すごく潔癖な友人がいるが、彼は未だに独身である。
潔癖なところを除外すれば特におかしな点はない。
付き合いをしている女性は何人か拝見したが、長続きせず、もれなくフェードアウトする。
今現在、年上の彼女がいるし、結婚願望があるようなのだが、かといって結婚を慌てる素振りはまったくない。
諦めているようでもない。
映画「恋愛小説家」を久々に観て、そういう摩訶不思議な友人を、ついつい思い浮かべてしまった。
自分を捨てられない「子供の男」と、自分を持てない「自我を殺している女」とのなんともおもしろおかしい恋物語、「恋愛小説家」を久々に観た。
1998年公開の映画で、主演は、ジャック・ニコルソン、ヘレン・ハント。
ベストセラー作家メルビン(ジャック・ニコルソン)は、実は異常なまでに潔癖性で神経質、おまけに強迫神経症だ。強迫神経症はれっきとした精神病とされている。
さらには周囲に遠慮なく原爆級な毒舌をまき散らし、忌み嫌われている。もちろん友人は皆無だ。
そんな「クズ野郎」が、ウェイトレスのキャロル(ヘレン・ハント)に出会い、恋をする..。
これはいわゆるコメディだが、ジャック・ニコルソンの快演が冴え、感動的なラブ・コメになっている。全く飽きない。
彼は、同じ店の、同じ席に座り、給仕するのも同じ人(キャロル)でないと食事ができないという、どうしようもない変な人なのだ。
しかし変な人を演じさせたなら、ジャック・ニコルソンはピカイチやな~。
ナイフ&フォークは持参、使い捨てである。
外出時の手袋も帰宅後はゴミ箱に捨てる。これも使い捨て(笑)。
手洗いには石けんを2個使い、自宅のドアの扉は1度でなく、3回閉めないと安心できない。
このあたりから徐々に笑いのツボに入ってゆく。
歩道やタイルの継ぎ目は踏めないし、他人との接触を回避するために、まるでダンサーのように奇っ怪に身をくねらせて歩く。彼にとってはちょっとした外出もおおごとなのである。
また、相手の一番のウィークポイントを素早く察知して、そこをこれでもかと容赦なく口撃する。
あくまで自分のスタイルを崩そうとしない、本当に嫌な男である。
ある事件がきっかけで、他人に好かれることの心地よさを知る。
一方キャロルは、ぜんそくとアレルギー持ちの子ども、母との生活。バツイチである。子どものことを気にかけすぎて自分がない。
メルビンと同種の「強迫的人生」を送っていると言える。
一方のキャロルも、他人の世話になることの心地よさを思い出す。
ここまでが導入部だ。中盤からは展開が急になってゆき、お互いが少しずつ接近し始める。
しかし、二人の関係は曖昧で危ういものである。近づいたかと思えば、すれ違いが重なり、そうやってちっとも期待通りに進まない二人の会話に、しだいに誰もがいらだちを覚えるのではないか。
このあたりは月9のドラマみたく定番的展開を見せてゆく。
「恋愛小説家」の原題「As good as it gets」とは、「とても素晴らしい」「状況がこれ以上好転しない」という意味だそうだ。
紆余曲折を経た後のメルビンとキャロルの関係は、「とても素晴らしい」ものとなり、そして同時に終幕を迎える。
ある意味ベタであるが、すごく清々しい気分にさせられた。
二人の主人公が本当に素晴らしい演技を披露していること、脇役がとんでもなくいい味を出していることに尽きる。
さてさて、印象的というか、すごく象徴的なシーンがあり、すごく心に残った。
午前4時にパン屋でパンを買うシーンだ。
これは、二人の関係に夜明けが見えてきたことの伏線なのだと思った。
おそらく、このシーンにすべてのテーマが凝縮されているのだ。
本当に気持ちのいいシーンである。
ところでさて、ハッピーエンドのその後も、二人の関係性は、「状況はこれ以上好転しない」ものであろうことが安易に予測できる。人はそう簡単には変わることのできない存在だからだ。
二人は「不完全な二人」として、激烈に鞘当をし続けてゆくのだと思うが、それがどうなんだ、そんなこと大したことじゃないよ、という気分にさせられもする。
つまるところ、「状況がこれ以上好転しない」ことは、今の、そして今後の二人にとっては、「とても素晴らしい」ことであって、それは決してブルーになるほどのことでもないのだと思えるからだ。
とてもすごい映画だ。
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