梅雨明けはいつするのでしょうか?
じめじめと鬱蒼とした日々が続きますが、だからこそ抜ける様に晴れ上がった空を見上げると、余計に清々しさを感じます。
それでも、いつまた空が泣き出してしまうかわからないので、傘を持参しながら時折お散歩を楽しんでいます。無理にでも外出をしなければ、どちらかというと室内派の私は、引きこもり生活になってしまいます。
それでいて、フットワークが軽くどこにでも一っ跳びもするのですが、メリハリがありすぎてしまいます。要するに規則的な生活が何よりも苦手な怠け者なのです。
お散歩の帰りにぶらりと入った書店で、1冊購入してきました。
あっという間に読んでしまいましたが、途中、胸が苦しくなり涙が零れました。
そうです。至らない自分を突きつけられて苦しくなってしまうのです。あるいは、自分が如何に恵まれているかを知り、恵まれない方もこの世に存在するという、知っていても普段は意識しない事実を改めて知らされて、人の愛と哀しみを感じて胸が一杯になるのです。
しばし、マザーの言葉を読みながらカルカッタで過ごした時を思い出してしまいました。
カルカッタのベンガル地方は首都のニューデリーとは違い、話されている言語も通貨も、また、民族も違います。日本人からすると同じインドの方ではないかと思うのですが、デリー出身者とカルカッタ出身者では、互いに直ぐに違いが分かるそうで、最初から共通言語である英語でお互いに自己紹介し合っていました。
「あなたはデリーの方か?」
「そうだが、あなたはカルカッタ?」
・・・という風に。
失礼を承知で、インドの方に尋ねてみました。
「何故、同じ民族同士でわざわざ英語で話すのですか?ヒンディー語やベンガル語では、お互いにわからないのですか?」と。
「日本人、韓国人、中国人は何となく、自国民ではないと解るのではないか?そして、語学を得意とするものでなければ、一般的に日本人が中国語も韓国語も簡単には理解できないのではないか?我々や欧米人からすると、日本人も中国人も韓国人も、その人間に各国を知る知性のあるものでなければ、皆同じに見える。服装から日本人だと解るが、普段、彼等に接する事のない人間は、日本の電気製品やメーカーを知っていても、人口比率から、皆、中国人だと思う事が多い。日本は島国なので理解しがたいかもしれないが、日本や、韓国や、中国やそれ以上の数の国と地域と民族を、たまたま一つのインド政府が統治しているだけで、インドの中にはあらゆる多様性がある。デリー出身者にとって、カルカッタは外国と同じで、カルカッタ出身者もまた、デリーでは同じことを感じるだろう」・・・・と返答が返ってきました。
私が宿泊したホテルは宮殿の様で、一歩ホテルの門をくぐるとまるで天国の様な美しさと優雅がな時間が流れていて、門の外との世界が塀ひとつで区切られているなど信じがたい光景でした。
マザーの言葉を読んでいると、その信じ難い世界の中ですら見ることの出来なかった世界に生きている人々の生と死を知り、「愛こそ総て」だと学ばされるのです。
戦争が何故起きるのかなども、その理由を知ることが出来ます。
「病気にはそれぞれ特効薬があるが、愛され無いが故の寂しさだけは薬では癒やされない。」のでしょう。
また、あるアルコール依存症者がマザーに話した、何故そうなったのかという理由に総ての答えがあるように思いました。
「自分がアルコールに溺れたのは、誰も愛してくれない事実を忘れての事だった。という事でした。
更にマザーは、中絶問題にも触れています。以前、その問題に関するアメリカの神学者の見解(宗教的見地から)を日本人神学者を通じて、また、日本人憲法学者の研究(人権と保護の見地から)を聞いたことが在り勉強させて頂いたことが在ります。
書いていると限が無く書いてしまいますので、この辺で今日は止めておきます・・・・
読んだり書いたりしていると、留めもなく様々な事が溢れてきてしまいます。集中すると、物凄い集中力を出し過ぎてしまい、要するに私はキチガイなのかもしれないと思うのですが、息抜きに徒然をしていますので・・・・
私たちは、愛し愛されるためにこの世に生まれてきたのですね?
マザーのような偉大な愛の前には太刀打ちできませんが、先ずは身近な人を愛する事から、何事もそこからがスタートだと思います。
そして、私は私と仲良くしたいという人に対して、心をオープンになる事を付け加えたいと思います。
長くなりました。
梅雨明けが待ち遠しい日々です。
あなたも私も誰でもが、身近な人間に寂しさを感じさせないように、そして、愛し愛され素晴らしき人生を送ることが出来ます様に・・・・
それでは、またお会いしましょう・・・・