宅録ミュージシャン雑記「月の裏表・総集編」~trifling beetleブログ~

宅録ミュージシャンtrifling beetle
が書き倒してきた怒涛のブログのバックアップ(笑)

昭和の匂いプンプン

2012-02-23 23:14:49 | 日記
先日、床屋にいったときの話。

その床屋の正面の鏡の下のほう(笑)に、あたかも隠されている如く、なぜか「昭和51年の一枚もののカレンダー」が貼り付けてあったんですよ。
さりげなくって感じかもしれません。

店主の思惑は諮りかねましたが、あれなんなんやろうか?
何の意味があるのか?

退屈さも手伝い、エンドレス&無限ループで考えをめぐらしていました。

店主の生き様上、すごくインパクトのある出来事があったのかな..って感じですが、単に張り忘れたまま30年以上経ったのかもしれませんしね。
文字体が「モロ昭和」で、そのことも非常におもしろうございました!!

それに加えて、鏡の前の台には「中にひょうたんが入っている500mlくらいのスプライトのビン」が(笑)!!
ひょうたんは縁起物と聞いたことがあります。
しかしわざわざ「スプライトのビン」に入れるものなんだろうか?
これまた不思議なものです。

まあ、ひょうたんがまだ生きて成長しているうちにこの珍妙な造形物製作を思いつかれたんでしょうが。
ひょうたんが、まだビンの口に入るくらい小さかった時に、それをビンの内側に取り込み、そうしてそのまま生育させたんやろうなってトリックはわりとたやすく想像できるんですが、なぜスプライトなのか?意味があるのか?偶然か??ってことは藪の中。

店主にそれとなしに聞けばいいだけのことなんですけどね~(笑)。

しっかし「500mlビンのスプライト」ってさ..アンタ、相当古いですなぁ(笑)。
たぶん空きビンを持ってったら10円が帰ってきた頃の話かな?
それくらいでしょうね。

コカコーラやなく、ファンタでもなく「スプライト」ってのも、なんかおかしい(笑)。
レトロまで行かない、中途半端なモダンさって言うか(笑)。
センスあるんかないんか、ホンマよぉ~わからんよな。

まさにカレンダーの昭和51年頃か!?

そっか、セットでディスプレイしてあるんですねっ(笑)!!
今、気がつきました..。

そうそう、スプライト500mlは「三杯ついでもまだ余る」って宣伝していましたねぇ~。
ちなみにスプライト1000mlは「六杯ちょうど」と言うのが売り(笑)。
どんな計算してるんやっ(笑)!!懐かしい。

昭和の遺物を思いもかけず、妙なところで見つけて、こちらも何となく妙な気持ちになりました(笑)。

ちなみにその店主は、昭和の匂いがプンプン..ではなかったです。
どちらかというと奥さんのほうが..まさに、モロ..(爆)。








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イチジク考

2012-02-11 23:36:38 | 日記


実は、僕も知らなかったんですが、アダムとイブの使ったイチジクの葉は一枚ではなく複数なんだそうです。



つまり、「いちじくの葉を綴り合わせて、腰に巻いたもの」「葉をつなげて作った布状のもの」で隠したと。

まあ葉っぱ一枚じゃ、落ちそうですから(笑)!



イチジクとは、クワ科イチジク属の落葉高木、およびその果実のこと。
原産地は地中海沿岸、アラビア南部。漢字表記の「無花果」の字は、花を咲かせずに実をつけるように見えるためです。
「いちじく」は、「1ヶ月で熟す」から来ているそうな。

イチジクは、美容と健康に効果があるとされ、不老長寿の果物とも呼ばれています。
収穫時期年二回で、夏熟型の夏果、秋熟型の秋果があります。
つまり、旬は3月から5月と8月から10月の年2回となります。

秋果はその年に熟成したもの、夏果は幼果のまま冬を越して翌年の夏に熟成したもので、秋果のほうが風味が良いと言われています。

皮が紫色、全体的に色が均一、少し割れていて中味がのぞいているものがおいしいとのこと。
未熟ないちじくを食べるとお腹をこわすらしい!


利用用途は、生食、ドライイチジク、ジャム、甘露煮、スープやソースの材料、ワイン、酢の醸造、生薬用など様々。
ドライイチジクは作用が比較的緩やかな下剤としての効能があります。
詳しく書くと、便秘改善、整腸作用、消化促進作用に長けていて、つまり食物繊維(プルーンの1.7倍強)、ペクチンが豊富なのです。

これには二種類あり、ひとつは血中コレステロール値を下げるといわれる水溶性食物繊維、もうひとつは大腸がん予防作用があるといわれる不溶性食物繊維です。
さらに、クマリン類のベルガプテン、プソラレンという成分を含有していて、これが血圧降下に役立つそうです。

活性酸素除去に効果的なポリフェノールを多く含んでもいるし、多量の糖分とビタミンB1、B2をも含んでいます。
カルシウムとカリウムも豊富。
また、女性ホルモン・エストロゲンに似た成分も含んでいて、更年期障害解消などにも。
ベンズアルデヒドという成分は、ガンに効果的だと言われています。

さらに、摘みたての葉の切り口からでる白色乳汁はイボ取りと痔の痛みに効果があり、生の乳汁をイボに塗布すると、乳汁中のタンパク分解酵素がイボを形成している変性タンパク質に作用して、繰返すことによってイボは根元から取れるそう。
これって、体を溶かしてるってことやんな!


日本では、和歌山、神奈川、広島、愛知などが主な産地で、日本で栽培されているいちじくは、ほとんどが西洋いちじくの改良系。
世界的にはいろんな地域で栽培されていて、特にイラン産イチジクは他国産のイチジクと比べ小ぶりながら、とても栄養素豊富で有名だとか。

西洋では生食よりもドライが主流だそうです。
ドライには、ほどよい甘さのやわらかめ「プリンセスフィグ」、甘味強く、特に欧州で需要の高いハードタイプの「クィーンズフィグ」があるそう。
このアップルフィグシナモンや、キャラメルフィグなんて見ているだけでよだれが…。
ただ、アップル…は、たまねぎの煮たものにも見える(笑)。

イチジクの葉茶は、真夏に採集したイチジク葉を陰干、乾燥させて、細かく刻んだものを、大さじ山盛1杯につきおよそ400ml程度の水で約半分量まで煎じたものを1日2回に分けて飲用すると良いとのこと。








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VS境界例(4)

2012-02-08 00:55:58 | 日記

私の存在や言い分、発言、記述を無視するようなことをするな。
→自分自身が他人を無視するようなことを平気でしている。

お前はマトモじゃない。狂っている。病気だ。人格障害者だ。常識というものを知らない。
→自分自身が狂っていて病んでいる。常識というものを知らない。

お前は卑怯で陰険、姑息でセコイやつだ。
→自分自身が卑怯で陰険、姑息でセコイことをしている。

なんで私の言うことが信用できない、受け入れないのか。
→自分自身が他人を信用していない。 拒絶している。

お前は欠点だらけだ。気持ち悪いのはこちらのほうだ。虚言癖だ。擬態うつだ。   →自分自身が欠点だらけ。 虚言まみれ、見栄っ張りな自分に嫌悪感を感じる。

お前のようなやつは、誰からも相手にされないぞ。
→自分自身が誰からも相手にされない。

お前は態度がでかい。生意気だ。
→自分自身が生意気で、でかい態度を取っている。

死にたければ死ねばいい。
→自分自身が死にたいほどの絶望感でいっぱいだ。


まあ、境界例の人がこれを読むと、読んだだけでカチンと来る人もいるだろう。激しい憤怒をたぎらせてライブハウスへと乱入する人もいるのかも、しれない。
しかし、もし自分自身の見たくもない一面や、自分自身の欠点を、ある程度素直に見つめることができれば、ああ、自分にも思い当たるところがあるな、と言うふうに振り返ってみることもできのだが、そう言うことができないからこそ、他人に自分のいやな部分を映し出して、他人を罵倒する。
そして、もしも相手から「お前自身がそうじゃないか」などと言われようものなら、「なにおー」となるのだ。
そして、不毛の論争になったりする。

たしかに、相手の人にも、多少は患者が非難するような一面があるかもしれないのだが、患者は相手のそういう部分に、非常に敏感に反応していく。
微かな言葉尻を捉えて離さないのだ。
しかし、必ずしも相手の方に患者の言うような問題があるとは限らない。
たとえば患者自身が自分勝手で自己中心的だったりすると、ごく普通の言動であっても歪められて理解されてしまうことがよくあるから。
こういうときは、相手の人は言いがかりをつけられたような不愉快な気持ちになる。
当然であろう。
そして、患者の主張を真っ向から否定しようとして、むきになって反論したりする。
そうなると、ここでまた患者との間で、「お前は××だ」「いや、私は××なんかじゃない」というような不毛の口論が展開することになる。

このような患者が仕掛けてくる言い争いに巻き込まれないようにするためには、まず投影性同一視というメカニズムを理解しておく必要があろう。
そして、患者が投影性同一視というお誘いを仕掛けてきたときには、その手に乗らないように注意する必要もある。
具体的に言えば、反論したい気持ちになったときに、まず一呼吸おいて、心を落ち着けたほうがいい。
そして、患者の表面的な言葉ではなくて、その背後にあるものは何なのだろうかということに焦点を当ててみるのだそうだ。

言いがかりのようなことを言われたとしても、あわてることはない。
クールにやり過ごせばいいだけだ。
たとえば、「お前は欠点だらけの人間だ」と言われたとしても、自分にはたしかに欠点はあるが、決して欠点だらけではない、これは敢えて反論するまでもなく自明のことである、というふうに自信を持って判断することができるし、患者の激しい非難に対しても余裕を持って接することができるであろう。
この患者は欠点だらけの自分を受け入れることができなくて苦しんでいるんだな、それでこうやって私を欠点だらけの人間だと非難することで、自分自身の苦しみをなんとか解消しようとしてもがいているんだな、という具合に共感的な態度で接することができるようになる。

境界例の人の特徴の一つに、自分と他人の区別がうまくできないというのがある。
自分のことと他人のことの区別が出来ないために、ついつい他人の心に土足で踏み込むようなことをしてしまうのだそうだ。
あるいは、患者の退行によって、自分でやるべきことを他人に押し付けて、他人にやってもらおうとしたりもする。
恩着せがましい態度をとったりもする。
あの時に助けてやっただろうとかである。

このような患者の行動によって、周囲の人は患者の作り出す泥の渦の中へと吸い込まれていく。
これは、他人の存在というものを、自分とは別個の存在なんだというふうに理解できないために、他人をまるで自分の延長のような存在として扱おうとするからなのだ。
そして、患者は自分と他人との間になんの葛藤もないような、果てしない無限の一体感を求めたりする。
これは、乳幼児期の母親との一体感へのあこがれが背景にあるから。
通常なら、成長するに従って母親との一体感に別れを告げて、自分は母親とは別個の存在なんだということを理解し、やがて個人としての自立した自己を確立していくものだ。
しかし、境界例の場合には、この一連の作業に失敗している。
だから、日常の生活で、自分と他人の区別を必要とするようなごく普通の出来事でさえもが、患者にとっては一体感への拒絶と受け取られてしまい、まるでこの世のすべてから見捨てられてしまうのではないかという不安にとらわれてしまうのだそうだ。
そして、その結果として、さまざまな問題行動が発生することになる。

境界例の患者と接すると、患者はあらゆる手段を使って、乳幼児期のような自他の区別のない一体感への要求を突き付けてくる。
赤ん坊のころに戻ろうとするかのように、なんでもかんでも自分の面倒を見てもらおうとしたり、自傷行為や自殺の脅しをつかったり、あるいは怒りを爆発させて威嚇的な行動を取ったりして、自己中心的な自分の要求を実現させようとする。
インターネットSNSでの武勇伝日記の羅列や、自らに無関係な他人同士の調停に無理矢理に介入して恩を着せるなどがそうだ。
また、飲み会の会計時にレジなどにおき、あたかもこの集団の不満や正義の代弁者よろしく、頼みもせず、空気も読まずに、一方的に店側に暴力的な苦情を浴びせかけ、賞賛と信頼を獲得しようとする等がそうだ。

このような時にどうしたらいいのかと言うと、患者に自他の区別を要求するのではなくて、自分自身が自他の区別をはっきりさせるのが一番だそうだ。
自分自身が自他の区別をはっきりさせることによって、患者の行動化に巻き込まれないようにするということだ。
そして、同時に、健全な自他の区別とはどういうものであるかという、その生きた見本を患者に提示する。

では、この境界を設定するということはどういうことなのか。
自分自身の限界を設定するということである。
どこまでが自分の領域なのかという、その自分の領域の限界を見極め、そこに限界を設定するのだ。
そして、その限界を超えるような患者の要求や、自他の境界を侵略してくるような患者の行動に対しては、自分を守るために「NO」という意思表示をする。
これが境界を設定するということなのだ。
つまり、ここに自他の境界があり、また、そのことに対して罪悪感を持つ必要は一切ない。

最後に、himy71さん。
あなたの一連の言動、行動、思考法、嗜好性等を総合して考えたところ、あなたは境界例の方ではないのだろうかと思われる。
可及的に速やかに、適切かつ効果的な治療をされたほうがいいのではないか。
まだ、遅くはないと、思うのだが..どうかな。








「2ちゃんねる」で最近見なくなった死語ランキング


土岐麻子 ロマンチック
http://www.youtube.com/watch?v=yALen3e-5mc

土岐麻子 Gift~あなたはマドンナ~
http://www.youtube.com/watch?v=vqJL6zIcx9E

cymbals 午前8時の脱走計画
http://www.youtube.com/watch?v=sCPZNm2WYro

VS境界例(3)

2012-02-07 00:44:24 | 日記
投影性同一視という防衛機制は、境界例の患者がよく使う防衛機制。

これはどういう防衛機制かというと、分かりやすい表現で言えば、他人を利用した自己愛や、他人を利用した自己嫌悪ということなのだそうだ。
つまり、他人を鏡のように使う。
そして、他人という鏡に映った自分に向かって、自己愛的な賞賛を投げかけたり、あるいは逆に鏡に映る自分の醜い姿に向かって、激しい嫌悪感を剥き出しにしたりする。
表面的には相手を賞賛したり、憎しみを露にしたりしているように見えるのだが、実際には相手の人は患者を映す鏡として利用されているだけ。

なぜこんなことをするのかというと、たとえば自己愛を映し出す場合で言えば、自我が貧弱なために自分で自分を愛することができないからである。
自分に向き合おうとすると、どうしても見たくもない都合の悪い感情と向き合わざるを得なくなるので、そういう不愉快な事態を避けるために、他人という鏡に自分を映し出して、そこに自己愛を注ぐ。
つまり、極端な言い方をすれば、他人の人格や個性などはどうでも良くて、あくまでも自分の延長としての存在としてしか他人を理解していないということなのだ。

これはたとえば弱者や困っている人の救済という形で表現されることもある。
救いを求めている自分自身を、他人という鏡に映し出すのだ。
そして、そこに映し出された哀れな自分を、必死になって救おうとする。
表面的には弱者を救済しようとしているように見えるのだが、本当に救おうとしているのは他でもない自分自身。
しかし、実際に自分で自分を救おうとすると、「見捨てられた自分」という、苦痛に満ちた心理的現実と向き合わなければならなくなる。
ジレンマだ。

なので、このような苦痛を避けるために、他人という鏡に自分を映し出して、そこに映った自分を救おうとする。
そのために、利用できそうな都合のいい弱者を探し出すのだ。
そして、自分自身の悲惨な状況を省みることなく、他人を救済することだけに情熱を傾けるのである。
目的を達成した暁には、そのことを何らかの形でステイトメントすることも多々あるそうだ。

例えばSNSや自己のブログにおける「武勇伝のご報告」などがそれである。
そうやって自分の成果を不特定多数の人に褒めてもらい、そういう賞賛されている自己を見て、自己同一化を図り、自己のレゾンデートルを確認するのだ。
これにより自己による自己の救済は完成する。
しかしながら、第三者の覚めた視点から眺めてみますと、「他人のことはいいから、自分自身のことをなんとかしたら?」と言いたくなるような状況が生まれている。

では、なぜこのような防衛機制が発生するのかと言うと、患者には自分というものがないからである。
自分というものがないので、葛藤を自分だけで抱えることができないのである。
加えて、患者は精神的な「分離-個体化」に失敗しているため、自分と他人とを区別する境界が非常にあいまい。
だから、本来なら自分の中にとどまっているべく葛藤が、自他の境界があいまいなために、自分の境界の中にとどまっていることができず、そのまま周囲の人間関係の中へと流出してしまう。
そして、患者の心の中の混乱が、そのまま周囲の人たちの混乱として表現されることになるのである。

そして、周囲の人たちは、患者から色々な役割を押しつけられて、気づかないうちに患者の葛藤の代役を演じさせられることになる。
そして、こういう形を取ることで、患者自身は自分の見たくもないいやな部分を全部他人に押しつけることが出来るので、本人としては「善人」のままでいることもできる。
つまり、自分はあくまでも善人であり、悪いのはすべて悪役を割り振った他人のせいなんだという非常に不条理なシステムを、まんまと構築させることができるのだ。

これが投影性同一視のメカニズム。




春一番 by 西岡恭蔵 – YouTube
http://www.youtube.com/watch?hl=ja&v=cXuLg297f70&gl=JP

春一番ライブ79/西岡恭蔵とカリブの風 – YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Uft0U5iMa7I

春一番ライブ74/記録フィルム – YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=hSnii3RgCPY



VS境界例(2)

2012-02-06 00:42:31 | 日記
境界例の持っている激しい怒りとは何なのだろうか。

それは一言で言えば、「なんで生きなきゃならないのか教えろ!」という、生きなければならないことへの激しい怒りだそうだ。
なぜならば、境界例の人は生きるために必要な、心の支えとなるものをまったく持っていないからである。
幼いころからずっと、見捨てられる不安や恐怖にさらされて育ってきたために、自分で自分を支えるものを、まったく持ち合わせていないのだ。

しかし、こんな状態ではあっても、それでも生きていかなければならない。
非常に切ない。
幼いころから、精神的に自立しようとするたびに足払いをされて来たので、自分の力で立ち上がろうとしても、立ち上がることができない。
自分の人生なのに、自分ではどうすることもできない。

これは相当きつい。
要するに、なぜこんな苦しい思いをしながら生きていかなければならないのかという、そういう不条理に対する激しい怒りがあるということである。

そして、境界例の人は自分の苦しみを周りの人に理解してもらうために、周りの人にも自分と同じ苦しみを体験させようとする。
悪態をついて相手を罵倒したり、攻撃したりすることで、自分の苦しみを体験的に理解させようとするのだ。
言葉で表現できないような苦しみは、相手に実際に体験してもらえば一番よく理解してもらえる。

そこで、幸せそうにしている人の足を引っ張って、自分がもがき苦しんでいる泥沼へと引きずり込もうとする。
これが、境界例の人が取るコミュニケーションの方法だ。
わざと嫌われるようなことをしたり、周りの人に対して破壊的な行動を取ったりすることで、自分の持っている苦しみを、周囲の人と共に分かち合おうとする。

こういう形でしか、自分を表現できないひとなのだ。




Simon & Garfunkel 映画「卒業」 Sound Of Silence - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=AX3948kEyJo&feature=related