只今、札幌にてこれを書いている。
「天候状況により、仙台空港への着陸か羽田への引き返しが予想される」
そんなアナウンスを何度も耳にして、ようやく札幌・新千歳空港に降り立ったのは、数日前。札幌方面からの電車は雪を乗せた状態で、やはり遅延状態だった。折り返し札幌・小樽方面の空港ライナーは、札幌以降は雪の状態により小樽までは行かないとの状況だった。
しかし、翌日からは快晴で白い雪景色の中の青空は一段と冴えわたり、しみじみと今年一年を振り返っている。バルト3国より帰国してから、目まぐるしい忙しさで今頃ノロノロと旅の記憶をさかのぼっている。
さて、バルトの国々の内、まずエストニアについて紹介したい。
エストニアは丁度フィンランドの向かい側に位置する。日本からの直行便はないので、必ず第3国を経由しての到着となる。首都のタリンは、ヘルシンキと向き合う様な位置(真正面ではないが)にあるので、フィンランドとエストニアを含めるバルトの国々を訪れる計画では、最初にフィンランドを訪れ、その後シリアラインの船でバルト海を南下する行程も第一に考えられる。しかし、これは夏にお勧めしたいコースである。
エストニアの首都タリンは、バルト海のフィンランド湾にたたずむ港町だ。雪が降る中の写真なので解りにくいかもしれないが、薄らとフィンランド湾が見えているのがお解り頂けるだろうか?
タリン(Tallin)と言う町の名の由来は、「Taani Linn」で、「デンマーク人の城、街」からそう呼ばれるようになったと伝えられる。と言うのは、11世紀頃から既にエストニア人が住んでおり、この町には建設されていたが、十字軍が活動するようになると、彼らによるバルト地方での活動が活発化され、それに呼応したデンマーク王によって、その砦が占領されたことに由来する。
その砦に造られた城がトームペア城である。トームペアは、石灰岩の層でなる海抜約47メートルの丘だ。上の写真は、トームペアからの眺めである。
トームペアの丘は山の手と呼ばれ、支配者や貴族たちが居を構えた。商人や職人たちが暮らした下町からは、せっせとこの坂道であるリュヒケ・ヤルク通りを登らなければならない。ゆるやかなスロープ状の石畳の道もあるが、滑るのが怖いので階段道を上った。それでも滑る。(いくら札幌育ちの私でも、アイスバーンの上を歩くのは怖いよぉ~~~^^)
このピンクの建築物がトームペア城である。ロシアを訪れた事のある人ならば、この建築を見てエカテリーナの支配下に造られたと察しが付くだろう。トームペア城は、エストニア人の砦があった場所に13世紀前半に建設された騎士団の城であるが、支配者が交代するたびに補強改築されてきた。現在の姿は、18世紀後半にエカテリーナ2世により知事官邸の目的として改築されて宮殿のような造りである。
写真で解りにくいが、エストニア国旗(上から青、黒、白の横島)が掲げられている。歴代の支配者の旗が掲げられてきた。現在は、エストニアの国会議事堂としての役目を果たしている。
タリンは、2.5Kmの城壁に囲まれていた。しかし、現存するのは1.85Km。三角屋根の塔が並べられた城壁は、タリンの中で最重要な建造物である。
その1.85Kmの内、一部に登り歩いてみた。
タリンに最初の木造、城壁が建設されたのは、13世紀前半とも、あるいは13世紀後半に農民やドイツとの紛争に備え、デンマーク女王(13世紀後半ならばマルガレーテ女王)の命によって着工されたとも、資料によると若干の時代の違いが見受けられる。それ故今の所、私の中でははっきりしていないが、個人のお遊びブログなのでご容赦願いたい。
城壁を歩いてみると、中世の街並みの造りが、丁度ドイツの城壁都市と同じような印象を受ける。まるで、ロマンチック街道と古城街道の交差点のローテンブルグの城壁とよく似ていると感じる。(ローテンブルグには、10回以上行っている)
しかし、街の建築物がローテンブルグでは、木組みの造りが特徴的であり、タリンはシンプルな現代的な建物である。
城壁の下では、冬物製品の店が所狭しと並んでいた。
色とりどりのニット製品は見ているだけでも楽しい♪
淡い色彩の建築物は、本当にタリンの街で特に今の白い雪景色の中ではピッタリで美しい。
ここは、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂。
ロシア皇帝が聖人に捧げたロシア正教会で、1901年にアレクサンドル3世によって建設された。1242年の戦いでドイツ軍を破り後に聖人とされたネフスキー公に捧げられた。アレクサンドル・ネフスキー大聖堂は、正教者の移住する土地では、同名のものを目にする。このブログでは、ブルガリアの首都ソフィア編でも、現地のアレクサンドル・ネフスキー大聖堂を紹介している。ちなみに、ロシアの第2の都市であるサンクトペテルブルグにも同名の寺院があり、その前のメインストリートをネフスキー大通りと呼ぶ。ロシアのサンクトぺテルブルグ編でも、書いただろうか??
現代的なタリンの建築物である手前のクリーム色の建物とは、何となく調和を感じない。アレクサンドル・ネフスキー大聖堂は、エストニアが独立を果たした時には、移転する計画が在ったようだが、実現していない。今もなおロシアの脅威を感じているエストニア人の心情から察すると、気持ちの良い物ではないらしい。
中世時代のタリンの建築物は、総てハンザ商業都市リューベックの法律に従って建築された。その特徴は、建物の正面部分が、道路に面するように建てられ、上部には滑車が掛けられるクレーンが設けらた。屋根裏の倉庫に荷物を引き上げるためである。この3つ続きの集合体建物は、1362年に商人の館として建築されたもので、女性的雰囲気?が美しいので「三人姉妹」と呼ばれている。
人通りの少ない裏道から、今度は人通りの多い大きな通りに出てみよう。
街はクリスマスの飾りで溢れていた。ショーウインドーを覗く親子さんは、カラフルな冬の装いだった。写真は後ろ姿だが、子供は何処の国でも本当に可愛い♪
こんな淡い色彩の洋服は大好きで、可愛い~♪と見とれてしまった。^^
本日はここまで・・・・・
それではまたお会いしましょう。^^
Good night!