前略、昨日ネットで流れたニュースです。
「あゆの元カレ、草を食べていた」。
墳飯モノでした。
つまりは浜崎あゆみという歌手が以前交際していた恋人が、売れない時代に、野生の野菜のような植物や野生のハーブなどではなく、正真正銘の雑草を食べて飢えをしのいでいたと。
イマイチ気の利いていない4流ギャグマンガの範疇を通り越して、これは単に、読者に対する比例極まりない暴力だと、そう思いましたw
心底ネ!
こんな馬鹿話がニュースになるマスコミ界って、よっぽど退屈しているのか、頭に虫が湧いているのか、そのどちらかの可能性が極めて高いなと、引きつり笑いをしながら痛感した次第です。
草々「私がクマにキレた理由」(2007)を今更ながらに観ました。
ええ、スカーレット・ヨハンソン観たさですが、なにか?(笑)。
ハリウッド映画には、ナニー(子守)が登場する作品が実に多いという印象があります。
例えば、「ゆりかごを揺らす手」(92)や「ミセス・ダウト」(93)。
この職業の需要はアメリカの大都市では相当あるにちがいないと見ました。
給料の低さが話題となるシーンが出て来たりします。
歴史も古いが、相変わらず低賃金の職種なのですね。
本作でも給料の低さゆえに、黒人やメキシコ系、アジア系の女性たちが就業していることが、当然のごとくに描写されていたりします。
これは、いわゆるコメディ映画なのですが、最後の最後にホロリと。
リーマン・ショック前の、まだまだ金融界に入ることが富裕層へのゴールドパスと認知され、拝金主義全盛期のニューヨークが舞台。
主演はスカーレット・ヨハンソン。
大学を卒業したばかりのヒロイン・アニーは、「楽に見える道こそ地雷だらけ」という親友リネット(アリシア・キーズ)の忠告を無視して、「子供相手の気楽な商売」と勘違いし、ナニーの世界へ。
彼女は、雇い主に「ナニー」と呼ばれ、本名は呼んでもらえません。
雇い主の彼らは、自分自身の子どもを自分たちの手で教育せずに、ナニーとか、コンサルタントとか、カウンセリングとか、何でもかんでも「専門家」を使って金で解決しようとします。
子どもにヨガを教えるのに、専門家を自宅へ呼びますが、子どもは遊んでいて全然ヨガをしようとはしませんが、親もそれを気にしないし、ヨガ教師もそれを気にしません。
そういった無関心なところが本当の問題なのに、それには誰も目を向けようとはしません。
こういったところはすごく皮肉に満ちていますよね。
悲しむのは子どもだけだが、親はその子どもの悲しみにさえ目を向けようとしない。
「アメリカン・ビューティー」の匂いもします。
アッパー・イースト・サイドの人たちはみんなこんな感じではなかろうが、しかしながらこの映画を観ていると、多少なりともこんなところはあると思う。
拝金主義的アメリカ富裕層を痛烈に揶揄していますが、こうしたことは、こうした人たちの間だけではなく大なり小なりどんなレベルの家庭でも見られることだ、といいたいのでしょうか。
最後に、アニーが腹いせに「クマへ独白」します(別に「クマにキレた」のではありません。
ナニーを監視するカメラがクマに仕掛けられていて、解雇の腹いせにいいたい放題を独白したというだけのことです)。
そのビデオを見たセレブな主婦たちは、「家族の愛情って何だろう」と振り返るという内容。
エンディングが印象的で、心地よい余韻を残します。
子どもがビンからスプーンで直接食べようと母親にねだり、母親はそれを受け入れるーこういった姿が本当の家族の姿と示唆しているのでしょうね。
アニーもまた、自分の家族との問題をクリアすることができ、二重ハッピーエンドで終わる映画です。
ところで、”大都会のなかのお伽噺”というのがこの物語のコンセプトで、実際に撮影の多くがニューヨークの街中で行われています。
「ユー・ガッタ・メイル」なんかと同様な設定で、このあたりの「よくあるある的」金太郎飴感も笑えます。
最初にアニーとミセスXが出会うのは、市民の憩いの場セントラルパーク。
二人がランチをするのは、高級デパート、バーグドルフ・グッドマン。
さらには、アメリカ自然史博物館に、メトロポリタン美術館、老舗カフェのレキシントン・キャンディ・ショップなど人気スポットが次々登場し、見ているだけで観光気分が味わえてしまいます。
あと、イギリスの児童文学「メアリー・ポピンズ」の文章が引用されていたりします。
本作の主人公のイメージとメアリー・ポピンズをだぶらせていることは確かですね。
映画では、アニーがメアリー・ポピンズよろしく赤い傘を手に空へ舞い上がっていく所が映し出され、冒頭のユニークな映像とうまく融合していたりします。
スカヨハはやはり可愛いし、何をやらしても妖艶。
が、その外見と裏腹に演技の能力が、実は非常に高いことは、日本ではあまり知られていないのではないかと思います。
あらすじ ニューヨーク、マンハッタン。大学を卒業し将来を模索していたアニー・ブラドック(スカーレット・ヨハンソン)は就職試験に失敗、セントラルパークで途方に暮れる。するとその時、事故に遭いそうになった少年グレイヤーを救ったアニーは、彼の母親でセレブのミセスXに名前を“ナニー”と勘違いされたことから、グレイヤーのナニーとして雇われることに。しかし、自分磨きに忙しいミセスXが息子の面倒を全く見ず、父親のミスターXも家庭を顧みないため、アニーは24時間グレイヤーの世話を託されてしまう。プライベートもないうえ、言うことを聞いてくれないグレイヤーに困り果てるアニー。それでもやがて、両親に構ってもらえないグレイヤーの寂しさを知り、心を通わせていく。また一方、アパートの上階に住むハーバード大のイケメン学生と出会い、恋が芽生えるアニーだが…。>
Humming Parlour from Tokyo - YouTube
「あゆの元カレ、草を食べていた」。
墳飯モノでした。
つまりは浜崎あゆみという歌手が以前交際していた恋人が、売れない時代に、野生の野菜のような植物や野生のハーブなどではなく、正真正銘の雑草を食べて飢えをしのいでいたと。
イマイチ気の利いていない4流ギャグマンガの範疇を通り越して、これは単に、読者に対する比例極まりない暴力だと、そう思いましたw
心底ネ!
こんな馬鹿話がニュースになるマスコミ界って、よっぽど退屈しているのか、頭に虫が湧いているのか、そのどちらかの可能性が極めて高いなと、引きつり笑いをしながら痛感した次第です。
草々「私がクマにキレた理由」(2007)を今更ながらに観ました。
ええ、スカーレット・ヨハンソン観たさですが、なにか?(笑)。
ハリウッド映画には、ナニー(子守)が登場する作品が実に多いという印象があります。
例えば、「ゆりかごを揺らす手」(92)や「ミセス・ダウト」(93)。
この職業の需要はアメリカの大都市では相当あるにちがいないと見ました。
給料の低さが話題となるシーンが出て来たりします。
歴史も古いが、相変わらず低賃金の職種なのですね。
本作でも給料の低さゆえに、黒人やメキシコ系、アジア系の女性たちが就業していることが、当然のごとくに描写されていたりします。
これは、いわゆるコメディ映画なのですが、最後の最後にホロリと。
リーマン・ショック前の、まだまだ金融界に入ることが富裕層へのゴールドパスと認知され、拝金主義全盛期のニューヨークが舞台。
主演はスカーレット・ヨハンソン。
大学を卒業したばかりのヒロイン・アニーは、「楽に見える道こそ地雷だらけ」という親友リネット(アリシア・キーズ)の忠告を無視して、「子供相手の気楽な商売」と勘違いし、ナニーの世界へ。
彼女は、雇い主に「ナニー」と呼ばれ、本名は呼んでもらえません。
雇い主の彼らは、自分自身の子どもを自分たちの手で教育せずに、ナニーとか、コンサルタントとか、カウンセリングとか、何でもかんでも「専門家」を使って金で解決しようとします。
子どもにヨガを教えるのに、専門家を自宅へ呼びますが、子どもは遊んでいて全然ヨガをしようとはしませんが、親もそれを気にしないし、ヨガ教師もそれを気にしません。
そういった無関心なところが本当の問題なのに、それには誰も目を向けようとはしません。
こういったところはすごく皮肉に満ちていますよね。
悲しむのは子どもだけだが、親はその子どもの悲しみにさえ目を向けようとしない。
「アメリカン・ビューティー」の匂いもします。
アッパー・イースト・サイドの人たちはみんなこんな感じではなかろうが、しかしながらこの映画を観ていると、多少なりともこんなところはあると思う。
拝金主義的アメリカ富裕層を痛烈に揶揄していますが、こうしたことは、こうした人たちの間だけではなく大なり小なりどんなレベルの家庭でも見られることだ、といいたいのでしょうか。
最後に、アニーが腹いせに「クマへ独白」します(別に「クマにキレた」のではありません。
ナニーを監視するカメラがクマに仕掛けられていて、解雇の腹いせにいいたい放題を独白したというだけのことです)。
そのビデオを見たセレブな主婦たちは、「家族の愛情って何だろう」と振り返るという内容。
エンディングが印象的で、心地よい余韻を残します。
子どもがビンからスプーンで直接食べようと母親にねだり、母親はそれを受け入れるーこういった姿が本当の家族の姿と示唆しているのでしょうね。
アニーもまた、自分の家族との問題をクリアすることができ、二重ハッピーエンドで終わる映画です。
ところで、”大都会のなかのお伽噺”というのがこの物語のコンセプトで、実際に撮影の多くがニューヨークの街中で行われています。
「ユー・ガッタ・メイル」なんかと同様な設定で、このあたりの「よくあるある的」金太郎飴感も笑えます。
最初にアニーとミセスXが出会うのは、市民の憩いの場セントラルパーク。
二人がランチをするのは、高級デパート、バーグドルフ・グッドマン。
さらには、アメリカ自然史博物館に、メトロポリタン美術館、老舗カフェのレキシントン・キャンディ・ショップなど人気スポットが次々登場し、見ているだけで観光気分が味わえてしまいます。
あと、イギリスの児童文学「メアリー・ポピンズ」の文章が引用されていたりします。
本作の主人公のイメージとメアリー・ポピンズをだぶらせていることは確かですね。
映画では、アニーがメアリー・ポピンズよろしく赤い傘を手に空へ舞い上がっていく所が映し出され、冒頭のユニークな映像とうまく融合していたりします。
スカヨハはやはり可愛いし、何をやらしても妖艶。
が、その外見と裏腹に演技の能力が、実は非常に高いことは、日本ではあまり知られていないのではないかと思います。
あらすじ ニューヨーク、マンハッタン。大学を卒業し将来を模索していたアニー・ブラドック(スカーレット・ヨハンソン)は就職試験に失敗、セントラルパークで途方に暮れる。するとその時、事故に遭いそうになった少年グレイヤーを救ったアニーは、彼の母親でセレブのミセスXに名前を“ナニー”と勘違いされたことから、グレイヤーのナニーとして雇われることに。しかし、自分磨きに忙しいミセスXが息子の面倒を全く見ず、父親のミスターXも家庭を顧みないため、アニーは24時間グレイヤーの世話を託されてしまう。プライベートもないうえ、言うことを聞いてくれないグレイヤーに困り果てるアニー。それでもやがて、両親に構ってもらえないグレイヤーの寂しさを知り、心を通わせていく。また一方、アパートの上階に住むハーバード大のイケメン学生と出会い、恋が芽生えるアニーだが…。>
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