ブリヂストンA工場で働いて、私が見たもの、私がしたこと、私に起きたことを発信します。

忖度せず本当のことを言う

2019-04-14 | 障がい者のこと

【忖度】 辞書的意味 …他人の心をおしはかること。また、おしはかって相手に配慮すること。
     世間で言われている意味…相手の心中をおしはかり、それに沿う言動をすること。意図を汲み便宜を図ること。

 

私も空気はもちろん感じますが、それに乗るかどうかは自分で決めるものと考えています。

その意図に賛同できない場合、空気を読まないで行動します。

素晴らしいと思う空気なら、よろこんで加勢しますが素晴らしくないと思うものに加担したくないからです。

社会は、1人1人の言動でつくられます。みんなその責任を負っています。

   

 

だから竹目さんや狐さんがひっきりなしに出してくる、他の人へのいじめや嘲笑、見下しなどの強烈な同調圧力に

加担することはせず、良心に沿って行動してきました。かれらの神経を逆撫でせぬようにすごく気を遣いながらです。

それは相手の意に沿わないことだとわかっていますので、心理的に葛藤があり悩んでいました。

かれらが強力に作ってくる「流れ」に逆行しているからです。

でも、私は賛同しない意図通りに動く=片棒担ぐということができない性分です。

これは自閉症spの特性なのかもしれません。

 

また、「流れ」に乗って、真理を発見した人はいないと思います。歴史をみても、「流れ」に乗らなかった人達が

発見しています。裁判にかけられ拷問や投獄、極刑などの迫害・弾圧をされました。

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昔、喫茶店でアルバイトしている時に、カウンターでの失敗体験があります。

    

カウンター越しに、お客さんたちと店員の私たちは会話をしたりします。

当時50半ばぐらいの大手通信会社のキャリア女性が、「昔(70年代)は今と違って××しなかった」と言いました。

××はあまり褒められない行為です。その件はちょうど前に、時代ごとの推移の折れ線グラフを見て学習した内容で

そのグラフでは、××率は明確に時代と共に下降していて、70年代は今(当時)より高いところに位置していました。

私はそのことを話しました。すると、そのお客さんの顔が一瞬ピクッと変わりましたが、すぐに戻りました。

店主も「あー……///」みたいな反応を一瞬しました。余計なことを言ってしまったのでした。

私は、その女性にケンカ売ったわけでも、あなた達の若い時の方がひどいのよと言いたかったわけでもなく

私が折れ線グラフで見たことを伝えて、会話は更に続くと思って話しただけでした。

 

でも、それはあの場ではやってはいけないことでした。情報の内容や真偽などはあの場ではどうでもよかったのです。

そういう忖度はちょっと苦手です。

 

東京で出会ったADHDの青年で書いた友人とかとだったら、私がそういう発言をしたら会話が更に続きます。私も友人も、会話の内容でどこまでも盛り上がるたちなのです。例えば、グラフによる数値データと体感での認識のずれについても話のタネになりえます。

また、PC関連の講師をしている男性に私が「これってどうやるのかな?」とPCのことを訊いて、彼が試みた後「それはできない(不可能)」と答え、その後自分で試行錯誤してできたので、「できたよ」と報告すると、機嫌を損ねてしまったことがあります。メンツつぶした…みたいな… 例の友人たちだったら「どうやってできたの?!」と言います。興味はそこにあるからです。好奇心、探究心です。そしてそこから会話が続いていきます。

だから、もし私が喫茶店の店主になるとしたら、そういう人達を客層としたお店にすれば、私のスタンスで大丈夫だと思っています。

同じようなタイプの人がたくさん集まる喫茶店です。そこでは「空気読め」「忖度」「恥をかかせるな」などなく、自由闊達に話せるのです。そしてそれによって、会話が泉のように湧き続けて盛り上がります。そして方々の好き勝手な発想の交錯の中で、時として新しい発見が生まれます。考えただけでも、楽しそうな喫茶店です。

  


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