知行合一 ... 知(知識)と行(行為・実践)は相表裏するものであって、分けることはできないということ。先知後行説を唱えた朱子学に対して、陽明学が唱えた説で、道徳的実践や体験による知識の確認を重んじたもの。
知行合一… 知識と行為は一体であるということ。本当の知は実践を伴わなければならないということ。王陽明が唱えた陽明学の学説。朱熹(しゅき)の先知後行説に対したもの。
知行合一は、中国の明のときに、王陽明がおこした学問である陽明学の命題のとつ。知(知ること)と行(行うこと)は同じ心の良知(人間に先天的に備わっている善悪是非の判断能力)から発する作用であり、分離不可能であるとする考え。論語の為政第二にある「先ず其の言を行い、而して後にこれに従う」が元になっている。
王陽明は、知って行わないのは、未だ知らないことと同じであることを主張し、知っている以上は必ず行いにあらわれると述べた。真の知行とは「好き色を好むが如く、悪臭を悪むが如し」と説く。例えば、好きな色というものはそれを見た(知った)瞬間に好んでいるのであり、色を見て(知って)から好きになろうと判断するわけではないのである。朱熹の学(朱子学)が万物の理を極めてから実践に向かう「知先行後」であることを批判して主張した。
江戸時代初期の陽明学者である中江藤樹や幕末の頃の陽明学者や維新の志士たちに大きな影響を与えた。
知行合一は「知は行の始なり、行は知の成るなり(知ることは行為の始めであり、行為は知ることの完成である)」「行動を伴わない知識は未完成である」とも言い表される。
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鋭く社会批判をして立派なことを言っている「人権派」「反権力」「反差別」の人が
足元でやってる言動が真逆なのを「そういうものだ」「君は何も知らない」と
玄人ぶって熟知したふりして、一致するべきだと考えることを青二才だと見下すのを見て
何も知らない青二才はあなたの方だと思いました。知行一致している人達は
たくさんいますから。分裂していて当たり前だと居直るのはただのく○です…
また やった気になる にも書いた通り、日頃偉そうに他者に上から目線で教える職業や
立場の人こそそれを実際にはやっていないという現象は、口で言うだけでやった気になる
という脳のメカニズムからくる、皮肉な理です。
日頃、政治家やネオリベやブラック職場を舌鋒鋭く批判している人に共感していたのに
その人の運営する会社やNGOの就業規則やコミュニティや組合の会員規約がバカ丸出し
だった場合、目が点になり茫然としてしまいます。そこら辺のブラック企業より噴飯物の
パワハラ規約を自分の運営するコミュニティでは平気で作っている…
そういうのを見た瞬間、その人の言葉への信頼は地に堕ちます。尊敬は軽蔑に変わる。
言ってることと やってること 全然違うやん…
そしてそのコミュニティ自体の信頼性も地に堕ちます。運営チームはその恥ずかしい
ポンコツ規約に誰も「え?」と言わずこれでよしとして公にリリースしたのだから
運営者の質もお察しだし、そんなバカ丸出し規約に同意できる人しか集まってこず、
それをおかしいと感じる人は入ろうとは決して思わないのだから、すでにメンバーは
強くフィルタリングされています。
本当に、口でどれだけ華麗なことを言えても 自分がやってることは全然違うんだなぁ
そういう乖離って男性に顕著に見られると思います。もちろん女性でも言えるけど
私の率直な感想としては、口だけ達者でやってることが乖離していて
目が点にさせる人って男性が多いです。 crap..
もの知り風情で「あれを読め」「これを読め」と教えてきますが
私は「色んな本をたくさん読んだあなたがそれでしょう。読む必要を感じない」
と思ってしまったりします。もちろん、色んな知識や思想に触れるのが大事なのは
身をもって喜びと共に知っているし、否定するのは極端であり間違ってるのですが…
読んでも彼の実際の行動には繋がっていないからと言って、その本の価値を否定する
のはいけない。「あなたに偉そうに言われたくないわ」だったらいいでしょう。
足元でやってる事は一般人以下なのに、人に偉そうに啓蒙しないで欲しい。