数年前に「句読点」について質問を頂いた方から、「再び『句読点』が判らなくなりそうだ」と、世間話の都合上のネタとしてお尋ねを頂いた。(どうも・・・私という人間を買い被っている方が多いようで、不真面目な話は嫌いだと思われている風があるのだが・・・、当然の事として真面目な話より不真面目な話の方が好き・・・である)
確か、以前のお尋ねの際の私の回答は・・・「句点『。』は文の終わりの合図だから、文の終わりに付ければOK。でも、スペースを入れたり改行したりして、文の終わりだと読む人が判るのなら無くてもOK」「読点『、』は、無くても良いけど、有った方が分かり易いと思えば自由に入れてOK」なんて曖昧(あいまい)な答えをしたと思う。(自分では出来ない癖に・・・)「プライベートな文章を書く上で面倒くさいルールなんかに縛られず、書きたいように書く方が愉しいと思いますよ」と云う事が伝えたかったので、それを補強する為に曖昧な説明をしたのだと思う。
この私の無責任な回答で、御迷惑を掛けてしまった様なので・・・ブログのネタとして・・・
文章を作成する際に欠かせないのが句点「。」と読点「、」だが、改めてそれらの使い方を振り返ってみると、感覚的に使ってしまっている。私の書きそうな(いや、実際に書いているだろう)悪文を例に挙げる。
我が家では娘の都合でキャンプに出掛ける回数が激減してしまったが良く注意して見ていると学業優先という訳では無く娘ならではの親離れの意志の発露なのだろうが未だ子供として目の届くところに置いておきたいと思ってしまう親のワガママが娘にキャンプを強いているのカモ知れない。
これは、読点「、」が無ければ意味が通じない程に酷い悪文である。
我が家では娘の都合でキャンプに出掛ける回数が激減してしまったが、良く注意して見ていると学業優先という訳では無く娘ならではの親離れの意志の発露なのだろう。未だ子供として目の届くところに置いておきたいと思ってしまう親のワガママが、娘にキャンプを強いているのカモ知れない。
更に句読点を入れると
我が家では、娘の都合でキャンプに出掛ける回数が激減してしまったが、良く注意して見ていると学業優先という訳では無く、娘ならではの親離れの意志の発露なのだろう。未だ子供として目の届くところに置いておきたい、と思ってしまう親のワガママが、娘にキャンプを強いているのカモ知れない。
しかし、句読点を入れすぎても意味が通じなくなりそう?
我が家では、娘の都合で、キャンプに出掛ける回数が激減してしまったが、良く注意して見ていると、学業優先という訳では無く、娘ならではの、親離れの意志の発露なのだろう。未だ子供として、目の届くところに置いておきたい、と思ってしまう親のワガママが、娘にキャンプを強いているのカモ知れない。
基本的な読点「、」のルールとしては
ルール1 主語の後に打つ。
例:我が家は、キャンプに出掛ける回数が激減した。
例:私は、カミサンに愚痴を言った。
ルール2 文と文に分かれるところに打つ。
例:娘は宿題が沢山あるので1人家に残って片付けたいと云い、私は家族の行事に参加するのは家族の義務だと云った。
例:引き返して、さっき買った肉を冷蔵庫に入れ忘れた。
ルール3 並列の関係にある語句毎に打つ(但し、最後の語句の後はなし)。
例:娘に好まれるキャンプの目的地は博物館、科学館、有名な観光地、アウトレット等の商業施設である。
例:温泉施設だけ、外食だけ、遊び相手が居ないオフ会を目的とするキャンプは行きたくないらしい。
ルール4 修飾の係り受け(修飾語がドコに係るか)が、判るところに打つ。
例:キャンプ好きの私の娘。
↓
キャンプ好きな、私の娘。←「キャンプ好き」が「娘」を修飾
キャンプ好きな私の、娘。←「キャンプ好き」が「私」を修飾
ルール5 接続詞の後に打つ。
例:娘は喜んでオフ会キャンプに参加した。しかし、彼女は誰とも会わなかった。
ルール6 文章のリズムを調整する為に打つ。
例:醤油をかけ焼き魚を頬張ったが生焼けで生臭かったので食べるのを止めた。
↓
醤油をかけ、焼き魚を頬張ったが、生焼けで生臭かったので、食べるのを止めた。
ルール7 独特の言い回しを表現する。
例:え~、ウソ、ちょっと待って。
これ以外にも読点「、」を使って文章を読みやすくする方法は沢山あると思う。だが、読点「、」の基本的なルール・・・を改めて書いてみても四角四面では面白くないので、やはり、「プライベートな文章を書く上で面倒くさいルールなんかに縛られず、書きたいように書く方が愉しいと思いますよ」が正解のような気がする。但し、ルール4のように読点の位置次第では異なった意味に取られる場合もあるので、折角書いた文章が正しく読まれたいと思うならば「係り受け」等の構文には少しは気を遣った方が良いのカモ? < 私
そして、私が好んで使う読点「、」には、特例が存在する。
特例 文章を書いている内に、仮名文字と仮名文字を区切りたくて打つ。
例:早く会場に入りたいのに、ままならない。
読点がないと・・・「早く会場に入りたいのにままならない。」となって読みにくくなるので、読点を打つか、「早く会場に入りたいのに儘ならない。」と漢字で表記するのだが、「儘:【音読み】ジン 【訓読み】まま・まんま・まにま(古語)」は「我が儘を言う」とか「灰燼に帰す」等の文で表記すればナントナク読めるのだが「儘」だけ単体では読めないだろうと思うので、私は仮名表記で読点を打っている(筈)。基本的なルールには無い用法なのでお薦めは出来ないし「早く会場に入りたいのに思い通りにならない。」等の表現を変えて読みやすい漢字で繋げば良いのだろうが・・・
う~ん、やっぱり句読点は難しい・・・?
確か、以前のお尋ねの際の私の回答は・・・「句点『。』は文の終わりの合図だから、文の終わりに付ければOK。でも、スペースを入れたり改行したりして、文の終わりだと読む人が判るのなら無くてもOK」「読点『、』は、無くても良いけど、有った方が分かり易いと思えば自由に入れてOK」なんて曖昧(あいまい)な答えをしたと思う。(自分では出来ない癖に・・・)「プライベートな文章を書く上で面倒くさいルールなんかに縛られず、書きたいように書く方が愉しいと思いますよ」と云う事が伝えたかったので、それを補強する為に曖昧な説明をしたのだと思う。
この私の無責任な回答で、御迷惑を掛けてしまった様なので・・・ブログのネタとして・・・
文章を作成する際に欠かせないのが句点「。」と読点「、」だが、改めてそれらの使い方を振り返ってみると、感覚的に使ってしまっている。私の書きそうな(いや、実際に書いているだろう)悪文を例に挙げる。
我が家では娘の都合でキャンプに出掛ける回数が激減してしまったが良く注意して見ていると学業優先という訳では無く娘ならではの親離れの意志の発露なのだろうが未だ子供として目の届くところに置いておきたいと思ってしまう親のワガママが娘にキャンプを強いているのカモ知れない。
これは、読点「、」が無ければ意味が通じない程に酷い悪文である。
我が家では娘の都合でキャンプに出掛ける回数が激減してしまったが、良く注意して見ていると学業優先という訳では無く娘ならではの親離れの意志の発露なのだろう。未だ子供として目の届くところに置いておきたいと思ってしまう親のワガママが、娘にキャンプを強いているのカモ知れない。
更に句読点を入れると
我が家では、娘の都合でキャンプに出掛ける回数が激減してしまったが、良く注意して見ていると学業優先という訳では無く、娘ならではの親離れの意志の発露なのだろう。未だ子供として目の届くところに置いておきたい、と思ってしまう親のワガママが、娘にキャンプを強いているのカモ知れない。
しかし、句読点を入れすぎても意味が通じなくなりそう?
我が家では、娘の都合で、キャンプに出掛ける回数が激減してしまったが、良く注意して見ていると、学業優先という訳では無く、娘ならではの、親離れの意志の発露なのだろう。未だ子供として、目の届くところに置いておきたい、と思ってしまう親のワガママが、娘にキャンプを強いているのカモ知れない。
基本的な読点「、」のルールとしては
ルール1 主語の後に打つ。
例:我が家は、キャンプに出掛ける回数が激減した。
例:私は、カミサンに愚痴を言った。
ルール2 文と文に分かれるところに打つ。
例:娘は宿題が沢山あるので1人家に残って片付けたいと云い、私は家族の行事に参加するのは家族の義務だと云った。
例:引き返して、さっき買った肉を冷蔵庫に入れ忘れた。
ルール3 並列の関係にある語句毎に打つ(但し、最後の語句の後はなし)。
例:娘に好まれるキャンプの目的地は博物館、科学館、有名な観光地、アウトレット等の商業施設である。
例:温泉施設だけ、外食だけ、遊び相手が居ないオフ会を目的とするキャンプは行きたくないらしい。
ルール4 修飾の係り受け(修飾語がドコに係るか)が、判るところに打つ。
例:キャンプ好きの私の娘。
↓
キャンプ好きな、私の娘。←「キャンプ好き」が「娘」を修飾
キャンプ好きな私の、娘。←「キャンプ好き」が「私」を修飾
ルール5 接続詞の後に打つ。
例:娘は喜んでオフ会キャンプに参加した。しかし、彼女は誰とも会わなかった。
ルール6 文章のリズムを調整する為に打つ。
例:醤油をかけ焼き魚を頬張ったが生焼けで生臭かったので食べるのを止めた。
↓
醤油をかけ、焼き魚を頬張ったが、生焼けで生臭かったので、食べるのを止めた。
ルール7 独特の言い回しを表現する。
例:え~、ウソ、ちょっと待って。
これ以外にも読点「、」を使って文章を読みやすくする方法は沢山あると思う。だが、読点「、」の基本的なルール・・・を改めて書いてみても四角四面では面白くないので、やはり、「プライベートな文章を書く上で面倒くさいルールなんかに縛られず、書きたいように書く方が愉しいと思いますよ」が正解のような気がする。但し、ルール4のように読点の位置次第では異なった意味に取られる場合もあるので、折角書いた文章が正しく読まれたいと思うならば「係り受け」等の構文には少しは気を遣った方が良いのカモ? < 私
そして、私が好んで使う読点「、」には、特例が存在する。
特例 文章を書いている内に、仮名文字と仮名文字を区切りたくて打つ。
例:早く会場に入りたいのに、ままならない。
読点がないと・・・「早く会場に入りたいのにままならない。」となって読みにくくなるので、読点を打つか、「早く会場に入りたいのに儘ならない。」と漢字で表記するのだが、「儘:【音読み】ジン 【訓読み】まま・まんま・まにま(古語)」は「我が儘を言う」とか「灰燼に帰す」等の文で表記すればナントナク読めるのだが「儘」だけ単体では読めないだろうと思うので、私は仮名表記で読点を打っている(筈)。基本的なルールには無い用法なのでお薦めは出来ないし「早く会場に入りたいのに思い通りにならない。」等の表現を変えて読みやすい漢字で繋げば良いのだろうが・・・
う~ん、やっぱり句読点は難しい・・・?
句読点の多い文章は好きではないです。
拙が何処かで見た筈のルールは
基本的に日本語には句読点を打たない。
ルール2文章が分かれるところにのみ打つ。
との覚えなんです。
と云いながらもルール3の並列、ルール5の接続詞は打ちますね
ルール1主語の後は打ちません
どないでしょうか?
さて・・・
> 句読点の多い文章は好きではないです。
はい、句読点の多い私の悪文はTOMO@愛知さんのお嫌いな文章です。因みに、古文や漢文には句読点は使われていません。明治時代初め頃迄の日本語では句読点は無く空白と改行で区切っていましたし、漢文は改行のみです。
私が読み易いと思うのは、句点「。」が多く、読点「、」が少ない文章です。
「。」が多い文章は、1つ1つの文が短い事を意味し、「、」が少ない文章は単文・・・文中に述語が1つしか無い文・・・を意味します。述語が2つ以上ある複文や重文では「、」が増えてしまいます。そして、複文や重文では、構文も問題となるでしょう・・・ね。
日本語を複雑に読み難くしてしまう面倒な句読点ですが、句読点が句読点として日本に登場したのは明治時代の終わり頃で、フランス語や英語と違って論理的表現の苦手な日本語で論理を表記する為に、1つの単語としての修飾語ではなく複数の単語で構成された修飾部で修飾する文章を書く必然が生まれました。当初は外国の法令集や判例集や公文書等を大量に翻訳し、次に学術書や論文の翻訳がされました。その結果、翻訳者に依って多種多様な句読点の様な区切り記号が生み出されてしまい、多種多様な区切り記号が乱立した事で、日本語の文章が混乱してしまいました。そこで明治政府は「句読点法案」で「、」と「。」と「,」の使用法が定められました。その法案に依ると、「,」は横書きの区切り記号として定められているのでMS-WORDのデフォルトである横書き時のカンマは、明治の法案に忠実なのカモ?尚、この「句読点法案」には、文筆家は挙って猛反対したそうです。
昔・・・高校生クイズだったか、大学対抗クイズだったかで、表彰状には句読点が使われない理由として「句読点は、文章を読み慣れていない無学な一般大衆の為に作られ使われているので、表彰される様な偉い人に句読点を使うのは失礼だから・・・」なんて紹介していました。一般家庭でも葬儀の会葬御礼状等には句読点は使っていませんでした。失礼かどうかは別にして、正式の文章には句読点は使わないモノなのカモ?
盛年不重来
一日難再晨
及時当勉励
歳月不待人