ブリヂストンA工場で働いて、私が見たもの、私がしたこと、私に起きたことを発信します。

対話はお互いの顔を見て

2020-12-23 | 社会・政治のこと

コロナのせいもあるし、それ以前からネットの発達で、直接の売買やコミュニケーションが

少なくなっている。私のような田舎に住む者でも、どんな書籍でも簡単に探し当てられて

数日後にはポストに入ってるのはすごいことで、ネット購入初心者の時には感激していました。

田舎に住むことによる、物にアクセスできないというデメリットがないやんって思いました。

日本に売っていなくてどうしても欲しくなった物を、本場オーストリアから個人輸入して、それは

船便で海を渡り、私の家に到着した。「田舎にいても何でも手に入る、すごい」と思いました。

でも、やっぱり、直接の出会いがいいんですけどね。 1つしかない直接の存在   

ネットでの購入は、いい物と出会った時の独特の時めきがないのです。

また、価格交渉も、ネット取引でも出来たりするけど、直接対面じゃないからしにくい。 蚤の市

直接だったら表情とか言い方とかユーモアとか、5感6感で表現して、商売人も5感6感で対応するのに

ネットだと文字だけか電話だと声だけだから。しにくい。とても無機質です。第一、手にとって

見てもいない物を価格交渉はしにくいですね… またお店での対面だと、買うつもりがなかった

物を買うような出来事もあります。お店の様子や店主との会話で、大型店舗によって駆逐されて

風前の灯だと知った時や、思い出として大事にする為にです。


それに、コメントやチャットやメールなど、デジタル文字での会話は本当に欠陥だらけ。

コミュニケーションは本来、その場を共有して、顔や言い方や空気感で伝えるものなのに

画面越しの文字(しかも手書きじゃなくて入力文字)だと、多くの情報が伝わらず、

誤解を生じさせ、対面なら相手の顔を見て、血の通った対話になりえるところが、ネット上の

やりとりだとピンポンゲームみたいな論戦になったりしている。

     

 

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不寛容の時代  新自由主義的なコミュニケーション  不寛容の時代②
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だから私は、そんな風にならないように絵記号などを入れています。でも本当はその絵記号も

とても薄っぺらく、なんか違う感満載なんですけど… ネット上の会話は、欠陥だらけで好きじゃない。


それに実生活での欲求不満や劣等感といった鬱積した感情を、顔の見えないSNS上で

論理の皮を被って晴らしているような人達も多くいて、かれらは整然らしく論理展開しているが、

雪辱のナルシシズムを満たすエゴを原動力として動いているだけだったりする。

対面では出て来れないのにネット上でだけ、知性や論理を装って、相手を打ち負かそうと

シーライオニングなどをしている。ネット上の論人には、そういう人がかなりいる。

Sealioning:荒らしや嫌がらせの一類型であり、礼儀正しく誠実なふりを続けながら、相手に証拠をしつこく要求したり質問を繰り返したりすることを指す。「議論への参加を執拗に、真意を偽りつつ求める」形をとることがある


対面しないネット会話では、そのような不毛な会話があちこちで見られる。

人とのコミュニケーションは、場を共有して、顔を見て、口調や表情や間などで

5感6感を使ってやるものです。そういったものが欠落した、デジタル文字送信だけの会話は

不毛なものが非常に多いと思います。そういうのを会話と呼ぶのもおこがましいかも知れません。

 

例えば、AさんがBさんに「私にはなんの関係もないので、好きにすればいい」と言うとします。

Aさんはやきもちを焼いているのです。そのやわらかなコミュニケーションは、

対面だったら伝わってそれに応じた次の返しが生まれうるようなところを、

デジタル文字だったらそういうのが伝わらなくて無駄な論理的応戦になったりします

本当に、不毛ですね…

 

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ブログもネットなんですけどね… >< 

 

 


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