久しぶりに
「手紙」をもらった。
美しい和紙に
ていねいに書いてあり
封筒にも趣味が溢れてて
なによりこまやかな
その文章・・・
いまどき
「手紙」なんて若い人たちには
言葉すらないのでは?
けれども昔残された「書簡集」は
「手紙」の存在の意味を語っています
リルケは若き詩人に手紙を書きましたが
それは今も
詩を書こうとする人
およそものを書こうとする人にはバイブルの
ようなものになっていますし
漱石の手紙だってどんなに貴重な資料と
なっていることでしょう、
今はメールで簡単にすんでしまって
「やりとり」にイマイチ
熱が感じられず
例えば昔、息子が世界を放浪していたとき
旅先からはときどき手紙が来て
それは今も私の引き出しの中に
宝石よりも輝いています
が
今、彼からはヨーロッパからだって
元気だよとケータイに入ってくる
消息がリアルタイムでわかる便利さ
に引き換え
失ったものは
「手紙」のなかの
熱となつかしさ
のような
えも言われぬ「ぬくもり」・・・
なのでした。