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 「Around the world 」 感じた事を徒然なるままに・・・

世界各地の徒然、音楽、美術、時空をワープしてぼんやり世界の呟き。思ったこと、感じたことを徒然なるままに。

世界遺産リラの僧院

2013-12-21 20:37:45 | 旅行

 

 

ブルガリア正教の総本山ともいわれるリラの僧院を紹介する。

リラの僧院は、ブルガリアの首都ソフィアから南に約65キロの、リラ山脈の奥深くにひっそりとその姿を見せてくれる。

周囲には見渡す限りの山々で、多くのカーブを走り抜けてようやくたどり着いた先に、ポツンと山の中に立ち、僧院の門をくぐると

極彩色豊かな寺院が目の前に現れる。

 

午後で太陽が少しでも山の影に隠れると、その通りに僧院にも影を落とし、遠い山々に光が当たっている。

10世紀に、イヴァン・リルスキという僧侶が隠遁の地としてここを選び、小さな寺院を建てた。それが、のちに中世の宗教と

文化の中心になっていった。

14世紀になり、時の王の庇護の下で僧院文化が開花して、現在の姿になった。その後、ブルガリアは約500年にわたってオスマン朝の支配下となり

キリスト教信仰やブルガリア語の書物を読むのも禁じられた。しかし、リラの僧院だけがそれを免れたのである。

1833年に大火災が起こり、大半が燃えてしまった。しかし、その後、復旧されて、1983年に世界遺産に登録された。

リラの僧院について書くならば、民族復興様式の教会であることを踏まえて、フレスコ画やイコンについて多くを語らなければならないだろう。

しかし、割愛する。

1833年の火災で、唯一免れたのがこのフレリョの塔である。14世紀にたてられた当時のそのままが残存している。外壁の壁画も、殆ど退色沿ていない当時のそのままの姿である。また、僧院内にある、歴史博物館は、圧巻であり写真で紹介できないのが残念である。19世紀初頭に制作された、ラフェエロの十字架が圧巻で、12年の歳月をかけて制作された代物である。高さ50センチほどの十字架に、140の聖書の場面が彫られており、そこに登場する人物の数は1500人。この彫刻が完成した時には、ラファエロの視力はほとんど失われていたという。

山々の清々しさが僧院内に独特の陰を落としている。

 

 

 

 

 

今回は、あまり書きませんでした。

お粗末様でした・・・・

 

次回は、世界遺産のボヤナ教会を紹介したい。

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世界遺産イヴァノボ教会

2013-12-20 20:32:11 | 旅行

ドナウを挟んで、ルーマニアとブルガリアの国境の街であるルセより、約20キロ南にある世界遺産を紹介したい。1979年に遺産登録されたイヴァノヴォの岩窟教会である。

はて?この切り立った岩山のどこに教会が??

望遠で撮ってみると、絶壁の途中に木壁と窓を確認できるだろうか?厳しい気候から守るために、一部修復と保護されている。あそこです。

 

一寸、見上げるとこの凍てついた岩壁を登るのは怖いよぉ~~~。

でも、好奇心や研究心や探究心を眠らせることは、私にとってそれは、精神の死を意味する!?などと気持ちを奮い立たせて、登りますよ!

 

 

こういう山の中に入って修行する僧侶は何を考えていたのだろうか?凡人の私にはわからない。しかし、この岩をくりぬいた教会で感じた事と日常の様々な私的な悩み事は、苦しんで、苦しんで、苦しみぬいて、その答えを求めて、考えて考えて、考え抜いて、あるいは祈って、祈って、祈りぬいて、孤独の中でこそ真実の光を見いだせるのかもしれないと思う。

13~14世紀に描かれたフレスコ画は、岩が剥がれ落ちたり崩れている部分もあるが、未だ色鮮やかではっきりと何が描かれて入るのか解り、目にすることが出来る。これらのフレスコ画も相当数写してきたが、絵とその解釈に関して、ここでは割愛させてもらう。

孤独の中でこそ見いだせる真理は、私にも覚えがある。人は何かに悩むとき、苦しみの心だけに焦点を当ててしまいがちであるが、そこには必ずや原因がある。いわゆるその人特有の因果律である。解っていても、日常に追われた生活の中では、自分の因果律にじっくり向き合う時間がない場合が多い。しかし、自分の因果律に目をむき自問自答をしないと、いずれは解決しなければならない問題として、目の前に立ちはだかるものである。

苦しみ抜いたとき・・・・真珠貝が美しい真珠を作りだすように、それまでの過程ではどれほどの痛みがあっただろうか?その苦しみと痛みに耐えてこそ、真珠の輝き(真理)が生まれる・・・

などと、雪景色の岩窟教会を訪れると、しばし、哲学者になった様である。^^

 

この冷たく白く輝く雪を湛えた天に向かって真っすぐに伸びる針葉樹と、乾燥した空気で抜ける様な青さの空の美しさがお解り頂けるだろうか?

 

次に、ブルガリアの国土の東西にわたるバルカン山脈の麓の街、ヴェリコ・タルノヴォを紹介したい。

夕方の風景。森に囲まれた街で切り立った崖に細長く町が広がる。

これは、朝の今まさしく日が昇ろうとしているところ。眼下にはヤントラ川がゆったりとカーブを描きながら流れている。このヴェリコ・タルノヴォは、1187年~1393年に第二次ブルガリア帝国の首都として栄えた。バルカン半島のほぼ全域を支配していた時期は、ビザンツ帝国も圧倒した。イヴァン・アッセン王統治下の時代の事である。

そのアッセン王死後は衰退し、やがてビザンツ帝国に支配され、1939年には、オスマン朝との3か月にわたる戦いで、ついに滅亡してしまう。その後、再び脚光を浴びるのは、1879年のことである。500年にわたるトルコ支配から独立を達成した。新生ブルガリア王国の最初の国会が、この地で開催された。

お散歩するには、美しい街です。細い街の両側が切り立った崖で森の中を宙に浮いて歩いている感じですヨン。

ソフィアなどの首都も素晴らしいが、このバルカン山脈の中で脈々と生きている、この街を歩くと、心が浄化されるよう。宿泊したホテルを紹介する。

  

 グランドホテル・ヤントラ。とっても素敵なホテルです。

 

 

 レストランでは暖かな暖炉が心に沁みる。

 

 

リビングとベッドルームが別れていてムードがありましたヨン。

鏡の前で1枚パチリ♪

次回は、リラの僧院を紹介したい。

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ルーマニア「トランシルヴァニア地方」2

2013-12-15 21:45:55 | 旅行

 

 

今回は、先回のルーマニアのトランシルヴァニア地方(「森の彼方の土地」の意味)のブラショフとシギアショラの街に引き続き、ブランとシナイアの街を紹介したい。

ブランの街は何といっても「吸血鬼ドラキュラ」の居城のモデルとなった城を挙げなければならないだろう。

 

この城は、ブラショフの街から南西約30キロに位置する。1377年ドイツ商人がワラキア平原からブラショフに侵入してくるオスマン朝軍を発見するために築いたとされている。

 

ブラン村のブチェ山麓に聳え立つ。針葉樹が天高く真っ直ぐと生えていて、雪景色と余りにもマッチングしていて、冬の美しさを際立たせていた

 

この山道を登って行きますよ!道路が凍結していて、転倒するのが吸血鬼より怖かった。

 

『吸血鬼ドラキュラ』は、アイルランドの作家ブラム・ストーカーの作品である。私たち日本人は、どうしても誤解しがちであるが、吸血鬼=ドラキュラではない。あくまでも、ブラム・ストーカーの作品中の固有名詞である。吸血鬼は、Vampirで、また、ルーマニア語でドラキュラは竜の子の意味である。

 

実際にこの城に居住していたのは、ワラキア公ヴラド1世で14世紀末の事である。ドラキュラのモデルであるヴラド・ツェペシュの祖父にあたる。現在は博物館として解放されており、王の執務室や婦人の音楽室など、沢山の部屋が見学できる。

 

内部は隠し階段などもあり、非常に複雑なつくりになっている。中庭からの様子。

 

 

また、中庭に於かれたこの天秤は何かお判りだろうか?

魔女の取り調べ用の天秤である。魔女裁判では、天秤の片方に石を載せて、反対に女性を乗せ,その石より体重が重たかったら魔女と判断される。

 

 

怖いですね・・・・。女性は太ると中世から罪になるのでしょうか?

本当に怖いです。あと、拷問用の椅子も写しましたが、載せないで置きます。胸が締め付けられてしまうので、載せないでおきます。人間は、古今東西なんて残忍な事をして来たのでしょうか?

 

塔の最上階からの周囲の風景。

 

ゆっくり下山して来ると、チラホラと麓の土産店が店開き。

 

胸が締め付けられた後は、可愛らしいお土産に心が和む。

生命の象徴と角のない形が大好きなエッグ。幾つか購入して大事に手荷物で帰国しましたヨン。

 

余りに寒くてね、実際の外気温の寒さと中世の人間の残酷さと、それで、ホットワインを見つけて、まだ午前中だと言うのに迷いなく飲んできました。赤ワインにシナモンの香りが効いていて甘くて美味しいの~♪

 

 

次にシナイアを紹介したい。

ルーマ二アを囲むように走るカラパチア山脈は、標高2000メートル級の山々が連なる。シナイアは、カラパチア山脈のブチェジ山の中腹に位置し、「カラパチアの真珠」と称される。18世紀にブカレストの王侯貴族達の別荘地として繁栄した。

先ず、シナイアの僧院を紹介する。この僧院が17世紀に建てられたことにより、町の歴史が始まった。

 

 

ワラキア公カンタクジノがこの地を訪れたのを記念して建立された。

 

 

 

教会入口に描かれたフレスコ画は、素晴らしい。絵の内容については割愛する。

 

次に、ペレシュ城をを紹介する。

 

1875年カロル1世がルーマニア王宮の夏の離宮として、8年の歳月を掛けて建立された。チャウセスク大統領夫人がここの城を夏の離宮としたかったそうだが、叶わなかったそうである。

 

ドイツ・ルネサンス様式で建立されている。

 

庭はフランスのベルサイユ宮殿模したようである。しかし、山の上なので非常に狭い庭である。目の前にはカラパチア山脈が広がる。

 

城の前では、赤い顔をしたオジサンが何故か、「アルハンブラ宮殿の思い出」をギターで奏でていた。南欧のアルハンブラの城とペレシュ城とは余りにも建造物としては違いがあるが、しかし、シエラネバダ山脈が白い雪を湛えた姿は、共通するものがあると感じた。また、タレガは「アルハンブラ宮殿の思い出」を作曲するときに、副題に「祈り」と付けている。ギターのトレモロが祈願の思いを伝え、雪のカラパチアの山々に響き渡った。

 

 

 

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ボソボソ呟き・・・・ドーハとブルガリアの太陽

2013-12-08 04:38:12 | 旅行

毎日、毎日色々な事が次々と起こる。

対応が面倒・・・・元来が怠け者のせいか、お昼寝大好きぐうたら人間だからなのか、精神的に忙しいとどうしても体調を崩しやすい。

それでも、気を取り直して送らなければいけないメールをツラツラと抜かりなく?書いて送信している。でも、その中でも少々、取捨選択をしている。本音を書いてくる人に優先的にお応えをしていることになるだろうか?

廻り廻った表現されるのが面倒、ツーときたらカーと応えるのが楽ちん~♪本音と建て前の人の建前部分にお付き合いをするのが面倒。ああ~面倒。

ただいま、本音を決して言わない人とお付き合い中。これはメールではなくて、直接対決だけれども~、面倒~。本音が出て、初めてそれについて考える。ようやく本音が返ってきたけれど、察してくださいと言うのが大半で、それ以上、聞く耳を貸すのがとても疲れる。しかし、物は考えようで、そういうタイプには私も決して本音を言わず、同じ行動をしてみようかと検討中。というよりも、そのようなアドヴァイスを頂いて、もっともその通りと大きくうなずいた次第である。こういう時、どういう行動をとるべきが貴重なアドヴァイスを頂いた。今日も長電話の一日だった。

この手のタイプの対応には、ほとほとエネルギーが吸い取られる。非常に相手に気を遣わせるタイプで疲れる。多分、お相手も同じことを考えているのだと思う。この人には、説明は必要で非常に疲れ、ほとほとエネルギーが吸い取られる。察してくださいよ、言わせないで下さいよ、という事なのだろう。一番厄介なタイプが、一番大切に扱わなければいけないなんて、ストレス全開~!!

 

 

そこで・・・・

つい先日、旅の途中で撮った太陽の写真を並べてみることにする。

どぉ~?^^ ホクロが見えるでしょう? 私と同じ位置にホクロがあるのねぇ~。この写真では小さくてわかりにくいかもしれないが、オリジナルサイズでは、黒点をはっきりと確認できた。

これらは、ドーハの夜明け。これを撮ったときは、日本はお昼の真っただ中。その太陽が、ドーハに向かって登ってきていると思ったけれど、視点を変えると、地球が自転をしているのだと、ハタと気が付く。

 

そして、透かすガラスが違うと、ファインダーを通しては二重に見え、実際にはない物までが見える。

どちらが、本物でどちらが蔭だろうか?などと愚問かもしれない。どちらも見えている限り本物なのだろう。

 

これは、ルーマニアのどんよりした朝の太陽で白くしか見えない。

 

これは、ブルガリアの雪原に沈む太陽。

 

 どこで見ても、どこで撮っても同じ一つの太陽なのにね。

見る位置、時間など様々な条件下では、全く違う物のようである。

物事は、俯瞰的にグローバルな視点で見なければいけないなぁ~と、太陽の写真から教えられる。

 

 

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ルーマニア「トランシルヴァニア地方」1

2013-12-06 18:37:48 | 旅行

ルーマニアのトランシルヴァニア地方を紹介したい。トランシルヴァニアとは、「森の彼方の土地」と言う意味で、ルーマニア中央部を南北に走るカラパチア山脈に、北、南、東の三方に囲まれている。トランシルヴァニア地方の内、今回は、ブラショフの街とシギショアラの街の二つを、次回では、ブランの街とシナイアの街を2回に分けて紹介する。

 

ここは、ブラショフの街。中世の街並みを残す美しい古都である。12世紀にドイツ商人により建設され、ルーマニア人、ハンガリー人の3民族により発展してきた。夏は避暑地、冬はスキーリゾート地として賑わう。このブラショフは、小説「吸血鬼ドラキュラ」所縁のブラン城への起点となる街でもある。

 

町一番のスファルトゥルイ広場で、これは、旧市庁舎の建物である。

 

其のすぐ前では、巨大なクリスマスツリーが飾りつけされている最中だった。ルーマニアのアドベント(キリスト西方教会で、キリストの降誕を待ち望む期間で、日本語では降臨節や待降節と呼ぶ)は、12月1日からスタートである。

 

この写真を撮っている間、ず~っと雪が降っていたが、粒が小さく水分が多い雪で、その雪を手に取ろうとしたが、直ぐに溶けてしまい写真に残せなかった。儚い美・・・・

 

 

この街の見どころとしては、黒の教会が挙げられる。

街の中心に立つ、トランシルヴァニア地方最大の後期ゴシック教会で、高さ65メートル。14世紀から15世紀初頭に80年かけて建てられた。1689年にハプスブルグ軍の攻撃により、黒焦げになった事にちなむ。

 

教会内部には、1839年に作られたルーマニア最大のパイプオルガンがある。しかし、内部の写真が取れないので紹介できない。また、内部の「受胎告知」の絵画は印象的である。

 

 

次にシギアショラの街を紹介する。

ここは、ブカレストから北西300キロ、上記のブラショフからは北西120キロの位置し、トランシルヴァニアの中心にある。

 

 

街のシンボルでもあるこの時計台は、14世紀にたてられたが、1670年の大火により焼失したので、その後に再建された。現在も機械仕掛けで時を刻み、からくり時計になっている。屋根の感じなどとても素朴である。シギアショラが商工ギルドによる自治都市になったのを記念して建てられた。

 

 

 

 

 

 

シギアショラの石畳をブラブラすると、ドラキュラのモデルになった息子のヴラド・テェペシュの生家がある。

 

 

現在はレストランになっている。ヴラド・ドラクルが1431年から35年までの4年間、ハンガリー王によって幽閉された家である。ドラキュラ(ドラクラ)とは、「ドラクル公の子」と言う意味である。また、ドラクルはドラゴンで「竜」を意味する。

 

メニューは、ドラキュラらしく血(トマト)のスープ。

 

ソーセージを血で煮込んだもの。何のソーセージ?美女の腸かしら?

リンゴのデザート♪ これは美味しかったぁ~♪

 

 

 

 

 

 

  

屋根のある木造の階段を上ると、山の上教会にたどり着く。

 

山の上からの街並み。

かつては、ドイツ系のザクセン人が住んでいた。しかし、第二次世界大戦後にその大半は、移住を余儀なくされ、シギアショラの人口の半分はドイツ人だったが、ベルリンの壁崩壊以降は、不安定な情勢を嫌ってザクセン人はこぞってドイツに移住した。

 

 

よって、廃屋化する建築物も多く。どのように保存するか問題となっている。

 

 

山の上教会。山頂部分の平地が少なく、教会全体を写真に収める事ができなかった。

今日教会を管理している僧侶が住んでいるのだろうか?直ぐ傍に、人の生息する温かみを感じる質素な家が目に付いた。

 

また、小さな庭で古い木の株に新しい生命の伊吹も目についたのでパチリ。

 

山の上から降りて来ると、小さなお土産屋さんに出くわす。

今の時期は人出が少なく、ゆったりとして掘り出し物はないかと覗いてみた。

 

次回は、ブランとシナイアを紹介したい。

 

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ブカレスト

2013-12-04 18:10:06 | 旅行

ルーマニアは、中欧の中でも唯一のラテン系民族の国である。首都のブカレストは、カルパチア山脈の南に広がるワラキア地方の南東部に位置する。20世紀初頭には、「バルカンの小パリ」と称されるほど美しい街並みを誇っていたが、第二次世界大戦で、中枢国側に付いた為に、連合国側の攻撃を受けた。その後、共産国政権時代に無機質な街づくりが計画的に行われた。

 

これは、凱旋門。

凱旋門といったら誰もが、パリのシャンゼリゼ大通りに聳え立つ、ナポレオンの栄華をしのばせる、あの凱旋門が直ぐに思い浮かぶだろう。しかし、ブカレストの其れは、繁華街からかなり離れている為にひっそりとしている。第一次世界大戦の勝利を記念して1919年に建造された。その当時は、木造の漆喰塗りの物であったが、1930年にルーマニアの彫刻家によって作り変えられた。

 

ルーマニアと言えば、チャウセスク大統領政権と夫妻の国民による処刑が、全世界を揺るがせただろう。このことをピックアップして政治思想に付いて書くと、他のヨーロッパ諸国との比較などから、膨大な量になってしまうので割愛する。故チャウセスク大統領が、日本円換算で約1500億円と投入して作らせた巨大な宮殿が、国民の館である。

 

本当にやたら大きい。大きいだけで建築物としては色気を感じない。というのは私個人の感想か?

 

世界中の官庁や宮殿などの建造物の中で、ワシントンD.C.のアメリカ国防総省ペンタゴンに次ぐ規模である。「国民の館」とは名ばかりで、国民は飢餓を強いられていたが、チャウセスクの私利私欲を満たす為の宮殿である。部屋数は3107に及ぶが、実際使われていたのはその三分の一にも満たないと言う。現在は、国際会議やコンサートが開かれている。丁度、サミットが開催されていて、ブカレストはラッシュだった。

 

 

旧共産党本部。

 

この辺りは、1989年12月の民衆革命の舞台となった、革命広場である。現在はおしゃれな繁華街となっている。

 

1989年に東欧革命の波がルーマニアにも波及し、チャウセスク大統領夫妻の処刑が行われた。そして、ルーマニアは民主化への道を進む事になった。革命当時に、大統領派と革命派との戦いの舞台になった建造物や広場は、今でもそのまま見る事ができる。TV映像を通じて全世界に報じられた、民衆革命の銃撃戦の舞台となった。故チャウセスク大統領は、この旧共産党本部のテラスで大群衆を目前に最後の演説を行った。しかし、民衆のブーイングにより遮られ、この直後に屋上からヘリコプターで逃亡した。

 

 

 

 

さて、これは同じく革命広場に建つクレツレスク教会である。

18世紀の建造物で、典型的なルーマニア正教の教会で、入り口ポーチの天井は、善と悪を裁く神の姿がフレスコ画で描かれている。チャウセスクはこの教会で祈りを捧げる事はなかったのだろうか?

 

ブカレスト郊外で、ジプシーの子と思われる薄汚れた子供に無心をされた。心が痛み、彼らに渡したところで私にしたら、大した金額でもないので、この寒さの中で見るに忍びなく、いっそお金をあげようかと思ったが、心を鬼にしてお断りをした。

何故なら、先ずは日本人として、国内で解決するべきことがあるからである。しかし、成田便への機内で世界の子供達の映像が流され、乗務員が封筒を持って機内を廻ったので、許す限りのお金を封筒に入れて寄付してきた。

 

 

少し重たく暗い内容になってしまいました。まあ~次回以降も、淡々と?徒然なるままに、写真と共に紹介をしたいと思います。

 

 

 

 

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ただいま~~~♪薔薇の香りと共に。

2013-12-02 17:17:27 | 旅行

ただいま~~~♪

ルーマニアとブルガリアから帰国いたしました♪

先月の北欧4カ国よりも、寒かったぁ・・・・・プルプル

それは、たとえ1か月でも北半球全体が晩秋と冬へ向かっているのもありますが、今回は比較的標高の高いところへ行ったのと、私自身の精神が少し落ち着いてきたので、寒さを感じてしまったというのもあります。

いつも精神が逝ちゃっているので、特に先月の北欧では、その傾向が強く冷気のフィヨルド中を突き進む甲板デッキですら、寒さを感じなかったのに、今回の特にブルガリアの寒さと言ったらなりませんでした。

今月、クリスマス頃から札幌へ飛ぶ予定でしたが、色々とmustがあり都内で潜伏予定です。

 

先回の北欧日記がまだ、序の口しか書けてないのですが、何しろ写真を9千枚撮りましたからね、あれについて書こう、これについて書こうと写真を眺めているだけで、収拾が付かない感じです。今回は、写真はそんなに撮りませんでしたので(と言っても二千枚ほど)、旅の時系列を前後して、ルーマニアやブルガリアについて、先に書こうと思っています。

丁度、ブカレストではサミットが開催されていて、ラッシュでした。チャウシェスク政権などについて、食べものについて、等々、様々な事を書きたいのですが、そうすると、あっという間に本が1冊書けてしまう程になりますので、適宜、抜粋、割愛をして、おしゃべしたいことを徒然なるままに認めて行こうとおもいます。

そうそう、ルーマニアと言えば「吸血鬼」でしょう?それについて書くと、古代ルーマニアにまでさかのぼり、キリスト教の由来とスラブ民族との対立など、異なる宗教と民族間の対立などについて書かなければいけません。

しかし、その「吸血鬼」モデルとなった人物の生家やお城に参りましたので、写真と共に簡単に私の言いたいことだけを書こうと思っています。

吸血鬼城内のガイド氏によると、「今夜男性に部屋をノックされたら、怖ろしい吸血鬼かもしれないので気を付けるように・・・・」という事でしたが、その夜は、男性どころか誰も私の部屋をノックする人はいませんでした。

素敵な男性だったら・・・・・たとえ吸血鬼でもドアを開けていたかもぉ~? 残念! きゃきゃ!

 

そして・・・・

ブルガリア。険しいリラ山の麓のリラの僧院は、心の根底でラテン語で言うところのcorの部分にまで到達してしまう、ある何かを感じました。

ブルガリアと言えば、ヨーグルトと薔薇ですよね?

そう、ダマスクローズの香りは女性にとっては何とも言えません。

 

ローズオイルのタップリ入った石鹸や、リップバームなどを購入して来ました。リップバームはとってもいい感じ。購入して直ぐに現地で使用しましたが、寒さと乾燥から唇を守ってくれました。塗ると薔薇の香りが広がり、気分も華やぎます。

今夜は、ゆっくりお風呂に入って、薔薇石鹸で女磨きをしてきますヨン♪

Good night  !

 

 

 

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幸福の青い鳥、ドーハにて。

2013-11-25 11:10:25 | 旅行

皆様、おはようございます。

私は今、カタールの首都であるドーハです。

これから、ブカレストに飛びます。

こちらは、只今朝五時少し過ぎです。

世界の空港を闊歩していると、自分らしさを感じます。精神が逝ちゃっている私らしさかもしれません。

それと同時に、海外に出るたびに日本と日本人の美点も感じます。また、私自身はこれで良いのかしらと、あらゆる点で焦燥感に襲われます。もっと自分自身に磨きを掛けなくてはいけないのだと、自省しきりです。

3月のドバイ以来、予定ではアラビア文字をマスターしている筈でしたが、ほんの少しだけしか読めません。。。。

研究意欲は踊り、されど研究は進まず。まるでウィーン会議のようです。

 

 

空港を闊歩する世界中の美しい男性が目に入ります。それに引き換え。。。。日本男児は。。。。。(全ての日本男児に憎まれる台詞でしょうか?)

でもねぇ~。ルソーの[自然に帰れ]でしょうか? こんな私でも、最近は日本男児の魅力を感じるようになりました。

 

 

今、白々と夜明けの気配を感じます。日本では空高い太陽が、こちらに向かって少しづつ移動をしているのでしょう。いいえ、地球が少しづつ自転しているのでしょうね。物事は、視点を変えると全く違った捉え方ができます。いつも、多角的、かつ俯瞰的に物を見る目を養いたいものですね?

人の気持ちこそ、その様に受け止められるように女子力を磨かなければいけませんね?

 

タブレットで書いているので、とても書き難いです。

機内が乾燥していたので、私のお肌もカサカサ。。。。。涙

女子力ががた落ち。「ドーハの悲劇」ですぅ。涙

 

それでは、またね。。。。

 

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イプセンのノラ

2013-11-19 05:53:02 | 旅行

北欧を訪れると、色々なその分野で活躍した人物について書きたくなってしまう・・・

先ず、ダイナマイト発明とノーベル賞を生んだ、アルフレッド・ノーベル。ムーミンの生みの作家ヤンセンや人魚姫のアンデルセン。 音楽家シベリススにグリーグ。画家ムンクにクリムト。そして・・・今夜は、少々イプセンについて書きたい。

 

 

ヘンリク・イプセン(1829年―1906年)は、ノルウェーの詩人・劇作家。

「生きるとは己の中に巣食う悪の力と戦うことで、制作するとは己自身に裁きを下すこと」との精神の元で、創作活動を続けた。なぜなら、8歳の時に事業家で裕福だった父親が破産して、暗い少年時代を過ごしたからである。

 

このイプセンと言えば何と言っても『人形の家』が第一に挙げられるだろう。

私が『人形の家』を読んだのは、高校生の頃だった。思春期で多感な時期であったが、大学受験を控えていると、どうしても娯楽小説などよりは、一通りこの時期に国内外の純文学は、制覇するべきであるという信念の下、文学少女擬きだった。イプセンと同時にロマン・ロランの『魅せられたる魂』なども、深く記憶に残っている。

 

この『人形の家』は、「自立していく女」を描いた作品で有名だが、この作品が芝居として発表されたのは、1879年12月4日である。その2年前の77年には、エミール・ゾラの『居酒屋』、そして、更に2年前の75年には、トルストイの『アンナ・カレーニナ』が発表されていた。

 

『人形の家』の観劇後の帰路では、夫達が、今自分の隣にいる妻達から離婚を切り出されないかとビクビクしたと伝えられたと言う。発表されるや否や『人形の家』は、婦人解放の書として拍手を持って迎え入れられる反面、結婚生活と家庭を破壊するものと論議する物の間で物議を醸しだした。

 

高校生の頃は、主人公のノラの事が理解できなかった。父親に可愛がられて、それがそのまま夫に可愛がられる事に、なんの疑問を持つことだろうか?女性として幸福なのではないかしら?そう思って、イプセンの描こうとしたことが理解できていなかった。

 

父親の愛情から夫の愛情に変化するだけならば、それは幸福なのではないかしら?と今でも思っている。しかし、ノラの心情を理解できていなかったのだと、年齢を重ねた今はつくづく感じる。

 

ヘルメス弁護士の妻ノラは、結婚して8年、子供が4人で夫からは小鳥のように可愛がられている。ノラの悩みと言えば、クリスマスツリーを飾りつけが終わるまで、子供の眼に触れないようにどこに隠しておくか・・程度である。

 

しかし、ノラのそんな平穏な生活の波乱が起きる。

新婚の頃、夫が病気になり転地療養に行った時、ノラは、死んだ父の署名に偽造して手形を借金していた。総ては夫の為に行った事なのだが、その秘密を知った夫は、ノラを烈しくののしり、弁護士として自分が社会的に葬られることを懸念して、世間体を取り繕う事に汲々する。

 

事件は一転し、高利貸しがその手形を無条件で返してくれた。危機から逃れた夫は、再びノラをかわいがろうとするが、ノラは納得できない。夫の偽善的な生き方に反発して、妻であるよりも、母であるよりも、その前に一人の人間として生きる事を決意する。

 

作者のイプセン自身は、自作について次のように語る。

「精神の法には二種類ある。良心には二種類ある。男の持つ良心と、それと全く異なった、女の良心と。男と女は相互に理解し得ない。それなのに、現実生活では、女は男の法律によって裁かれる。まるで女ではなく、男であるかのように。作中の妻は、過ちを犯した。しかも、それを誇りとしている。なぜならば、彼女は夫を愛するあまり、夫を救おうとして、過ちを犯したのだから。それなのにこの男は、法的根拠に基づいて世間的名誉を保ちつつ、男の眼で事件を見る」

 

今回の北欧は、スカンジナビアとデンマークの4か国だったので、写真も相当数になり、未だ整理できていない。目に触れたもの感じたことなどを、徒然なるままに書きたいが、余りにも多くの事を感じてしまい、今の所、頭と心が一杯。

普段、スカートしか着衣せず(あと和服)パンツスタイルなど、旅先でそれも必要に迫られてしか着衣しないが、北欧の気候に合わせてパンツスタイルで過ごしていたら、たまに、普段も冒険しているのも良いのではないか?イメージチェンジを楽しもうなどと心境の変化を感じた。

 

ちょっと体調を崩し病院に行った帰り、ぶらりと覗いたお店で可愛いセーターを衝動買い♪ 

お袖と肩のリボンはシフォンで、モコモコし過ぎていなくて可愛いのぉ~~~っ!!

 

 

スカートにもパンツにもどちらでもOK! 早速、明日は(もう今日)このセーターにミニタイトに二―ハイブーツでお出かけ♪♪

 

ルン~♪

Good night!

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

オホーツクのリンゴ屋さん。ありがとうございます。既に、7月予約で10月に入手いたしております。確か旭川の農園の方からだったと思います。来年は是非お願い致しますね!!!あと、余市の方??だったかしら?そこのも頂いたことが在ります。

どんな女性?ああ~至って普通の可愛い????女性ですよ。私本人を知っている人が読んだらお叱りを受けますね?^^

そうそう、「旭」も大好きですが、「薄荷樹氷」も大好物です。

このブログで旭リンゴに興味を持たれた方がいらしたら、「オホーツクのリンゴ屋」さんが、最も多く「旭」を栽培しておられるそうです。

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世界遺産スオメンリナ要塞

2013-11-12 00:11:11 | 旅行

フィンランドについて書くならば、国の成立と首都のヘルシンキの街並みから語るべきだろう。しかし、敢えて先ずは、フィンランド湾に浮かぶ世界遺産である、スオメンリナ要塞を紹介したい。

スオメンリナへは、ヘルシンキからフェリーで15分足らずで到着する。

 

 

スオメンリナは、4つの島からなりそれぞれが橋で繋がっている、フィンランドの南海岸を守る要塞である。スウェーデン・ロシア戦争、クリミア戦争、フィンランド国内戦争で重要な舞台となった。

 

島と島を結ぶ橋の下を覗くと・・・

鴨が2匹。雄が雌をしきりに追いかけているの。人間の世界だけ違うのよね。雌が雄を追いかけたりしているものね? でも、基本的には同じかしらね?^^ 見ていると、雄が可愛そうになって来るの…雌はいい加減に応えてあげればいいものを・・・

ああ~これは、総ての動物の雄に組み込まれたDNAなのねぇ~。ただ、追いかけても駄目だっちゅうの!と教えてあげたかったけれど・・・鴨語が解らないので、しばらく眺めていた。続きの写真もあるけれど、割愛。^^

 

スオメリンナ教会。散歩するには、とても好きな空気だった。春から夏のベストシーズンは花々で溢れて陽光が優しげだろうけれど、重たい秋の空気でもそこに身を置くと、色々な感性が刺激されるのである。

船着き場や倉庫群などを散策すると、栄華のざわめきが聞こえて来そうである。

古びたレンガと落ち葉。暫くウットリして眺めていると、オーヘンリーの「最後の一葉」が思い浮かんだ。

直接、「最後の一葉」とここのスオメリンナは、関係ないが、私の感性として、以前書いた「最後の一葉」を、ここで引用したい。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

オー・ヘンリーの短編小説。これは、小中学校の教科書に採用されており、私たち日本人も誰でも知っている。

 

大まかなあらすじを記す。

 

舞台はワシントン。貧しい芸術家たちが暮らすアパートの一室に住む画家二人。ジョンジーとスー。ジョンジーは重たい肺炎を患っており、医者も彼女は生きる気力を失っているという。窓から見える向こう壁の蔦の葉が全部落ちたら自分は死ぬと思い込んでいる。

二人の階下には、飲んだくれでうだつの上がらない老画家のベアマンが住んでいた。いつかは傑作を描いて見せるというが、さっぱりで、ジョンジーの言葉を馬鹿げていると嘲笑う。

 

一晩中、暴風雨が吹き荒れた翌朝、一枚の葉が落ちずに残っていた。それを見たジョンジーは、奇跡的に一命を吹き替えした。その一枚の葉は、ベアマンが暴風の中、壁に描いた一葉だった。そして、その二日後にベアマンは、肺炎になり一命を落とす。真相を知った、スーは、あの一葉こそベアマンの傑作だったと評する。

 

 

この短篇は主眼の置き方で、テーマが変わってくる。

自分の命と引き替えに若い命を救う事や本物の芸術の為に命を懸ける事の自己犠牲、あるいは落葉を見て自分の人生を悲しむ事。Etc・・・・

 

このオー・ヘンリーの「最後の一葉」を、思い出しながら、人生と言うものを考えてみた。それと合わせて、この曲を聞くと、色々な事を自省させられて、心が洗われる。そして、背中を押してもらえるような気がする。

 (曲は割愛。松山千春さんの曲・・・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

1748年、フィンランドはスウェーデンの統治下であったが、ロシアの侵略を阻止するために城壁や砲台が築かれた。

 

ガイドブックなどには乗っていないが、恐らくスカンジナビア諸国の成立の歴史やヨーロッパ史などの学術書には書かれていると思うが、この城壁を建設するために、フランスが一躍買っている。フランスにとってロシアは目の上のこぶだった。直接自分が手を下すことは勿論、敵の敵は味方?という事で、対ロシアのために経済的援助を行った。

実際の内部は、非常に暗い。私のカメラはフラッシュをたいていなくても勝手に窓からの光を捉えてこのように映し出してしまった。赤い色彩は、実際にはどこにもない。

スウェーデンの司令官だったエーレンスヴァルトの墓碑。

島の南側(対ロシア)には、砲台が並ぶ。

 

そして、バルト海を走行する客船も見ることが出来る。

このスオメリンナ島は、長く海の要塞としての歴史を刻んできたが、今は地元の人がピクニックを楽しんだりする。

島内は散策路が巡らされている。その散策路をズーットたどっていくと、島の高台に出る。

 

物凄く風が冷たくて、とっ言っても私は精神が逝ちゃっているので、寒さは感じず、眼下を覗きこむと、バルト海の荒い波しぶきが岩を打ち付けていた。写真では風の強さが解りませんね?

私のカメラは、かなり性能が良くて、泳ぐ鴨の一瞬を捉えて手ブレ補正をしてくれるが、風の強さには太刀打ちできなかったのがお分かり頂けるだろうか。10月の末の日曜日に、夏時間から冬時間へタイムシフトする。、この寒さでも未だ夏の名残と秋の厳しさが、小さな石畳みから顔をのぞかせているマーガレットの可憐さと芯の強さを感じてカメラを向けた。少し大きな花弁は半分吹き飛ばされながらも、未だ花として咲いていた。

 

 

ウッカリすると踏みつけてしまいそうな、小さなこの花の健気さから、大きな勇気をもらった・・・・

 

 

 

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ダイナマイトの破壊力と自然の猛威 

2013-11-11 01:07:28 | 旅行

北欧の各国を歩いていて、特にスカンジナビア半島では、いかにアルフレッド・ノーベルの発明した「ダイナマイト」がこの土地を切り開き、人々が息づく街を建立するには、欠かせない物だったと言うことが手に取るように解る。

 

永久凍土の上に積み上げられた地層は、硬い岩盤であり、これを破壊しなれば道路も鉄道も引く事ができず、人々は住居を築き上げる事も出来ない。しかし、岩盤の総てを吹き飛ばすのではなく、自然が、まさに神の作った地球の姿を残しつつ共に人々が生きる姿は、岩盤後を見ると芸術としか言いようがなかった。

 

その内の一つ、フィンランドの首都ヘルシンキのテンペリアウキオ教会を紹介したい。

 

テンペリアウキオ教会は、別名「ロックチャーチ」とも呼ばれる。ここは、ルーテル派の教会で、天然岩盤を自然な形に保持しながら建設するという趣旨のもと、ティモ、並びにトゥオモ・スオマイライネン兄弟により設計され、1969年に完成した。

 

 

教会内部の壁は、岩盤そのままが残され、天上は直径24メートルの銅板で覆われている。天井の周囲を円形に切り取り、そこへガラス窓が嵌められているが、そこから入る自然光は、自然の姿のままの粗い岩盤壁を優しく照らししていた。

 

これまで、世界中の意匠的な教会建築や、ロマネスク寺院、凝ったゴシック建築を数々見てきたが、この大自然と人間の技術がコラボレーションされた、テンペリアウキオ教会は、そこに佇むと、敬虔な気持ちになり涙が零れてきた。

 

祈ってきた。

2011年の3月11日より、2年と8か月。今朝、また大きな地震が来て恐怖だった。甦るあの時の記憶。「喉元過ぎたものは忘れる」あるいは「対岸の火事」であってはならないだろう。

 

今日の午後は、久しぶりに祈りの気持ちを込めてピアノを弾いた・・・

 

 

Good night!

 

 

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北欧のお土産

2013-11-09 22:30:15 | 旅行

こんばんは。

今日は、ようやく北欧で購入してきたお土産を取り出してみました。あまりにも物価が高くて、また、欲しいものは取り立ててないので(安上がりな私^^)、お土産と言えるほどのものは購入していません。

北欧4カ国はどこも物価が驚くほど高いですね。その分、税金という形で政府の収入になり、子供は大学院まで授業料が無料であったり、福祉・特に医療での恩恵があったりしますが、果たしてそれがそのまま日本に当てはめようとすると無理があるのかもしれません。

ペットボトルのお水500mで600円位で、1Lですと1000円超えです。驚き価格でしょう?

でもね?必ずどこの国へ行っても(国内でも)購入してくるものがあります。お茶を必ず購入してきます。そして、帰国してホッとしたころ、そのお茶を丁寧に淹れて甘い物と午後茶や食後茶を楽しむことにしています。あるいは、人様にプレゼントをしたり、仲間を読んでささやかなおもてなしをしたりね。

フィンランドと言えば、「ムーミン」でしょう? 今でも時々、近隣県のケーブルTVで見ることが出来ます。ムーミンのお茶(色々なフレバリ―ティー)で、御菓子類はムーミンのペーパーをお皿にして楽しみましたよ。

一緒に頂いたのは、ノーベル賞の授賞式晩餐会で実際にサービスされる、ノーベルの肖像がデザインされたパッケージのノーベルチョコです。

物価が高いとはいえ、ノルウェーではクリスマスカードを購入しました。

本場ですから9枚ほど買いましたが、5000円位してしまいました。ポップアップカードではなくて、ごく普通の飾りのないシンプルなカードです。非常に高価でしたが、惜しくありませんでした。自分のためはなくて、人様のためお金を遣うのは、お財布からお金を出す以上に、豊かな気持ちになり喜びが返ってきます。心を込めて、2013年お世話になった方に、ご挨拶状を12月早々にお送りしたいと思います。

今日明日は、家じゅうをピカピカに磨きあげて、クリスマスの飾りつけをしたいと思います。私のいるお部屋はいつも愛と喜びに満ちている様に演出をしたいと思います。毎年毎年、季節ごとにそうしていますが、ここ数年は私自身が精神的に忙しくて、心が籠っていなかったかもしれません。反省しきりで、2013年のクリスマスは、より暖かい12月にしたいと思います。

壊れてしまわないように、運んできました。可愛いらしい天使たち。二人が楽器を奏で、一人が幸福の象徴の白鳩を抱いています。

「ムーミン」を生み出した、作家や時代背景等々、書きたいことは色々と在れど、難しいことは止めにしておきますね?

でも、子供のころから「スナフキン」に憧れていました。自由と孤独を愛する旅人。日本語の吹き替えの声優さんの落ち着いた声と話し方が良かったのかもしれませんけれど。

さて、あなたも私も誰もが、素敵なアドヴェントを楽しめますように・・・・・

今夜はこの音楽で・・・・

Good Night!

http://www.youtube.com/watch?v=P_cZ7Ij8CO4

 

 

 

 

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ただいま~~~♪

2013-11-01 21:06:37 | 旅行

ただいま・・・・・

少々、北欧に行ってまいりました。

 

これは、誰もが知っているエドワルド・ムンクの「叫び」です。

ムンクは丁度今の時期に「叫び」を描いていますが、ムンクが「叫び」を描くにあたって見た風景、散歩した道を歩いてきました。

北欧と言えば、夏がベストシーズンですが、今の時期は丁度夏時間から冬時間への切り替えの時期であり、黄葉が美しい季節です。オフシーズンならではの、儚い美しさ、悲し過ぎる美しさ、透明すぎる冷涼な美しさを感じることが出来るのです。

相変わらず、写真はメモ代わりに大量に撮影し、9000千枚以上になりました。

 

本当に行って良かった。日照時間が急に短くなった今の時期ならではの複雑な光景のフィヨルドを、凍てつく甲板デッキで眺めると、心のデトックスが涙と共に流されました。精神が逝っちゃっているので、寒さは感じませんでした。

今の私は、生まれ変わった様です。いいえ、これから生まれ変わらなければならないと思います。でも、相変わらずの怠け者で、mustが一杯の私は溜息をついています。

 

これから、ますます人との出会いを大切に、そして、受け入れる優しさと許す心の広さ、いつだって眩しいほどの煌めきを持った魅惑の女性でありたいと思います。^^

タップリ流した涙は、どうやらチョッピリだけ私を大人の女性に成長させてくれたようです・・・・

ちょっとだけ、疲れましたので休息をしたいと思います・・・・

今日から11月、あなたも私も誰もが、素敵な2013年の締めくくりを迎えられますように・・・・

Good Night.

 

http://www.youtube.com/watch?v=wuzfvD_3FaM

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ミリオネア

2013-09-15 01:24:13 | 旅行

 

先日、新千歳から羽田に着いてすぐに、ある方お二人を思い出した。それは、羽田のコンコース壁の電光広告を見たからである。

存在するのですねぇ~。ミリオネアの方って。そして、ミリオネアの友人知人は、やはり、同じようにミリオネア。同じ周波数を持った人々が互いに同調して引き寄せ合うのでしょうか?

お二人とは、その空港内の電光広告を載せている会社の会長さんと、その友人であり取引先の会社の会長さん。

7月にカムチャッカから帰国して、成田でもそのミリオネア氏の会社の電光広告を見た。カムチャッカの往路では一人で、帰路は彼等と一緒に帰国した感じだった。

旅は、その土地の自然美や建築美などの風景との出会い、美味しいものとの出会い、目に見えないその土地が発するエネルギーとの触れ合い、等々・・・色々あれど、現地で出会う同胞や、その国の人々、あるいは第三国の人々であったりと、人と人との出会いも旅の醍醐味かもしれない。

お二人のミリオネアと出会ったのは、神様からの匿名のブレゼントだったのだと思う。ひょんなことから、そのお二人に声をかけて頂いて、ご一緒に食事を楽しませてもらった。しかし、出会いそのものは、キット私は失礼な態度を取ったかもしれない。

ミリオネアの方って、本当にビッグなのですね。エネルギーが溢れていて、ユーモアのセンスも抜群で、遊び方も心得ていて大胆で、タフ。勿論、仕事に関してはは言うまでもありますまい。

年長のミリオネアの方から、個人的な事を質問されて、ピシャリ!と自分より遙かに人生の先輩である方を叱りつけてしまった。

「貴女の様にお美しい方が一人でいると、どうしても興味を持ってしまいます・・・・」

こんなセリフ(お世辞?)を臆することなくサラリと口にできるところがスマート。並みの男性なら、格好つけたり、下手に女性に興味をしめすと嫌われはしないかと取り繕ったり、小心者は女性から声を掛けてもらうのを心待ちにしたり、メッキが一杯で気取ったりしますものね?それどころか、自分の魅力を解らない女性が悪い(魅力があればの話だと思うケド)と逆恨みをしたり、チヤホヤされたがり、少しでも冷たくされた、自分の意に沿わない事を言われたと、弱い犬ほど良く吠えて見苦しい行動に走るものです。

「貴女に興味を持った」とスパッと言い切るところが凄い。

その後は、私も打ち解けて色々とお話をさせて頂いた。話をさせて頂くと、お二人ともに楽しくて話が尽きない。世界70か国以上訪れて、もう行くところがなくなったので、カムチャッカへ来たという。ネパールでヒマラヤを望んだ話や、ドバイの話。はたまた、国内の南の島での釣りの話等々・・・

お二人とも、先代からの会社を引き継ぎ長い付き合いだという。組織をマネジメントするという事は、人をマネジメントするという事。彼等の判断と行動が、多くの人々の生活を支えているのだろう。そして、何よりも、相手に利益をもたらすことが引いては自分を幸せにすると心得ている。だからこそ、組織のリーダーとしての力を発揮するのでしょう。

話をしているうちに、お若い方(と言っても私より随分年長の方であるが)が、彫刻が趣味であるのが解った。彫刻だけという事ではなく、彫刻も一つの趣味であることが理解できた。その作品が携帯ストラップであるというので見せて頂いた。

 

 

私の写真撮影が悪くて、折角の作品の良さが撮れていないのが残念である。しかし、実物を見せて頂いたときに、言葉を失った。何故なら、台湾の台北故宮博物館においてある作品に匹敵する見事な出来栄えだったからである。

どうしても、この写真では、作品の良さが解ってもらえないが、これは、もの凄い素晴らしい作品ですよ!桃の種を彫り、打ち出の小槌と宝船を彫ったという。元来ある桃の種の大きさと形を生かして彫りあげている。しかも、一目見て、桃の種の大きさから普通の桃の種ではない事に気が付く。このサイズの初々しい小さな種は、乙女の桃の木の初産の実の中でしか育たない。胡桃の大きさよりはるかに小さいところへ、宝船の窓などが彫られている。

しかも、この艶は(写真では解らないかもしれないが)、ラッカーを塗ったりしたのではなく、彫る前と彫り上げた後の仕上げで丁寧に磨きを掛けた証しである。これらの小さな作品に、ものすごいエネルギーを集中したことが伺える。ゴムを彫るのとは訳が違う。

そして、この小さな窓を彫るには、市販の彫刻刀などでは彫れないだろう。話を伺うと、案の定、その彫刻刀も自分で作り上げたという。やはり、そうなのか・・・・と納得。

次回の作品は、単に窓を彫るだけではなく、その窓がスライドするように一つの種から彫り上げる計画だという。その話を伺い、家具も作れるのではないかと問うたところ、唖然。家具作りも趣味だという。しかも、そのための木々の材料まで入手しているという。

余りの凝りようというかダイナミックで繊細さに言葉を失った。本当に、故宮博物館の作品並みなのです。そんな私の意見を述べたところ・・・・

年長者氏曰く、

「いやぁ~、今度から君の事、芸術家のXX庵先生と尊敬のまなざしで呼ばなきゃいけないな。しかし、今回カムチャッカに来たのは、こんな風に芸術に関して審美眼があり、君の作品の良さを理解してくれる彼女に出会うためだったのではないかな?」

すると、アーティスト氏曰く

「いやぁ~、そこまでお褒め頂いて今夜は眠れないよ。嬉しくて思わず微笑んでしまう。貴女が眠れないなら、僕は今夜からでもいつでも駆けつけます!」

兎に角、色々な話に花が咲いた。人生とか会社のマネジメントのお話とか、あるいはお二人のご専門の話とか・・・なんでも、専門家の話を伺うのは、本当に勉強になります。

帰路の機内ではご一緒させて頂いた。あっという間に成田に到着してしまった。

その時に、年長氏が月刊誌を取出し、この付箋の付いているところを読んで感想を聞かせてほしいという。そこで、普通の事務用の付箋だったので、私の可愛らしい苺模様の付箋を付けてあげた。

その月刊誌の内容は、熟年男性の恋のお話であり、世界各国の男性の悩みについての記事だった。

「僕は・・・イタリア人に生まれなくて良かったよ、日本人で良かった。イタリア人に生まれていたら男は生涯現役を維持するのに悩まなくてはならなかった・・・・」

そこで、私の周囲の男性陣のお話などをしてしまった。何せ、周囲は男性だらけですからねぇ~。年長氏のご意見なども聞け勉強になったのでした。

そんなこんな出会いもあり・・・・

色々な偶然は、神様からの匿名のプレゼントなのですね?

そして、ビッグな方ほど、自分から声を掛ける等気取りがなく親しみやすいのですね?また、さらに謙虚な人程、そのチャンスを決して逃さないのでしょう。そんなことも勉強させて頂きました。

お二人のミリオネアを陰で支え、仕事で奮い立たせているのは、素敵な奥様であるのは言うまでもない事でしょう。

人との出会いは、無形の宝かもしれません・・・・

あなたにも私にも誰にでも、善き出会いがありますことを願って・・・

Good night!

 

 

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いただきます。

2013-09-13 22:27:51 | 旅行

乾いた空気の下で、食事をするのは本当に楽しいです。バーベキュウーと言えば、北海道の人の場合は何と言ってもジンギスカンでしょう。北海道の人同士でも、ジンギスカンの銘柄には好みがあるようです。ラムにタレを付けて食べるのが好きな人もいれば、味付きを好む人も。

10月に入ると、寒くてお外での焼肉パーティはなかなかできません。雪解けが始まり春の声を聞くようになると、早くお外で食事をしたいと思うようになります。まだ肌寒くても、もう肌寒くなっても、何時だって青空のパラソルの下で短い夏を楽しみます。今回は小樽の海に行く時間がありませんでしたが、季節ごとの海の色を見るのも良いですね。思わず俳句や短歌が浮かんできます。

 

 

ベル成吉思汗のたれ。誰でも知っている銘柄です。

食べ物続きで、新千歳空港でのラーメンのお話。

ラーメンは札幌が味噌、旭川が醬油、函館が塩と言われていますが、好みは人それぞれ・・・

 

空港の中のラーメン横丁は、色々な店があり、ブラブラしながらどこに入ろうかいつも迷います。どうしても時間のない時には、ハーフサイズを楽しみます。どの人も、鼻の頭に汗をかきながらラーメンをすすっています。

お店によっては、とても込んでいて並ばなければいけません。飛行機の時間は大丈夫なのでしょうか?

行列を見ると、「そんなに美味しいのかしら?」と並んでみたくなるのが人情ですが・・・

何度か食べた事のあるお店で、おなじみのお味を楽しみました♪ 美味しかったぁ~~~♪

ライトの位置でどうしても影が出てしまいました。

都内某駅で美味しいラーメン屋さんを見つけたのを、仲間に教えたところ、どうしてもそこへ行ってみたいので連れて行って欲しいとリクエストを受けましたが、この湿度の中で、食べるのが早い男どもを連れて行くと、ゆっくり食事を楽しめないので、ただいま検討中。と言っても、彼等とは食事を楽しむのではなく、仲間としての意識を刺激しあうライバルだと思えば、まあぁ~良いかな?

落ち着いたフルコースにビンテージワインの食事も大好き、1000円以下のラーメンも大好き(北海道のラーメンは海鮮が入っていると1000円以上が多いけれど)。

 

何でもおいしく頂くのは、人生の幸福度を高めますね? そして、食事は味覚だけで頂くものではありません。五感で頂くもの。それと、一緒に食べる人が良いと、本当に素敵な食事の時間になります。反対にどんなに美味しいものや高級品でも、お相手によっては折角の食事が楽しめないことも・・・・

「あの人と一緒に食事をすると美味しい♪」と感じてもらえるように、女磨き?を心がけたいと思います。

いつも美味しい食事を頂くことが出来て、感謝。(合掌)

私はお肉をあまり食べないけれど、命ある物を頂くのに、「いただきます」。とても大切な言葉だと思います。

さて、今夜は早く帰宅できたので、これからゆっくりお風呂を楽しんできます。なんのアロマにしようかしら?

Good night!

 

 

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