Trips with my RV.

RVでの小旅行。

(その2)原子力発電の話

2011-07-14 22:05:41 | Innocent joke
3.11以降、様々な事象で、それまでの常識が覆ったと思う。過去記事で書いた通り・・・、当にパラレルワールドに迷い込んだ様だ。そして、(これは近い将来に別記事に書きたいと思っている事だが)国民は公園のシーソーがギッタンバッコンする様に3.11以前とは全く違う価値観を自然に受け容れ始めている・・・と思う。

我が国のエネルギー政策の根幹とも云えた原子力発電に対し多くの国民がノーを唱えるに至った。(誤解を招かずに上手に書く自信がないので開き直って書いてしまうが)3.11以前の日本では、反原発とは一種の宗教の様だった。対する原発賛成派・・・と云うカテゴリーの人達は極少数だろうが、多くの国民は電力会社や政府広報に依って原子力発電の安全神話を或る程度は信じて原発ノンポリ派だったのだろう。賛成派とノンポリ派が数の上で優位となり、我が国は原子力の平和的利用としての原子力発電が津々浦々に建設され稼働した。

3.11で安全神話は崩れた。その安全神話では、日本で稼働中の原発は想定外の事態にも耐え得る設計と云われ、万が一にも原子力事故は発生しないとされていた。勿論、3.11以前でも事故は相次いでいて、その情報を秘匿し公開しない電力会社の隠蔽体質や、国家としての管理監督能力には多くの国民は一抹の不安を感じていたのだろう。だが、ノンポリ派を反原発に転向させる程の事故は発生していなかったので、ノンポリ派はノンポリで在り続けていた。だが、3.11で東電から国家機関から相次いで「想定外」と云う言い訳が飛び出してしまった。東日本大震災の地震と津波で、福島第一原発の広範囲の周辺に住まう方々は生活を奪われ、首都圏も含む更に広範囲な方々に大きな不安をばらまいた。そして、マスコミが連日連夜放映した水素爆発で建屋が吹っ飛びキノコ雲が立ち上る光景が、連日連夜放映し続けている被曝への不安を煽る報道が、ノンポリ派を反原発へ導いたのだ。

もはや、東海村の臨界事故を筆頭とした我が国に於ける幾多の原子力事故では揺らがなかったノンポリ派のノンポリシーにも限界が来てしまった。恐らく、多分・・・今回の反原発への転向は「喉元過ぎれば熱さ忘れる」と云う一過性のモノではなく・・・、今の日本に生きる世代が終生持ち続けてしまう思想と成ったと思う。

昨夜の管首相の会見では「原発に依存しない社会を目指すべきだ。計画的、段階的に依存度を下げ、将来は原発がなくてもやっていける社会を実現する」と述べた。管首相がワザワザ会見で云われなくても、それは恐らく国民の大部分が心の底から思っている事だろう。管首相が行政の長として語るべきは、その代替案への展望の筈だ。代替案無くして反原発では、宗教的な反原発と変わらない。管首相の思う「ポスト原発」は、太陽光発電・風力等の既存技術がスケールメリットで安くなる・・・と云う程度の認識なので宗教的な反原発派の弁と変わらない。連日の猛暑の中で電力需給が逼迫しながらも持ち堪えている事を、その背景には多くの国民個人個人の懸命な努力と多くの企業が業績を犠牲にして電力制限令に応じている無理な現実への理解の程が疑わしい。更に、記録的な猛暑が予測される現時点に於いて更なる節電努力で夏の電力需給は可能だと根拠無く評し、挙げ句の果てに「埋蔵金」ならぬ私企業等の擁する自家発電設備からの「埋蔵電力」を持ち出してきた。そして、ストレステストを持ち出してきた当の本人から、ストレステストに合格した原発の再稼働は有り得るとした。一旦は再稼働に同意し、土壇場でストレステストを持ち出され再稼働を保留された自治体首長は、次は何を信じて再稼働への賛否を判断すれば良いのだろう?管首相の周辺に居る筈のブレインは、何故こんな御粗末な会見をさせたのだろうか?

そもそもストレステストとは、主にフランスで稼働中の原発に対して行うシュミレーションテストだろうが、EUの基準を無批判に日本に持ち込むのか、又、日本で独自の項目を設けるなら、何を想定するのだろう。もし想定外の何かを勘案する事が出来なければ、それは3.11以前の等閑なテストと変わらない。福島の教訓を踏まえても、想定される震度と想定される津波高への備えと、電源途絶に対するバックアップの多重化と云った・・・所謂、新事実に即した想定内の事象への対応に過ぎない。

これが管首相の指揮下で日本版原発ストレステストに組み込まれるか否かは判らないが、放射線脆化・・・は、どう判断するのだろう?この放射線脆化が・・・福島第一原発で電源を要しない緊急炉心冷却装置を現場サイドで停止させた真の理由だと云われている。もしも、緊急炉心冷却装置が勝手に止められず作動していれば炉心融解に至る時間はズッと先になっていた筈だと云われている。

放射線脆化・・・放射線照射脆弱化とは、原子炉の圧力容器の材料である鋼材が強烈な中性子線に晒され続ける事で変質し硬化していく事で脆くなる現象だ。硬くなるのは良い事カモ知れないが、鋼材は硬くなると脆くなる。脆くなると急激な温度変化で割れてしまうのだ。通常の原子炉では急激に温度が変わる事は無いのだが、緊急炉心冷却装置が作動し、それこそ緊急に炉心が冷却されると、圧力容器も急激に冷やされ、割れてしまうカモ知れない。

耐熱ガラスを御存知だろうか?家庭でもコーヒーサイホンやオシャレな鍋やガラス製の鍋蓋等に使われている。中学高校の化学室にあった直火OKのフラスコやビーカーもそうだ。耐熱ガラスと云えば、熱を加えても大丈夫なガラスと認識しているだろうが、実は少し違う。耐熱ガラスでは無いガラスでも取り扱いに気を付ければ直火で使う事も可能だ《危険なので、よい子は試してはいけません》。普通のガラスでも・・・例えば、吹きガラスの工房に行けばガスバーナーで真っ赤になるまで熱してドロドロに溶かして息で膨らませて成型する。耐熱ガラスは、温度変化に耐える事が出来るガラスの事。普通のガラス(ソーダガラス)ではなく「ホウ珪酸ガラス」で出来ていて、「ホウ珪酸ガラス」は熱膨張率が非常に低いので、急激な温度変化に耐える。家庭用の耐熱ガラスは、恐らく120度位の温度変化でも割れない筈で熱湯が入っている鍋を水で急冷しても(多分)割れない(筈)《危険なので、よい子は試してはいけません》こう云った・・・どの位の温度変化ならガラスが割れずに済むかを示す温度を耐熱衝撃温度と云い、家庭用の耐熱ガラスは概ね120~200度位で、高校の化学室にある耐熱ガラスのフラスコの耐熱衝撃温度は200度位の筈(耐熱ガラスの実験器具には、必ず耐熱衝撃温度の表記がされている筈)尚、我が家にあるガラスのフライパンは、耐熱衝撃温度が確か350度だった筈。

原子炉圧力容器の放射線脆化とは、耐熱衝撃温度が低くなる事と言い換えても良い。こんな例え話は怒られそうだが、我が家のガラスのフライパン(デビトロセラム)の耐熱衝撃温度350度が使い続けている内にガラスの鍋蓋並の耐熱衝撃温度120度に下がってしまった・・・と云う感じ。湯を沸かすには使えても油炒めをすると割れてしまうだろう。そもそも原子炉の圧力容器は・・・30年も使い続ける様には作られてはいなかった筈で、30年も経たない内に廃炉にして新たに原子炉を造るツモリでいた筈。それを何故30年以上(玄海第一は36年、玄海第2は30年)使い続けてしまったかと云えば・・・核廃棄物の最終処分場が無いから?廃炉を実施した経験が実験炉以外は無いから?監督官庁である国が放射線脆化に関しての想定外に想定した安全指針を決めていないから?使えているモノを高額な費用を掛けて廃炉にするよりは1日でも長く使った方が利益が出るから?・・・私の様な素人には判らない大人の事情が有ったのだろう。恐らく・・・政治家の先生方は放射線脆化なんか御存知ないと思うが、そんな先生方が政治主導で日本版ストレステストの旗振りをしても安心には程遠いだろう。因みに、各電力会社は・・・そのデータの信頼度は少々欠けるモノの各原発の脆性遷移温度を公表している。つまり、放射線脆化は想定外の事象では無い。

緊急炉心冷却に耐えられない原子炉・・・とは、急ブレーキを掛けられない欠陥車を運転する様なモノ。通常運転では安全に走らせる事が出来ても、咄嗟の事態では急ブレーキが掛けられない車を運転する勇気は私にはない。管首相だろうと誰だろうと国内全炉停止を決められる筈がない。

私自身はマスコミに踊らされない強い信念と知識があるから・・・では無く、単に天の邪鬼だからだろうが、何が何でも原発を止めろとは言いたくない。誤解がない様に書き添えておくが、少々コスト高でも実用可能な代替エネルギーが確保されれば、商業原発を止める事には大賛成である。だが・・・、反原発の方には申し訳ないけど・・・、原子力技術の進歩の為に、数カ所の商用規模実験炉は稼働し続けて欲しいと思う。今世紀末か来世紀初旬頃迄に人類は・・・核分裂よりも制御が難しいと思われる核融合技術を実用化する事になる筈で、その頃も日本という国が存在するのならば諸外国に遅れるベキでは無いと思う。

代替エネルギーが実用化する迄は「再生可能エネルギー全量買取法案」と云った無駄な設備投資を国民全員に押し付けて国家を滅ぼす愚策を再考し直し、日本を明るい未来へと導く新エネルギー政策への産官学・国民の議論が先ず必要だと思う。それまでは原発を活用していくしか日本の存続の道はないと思う。それが10年で実現するのか15年掛かるのかは判らないが、原発は怖いと日本国民全員が知った上で必要悪として稼働させ続けるのだから・・・御用学者と所轄官僚だけの知恵で、その場凌ぎの法案をデッチ挙げ国家を危うくしたり、等閑なテストを気まぐれ追加して安全が確保された風に国民を騙すのを止めて欲しい。

申し訳ない事だが、もし3.11が無ければ恐らく、この時点で我が国が脱原発に舵を切る事態には成っていないと思う。だが、3.11は起きてしまい日本国民は安全神話が御伽噺だと知ってしまった。我が国から商用原発が全廃する日が1日でも早く到来する様に祈ると共に、福島の教訓を活かし、もう暫くは原発からの電力に日本は頼る事になる。今度こそは産官学・国民が納得できる危険想定をクリアして最後の御奉公に励んで頂きたいモノだ。

#(高レベル放射性廃棄物最終処分場問題は未解決だ。これは諸外国もほぼ同じ。因みに、米国と協同でモンゴルへ打診中だそうだが、この事は即座に脱原発を目指そうが、もう暫く原発を使い続けてしまおうが大勢に影響は無いと思う)

(その3)に続く?
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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2011-07-26 12:56:52
http://satoshi.blogs.com/life/2011/07/eccs.html
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