ウォーキングと旅行でのひとり言

奈良 橿原 今井町 散策 その8

今、旧米谷家から出てきたところです。





伊右衛門のCMの場所が観れるとは思っていませんでした。(偶然に来たという感じ……。)

「あさが来た」も、毎日楽しみにしてみていましたので、この風景が見れて、いうことありません。


次の地図の黄色の線に沿ってウォーキングしています。





この旧米谷家から、次の観光ポイントの「上田家」を目指します。

中町筋を西へ歩きます。

すぐ次の四つ角を右へまがると、すぐに、「上田家」がありました。





上田家は、片岡城主の片岡新助の子孫で、元亀元年(1570)に,移住してきたと言われています。

今西家、尾崎家と一緒に惣年寄を勤めた家です。

屋号を「壺屋」と称し、江戸時代初期には、酒造業も営んでおり、他の有力商家と共に「今井札」というおさつを発行するほどすごい経済力を持っていました。



ここから次の「吉村家住宅(旧上田家)」に向かいました。

大工町筋(中町筋のひとつ北の筋)を少し西へ行き、すぐ次の三叉路を右へまがりました。





遠く向こうにうっすら見えるのは、JRの万葉まほろば線です。


この道を、北に少し歩き右へまがって、北尊坊通りに入りました。





もう少し歩くと、「吉村家住宅」に着きます。

旧米谷家を出てから約30分経過しました。(ゆっくり見学しながら、写真撮影していますから時間は普通よりかかると思います。)





旧は上田家でした。

屋号を「壷八」といい、明治頃までは、肥料・精米・絞油業の商売をし、相当繁盛していましたが、昭和55年の移転に伴い吉村家の所有となりました。

今井町の一般商家の屋敷構えを知るうえで貴重だそうです。


この通りを東へ歩いて行くと、右側にしゃれた珈琲屋があります。






北尊坊通りを東へしばらく歩くと左手に次の観光ポイントの「山尾家」があらわれました。





巴紋の瓦と虫籠窓が目を惹きました。

御触れなどで厳しい建築規制があったようです。

その中で、どの家も工夫を凝らして個性を出しているのを感じます。

この山尾家には、桂小五郎も宿泊したことがあるそうでした。

屋号を「新堂屋」といい、肥料・木綿商を営み、幕末には両替商もやり、町年寄を勤めた大商家です。


この今井町では、見学・説明にたくさん時間を使い、大幅に予定を超過しました。


大急ぎで、近鉄八木西口駅の方へ戻ります。


北尊坊通りを東へ歩きます。しばらく行くと左手に南都銀行がありました。





この辺りから、東の方の通りの風景です。





吉村家から約15分で北尊坊通りを抜けました。


もとの通りをふりかえった風景です。





このすぐ右側にしゃれた洋風のレストランがあったのですが…………、





中に入ってみると、すごい行列です。

今井町を歩いていると、そんなに大勢の観光客を感じないのですが、店に入るとどこも行列でした。

諦めて、外に出ました。



次は、蘇武橋を渡って近鉄八木西口駅の近くを通りJR畝傍駅へ行きました。


雨は少し降ってきました。

コメント一覧

鈴木
こんにちは
https://blog.goo.ne.jp/sden66k1800/e/f6a7291f782957f620ab9ec08c806142
ブログ拝見してます
数々の古い住宅ですね
吉村家~すごいです
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