思いがけず再会したのは中学を出て一年以上経ったころだったか。
京阪山科駅で。
彼女は、面影を残しつつも、あからさまに様変わりしており、とても不思議な感じだった。
僕も相手には、そういう風に見えたようで、お互いに、たった一年というごく短い時間のあいだにこんなにも変わりました感に、何とも言えない居心地の悪さを感じていたと思う。
その後、僕から電話をして何度かあった。
喫茶店で待ち合わせして、そのまんまそこで話をした。
仲間で教室で輪になって話すことはたくさんあったが、二人でさし向かって、かしこまって話すことは初めてだったし、とても恥ずかしかった。
今となっては笑い話なんだが。
音楽の話が多かった。
というか、ほとんどそうだった。
特にオフコースの話で盛り上がったのを覚えている。
オフコース最後の武道館ライブかもしれないとマスコミが異常に煽っていた頃で、解散説、活動停止説、加えて本人たちが何も語ろうとしないものだから憶測が憶測を呼んでしまい、とんでもない話にまで膨らんでいた。
音楽雑誌はこぞってそのことを取り上げて、さらに煽動していた。
確かにオフコースの音楽は飛び抜けていたと思う。
楽曲の質、コーラスワーク、編曲とか、ミキシングとか、マスタリングもトータルで含めて、「音作り」という点で彼らを凌駕する存在というものは、いなかった、気がする。
アルバムを通して聞いてみると、今でも、当時は宇宙的に画期的だったんやなと再認識すること然り。
僕は5人のオフコースから入った人間なのですごく、すごく気になっていた。
結局、鈴木が抜けて4人で再スタートをするのだが、そのオフコースに魅力はほとんど感じなかった。
レベルはさらに垢抜けた気がする。
しかし、何か物足りない。
僕はオフコースは小田和正のバンドだと思う。
彼の才能なくして成り立たなかったと。
鈴木ファンには申し訳ないがそれは紛れもない事実だと思っている。
しかし鈴木が果たした役割も大きいのも事実で、結局、あの二人だったからこそのオフコースだったという結論に変わりはない。
さて、あの頃の僕らはどういう関係だったんやろう。
まあ、共に音楽を語るだけの関係というか、それ以外に接点はほとんどなかったし。
でもたったそれだけでも、僕はめっちゃ好きだった。
そういう時間を、高校生活の他の時間に置き換えることはほぼ不可能だったし。
事実上の交際とかそんなものでは全くなく、ただ高校生同士、喫茶店でだべっているだけである。
それも愚にもつかない音楽話でだ。
それ以上でも、以下でもない。
恋人未満友達以上ってああいう感じのことなのかなと。
それはそれでよかったのか、悪かったのか、よくわからないのだが、彼女の撮った例の「廃線写真」を見ながら、ふと思ったことは「損した感」。
正直、それを禁じえない。
ホンモノを、最後の最後まで見届ける目というものは、いつまでたっても育たないものだ。
http://www.youtube.com/watch?v=rWAS0tt5CVk&feature=related
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