好むと好まざるに関わらず、置かわれた文脈の中で困惑しながらちょろちょろと這い回っている。
私だって好きでこんな日本社会を選んでいなくて、選べるなら、違う場所を選んでいた。
南の島に生きたい*^^* BGMは「風の王」
でも置かれた文脈の中で、自分なりにできることをして、こそこそと闘いながらやってきた。
いちいち「おかしい!」と言っていたら身が持たないから、いつも葛藤、困惑の中で。
「シカタガナイ」と思っているのでは全然なくて、おかしいのははっきりわかっていて。 殆どの人は泣き寝入り?
そしてそんな生活者ねずみ仲間にも出会ってきた。 正気を失わない生活者の底力
医学的、脳科学的な理も、好むと好まざるにかかわらず、そういう風になっている。 哀しい摂理
ヒトは動物。それが研究し尽くされ、政治的・商業的な勢力から利用され、かれらの思うようにヒトが動かされている中で
それに逆らう形で、ヒトに心理的挑戦、精神的努力を強いる形で動かそうとしても(意図せずともそういう形になれば)
成功はしない。そんなことをしたがる殊勝な人は、そんなにいないから。
もしそれを無視する形で、ヒトビトを動かそうとするならば、その方向性がどんなに間違っていなくて真理であっても
一方でとんだ愚か者となる。
はつかねずみのデリカシーを丁寧に扱う運動体は、ヒトの心を逆撫でせずに、安定してとらえていく。
もちろん、連合のような有害な御用運動体(まがいもの)は論外として、揺るがぬ理念は高く掲げていても
デリカシーをすくいとる運動体は、感性を失わない生活者の心をとらえ、勢力を伸ばしている。
持続可能な運動となる。リーダーたちは、極めて精鋭的な思想を持ち続けているが、同時にこのデリカシーにも理解を示す。
そうでない不安定な運動体では、突き抜けた人以外、持続は不可能となる。それは排他的な運動体である。
本当には突き抜けていなくて無理にやっている人ならば、それが露わになるのは時間の問題である。
その時に反動としての怒りの爆発を呈し、その糾弾の矛先は誤った相手に向けられる。 時限爆弾
この種の運動の失敗つまり持続不可能は、現象の科学として何十年も前に既に学習されていることである。
私はいつもここから 闘っていこうと改めて思った。