米原家住宅の前から、ブログをつなぎます。
ここは、非公開になっています。
米原家から少しいくと、すぐに石谷家住宅が見えてきます。
すごい建物が現れたと思いました。
中に入りました。
ここが、「本玄関」にあたります。
左の方へ進み建物の中に入らせてもらいました。
広い空間の「土間」にきました。
「いろりの間」です。
松の巨木を使った梁組、14mの吹き抜け、壮観です。
再び、「いろりの間」。
仏間です。仏壇は江戸後期ぐらいのものではないかといわれています。
「新建座敷」昭和16から18年ごろに改築された場所。
「いろは………」の襖。
「江戸座敷」です。江戸期の建物、部屋全体を煤で塗っているそうです。
窓の障子に細工が施され、陰影が美しいですね。
貴族の部屋の雰囲気。(御簾と言うのだろうか)
前に見たことがある床です。同じような工夫です。
石谷家は、古くは鳥取城下で塩の御問屋を家業とし、その後、大庄屋として智頭宿の発展に関わりながら、問屋業や山林業を営んできました。
屋敷は広大で、約40の部屋があります。
左手前に脚立があるのは、ちょうど池の掃除をされていたためです。
「表二階、表の間」。主に山番の新年会に使用していたそうです。山番は山で木を守っている人。
欄間に大山と隠岐の島の風景。
暗い写真ですいません。
「螺旋階段と太鼓橋」。二階へ通じる橋のうち、ひとつは洋風の螺旋階段で、吹き抜け空間を太鼓橋で渡しています。
欄間が美しいですね。石谷家の欄間及び屋根の鬼瓦は「国米泰石」の傑作です。
国米泰石は「大仏師」で、東大寺三月堂の修復でも有名です。国宝級の仏像修復作業に関わり、長きに渡り力をそそぎました。日本の国宝級の仏像は、彼の修復技術と努力によって命脈を保ってきたと言われています。智頭宿で生まれました。
土間に戻ってきました。
充分に堪能しました。すごいところでした。写真だけでは表現できません。
見学させてもらった礼を言って、ここをあとにしました。
外へ出るとすぐに、「消防屯所」が現れました。
木造二階建て、上に火の見櫓を置いています。昭和16年に建築され、平成23年に改修されました。
今も現役だそうです。
「興雲寺」は、言って見ましたが、修復中でした。覆いがかけてあり、なにも見れません。
この辺りの風景です。
ここの雰囲気にあう「智頭小学校」まできました。
ここから智頭駅にひきかえしました。次は智頭急行線で「平福」に行きます。
次のブログで。
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