったのです。その度にCは、サンドバックになって下さったのですよ。男性の魅力は、自分の持っているものを孔雀の羽の様に広げるばかりではなく、女性が苦しんでいる時にサンドバックになってくれる大きさに在ると思うのです。誰しもサンドバックに等になれないですよね?面倒ですものね?そんな事。重たい女性を受け止めサンドバックになれると言うのは、それだけ男性としての器が広いと言うことなのですよね。Cには感謝の気持ちで一杯なのです」

 

「そんな・・・レマンさんが醜いだなんて・・・そんな事一度も思った事などないよ。いやぁ~それにしても、今日のレマンさんは、際立って美しかった」

「止めてくださいよ・・・際立っていてって・・・男性の中にポツンと女性は私ひとりでしたから」

「たしかに、同分野では女性は一人だったが、あの部屋には他分野の女性など沢山いたじゃないか。どれもこれも冴えない。本当に際立って美しかった・・・」

 (いやぁ~ん。Bがどう思うか?まさか、わざわざ否定も出来ないから、黙って聞いているじゃないの・・・)

本当にCには自分の醜さを出してしまい、時折自己嫌悪に陥っていた。甘えるにも程があったのではないかしらと思う。自分の烈しさやキツさを知っているからこそ、棘を出さない様にいつもは振る舞っているが、一旦棘を出してしまったらその鋭さに自分で辟易してしまう。もっとも、器のある人ほど、自分の前では棘も出して構わないと思ってくれるのかしら?誰しも刺されるのは嫌よね?一旦甘えてしまうと、私などは底なしの甘えん坊だから・・・

 自分で自分を出さないで控えているのは、自分の秘めた激情を知ってるから、それが怖い・・・

 

昨日、一番うれしかったのはD子からの言葉だった。D子は事務方で誰に対しても冷たかったし意地が悪かった。皆、事務に顔を出すのにD子にビクビク。CまでD子にきつく慣例を説かれて注意をされたことがあると言う。人様の事など言えないけれど、ホントD子はキツイ。それでも、半年前にそこを去る時、事務方の一人一人に縁の下の力持ちであった事への礼を述べて細やかなご挨拶の気持ちを残してきた。

 

久しぶりに会ったが、私が部屋に入って行くとD子がおり、御挨拶をさせて頂いた。

「レマンさん・・・。とっても綺麗です。なんだか・・・増々綺麗になって。知っている人の筈なのに何だか知らない人みたいな。お幸せなんでしょうね?美しくって、眩しくって真珠の輝きのオーラが凄い。」

 

どうしたのかしら?D子。なにか気弱になる事でもあったのかしら?目が赤い。他の事務方とでも揉めたのかしら?

 

「D子さん、なんだか目が赤いようだけど、何か嫌な事でもあったの?」

「いえ、レマンさんを見て感動しているのです。幸せオーラと綺麗オーラが凄いので、ウルッと来ちゃって・・」

 

(私本人を知っている人が、もしこれを読むと、お笑いになるかもしれないなぁ~。恥)

 

えええええっ!!!!!???エ=====!!!

あのキツイD子がそんな事を言うなんて・・・・9月に去ってから、一息ついたと思ったら10月以降、苦しい事ばかりで数日間全く食事を受け付けない事もあり、精神が逝ちゃっていた。毎月海外に逃避もしていたし、大雪の日にはこれでもか!と苦しい事が重なったし、そんな、幸せオーラだなんて・・・。でも、総ては最幸になる為なのだと言い聞かせ、私たちの体の細胞が毎日生まれ変わるように、そして、月が満ち欠けを繰り返すように、抗えないこの時期を受け止めて、更に、心も生まれ変わりたいと自分に言い聞かせての、この半年だった。心が潰れてしまいそうな苦しいことが在ったけれど、それでも、私は、やはり幸せなのだろう。男性に言われるとお世辞の様な気がするけれど、まぁ~同性同士でもそうだけれど、D子の言葉は素直に嬉しかった。

 

そして、帰りがけに後輩のE(と言っても彼は物凄く活躍している)が、どうしたものか「僕は今年1年が正念場なんです。レマンさん一緒に写真を撮って貰えますか?レマンさんとの写真をこの1年のお守りにします」と。側にBやCがいて、恥ずかしかったけれどEと二人並んでEのスマホに写った。その内、仲間のFやGを交えて4人で飲みに行く約束をした。

Hとは、握手をしたが私の手をそのまま口元に近づけ、手の甲に口づけすると思われた。、内心ギョッとしたが、まぁ~手の甲くらいなら穏便にやり過ごそうと思ったところ、寸でのところで止まりポーズで終わった。

Iとは、少々揉め事があったが、気持ちよくご挨拶をしてお別れするつもりだった。Iが寄ってきて、挨拶でぶつ切りにするわけにもいかず、後に旧ユーゴに行って来た話をすると、共産圏とチトー大統領政権に興味があり、是非話をしたいという。しかし、恐らくは お互いに社交辞令なのを解っている。それでも、気持ち良く別れられて良かった。

C曰く、私と何度も食事をしているのをIが知ったら嫉妬で狂い、自分は恨まれるのではないかという。

B,Cとの食事が終わって、Cとの帰路にD子の話をしたら、「あのD子がそんなことを口にしたか・・・。いや、レマンさんD子にそこまで本当に思わせたんだよ。僕なんて今日もD子に叱られたよ」と。

 

明日はJと食事。Jは女性で私がお世話になった方。とても厳しく優しく、この方の存在が無ければ幾らCのようなサンドバックになって下さった方がいても、今日の私はいなかっただろう。どれ程、Jに助けて頂いただろうか。感謝の気持ちで一杯。先輩のK子がJを食事に誘った時、「友達ではないから、K子とは食事は出来ません」と断った人物である。そう言った線引きと厳しさがあるが、心根はとても優しく結局は、K子はJのお蔭で救われた。そのJが、食事に誘って下さった。とても、嬉しい。

 

そして、また翌週中に後輩(と言っても10歳も年上)のL子とも食事を楽しむ。彼女との食事は、本当の所、気が重たいけれど、それでも色々な学びが在るし、何よりも私との食事を喜んでくれるので、その気持ちに応えたい。

 

あ~9月で一息ついたのに、10月からこの半年、色々な事が在り苦しかったな。でも、もう3月も終わり。嬉しい涙と感動の涙しか流さないもん。3月も半ばに入り、桜の開花が待ち遠しい。春の海も見たいし・・・

 

色々な御縁を大切に、「ありがとう、ごめんね、許してね、愛しているよ」この魔法の四つの言葉を心から言えるようにして、毎日を大切にしなくっちゃ・・・

 

 

 

 

 

 

 

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『星の王子様』 -絆ー

2014-03-14 01:37:14 | 日記

11日、「あれから3年」とのキャッチの下、各局で3年前の震災の様子が映し出された。あの日は、本当に人様の親切を受け取り感謝の気持ちで一杯になり、直接その方ではなくても、私もどなたかに親切や心のお返しをしたいとの思いが溢れる日だった。

 

その同月、後ろ髪を引かれる思いのままに予定通り、オランダとベルギーに発ったのが、昨日の様である。現地では、「日本の方ですか?」の質問を多々受け、その度ごとに「この度の貴女の国の震災にはお見舞い申し上げます」と温かい言葉を掛けて頂き、じんわり目頭が熱くなることが多かった。自分が日本人であるあるという誇り故だったのだろう。それは、自分より上の代の同胞が国力として付けてきた信用に他ならない。

 

被災者の方の苦しみや頑張りをTVで見ていると、この3年で自分は何をして来たのかと自省の念に駆られる。毎日過ぎ直ぐ日々の中で、決して対岸の火事であってはならないのだ。今、自分に出来ることをしなければならない。

 

さて、久しぶりに『星の王子様』を読み返してみた。世界中で聖書に次ぐ大ベストセラーであるが、非常に難解である。一見児童文学の様であるが、大人向けの哲学書ともいえるだろう。いや、サン=テグジュペリの経験したことに即して読めば読むほど、当時の政治的背景を匂わせているとも読める。深く読み進め研究・解釈をするなら、数年はかかってしまうだろうが、簡単に気軽に、徒然なるままに思ったこと感じたことを書いてみたいと思う。

 

少々「星の王子様」のあらすじを振り返ってみたい。

 

サハラ砂漠に不時着ししたパイロットの「ぼく」が、そこで不思議な王子様と出会う。王子様は、自分の☆の薔薇とケンカをして旅に出たのだ。果たして王子様は、旅先で「本当の友達」を見つける事ができるのだろうか?王子様が訪れた各星で出会った人や動植物から教えられたことは、自分の心の在りようで色々と解釈ができる。

 

王子様は、全部で七つの星を旅する。最後の7番目が地球だった。先ず、1番目に訪れた星からそれぞれの星で出会った人々について振り返ってみよう。

 

1番目の☆  自分以外の人間は総て「家来」だと見なし、命令しかしない自分の対面保持しかできない王。

2番目の☆  自分にだけ感心して欲しい、あらゆる面でこの世で自分が一番だという賞賛の事葉しか耳に入らない自惚れ屋。

3番目の☆   アル中であることを恥じて、その恥をわすれるために酒で紛らわして忘れようとする酒ばかり飲んでいる男。

4番目の☆  星を所有して管理する事を喜びとし、自分が所有する夜空の星の勘定に日々を費やす実業家(取り扱う訳本によってはビジネスマン)。

5番目の☆  夕方になるとが街燈を点灯し朝になると消灯するが、1分に1回自転するために、1分毎に両方の仕事を行う疲れ切った点灯夫。

6番目の☆  美しい花など「はかない」と嫌い、海山川などが永遠に変化しないので価値があるとし、探検もせず自分の机から離れたことのない理論だけの地理学者。

 

 

そして、地理学者の勧めで地球に向かう事になった。

不時着したパイロットと王子様が砂漠で出会う。このパイロットは、子供の頃に画家になりたかったが断念してパイロットになったのだ。そして「ぼく」は、少しずつ王子様の経験したことを聞くことになるが・・・

 

王子様の星には、バオバブと言う木がある。それは危険な植物で、種の内には毒を出し育つと根を張りすぎてついには、星を破壊するという。また、1輪の薔薇が咲いた。王子様は、薔薇の美しさに一目ぼれして、毎日毎日、手入れをするが、その薔薇は4つの棘を持っていた。その薔薇とケンカをして星を飛び出す。

 

地球で先ず出会ったのは蛇。蛇に王子様の星の薔薇との経緯を話す。蛇は王子様がどうしても自分の星に帰りたくなったら助けてくれるという意味深な言葉を告げる。

また5千本の薔薇に出会い、狐にも出会い狐にも薔薇の話をする。人間は、荒野で線路のポイント切り替えをしている鉄道員と、喉の渇きを癒す薬を売る商人出会う。「ぼく」がこの話を聞いたのは、飛行機が砂漠に不時着してから7日目だった。その頃には、持参していた飲み水が無くなりかけていて「ぼく」は王子様の話どころではなかった。二人は、砂漠を一晩中歩き続けて、とうとう井戸を見つけた。そして、二人は友情と言う絆で結ばれている事に気が付く。しかし、翌日、「ぼく」は飛行機の修理から戻ると、王子様との悲しい別れが待っていた。

 

サン=テグジュペリ自身は、読者に次の様に挨拶している。

 

この物語を世界中の子供達に 

また自分が子供だった頃を忘れがちな大人たちに

そして、上辺だけではなく物事の本当の美しさを見つめる勇気を持った

総ての人々に心からの友情を込めて贈ります。

 

『星の王子様』を読んだことがない人でも、「大事なものは目に見えない」の件を知っているだろう。しかし、『星の王子様』は、何処に焦点を絞り読み進めるかで、様々な解釈が出来る。王子様の星に咲く3本のバオバブの木は、ドイツ・イタリア・日本の三国に不適切な対応をしたために第二次世界大戦を引き起こした。また、一番目の☆で出会った、自分のため対面保持しかできない王は、当時のヴィジー政権を示唆するという政治思想を背景にしたと主張する研究もあるが、ここでは、そのことについては触れない。

 

『星の王子様』の中でも名言や私たちに格言として心に残る台詞は数多いが、ここでは1)「飼いならす」2)「大切なものは目に見えない」3)「どんなおとなたちも、初めは子どもだったのだ」4)「砂漠が美しいのはどこかに井戸を隠しているから」以上の4点に絞って、徒然をしてみる。

 

1)「飼いならす」

王子様は地球に来ても友達が出来なく寂しくしていたところで、狐に出会い友達申請をするが、狐に断られる。

「君とは遊べない」「俺は飼いならされていないからさ」

「飼いならす」と言う意味を知らない王子様は、その意味を狐に尋ねると「絆」について教えられる。狐によると、「飼いならす」とは「仲良くする事」。今の時点での狐と王子様は通りすがりの他人の関係。しかし、「仲良くする」して、ついには離れられない関係になると、お互いにこの世ではたった一人の関係になる。もし、王子様が仲良くしてくれたら、狐にとってお日様に当たったみたいに楽しい気分になり、王子様の足音を聞くと音楽でも聞くように楽しい気分になるという。王子様は、友達を見つけたり知らない事を知る為に、時間がないので仲良くできないと応える。

 

「飼いならしたものしか学べない」「何よりも忍耐がいる」「友達を売っている店はない」

「じゃあ、どうしたらいいの?」

「先ず、少し離れて座る。言葉と言うのは勘違いの元だから。辛抱強く毎日少しずつ近づいていく。そしたら、ついには近くに座れる日が来る」

 

「飼いならす」は、フランス語の原語表記では、“apprivoiser”であるが、これは、「飼いならす、(人)を従順にする、手なずける」と言う意味である。そして、もう一つ!「女を誘惑する」と言う意味がある。

 

サン=テグジュペリの処女作『南方郵便機』は、男女の恋愛を書いた作品であるが、彼が『星の王子様』での「仲良くする」ための「飼いならす」は、女性の口説き方を狐の言葉を借りて、実存を王子様に伝授しているとも置き換えられるだろう。女性の心を掴むには、男性諸氏には是非『星の王子様』を読んで勉強して頂きたい。

狐と「仲良くなる」ために「飼いならす」事をしていると、狐に逢う前に地球で出会った5000本の薔薇と王子様は星に残してきた薔薇についての違いを知る。

 

「ぼくが水を上げた花なんだ! ぼくがカラスをかぶせてあげた花なんだ! ときには毛虫も取ってあげたし 愚痴や自慢話も聞いてあげた・・・ それがぼくの花だ!」

 

王子様は薔薇を愛していたことに気が付く。

 

 

2)大事なものは目に見えない。

「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」

 

そして、さらに狐に教えられる。

「面倒を見た相手にはいつまでもずっと責任がある。守り続ける責任が・・・」

 

四つの棘でしか自分を守れない無邪気で弱くて儚い花なのに、一人ぼっちで星に置いてきた事に苦しむ。薔薇の話にも理屈で返してしまい、ただ頷くだけで良かった。言葉ではなく行動で判断するべきだった。あの薔薇のお蔭で良い香りに包まれて明るい気持ちになれたのだから、逃げ出してはいけなかった。どんなに口が悪くても心は優しい薔薇。王子様は愛すると言う事がどういう事か解らなかったと悟るのである。

 

王子様が星に残してきた薔薇は、高ピーなのである。薔薇の美しさに心を奪われて、毎日毎日大切にするが、薔薇は王子様に対しては、つれなく我儘放大である。薔薇も王子様を愛していたが素直な表現が出来ないのだ。王子様も薔薇もお互いに、自己中心的でお互いに傷つけあってしまったのだ。

王子様は5000本の薔薇とも出会うが、たった一本の薔薇の大切さを知る。狐は「仲良くする」ために「飼いならせる」事を王子様に教えるが、サン=テグジュぺりは触れていないが「縁」という物についても同時に私たちは教えられる。王子様がたった1匹の狐に友達になって欲しいと声を掛けた事で、そこで「繋がり」や「縁」ができたのだ。その一声を掛けなければ、野原のそこらじゅうに沢山いる狐と何ら変わらない、その他大勢の他人のままであるからだ。5000本の美しい薔薇も然りである。

 

星に残してきた薔薇は、サン=テグジュペリの妻コンスエロ・スシンであるとするのが妥当だろうか?その薔薇がたとえ誰だとしても、私たち総てのものに「愛する」と言う事を教えてくれる。また、「愛する事」を含めて、あらゆる物事に対する視点として、次の事もサン=テグジュペリは教えてくれる。

 

 

3)どんなおとなたちも、初めは子どもだったのだ」

大人は物事を判断する時に、それが利益を生むかどうか損失をどれだけ抑えられるかなどの損得勘定したり、あるいは人を判断するときにその人の社会的地位で判断をしてしまいがちである。子供は只、感じたままに行動をする。子供にとって大切なのは感じたまま、感じたことそのままが大切なのだ。子供は理性よりも感性が伸びやかであり、時には単純に好きか嫌いかで行動をするので、ある意味残酷であるともいえるだろう。また、感性豊かなままの大人は、状況を分節化して分析する能力を感受性と統合する能力を身に付ける事で、喜びを見出し人生に対して微笑掛けるような気がする。自分の内部でバランスを取るのは、実際の所中々難しい。

 

 

最後に、「ぼく」と王子様が、砂漠の中で井戸を探している時の王子様の台詞。

4)「砂漠が美しいのはどこかに井戸を隠しているから」

この台詞について私は、世阿弥の「中庸の精神」や「善と悪」と同様の解釈をしている。

人間は清濁併せ持つものである。二人は、砂漠の中だと言うのに、まるでどこかの村にでもあるような滑車と桶が揃った井戸を発見して命拾いをするのである。

 



サン=テグジュペリ自身がパイロットである。モロッコの砂漠や南米のアンデス山中の飛行、水上飛行などしており、不時着や事故に遭遇し大怪我を経験している。

先ず、フランス軍の兵役に志願してパイロットになり、事故で兵役を終えてタイル会社に就職、自動車会社に転職。26歳で作家デビューをして、その後に郵便飛行士となる。

 

また、モロッコのジュピー岬の飛行場長となり、砂漠での孤独な1年を過ごしているが、その時にフェネック(砂漠の小型キツネ)を飼っていた。アルゼンチンのブエノスアイレスに赴任後、フランスに帰国して芸術家のコンスエロ・スンシンと結婚。エースフランス入社。新聞特派員としてモスクワに行く。自家用機でパリ~サイゴン間の長距離飛行を試みるが失敗。リビア砂漠に不時着して遊牧民に救出される。

 

また、グアテマラにて離陸時に大事故に遭い、頭蓋骨骨折及び四肢骨折。以降、後遺症に苦しむ事になる。第二次世界大戦が勃発し招集されるが、翌年除隊になり渡米。『星の王子様』出版後、自ら志願して偵察飛行隊への復帰を果たす。

 

1944年7月31日、コルシカ島のポルゴ基地から飛び立ち行方不明となる。

 

 

今から16年前の1998年。

TVニュース(日本の局だったか外国放送だったか記憶がない)で、地中海のマルセイユ沖海域で、サン=テグジュペリの物とされるブレスレットがトロール漁船によって発見されたと放送された。

 

そのニュースに驚いた。こんなことが在るのだろうか?こんな偶然が。しかし、やはりそれは神の采配としか思えなかった。サン=テグジュペリは彼の書く小説の登場人物そのものであり、最後の最後までファイターだったのだと。彼の場合、民間航空会社での定期路線パイロットやテストパイロット業務も支配人業務も経験するが、結婚後にエールフランスに入社するも、そこでは宣伝部の仕事であり、ファイターパイロットは、ラインパイロットになりきれず、根っからのファイターだったのだ。

 

彼の波乱の人生と照らし合わせながら読み進めると、『星の王子様』は、「孤独」と「死の恐怖」について、また、「人間の絆」や「愛」や「幸福」などについて教えられる。そして、「大事な事は目に見えない。心で感じる事が大切である」と私たちに語りかけているのだろう。心で感じるには、どんな大人もかつては子供だったのだのだから、その時の「感じる」心を意識して磨かなければいけない。

以前、ここでサン=テグジュペリの『夜間飛行』についても書いたが、再び『星の王子様』を合わせて読んでみたい。『星の王子様』を読むと、アメリカのニューエイジ思想に付いても考えさせられる。

 

 

さて、私の住んでいる青い星、地球のネックレスで楽しんでみました♪

 リングが付いているので土星とも解釈できなくもないけれど、このリングは、太陽の通り道であり、あくまでも地球なのだと解釈をして楽しんでいるのです。ブルーサファイアで、小さいけれど30万もしたと言いたいところですけれど、300円の玩具ネックレス。^^ 一目ぼれしてしまったのよぉ~!とってもお気に入りなのです。地球はワンネス~♪ この安価な玩具ネックレスに「縁」を感じて、時々身に着けて(何て安上がりな私!)ネックレスとの「絆」を結んでいるのです。^^

 

『星の王子様』は、完全には理解できないかもしれません。それは、自分の心の持ち方でいくらでも解釈できるからです。しかし、「縁」が出来た人を大切にしたいと思う今日この頃です。

 

人はそれぞれ自分の人生を生きている。

これからも、私は世界を旅し続け自分の人生を生きて模索し続けるのでしょう。王子様が、毎日毎日心を込めて、お手入れをした唯一の薔薇を愛した様に、子供の心を忘れないように、自分で自分をお手入れし丁寧に扱うのが、私にとっては旅なのかもしれません。

 

 

今夜は、静かにヘンデルの歌曲「セルセ」の第1幕「オンブラ・マイ・フ」を聴きました。紀元前5世紀頃のペルシャが舞台の、きまぐれ王と彼を取り巻く周囲の人間の恋物語ですが、その内容や歌詞について書くと明日の朝(もう午前0時を廻ってしまったけれど)になってしまうので割愛します。

 

最後に何度かここで書いていますが、私の最も好きなラテン語の格言を二つ紹介して、今夜を終えたいと思います。

 

Amor gignit amoerem.

「愛は愛を生む」

 

In ore veritas in corde sinceritas.

「口に真実、心に誠実」

 

 

サン=テグジュペリ自身と「ぼく」と「星の王子様」は、この二つを理解していたのだと私自身は解釈しています。

 

あなたも私も誰でもが、今宵、素敵なお☆様の夢を見られますように・・・

 

Good night!

 

 

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悶々・・・呟き

2014-03-08 19:51:51 | 日記

沸々、悶々と答えを出せないでいる問題がある。自分の中では、既に決定しているはずだったのに、色々な人の思いが届けられて心が揺らいでしまった。いよいよ応えを出さなければいけない時が来て、何時もなら毅然!と凛!としている筈なのに、ふにゃ子ちゃんになってしまった。どうしても誰かに相談してしまいたくなり、それもどうしたら良いものかと、また悶々していた。

 

即、電話を掛けてしまいたくなるAを、余りにもクダラナイ事で電話口に拘束してしまうのもどうかと思い留まっていた。掛けたくても番号を削除してあり、直ぐに掛けられない。数日迷った後、年賀状やら名刺やらをゴソゴソ取り出して、番号発見。それで電話を掛けてみたが、あわててお相手が出ない内に切ってしまい、結局のところ、応えは自分で出すしかないのだからと言い聞かせて、また数日。

 

外部組織の人に聞いて貰おうか? いや、やはりご迷惑になってしまうかも。結局、応えを頂くには、こちらの愚痴めいたことも伝えなければ話が見えないだろうから、やはり、くだらない事で電話など掛けられない。

気軽に世間話の会話を楽しむ如く、聞いて頂ける人物がいない。というよりも、私自身がそのような事を話題にしたくないのかもしれない。そういう話題を口にしてしまうと、後で自己嫌悪に陥り、自分を立て直すのに時間が掛かるからである。

あ~~~なんて根暗な性格なのだろうか!(嘆!)

明るく華やか?とんでもない!どんより根暗なのよ・・・

まぁ~、幸福で楽しくミステリアス??(自分ではそう思わないけれど)であることは、もしかしたら否めないかもしれないけれど・・・・ 

 

それで、迷った挙句、やはりAとBに相談をする事にした。Aに電話を掛けたら、非常に喜んでくれ2時間位、話をしただろうか?とても明快な答えが即座に反ってきた。やはり、私の考えを後押ししてくれる答えだった。後は、逆に私がAの色々な思い煩う事を聞く形に、私なりの考えを応えた。

 

「いやぁ~、レマン君は良い事言ってくれるじゃないか・・・。うん。よし!やる気が出て来たぞ!そうだよなぁ~。僕も頑張らないとな。電話ありがとう嬉しかった。」

 

電話を切り終わるとBからメールの返信が来ていた。Bにメールをすると、これまた明快な返答だった。Bはメールを読むと、その場で即返信を返してくるタイプで、一旦保留にしたりなどの意図がない所が魅力的である。その代り、こちらもお相手の気持ちを汲むように、なるべく早く返信を返す努力をしている。意図が無いので清々しいからである。

 

「それは、XXの為ではない。驚かれるかもしれないが、また、XXの為でもない。では、何のためかと言うと、それは、XXである。そして、僕ならこう考える・・・・」

 

普段なら、ジョークなども良く交えて会話するが、このたびの返信は、ずばり答えのみが書かれていた。核心を付いたメールに心が洗われた。AとBの意見は、全く正反対だった。

Bは、私の中で既に答えが出ているだろうけれど、今一歩、迷いのある部分を感じ取り、別な行動を取る事を示唆してきたのである。鋭いなぁ~!

 

二人共に感謝! 私自身がどちらの応えを出しても、A,B共に自分の意見と異見であるとは思わないだろう。

 

これが、CやDだったら?

Cはこちらの耳に心地よい事しか言わないだろう。それでは、結局答えが出せずに反って悶々としてしまう。良く考えると、Cには何一つ私も心を割って話をしたことがないかも知れない。いつも、夢の会話だったような気がする。これはそれで、心地よいのだろうけれど、今一歩力強さが欲しいときには物足りない。

Dは、相談したことを諸手を上げて喜ぶだろう。しかし、一番無責任な行動をとる。女性がDに相談を持ちかけると、立場上自分が優位に立てるのを熟知している。そして、肝心な応えは決して望めない。それどころか、話しを聞くポーズを取りながら、結局は自分の自慢話に帰結する。私はこの手は、一番苦手。女性なら皆同じこと考えるのではないかと思いきや、しかし、どういう訳かDに好んで近づく女性が多い。やはり、Dの立場や肩書が邪な女性を引き寄せるのだろうか?男性は皆、自分を大きく見せたがり、女性からの賞賛をなによりも生きる糧、男としてのプライドを保つ必須条件であろうから、考え方によってはお馬鹿で可愛いとも言える。

 

最も、余りに色々な人物に相談に乗って貰うのは、かえって混乱を招くのでそれはしない。

 

 

随分前に、こちらが悩むであろう事を想定してかしないでか、その問題に触れ、自分の考えを伝えてきたE。そして、こちらが悩むであろう事と、私の応えを既に予測してきて、どうするべきか自分の見解と世間の応え?をいち早く述べてきたF。

 

Fは唯一女性であり、私は心からFを尊敬しているので、その時はFの優しさに感謝すると共にFの言う通りの行動を取ろうと心していた。

A以外、皆同じ答えだった。

さて、応えを出さなくては・・・

 

今夜は、何のバスアロマのお風呂にしようかしら?やはり、冷静の青色のお湯に身を沈めて考えるべきよね?

 

 

 

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モンテネグロ「コトル」

2014-03-07 02:43:57 | 旅行

旧ユーゴスラビアの独立国の中で、福島県と同じくらいの小さな面積のモンテネグロ.。その中でも世界遺産に登録されているコトルを紹介したい。

 

あの山の麓まで行く。

 

数日前の雨が山に堕ち、アドリア海に勢いよく噴出している。水音をお聞かせできないのが残念!!圧巻!!

 

コトルはアドリア海から続くコトル湾の一番奥に位置する、背後を険しい断崖に囲まれ前方はアドリア海に面する、城壁に囲まれた三角形の街である。その地形が幸いしたのか、外的に街を破壊されることなく、古い街並みをそのまま現在に留めている。

 

これは、旧市街の城壁に在る3っつの門の中で最大の西門で、当時は海からの訪問者の正面入り口だったことから、別名「海の門」と呼ばれる。現在みられるこの姿は、1555年に建設されたルネサンス様式。

 

コトルの起源は古代ギリシアにまで遡り、15世紀以降はヴェネチアの支配下で軍事都市として発展した。そのために、オスマン帝国の脅威に備えて強固な城壁が整備された。

 

 

旧市街の背後に聳え立つ山々に沿って建設された城壁は、長さ4,5キロに及ぶ。中腹に見えるのは15世紀に建てられた救世聖女教会。

城壁内の小さな旧市街は、路地が入り組み古い教会がいくつも点在する。1979年に世界遺産に登録された。

 

 

聖トリフォン大聖堂。二つの鐘楼を持つカトリック大聖堂で、1166年に創建されたロマネスク様式。1667年の大地震で鐘楼が倒壊し、後に再建されたが北側は未完成のままである。

 

聖ニコラ教会。十字架の形を見て欲しい。この十字架は、スラブ系正教会の特徴で、八端十字架である。これは、セルビア正教の教会。16世紀から続くドミニコ会修道院が19世紀の大火で焼失後、その跡地にこの教会がたてられた。コトルの教会の中では新しい建物になる。

 

 コトルの博物館。

やはりアドリア海に面した街よねぇ~。シーフードのレストランが多い。

外で食事をするの素敵ねぇ~。

 

 

聖ルカ教会。1199年に創設された。1657年までカトリック教会であったが、その後、正教会に寄贈された。

 

 

これは、コトル湾に浮かぶ岩礁のマリア教会。この島は、マリア教会だけが建つ人工の島である。15世紀に漁師が、小さな岩礁で聖母のイコンを発見した。そして、聖なる土地として、その岩礁に十字架を立てた。その後、住民たちが、岩などを沈めて少しずつ埋めて行き、やがてこの島が出来上がったと言う。17世紀にマリア教会が完成。

 

 

山も海も美しく心が洗われる。この地に来られた事を、神様と周囲に感謝しなくっちゃ・・・

山は何故美しいのだろうか?

山の堂々とした存在は、人を寄せ付けない不動の強さと威厳を感じさせるからだろう。広大で静かで毅然とした佇まいには、畏敬の念を抱かされる。大胆不敵な者は、山頂に心を奪われ征服しようと試みる。しかし、山は、空に届こうとする山頂に向かってより狭くなり、より高みを目指す者に対して、意識を高揚させるように難題を持ちかける。

 

だから・・・山は美しいのかしら? 海の美しさは何故?もう少し、暖かくなったら日本の近間の海を見に行きたいなぁ~♪

 

その日のホテルのレストランには、黄色い薔薇が1輪。やっぱり薔薇は綺麗でウットリ・・・

次回は、旧ユーゴの中でも、最も戦火が激しかったボスニア・ヘルツェゴビナを紹介したい。

 

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ブーツを脱いで・・・

2014-03-05 20:54:28 | 日記

今日は、陰鬱な雨の一日ですね?

12月のクリスマス前に「冬至」を迎えて、その時は未だ意識は出来なくても、翌日からは確実に日中が長くなるのだと思いながら3月を迎えた。其の事にあまり意識できる日がなく2月を終えて3月になってみると、ふと昨日のお天気の良い日には、いつの間にか暗い真冬は抜けたのだと気が付いた。しかし、その思いを打ち消すかのような、今日の陰鬱な雨。

そんな風に、3歩進んで2歩下がりを繰り返しながら、人生も進んで行くのかも・・・

 

さて、私の中では冬から春へ季節モードをチェンジましたヨン!

早速、昨日幾つかのお買いものを楽しみました。

 

肩甲骨の下まである長い髪の毛は、色々なスタイルを楽しめるので遊べます♪

 

自宅で手軽に纏め髪ができる(しかも、髪の毛に跡が付きにくい)バナナクリップ。数種類2色を使っていますが、黒を基本として今まではヴァ―ガンディー色を使っていました。赤ワイン色。でも、ヴァ―ガンディーは秋と冬カラーなので、昨夜から白っぽいベージュに変更♪自宅の中でも、う~~ん自宅の中でこそ、明るく楽しく過ごさなくっちゃね。

 

さて、これは何でしょう?

 

ヒント。お風呂上りにこれと一緒に使います~♪

^^

 

はい。踵パックですぅ~♪ブーツを脱いで足を出すようになりますし、サンダルはまだまだですけれど、踵をツルツルに足の裏を柔らかくしておくのは、女性としての義務ですよね?勿論、そんな事よりも、もっと身に付けなければいけない事は、山程ありますけれど。

 

安~~~~いワインを購入して来ました。

 

 

ハーゲンダッツのアイス大好き♪ 季節限定の「薔薇味」「桜味」を楽しみます♪

チーズもね?

でも、深く読み込みたい書籍があるので1杯しか頂きません。それだったら、全く飲まなければいいのにねぇ~。

 

何時も思う事ですが、「少女老い易く学成り難し・・・」です。

Good night!

 

http://www.youtube.com/watch?v=-XP-9kj7a_g

 

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クロアチア「ドゥブロヴニク」

2014-03-03 11:38:17 | 旅行

「アドリア海の真珠」と形容される、クロアチアのアドリア海最南端に位置する、城壁に囲まれたドゥブロヴニクを紹介したい。

アドリア海の朝日。山の向こうから暗い海に光を指す姿は、希望の象徴の様に感じた。

その前に、旧ユーゴの中でも、一番アドリア海に面したクロアチアであるが、シベニクやスプリットの同じくアドリア海に面した街からこのドゥブロヴニクヘ入るには、一端、ボスニア・ヘルツェゴビナに入国してまたクロアチア領土に入らなければならない。その手前で、山と湖の湖水地方を通り抜ける。

キャンパスに再現したい風景。

この辺一体は、みかんの生産地。

道路脇の直売所。オレンジやレモンが一杯。オレンジというよりも日本のミカンですね。勿論、オレンジもあるけれど。

ビタミンカラーを見ていると元気が貰えそう。果実の他に蜜柑の蜂蜜も売られていた。

ドゥブロヴニクには、前日夜に到着。

 

ドゥブロヴニクは、15~16世紀からラグーサ共和国として、ヴェネチアと並ぶ貿易都市として栄えた。現在も旧市街にはその面影が色濃く残っており、クロアチア切っての観光地である。

ドゥブロヴニクの旧市街は、アドリア海に突出しており城壁に囲まれている。この旧市街は、1979年に世界遺産に登録された、1991年からのクロアチア独立戦争の際には、旧ユーゴスラビア軍の攻撃により旧市街もかなりの攻撃を受け被害を被った。そのため、「危機にさらされている世界遺産リスト」の街に挙げられたが、終戦後に復興が進み、1994年に改めて世界遺産に登録された。

1991年12月6日に、旧ユーゴスラビア軍により発砲が浴びさせられた。その発砲数は、2000発で、旧市街の多くが破壊され多くの市民が犠牲になった。これは、その時の被害を示す地図である。紹介する写真でもお分かり頂けると思うが、レンガ色の屋根が美しい街並みであるが、その中でもひときわ明るく鮮やかな色彩の屋根の建築物は、後に修復されたところになる。

細い路地の商店街の入り口には、当時の破壊された様子と、修復後の様子などの写真が掛けられているところも少なくない。

現在は、こんな風に中世の面影を残しながらも、美しい街となっている。

 

これは、聖ヴラオ教会。ドゥブロヴニクの街の守護聖人を祀る教会である。かつては、ロマネスク様式の教会だったが、1667年の地震とその後の火災による損傷で、1715年にバロック様式で建築された。

 

ここは、旧市街の中心になるルジャ広場に位置する大聖堂である。震災後に再築されたバロック様式で中央にドームを持つ。

大聖堂前のルジャ広場の中央には、1418年につくられた一体の騎士ローランドの像がある。ローランドは、ヨーロッパ都市の自由と独立の象徴とされ伝説の騎士である。この像の右腕のひじから手首までは、51.2cmであるが、この長さが商取引の際に長さの基準として採用された。

広場を囲んで鐘楼もある。

おなじくルジャ広場に立つスポンザ宮殿。1520年ころに建造され、ゴシック様式とルネサンス様式両方を併せ持つ。1667年の震災では倒壊を免れらたために、震災以前の建物の様子を現在に伝える貴重な建築物である。現在は、公文書館として使用されている。

 

大聖堂内の身廊は、天井の高いドームがあり、側廊とはアーチと巨大な柱で仕切られている。

 

主祭壇。ここに飾られている祭壇画は、ティツィアーノの「聖母被昇天」であり、元は近郊の聖ラザルス教会に在ったものであるが、倒壊のためにこちらの大聖堂に移された。

 

 

ルジャ広場から200メートルに渡るメインストリートの、脇を覗くと民家が犇めく細い路地が見られる。観光地であるとともに地元の人々の生活の場であることが伺える。この細い路地に見える長い階段は、宮崎駿監督の映画「魔女の宅急便」で、自転車で階段を駆け下りる(飛ぶ)シーンの舞台とされている。また、「紅の豚」は物語の舞台は193年代のイタリアであるが、アドリア海の景色はドゥブロヴニクが採用されているとか。

 

ドゥブロヴニクの歴史的建造物の中では、上記の大聖堂と並ぶフランシスコ会修道院がある。

全景は大きすぎて狭い路地からは写せないので、入口を紹介。

フランシスコ会修道院は、世界で3番目、クロアチアでは最古の薬局を抱えており、現在でも営業している。

14世紀のロマネスク様式の回廊が美しい。

回廊奥の博物館には、薬草や壺や天秤など薬局で使用されていた古い器具が展示されている。

 

フランシスコ会修道院の直ぐ前には、オノフリオの大噴水がある。この噴水は、12キロ離れた源泉から水を引いており、1438年にイタリアのナポリのオノフリオ・デッラ・カッヴァに造られた。1667年の震災で装飾の多くが破壊されたが、16面レリーフ(浮彫)は、姿をとどめており、現在もその口から水が噴出している。

 

ここは、旧市街へのメインの入り口として使われていたピレ門。現在の姿になったのは1537年である。

ピレ門を守るために造られたボカール要塞は、海に突き出すように建てられている。

ボカール要塞の対岸を守るための、ロヴリイェナツ要塞。海抜37メートルの岩山に建ち、海と陸の双方からも街を守った。

 

また、交易で栄えたドゥブロヴニクは、交易船や商人の出入りが激しく、疫病の蔓延を防ぐために港には検疫所も設けられていた。写真中央やや右寄りの細長い建物が旧検疫所後。

 

ちなみに、検疫は「Quarantine」で、よく各空港で目にしますね?。ラテン語で40日という意味のクアランティーナが語源なのです。これは、ヨーロッパではペスト(黒死病)が恐れられていた為に、汚染地域から入港した船や船乗りはペストの潜伏期間である40日間、隔離拘束されたことによります。^^

 

 

さて・・・・折角だから城壁を登る事にした。^^

城壁入口すぐから旧港を見下ろしたところ。現在は、主要港は市街北西のグルージュ港が担い、旧港は、観光ボートの発着場所となってる。

私は高所恐怖症だけど、大丈夫かしら?それでは、Let's go!!!

ホント、壁。

うわぁ~。綺麗! これは、ドミニコ修道院の尖塔と鐘楼ね。1225年にドミニコ会が修道院を開き、この建造物は14世紀に完成された。ロマネスク、ゴシック、ルネサンスの3様式ミックスであるが、この尖塔はロマネスクですね。

段々高くなってきたぁ~。まだ、大丈夫。^^

 

城壁外の山川の新しい街並みも見えるようになってきた。

完全に旧市街より高い位置にいる。

アドリア海と尖塔が見える角度。あ~美しいなぁ~。^^

わぁぉ~!!青いドームは、聖ヴラオ教会ね、そして、奥が大聖堂のドームね。

山側の城壁は高いけれど、旧市街の方の壁は低くて、少し怖いかなぁ~。

わああ~~。段々高くなってきたよぉ~~~~~。アドリア海に浮かぶ島も見えてきたぁ~!!

これはミンチェタ要塞で、城壁の中で最も高所にある要塞。1319年に建造されたが、15世紀にフレンツェの建築家パルトロメオにより再建された。

城壁の半周コースは間もなく終わり。半周で止めておくか一周するか迷うところ。どうしましょう・・・・

クロアチア万歳~!

やっぱり、折角だから一周する決心を・・・

城壁南面は、海に落ちる絶壁ですよ!このず~~っと向こうがイタリアの長靴半島。結構怖いですぅ~~。

頑張ります!

城壁そのものの下が民家になっているところも。

聖ピーターの砦。城壁各所にある砦には、其々聖人の名前が付けられている。

アドリア海が岩に打ち付けている・・・

はぁ~。一周をした・・・そろそろ、終わりかな。

はい。頑張りました。

城壁の隙間に生えている雑草に「お疲れ様」と声を掛けてもらったぁ~。^^

さて、旧市街に戻ります。

ああ~素敵だったなぁ~。アドリア海と旧市街のレンガ色の街並みが美しかった。

あれ・・・? 猫ちゃん。「こんにちは。私を見ているの?私は日本から来たの。でも、あなたは日本三毛猫ちゃんみたいね?」

ちょっと、興奮から覚めて旧市街のお店を覗く事にしましたヨン。

赤く塗ったハート型のクッキーを親しい人に贈るのは、かつての風習だったようですね。

このお店のオーナーさんは、ポーランドからの移民の方でした。

思わず、咄嗟にポーランド語が口をついて出た。勿論、片言・・・。

かつて、ジュネーブでポーランド人の知人が居て、ある時、一緒にお茶をしたときに彼は、朝日新聞のスクラップを出してきて私に音読を求めた。その時まで、彼が日本語ができるなんて知らなかった・・・

で、それから暫くの後、私がジュネーブからパリにTGVで発つとき、コルナヴァン駅でポーランド語でさようならの挨拶と片言を話したら、「えっ!!??ポーランド語ができるなんて知らなかった・・・」と。

ハハハ・・・御返しよ!^^ 彼と私ではレベルが違うもの。「天声人語」の切り抜きを見せられた時には、余りのレベルの違いに恥を感じてしまい、いじけたくなってしまったのね。それから、あわてて勉強したのよ・・・

な~~んて、今は昔のお話を、そのお店のオーナーさんと話していて一揆に思い出してしまったわ・・・

今、彼はどこかしら?ジュネーブかニューヨークかしら?まさか、東京に?

それとも、転職でもして母国の大学で教鞭を取っているかしら?

 

それにしても、何故?クロアチアのこのお店に、ヴェネチアのカーニバルの仮面が売られているのかしら?オーナーさんの芸術的趣味かしら? 疑問に思ったことは解決をしたくて、つい、聞いてしまった。

「そんな趣味はないけれど・・・何故と言われても・・・イタリア人観光客が多いからさ」とな。そうでした、アドリア海対岸はイタリアでした。しかも、ここはドゥブロヴニクで観光船でやってくるイタリア人は多いのでした。

街の広場には、少しづつ青空市場が立ち始めていた。

次回は、旧ユーゴの独立国の中でも小国のモンテネグロを紹介したい。

 

 

 

 

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クロアチア「トロギールとスプリット」

2014-03-02 02:00:34 | 旅行

クロアチアのアドリア海沿岸の世界遺産の街、トロギールとスプリットを紹介したい。トロギールとスプリットは20数キロ程しか離れていない。トロギールは、周囲を城壁に囲まれた小さな島である。

 

街の起源はギリシア時代にまで遡り、狭い島内に様々な時代の建築物を見る事ができる。中世のままに、時が止まったような錯覚を覚える。

 

その世界を歩いていると、郵便局や銀行などが在り、現在の人々が生きている世界へと引き戻される。

 

橋によって本土とチオヴォ島が結ばれている。

 

本土から橋を渡った直ぐ傍の北門が、旧市街の入り口になる。かつては、旧市街総てが城壁に覆われていたが、今は一部が残るのみである。この北門は17世紀半ばに作られたバロック様式であるが、18世紀に改修された。門の上には、主義聖人である聖イヴァン・ウルスニィ像が立っている。

 

 

1997年に世界遺産に登録された、聖ロヴロ教会。遠目に尖塔をパチリ。旧市街のイヴァナ・パヴラ広場に聳え立つ。3世紀に殉教した聖ローレンスに捧げられた大聖堂である。初期キリスト教会の跡地13~15世紀に掛けて建立された。

 

次にスプリットの街を紹介したい。

スプリットは、クロアチアの首都ザグレブに次ぐ第二の都市で、アドリア海沿岸の最大で古代都市が残る神秘的な街である。1700年前の遺跡が見られる。

 

 

旧市街に残るのは、ローマ皇帝ディオレティアヌス(245~313)が退位後に居住したディオクレアヌス宮殿である。

 

宮殿内にはアーチ型の天井持つ部屋などが残されている。また、様々な時代の建築物が並び、宮殿と一体となって旧市街を作り上げている。これらの史跡群は、1979年に世界遺産に登録された。

 

 

ここは、天井にぽっかりと穴の開いた空間で、皇帝の私邸の玄関口である。

 

地下宮殿にはお土産屋さんが並び、アラバスタ―製のツボなど入手したかったが、重たいので写真に収めて我慢。

 

スプリットに宮殿を築いたディオクレアヌス帝について、少々触れておきたい。ヨーロッパ史に興味がないと聞き逃してしてしまう名前だが、ディオクレアヌスはキリスト教徒からは最も憎まれた皇帝の一人である。

彼は、ローマ時代にダルマチアの州都として栄えたサロナ郊外で、奴隷の子供として生まれた。ローマ軍の中で頭角を現し、284年にローマ皇帝となるが、ローマ帝国を四つに分割をして、自らは、その内の一つで現在のトルコからエジプト一体を統治した。これがいわゆる「四頭政治」である。303年にキリスト教弾圧の勅令を発布してキリスト教徒を迫害して、多くの殉教者を出した。そして、自らの意志で退位した305年以降に、このスプリットで隠居生活を過ごしたのである。

 

 

宮殿の中心に位置する美しい中庭は、列柱に囲まれており、カフェや大聖堂がある。

カフェに飾られたシクラメンが綺麗だったな。大聖堂は、元来はディオクレアヌス帝の為の霊廟として建てられたが、8世紀に大聖堂として造り替えられた。

 

クロアチア美人達・・・・。

これは、10世紀に活躍したグルグール司教で、このブロンズ像の左足親指に触ると御利益がある事で有名。などと・・・そんなことはドウでもよく、ラテン語で書かれた聖書をクロアチア語に初めて翻訳した司教である。

 

こんなお天気で、グルグール司教の金ぴかに磨かれた?(触られた)足の親指より、赤い木の実に雨が滴っているのが綺麗でパチリ。

 

 

旧市街の中心にあるナロドニ広場では、大聖堂の鐘楼を望みながら青空市場が広がる。この日は雨空市場だった。

 

 

クロアチアは蜂蜜とかプロポリスの名産地。蜂蜜は重たいので購入しなかったが、スーパーでプロポリス入り歯磨き粉などを購入してきた。

 

このお店では、1キロ25Kn(クーナ、約450円)のドライプルーンを購入。左から二番目。日本の物と同じ感覚で噛むと、大きな種が入っていてカチンと歯に当たってしまったぁ~。多分、一番左の物との違いは、中に種子が入っていることかな。鉄分が豊富なので貧血防止にね。美味しい~♪

 

 

「ニンニクは要らんかねぇ~、ニンニクだよぉ~~~」

 

花市場が綺麗でウットリ。

花弁の先だけ赤い薔薇は、日本ではなかなかお目に掛かれませんね。

葉牡丹が固まると、こんなに綺麗。

お花を見ると、心が洗われるようですね・・・・綺麗で可愛くって♪

 

城壁を抜けると車が走り抜け、目の前にはアドリア海が広がっていた。

次回は、同じくクロアチアの世界遺産ドゥブロヴニクを紹介したい。

 

 

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