以前、ニュージーランドへ行くのに、ソウル経由で大韓航空を利用した。機内のスクリーンには、航路図が示されていたが、非常に複雑な思いで眺めていた。私たちにとっては「竹島」が「独島」として、いささか実際の縮図よりは心持大きく(と感じただけなのかもしれないが)、映画上映以外の飛行中ずっと見せつけられていた。しかし、機内サービスは心地よかった。
また、随分前の話になるが、初めて韓国に訪れたとき、慶州で年配の現地の方に話し掛けられた。まるで仙人の容貌の年配男性で日本語が上手で、私に日本人かと尋ねて来た。とても優しく私と話せてよかったとさえ言って下さった。そして、釜山の素敵なホテルでは、ロビーやレストランから海が見えて素敵な中で、20代のホテルマン(レストランのボーイ)が、私が海を眺めながらお茶をしている間、ずっと側を離れずに一方的に独り言を言ってきた。と言っても制服を着て姿勢正しく側に立っており、口だけ動かしているので、サービスを待ち構えている仕事熱心なホテルマンとしか傍には見えなかったと思う。その独り言?は、彼の祖父がいかに日本人に戦後不利益を被ったかという内容で、私がお茶をしている間中、傍に張り付いてず~~~~~~っと語りかけて来て(独り言?)悲しくなってしまった。
慶州で年配男性に声を掛けられたときに、むしろ、日帝時代(と韓国では呼んでいる様、博物館での表示など)の話を聞く事になるのかと一瞬思ったが、決してそんなことはなく、若い世代(私と同世代)の方が、親しみやすいのかと思ったが、その反対の反応であった。、釜山のホテルが綺麗で、しかも風光明媚な海岸で日本海(日本人にしたら)を見て、この先に日本が在るのだと言う思いを抱きながら、正直なところ悲しく苦しい思いをしなければならなかった。
その時に思ったのは、そのホテルマンも私も(父も母もでさえも)戦争を知らないが、未だ戦後ではないのだと悟った。
それから、しばらくの時間の経過後、大人になった?私の所に比較的年齢の近い韓国女性が、在るアートを身に付ける為に弟子入り?をした。彼女はとても日本が大好きで憧れて日本に留学経験もある。そして日本語も堪能。以前にも書いたが、彼女はホテルに泊まり込み、朝から晩まで一週間、私の所へ通い詰めてあるアートを身に付け、現在はソウルの繁華街でお店を開いている。そして、帰国後の八か月後には、彼女の一番弟子を連れて再度来日をした。その弟子の弟子も韓国地方都市のSBS系で放送されるなど、作品が大ヒットして地元のデパートでテナントを抱え、サラリーマンだったご主人は脱サラをして彼女の事業を強化させた。
ソウルでお店を切り盛りしながら、ヒュンダイ系カルチャースクールで指導にもあたっている彼女が私の所へ来たときに、韓国のドラマや音楽が日本との橋渡しになったと喜んでいて、私も同感だった。
さて・・・
先日の終戦記念日の8月15日に、午前はTVを見ない(午前はクラシック音楽のみ)私が、モーニングバードを見た。そこでは、「戦後は終わったか」というテーマで、政治家や新右翼家や憲法学者等4人が、司会者より取材を受けそれぞれのコメントをしていた。
成程・・・そういう見解故のそういうコメントなのかと見入っていた。しかし、その中でも憲法学者のコメントは、私たち日本人がこれからあるべき姿を示しているのだと同感せざるをえなかった。それは、先ず「砂川事件」を挙げ、詳しい内容は割愛するがアメリカに対する日本人の過度なお人よし度(勝手に私が感じた印象であり、実際のところ正しい解釈とは言えないかもしれない)ばかりではなく、尖閣問題・竹島問題を挙げ、周囲の近隣諸国とも仲良くしていくべきであると言う内容だった。(と思う。夜更かし後のボケた状態だったので、憲法学者の明確な意図だったのかどうかは判断しかねるが・・・)
実は・・・ここまで書いて、ワイングラスをPCの上に倒してしまい・・・(涙)
一瞬で酔いが醒めてしまった。(涙)
何とか修復出来て・・・キーボードカバーとドライヤーのお蔭で大事に至らず(安堵の涙)
PCが死んじゃったかと思い大慌て。おっちょこちょいの私。(恥)
国際問題と言う大問題だけではなく、個人的な人間関係についても、何時も感じる事だが、「寄らば大樹の陰」と言う事も一理、しかし、それは時には「虎の威を借る狐」にもなりえる。やはり、身近なところから始め周囲との摩擦を少なく、バランスを保った人間関係を築くとことは、チャンスを生かす土壌を作り上げるのだと、いつも座右の名にして行動している。
更に、沖縄基地問題について書こうと思っていたが、おっちょこちょいは退散する事にする。
やはり、お馬鹿っぽい日記が私らしいみたい・・・かな?^^